第5話 新しいお仕事
「しまった……寝坊した」
私は柔らかいベッドから飛び起きた。寝坊も人生初だ。
貸してもらった部屋にある窓からは、すでに明るい朝日が射しこんでいた。
慌てて着替えて、階段をバタバタと駆け下りたが、ダイニングにあの人の姿はなかった。
代わりにいたのは、白いフリフリの前掛けをした宙に浮く家事妖精だ。
「ビビ。おはようございます、お客様。朝食です」
ダイニングテーブルには、湯気の上がるスープとトースト。サラダと卵にオレンジ色の飲み物まで並んでいる。私はその豪勢な朝食にじゅるりと涎が垂れそうになった。
あの人のことは後だ。ひとまずこのごちそうを温かいうちに食べてしまわないと罰が当たる。
私はすっと椅子に座って、食事を始めた。
一番気になったオレンジ色の飲み物を口に含んでみると、甘酸っぱいオレンジの味が口いっぱいに広がった。これは、後輩聖女たちが聖都で飲んだというオレンジジュースに違いない。私は、その美味しさに思わず頬に手を当てた。
ごくごくと喉を鳴らし、ぷはーっと飲み干すと家事妖精が「ビビ。おかわりもあります」と言うから、もちろんいただく。余すと痛んでしまうかもしれない。それは罰当たりだ。
家事妖精はキッチンの隅にある大きな白い箱を開けた。箱を開けてすぐの戸棚から瓶に入ったオレンジジュースを出してきて、私の前のグラスに注ぐ。
「ちょっと待って、その白い箱は何?」
「ビビ。おかわりです」
この家事妖精は会話ができなかったことを思い出して、私は額に手を当てた。こういうのは、あの人に聞かないと分からない。
でも、口に含んだおかわりのオレンジジュースがさっきより冷たかったので、あの白い箱は食品を冷やしておける道具なのかもしれないと推理した。……ということは、食材が痛む心配は、あまりしなくていいのか?
一人で考えても答えが出ない以上仕方がない。さっさと食べ終わって、仕事の説明を聞かないと。何もしないで飯を食うなど、絶対にあってはならないのだから。
朝食が済み、歯も磨き、すっきりしてからあの人を探し始めた。
だけど、自分の家でない以上、勝手に探し回るのは気が引ける。
「ビビちゃん。あの人はどこにいるの?」
家事妖精は「ビビ」と必ず言うので、勝手にビビちゃんと名付けた。ビビちゃんから、ちゃんとした返事が来るかは自信がなかったが、他に頼るものがないので聞くしかない。
ビビちゃんは、箒を持ってリビングの掃除の真っ最中だった。
「ビビ。お掃除中です」
やっぱりか。ビビちゃんに聞いた私が愚かだったよ。でももう一度。今度は頼んでみた。
「ビビちゃん、私、どうしてもあの人に会いたいの。場所を教えて」
「ビビ。命令の変更を受諾しました。案内モードへ移行します」
「お?」
ビビちゃんから違う反応が返ってきて驚いた。どうもビビちゃんは質問には答えないが、お願いには対応してくれることもあるらしい。
「ビビ。マスターは、こちらです」
ビビちゃんが案内してくれたのは、二階の私の部屋の近く。階段の奥にある窓だった。
案内の終わったビビちゃんは、「ビビ。お掃除モードへ戻ります」とだけ言い残して、階段をふわふわと下りていった。
なんだか分からないが、ひとまず窓を開けてみた。すぐに朝の露を含んだ空気が入ってきて心地よい。
柔らかくて、涼しい風。
森の匂いに流れる景色……流れる景色?
私は自分の目を疑った。
家が前に進んでいたのだ。
街道は似たような道が続いているが、横の森が馬車で移動するような速度で流れていく。
「なにこれ」
「起きたか」
声がしたのは、窓の下だった。昨日見た御者台にあの人がいた。
男は、御者台についている棒のようなものを前に倒して、「動く家」を停めた。御者台から立ち上がった男は、気のせいじゃなければ昨日より背が高い。だって、立ち上がった時に、二階の窓にいる私と目線が全く一緒なんだから。というか、巨人か?
