第7話 最高の宝物
私と先生との旅は、その後も数日続いた。
毎日一緒の家で過ごし、一緒に食卓を囲んで食事をする穏やかで平和な日々。
神殿では、毎日忙しくしていたから、それだけで十分幸せに感じた。
しかし、数日この動く家で過ごして、一つ問題が発生していた。
昨日の時点で全ての魔導セルを満量まで充填してしまったのだ。魔導セルを毎日見ているが、そんなに減りの早いものではないらしい。
一番使っているはずの動く家の魔導セルでさえ、二日目に充填が完了して以来ほとんど減っていない。先生に聞いたら、動く家の魔導セルはひと月に一度充填すれば、余程無駄遣いをしない限り一か月はもつらしい。
だから、今日は朝から落ち着かない。
仕事をしていないと途端この家で過ごすのが、申し訳なくなってきてしまった。
先生は、そんな私をよそに朝食を食べるとさっさと御者台へ向かおうと食器を片付け始めた。
「あ、あの、先生」
私が呼び止めると先生が皿を片付ける手を止めて振り返った。
「何か、他にやることはないですか? 実は昨日のうちに魔導セルの充填が終わってしまったんです」
「なら休んでいればいい。ちょうどフェルネ山のふもとまでは、あと二日もあれば到着できそうだ。二日間しっかり休んで、新生活のことでも考えたら良いんじゃないか」
先生は、そう言うとさっさと出て行ってしまった。
玄関の扉がばたんと音を立てて閉まる。
(休むだなんて……何をすればいいか、分からないよ)
私はなんだか胸が痛かった。
私も食べ終わった食器をキッチンのシンクに下げた。ビビちゃんが無駄のない動きで皿をピカピカに洗っていく。
「ビビちゃん、私も皿洗い、手伝ってもいい?」
「ブブ。皿洗いです」
ビビちゃんは、いつもの調子だ。
「ビビちゃん、命令です。皿は、私が洗います」
「ブブ。皿洗いです」
融通の利かない妖精だ。いや、妖精ではないんだっけ?
もうこの際、妖精か妖精じゃないかは、どうだっていい。とにかくビビちゃんは自分の持ち回りの仕事を私に譲ってはくれないのだ。
私はため息を吐いて、自分の部屋へと戻った。
自分の部屋の椅子に腰かけて窓の外を眺める。
先生が「動く家」を動かしているのか、美しい森の景色がゆっくりと横へ流れていた。
窓を開けて見ると森の匂いを含んだ涼しい風が顔に当たり気持ちがいい。私は、窓から少し顔を出して、大きく見えるようになったフェルネ山を眺めた。
聖都で見た時には空の色が透けて青みがかっていた山が、今ではしっかり緑色に見える距離にまで近づいてきている。
先生は、あと二日でフェルネ山のふもとに着くと言っていた。ということは、明日にはもう先生とお別れになってしまうんだろうか。そう考えると到着が全く楽しみではなくなってしまった。旅に出た当初は、湖や温泉があんなに楽しみだったのにだ。
景色を見ていると思い出すのは、ここ数日の幸せな日々ばかりだ。
温かい食事にゆっくりと流れる時間。
好きな時間に好きなように仕事をすればいいい環境。
かわいい家事妖精のビビちゃん。
不器用だけど、優しい先生。
思い出すとなんだか感傷的になってしまう。
「はぁ……嫌だな」
神殿を出るときは、外の世界で自分が暮らしていける気がしなくて、怖くて嫌だった。
でも今は、この生活を離したくないと思ってしまう。
先生は、色々な国を旅していると言っていたから、一度別れたらもう会うことはできないかもしれない。
(そっか……私、この生活が気に入ってしまったんだ)
その日は、結局何もせず、落ち着かない一日を過ごした。
休みの日の過ごし方なんて分からなかったし、フェルネ山のふもとでの新生活は、想像もできなかった。
その日の夕食、美味しそうな食事を前に、私はナイフとフォークが進まなかった。
「どうした」
向かい合う先生が不思議そうに私を見ていた。
先生は言葉数は多くないが、その言動はいつも優しい。
それがより一層、申し訳なさに拍車をかけた。
「その……仕事をしていないのに、食事をするのが気が引けて」
私の言葉に先生は、少しだけ眉を上げてから、ふっと笑った。
「そんなこと、気にしなくていい」
「でも」
「君は怠けている訳ではない。終わらせるべきことは終わらせた。当然の休息だとは、思えないか?」
先生の声も表情も、温かい。
「休むことは、いけないことです。贅沢も罪です。私は……そういう風に教わって育ちました」
