169 枯れ川の渓谷での戦い4
(あの荷物持ち達、騎士だったんだ!くっそ、やられた!)
戦場に一定のルールがあるとはいえ、それを守って負けたのでは元も子もない。
だからネルガルのやり方は正しい。
問題は俺の能天気さだ。
ネルガルが荷物持ちに偽装して、予備兵力を温存していたのに全く気付かなかった。
(俺は、間抜けだ。その可能性を考えないなんて……)
しかも、ネルガルはあの予備兵力を『一軍』と呼んでいた。
という事はあの五十人は今まで戦っていた兵よりも強いという事だ。
(どうする?)
一瞬のうちに色々な考えが頭の中を錯綜した。
(この上に高台があると言っていたな。高台に登って、そこに広く兵を展開して、上がってくる敵を待ち構える。敵の先頭数人ずつを大勢で取り囲んで、順番に各個撃破するしかない。だが、問題は……)
「ミルさん!高台に上がりましょう!」
と味方の前線に下りてきたミルさんに声をかける。
「しかし……」
その顔に戸惑いの表情が浮かぶ。
「もうそれしかない!今の疲弊した森人達では、あの敵の予備戦力には対抗できません。
「セシルちゃんのバフは?」
「敵は何らかの身体強化の薬を飲んでいます。数もこっちより多い。セシルのバフは高台で敵を迎え撃つ時に使いましょう」
「……」
ソエリ族の掟を破る決断を出来なくて、ミルさんの口から言葉が出なくなった。
「いいんじゃやないか?」
ミルさんの横に大柄な森人が立つ。
その声に聞き覚えがあった。
敵に寝返った自分の息子を殺した森人だ。
「俺が責任を取る。伝統の掟より、ソエリ族の未来が大事だ。このままここで戦っても全滅するだけだ。もし、上の聖地に強い精霊が居て俺達を罰して殺すなら、それはそれで好都合じゃないか。一緒に上がった奴らも道連れに出来るって事だろ?そんな難しい顔をするなミル。まあ、この決断は余所者のお前には難しいか……」
そう言って森人の男は仲間の方を振り返り、声を上げる。
「これより、我らは古来よりの掟を破る!この上の聖地で敵を迎え撃つ!ソエリ族の存亡はこの一戦にかかっているぞ!すぐに移動せよ!行けー‼」
この森人の男は、皆に人望がある人みたいだ。
彼の一声で、他の森人達がすぐにガレ場を上に向かって走り始める。
「助かったよ……。難しい決断をさせたね……」
と横の森人に肩に手を乗せるミルさん。
「気にするな」
とだけ答えて彼は上に向かって走り出した。
谷の下に目をやる。
敵はなかなか動き出さない。
ネルガルが仲間を見下ろしている。
何かを待っているようだ。
「セシル!アスルを連れて英子と上に行け!ここは俺が殿になって食い止める!」
「でも!」
「いいから行け!」
英子が側に来た。
ハランさんもだ。
ハランさんは両手にバトルアックスを一本ずつ持っていた。
英子は杖で地面を突いて仁王立ちになった。
「あなた一人で、あの集団は止められないわ。私も残る」
「駄目だ!」
「嫌よ。もう決めたの。この狭い隘路なら、雷撃を横に広げる必要も無いから、威力が強いままで使える。アレを足止め出来るのは私しか居ないわ」
「しかし…」
「ガイ君、俺も居る。俺はセシルちゃんのバフで力が溢れている。今の俺は誰にも負ける気がしない」
「……分かった。ならミルさん、森人の指揮は頼みます」
「ああ、殿は任せたよ。危なくなったらすぐに引くんだよ」
と念を押してミルさんも上に撤退していく。
「さて……」
前に出て、渓谷の下の敵を見下ろす。
敵兵の間に熱気の様な、オーラの様な気配が立ち込めていた。
森人達と今まで戦っていた敵兵も、新たな予備兵達の後ろで隊列を組みなおしている。
五十プラス五十くらい。総勢で百か…。こっちは英子の治癒魔法のおかげで、まだ一人の脱落者も出ていないが、それでもかなりの戦力差だな……」
敵兵が飲んでいた薬の陶器瓶に見覚えがあった。
騎士団予備校の入校日の集団ランニングの時、ハルマ教官が呑んでいた薬瓶と似ている。
だとしたら、敵兵はこれから爆発的な力を発揮するはずだ。
(踏ん張れよ、俺……)
両手のファルカタを握り直す。
ネルガルが、俺の五メルス向うからこっちを横目で見て、にやりと笑った。