「リビングで待っててくれ」
男はそれだけ言うと、「動く家」の後方。玄関へと向かったので、私もぱたぱたと階段を降りた。
玄関から入ってきた男は、昨日と同じ大きさだった。さっきまで巨人だったのに訳が分からない。
「あ、あの……さっき、外にいたあなたは巨人のようでした。なのにどうして?」
我慢できずに聞いてしまった。
「あぁ、この家に入ると、体が小さくなるんだ。外に出ると大きさがもとに戻る。それだけだ」
それだけって……まあいい。この家の秘密は、追々解明するということにしよう。
「あの、ずっとお礼を言っていませんでした。昨日と今日と、食事とベッドとシャワー、貸していただきありがとうございます。昨日お話していたお仕事を教えてください」
男は頷いて、リビングから暖炉の横の扉を開けて隣の部屋へ入った。ついてこい、ということだと判断して、ついて行く。
暖炉の横の部屋に入って、私はまた驚いた。そこには魔導セルが棚いっぱいに並んでいたからだ。
「君の仕事は、ここの魔導セルに神聖力を充填することだ」
「あの……先生、質問しても?」
私は、この人を先生と呼ぶことにした。名前で呼ぶのは憚られるし、私はこの人に教えを乞う身なのだから、ちょうどいいだろう。
先生は表情を変えずに、「なんだ」とだけ返した。
「この魔導セルっていうのは、何のための物なんですか?」
先生は、顎に手を当てしばらく考えてから、私を近くに来るように呼んだ。
先生が指を指した先。壁に埋め込まれるようにして、一際大きな魔導セルが鎮座している。大きさは小さな樽一つくらいといったところだろうか。水色の色水が半分。残りは透明なガラスで半々に色が分かれている。
「この一番大きな魔導セルが『キャラバンハウス』……この家を動かすための魔導セルだ。この家のエネルギーを全てこれで賄っている」
この「動く家」は、「キャラバンハウス」というのかしら。
「先生、エネルギーって?」
先生はまた顎に手を当てた。邪険にはしないで、教えてくれようとしているのがありがたい。
「エネルギーというのは、そうだな……君の神聖力とだいたい同じものだ。魔導セルは、神聖力を溜めておいて、使いたい時に使いたい方法で使える」
「え……」
それって、もしかしてとてつもなくすごいことなのではないだろうか。
私は、神聖力を一気に使えないから、他の聖女のように雨ごいをしたりはできないが、もしこの魔導セルで神聖力を少しずつ溜めておけば、それもできる――ということではないだろうか。
「す、すごいです! こんな便利な物があるなら、もっと早く知りたかったです!」
私は感動したが、先生は首を横に振った。
「数百年も前の技術だ。今、これを市場に並べている国は、世界を探しても殆どない」
なるほど。だから私も知らなかったし、神殿にもなかったわけですね。納得です。
「話を戻すぞ。この一番大きい魔導セルがこの家を動かしている。この家を違う場所へ移動させる駆動力。シャワーに家事支援ゴーレム。君が見たのは、そのくらいか?」
家事ゴーレムとは、おそらくビビちゃんのことだろう。私は、うんうんと頷いた。
(ん? 待てよ……)
「ってことは、この魔導セル、とっても大切じゃないですか! だって、これがないとシャワーが出てこないってことですよね?!」
先生は詰め寄る私の勢いに押されながら、頷いた。
どうやら私のお仕事は思っていた以上に重要なお仕事のようだ。シャワーもビビちゃんが作ってくれる食事も、無くなるだなんて想像したくもない。
「……そういうことだ」
「よく分かりました。でしたら誠心誠意、祈らせていただきます」
先生は、その後も根気よく魔導セルについて説明してくれた。
ここにあるのは、予備の魔導セルも含まれているから一日で全て充填する必要はないとのことだ。
あと充填の優先順位も教えてくれた。
まずは、「動く家」用の大きな魔導セル。これが空っぽになることは、絶対にあってはならない――とは、先生は言わなかったが、私はそう理解した。
次に、先生の武器用の魔導セル。昨日、先生が狼を追い返すのに使った光の玉を放ったアレは、魔導銃という武器らしい。これにはめる、一番細い魔導セルが優先順位の二番目にくるとのことだ。
あとの魔導セルは予備だから、余力があれば少しずつ溜めていけばいいらしい。
「動く家用の大型魔導セルは常時使っているから、この部屋から持ち出さないでほしい。あと、他の魔導セルはどこでも好きなところに持っていって充填してくれ」
つまりベッドでごろごろしながらやってもいいし、本を読みながらやってもいいということか……私は、その罰当たりな考えをすぐに振り払った。
「仕事の説明は以上だ。何か質問は」
「はい、先生! この家で入っちゃいけない場所は、ありますか?」
できれば探検して、この家の不思議をもっと楽しみたい。
「君の部屋の向かいの部屋。その部屋が俺の部屋だ。そこだけは絶対に入ってくれるな」
先生はそう言い残すと魔導セル部屋を出て行った。
いつも無表情の先生の顔が少しだけ曇った気がしたのは、気のせいだっただろうか。
私には、まだ分からなかった。