「君の慎ましやかな所は美徳だが、遠慮し過ぎるのは良くない」
本当にそうだろうか……
先生の言葉を聞いても、私の胸の中のもやもやは晴れなかった。
「俺を見てみろ。仕事など一つもしてない」
言われてみればそうだ。
先生は「動く家」を動かして、たまに部屋に籠って何かをしているだけだ。
「先生……お金とか、どうしてるんですか」
急に先生の懐事情が気になった。
この美味しい食材たちは、どうやって手に入れているんだろう。
「街に行ったときに適当な仕事を見つけて稼いでいる」
「例えば?」
「一番多いのは魔物退治だな。一番手っ取り早くて、報酬が高額なことが多い」
意外だった。狼も殺さなかった先生が、魔物を狩る姿が想像できなかった。
「一回仕事をしてしまえば、一か月分くらいの食費はなんとかなるんだ。一気にまとめ買いすれば安くしてくれるところがほとんどだし、うちには冷凍庫もあるからな。宿代もかからない」
「なるほど」
そう考えると先生の暮らしが羨ましい。
私も連れて行ってほしい――という考えが頭をかすめたが口に出す勇気はなかった。
「君の名前……やはり教えてくれないか」
そう言えば、初日に断って以来、先生に名前を教えていなかった。
「ヨシュカといいます」
「……ヨシュカか」
私の名前を聞いた先生は、少しだけ肩を落としたように見えた。
「先生は……どうして私のことを助けてくれたんですか?」
狼に襲われそうになった時。
よくよく考えると、あんな深い森に助けが来るだなんて運が良すぎる。
「君が……知り合いに似ていたんだ」
初めて聖都で先生とぶつかった時に、先生は酷く驚いた顔をしていた。
「……もしかして、知り合いかと思って追いかけてきてくれたんですか?」
先生は気まずかったのか私から目を逸らして頷いた。
なるほど、そういうことだったのか。
「君は、なぜ新しい場所に移り住もうとしているんだ」
神殿でのことは正直に言うべきかどうか悩んでしまう。
神殿を追い出されたなんて話をしたら、先生に幻滅されてしまうかもしれない。
それは、いやだった。
「……色々あって……聖都には住めなくなったんです」
「……そうか」
先生は、それ以上訳を聞いたりはしなかった。
そして、先生は急に立ち上がって、部屋の隅にある引き出しを開けて黒い板のようなものを出してきた。
「実は……君のために一つ遺物を修理してみた」
先生は私にその黒い板を差し出した。
私はそれを信じられない思いで受け取った。その板は以前、先生が泥だらけになった日に持って帰ってきたものだった。
「プレゼントってことですか?」
先生は頬を掻くだけで答えてはくれなかった。
でも私にはそれだけで十分だった。
「プレゼントをもらうのも、人生初です」
私は涙をこらえて必死に笑った。
胸の奥が熱くて痛かった。
「これは、どうやって使うんですか?」
先生は私の後ろに回り込んで、その道具の使い方を丁寧に説明してくれた。
「写景器という道具だ。ここの側面のボタンを押すと起動して、ここの赤いボタンを押すと、記録しておきたい景色を絵にしておくことができる。いらない絵は、青いボタンを押すと消去できる」
「え」
私は、先生の言葉に息を呑んだ。
動く家にある不思議な道具はどれも魅力的だが、これは私が今一番ほしいと思えるものだった。
私は試しに、写景器を起動してビビちゃんに向けた。黒かったはずの板にビビちゃんの姿が窓から覗くように映っていた。私は赤いボタンを誤って二回押した。
カシャカシャと音がして、黒い板にビビちゃんの精巧な絵が焼き付く。私は手が震えた。
「すごい! 先生、ありがとうございます!」
振り返って礼を言うと先生が控えめに笑ってくれた。
私は素早く写景器を構えて、先生の顔を撮った。
「消しなさい」
「嫌です。今のはどうやって見るんですか」
「……画面をスライドしたら、像が切り替わる」
先生が黒い板を人差し指で撫でると、ビビちゃんの絵が二枚目のビビちゃんの絵に変わる。
私が先生の真似をして指で板を撫でるとビビちゃんの絵から、今度は先生のはにかんだような顔の絵に変わった。
先生は私の後ろで額を押さえてため息を吐いた。その姿も絵にしたくて、写景器を構えたが、今度は背中を向かれてしまった。
「何枚でも保存できるわけじゃない。容量に限界がある」
「でも、先生の絵は消しません。絶対です」
私は最高の宝物を抱きしめて、創世の女神に感謝の祈りを捧げた。