そして、自分の部下の兵に向き直る。
「てめえらー!準備はいいかー!」
と檄を飛ばす。
「おう!」
と敵兵が一斉に吠える。
「男は皆殺しだ!だが、女は殺すなよ!後でお楽しみが待ってるぜ!」
ネルガルの楽しそうな声に、敵兵たちの間で野卑な笑い声が上がる。
「まあ、ちっとばかりぶちのめすのは構わねーが、手足はちゃんと残しとけよ!いいな!」
「芋虫女を抱いてもつまんねーからな!」
と誰かが大声で言う。
「俺は芋虫女がいいぜ!」
と別の誰かがそれにかぶせる。
「この変態野郎!てめえが、抱いた女はみんな死んじまうから、他の連中が楽しめねーんだよ!てめえの変な趣味は、どっかよそでやりやがれ!」
と更に誰かが言う。
それでどっと周りが笑う。
(こんな奴らに英子とセシルは渡せない。命に代えてもこの場は死守する)
奴らのやり取りを聞いて俺は決意を新たにした。
「そんなら、いいかー、いくぜー!」
ネルガルが仲間に向けて右手を掲げる。
「せーの、突撃!」
と仲間に向かって手を振り下ろす。
その瞬間、敵兵たちは解き放たれた野獣の群れの様に、我先に坂を駆け上って来た。
「さて」
ネルガルがこっちを見る。
「続きをやるか⁉ちんちくりん不細工!」
と火の魔剣を構える。
魔剣の刀身が真っ赤に熱を帯びて輝く。
「私が相手よ!」
と英子が俺の前に出る。
「お、聖女様が相手をしてくれるか?はっは、ついてるな。お前に逃げられたらどうしようかと思って、冷や冷やしたんだが、残ってくれてよかったぜ」
「また、黒焦げにしてやるわよ」
ドン!
英子の杖から雷撃が飛ぶ。
それをネルガルの魔剣が弾く。
ドドン!
ドドドン!
ドン!
少しずつ発射のタイミングを変えながら英子が雷撃を飛ばすが、そのどれにもネルガルが反応してくる。
しかし、雷撃を防ぐのに集中しているため、奴もその場から一歩も動けない。
「そうね。あなたは、防ぐわよね。でもお仲間はどうかしら?」
敵兵の集団がネルガルのすぐ背後に迫っていた。
足を止めたネルガルの横を敵兵が駆け上って来る。
ドドドドドン!
立て続けに英子の雷撃が飛ぶ。
敵の先頭の五人くらいが黒焦げになってその場で倒れる。
しかし、後続がその屍を踏み越えて続々と登って来る。
ドドドン!
ドドドドドン!
ドン!
ドン!
英子の雷撃でさらに十人くらいが黒焦げになる。
それでも敵兵にひるむ様子は無い。
皆、幸せそうにニヤニヤ笑いながら突っ込んで来る。
(何か麻薬の様な物があの薬に混ぜられているみたいだ。恐怖心を麻痺させているんだ)
ドン!
ドン!
殺しても殺しても、敵は構わずに突っ込んで来る。
英子は魔力量こそ多いが、連続して魔法を使うと魔力回廊は疲弊する。特にこの杖で雷撃魔法を使う時は魔力回廊の疲労が通常より激しいようだ。
インターバル無しで魔法を使う英子の息が荒くなってきた。
「英子、もういい、充分だ。一旦下がれ!魔力回廊を温存しろ!英子の治癒魔法はまだ仲間に必要だ!」
「……分かった」
意外に素直に英子が下がる。
俺が正面で両手の魔剣を左右に広げて立ち塞がる。
「ハランさん!英子を守って下さい。後ろに抜けた敵は頼みます!」
「ああ、任せろ、ガイ君!」
ネルガルは前に出て来ない。
英子の雷撃を防ぐので、奴もかなりの魔力回廊を消耗したみたいだ。
少し後方に下がった奴は、渓谷の脇の大岩の上に座り、額の汗を腕に巻いた包帯で拭って休んでいる。あとから上がって来た仲間に水筒を貰って中の水を飲んでいた。
(あいつが前に出なければ、やれる!)
「おりゃー!」
殺到する敵の先頭の円盾目掛けて、ドロップキックをお見舞いする。
それで前列の敵が将棋倒しに倒れる。
「おら!おら!おら!おらー!」
両腕を車輪の様に大きく回転させて、正面の敵を滅多切りにする。
魔剣ファルカタの斬撃で敵を盾ごと切り飛ばす。敵の手足が血煙を上げて辺りに散らばる。
体ごと突っ込んできた敵の剣が俺の胴体を貫く。
その剣を持つ手を斬り飛ばしてやる。
俺はノーガードで敵の剣を体に受け続け、敵の腕や首を斬り飛ばす。
それでも敵はひるまずに突進して来た。
俺の体から何本もの剣が生えていた。
うおーん!
黒衣の老人が治癒を発動する。
英子の治癒魔法も後ろから飛んでくるが、魔力回廊が疲弊しているせいか、いつもより魔力が弱々しい。
「がはっ!英子!俺に魔法は使うな!温存しろ!」
肺に血が溢れて、むせかえる。
「ガイ君!その体じゃ無茶だ!死んでしまうぞ!」
「ハランさん!実は俺、魔人の力を使える魔族なんです!だから、この程度の怪我では死にません!」
「魔族……?そんな事が……?」
俺の横を何人かの敵兵がすり抜けが、その直後に後ろで『パキッ!』と固い物を叩き割るような音が響いて、『どさり』と人が倒れる音がする。
ハランさんが一撃で敵の兜を叩き割っているみたいだった。
(さすがの怪力だな)
どうやら後方は任せて大丈夫みたいだった。
俺の体は突き刺さった敵の剣でハリネズミみたいになっていた。
そのせいで体が動かし辛い。
だが、刺さった剣を抜いている暇は無い。
敵の後方で一休みしたネルガルが立ち上がるのが見えた。
(奴が出て来る。まずい……)
「ハランさん!ネルガルが来る!足止めはこれで充分です!英子を連れて上に撤退してください!英子だけはこいつらに渡せないんです!」
後ろを振り向かずに敵と切り合いながら、それだけ言った。
「だが、ガイ君は⁉」
「後から行きます。見ての通り、俺は不死身です!俺一人なら何とかこの場を切り抜けられます!早く!」
「一人じゃ無理よ!嘘言わないで!ハランさん信じないで!」
「行け!ハランさん頼む!お願いだ!」
「……分かった。死ぬなよ!」
「きゃっ!待ってハランさん!」
ハランさんが強引に英子の体を抱えたのだろう。
ガレ場を駆ける足音が渓谷の上の方に遠ざかってゆく。
「行ったか……」
正直そろそろ限界だった。
ネルガルが出てきたら俺は死ぬだろう。
それでもここに踏みとどまって、英子とハランさんの撤退する時間は稼がないといけない。
『強い』人の気配が敵兵の間を抜けてきた。
「来い!」
俺は両手を広げて、突進してくる敵兵の集団に頭から突っ込む。
それで敵の前列の数人が倒れて、後続がその倒れた敵に躓いてさらに転ぶ。
その転んだ敵の頭上に跳び上がる人影があった。
火の魔剣を振りかぶったネルガルが宙を舞っていた。
その魔剣が俺の首目掛けて振り降ろされる。
わずかに体を逸らしてそれをよけようとするが、その避けた方に剣が追って来る。
首を斬り飛ばされるのは防いだが、火の魔剣が俺の肩口から斜めに俺の体を切り裂いて潜り込んで来た。
黒衣の老人の腕は俺と同化しているので魔剣の火の魔法を防げない。
肉の焼ける異臭が立ち込めて、体が動かなくなる。俺の体は斜めに断ち切られ、上半身が斜めにずれて地に落ちていた。
ネルガルの魔剣は、俺の体に突き刺さった何本もの剣ごと、きれいにまとめて両断していた。
(はは、これが本来の火の魔剣の力か……。凄い切れ味だ……)
倒れた俺の横を敵兵の集団が駆け抜けていく。
(英子、ハランさん、何とか逃げ切ってくれよ……)
ネルガルは俺を見下ろして目の前に立っていた。
「馬鹿な奴だ。せっかく手下にしてやろうと思ったのにな」
と冷たい目線でこちらを見下ろしている。
何か言い返そうと思うが、肺が切断されているので声が出ない。
口だけがパクパクと動いていた。
「まだ生きてやがる。またくっつかれても厄介だ。とどめを刺しておくか」
とネルガルが独り言のようにつぶやく。
(あー、今度こそ死んだな。セシル、英子、アスル、後は頼んだ……)
俺は目を閉じて終わりの時を待つ。
(いけませんね。あなた、何を負けているのですか?)
と不意に耳元で誰かの声がした。
若い女の声だ。
(この声は……)
聞き覚えがある。
俺がセシルと婚約した日、宿『安心』でセシルが泣いてジンを暴走させそうになった。
その時に、耳元で聞こえた笑い声と同じ人物の声だ。
(今あなたに死なれるは困るのですよ。我がひ孫よ。私もまだ、力が満ちていないので、あまりジンの無駄使いはしたくないのですが、そうも言っていられませんね。仕方ありません。少しだけ手助けをしてあげます)
と若い女の声は続けた。
俺は目を見開いた。
目の前のネルガルが面倒臭そうに火の魔剣を振りあげていた。
その剣を真っすぐ俺の頭目掛けて振り下ろす。




