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追放聖女の気ままな旅 〜遺物技師と動く家で世界を巡る〜  作者: ポムの狼


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3/13

第3話 謎の男

 狼が大きな口を引きつらせ、牙をむき出して唸った。腹でも空かせているのか、狼の口からは止めどなく涎が垂れ、地面へぽたぽたと落ちる。


 私は、慌てて立ち上がり、人差し指にふっと息を吹きかけた。

 指の先に小さな火が灯る。これが、私が思いついた唯一の自衛手段だった。


「あっちへ行きなさい……私なんか食べてもおいしくないわよ」


 そう狼を説得してみたが、もちろん狼は下がらない。焚火を挟んで向かい合うようにして、じわりじわりと距離を詰めてくる。


 狼が私に飛びかかろうと身を低くした瞬間。

 ピィーと甲高い音が響いた。

 狼は、耳と尻尾を下げ、身を低くしたまま動かなくなった。


「動くな」


 後ろから静かで低い男の声がして、私はビクンと体を震わせた。

 暗い森の奥から現れたのは、聖都でぶつかった銀髪の男だった。男の左手には銀色の小さな笛が握られていた。


 私は訳が分からなくて、思わず一歩後ろへと後ずさる。すると地面に落ちていた小枝を踏んで、小枝がぱきりと折れた。その音に狼がまた牙をむき出して、グルルと唸る。


「動くなと言っただろ」


 男はさっと私の前に立って、腰に下げていた何かを抜いた。剣ではないことはすぐに分かったが、その物を初めて見た私には、それが何か分からなかった。

 銀の細い筒を折り曲げたようなそれを男は頭上に掲げ、指をかけていた小さな金具を引いた。

 途端、パン、と大きな音がして、花火のようなものが天高く放たれた。

 

 その大きな音と光に驚いて、私は尻もちをつき、狼はキャンと甲高い声を上げて一目散に逃げ出した。


 辺りを静寂が包み込む。

 

 焚き火のパチパチと爆ぜる音。

 さっき空に舞い上がった花火のような白い光の玉がチリチリと小さくなりながら、ゆっくりと空から地面へと落ちてくる。光の玉が辺りを照らすので、男の顔がさっきよりもはっきりと見えた。

 銀髪に眉間に刻まれた皺。すっと通った鼻筋に凛々しい顔。険しい表情のせいか、なんだか怖い。


 私は驚きすぎて、しばらく動けなかった。


「……立てるか」


 いつまでも立てない私に見かねたように、男が手を差し出した。


「あ…………ありがとうございます」


 なんとかそれだけ返したが、初対面の人間の手を取れるほど私は肝が据わっていなかった。

 さっと自分で立ち上がって、近くの木の後ろまで退避する。男は、そんな私を見て頭を掻いた。


「あ、あなた、誰ですか」


 私は、完全にこの男を警戒していた。

 

「シルビオだ」


 男は私の目をしっかりと見据えて名乗った。焚き火の光を反射して、彼の橙色の目が夕日のように光って見えた。眉間には不機嫌そうな皺がはっきりと刻まれている。その険しい顔に気圧されて、私はもう一本後ろの木まで逃げた。


「名前を聞かせてくれないか」


「な……名乗るほどのものではないです……」


 男の眉間の皺が更に深くなった。


 どうやってこの場を切り抜けようかと悩んでいると私の腹から、ぐぅぅと情けない音が出た。


 私の腹の音を聞いた男は、「ちょっと待ってろ」と言葉を残し、森の奥へと消えた。


 この間に逃げちゃえ。いや、でも助けてもらったのに、それではあまりに不誠実だと、私の頭の中の天使と悪魔が喧嘩を始める。


 しばらく悩んでいると男が木製のトレーを持って戻ってきた。

 男はそのトレーを焚火の前に置くと自分は少し離れた木を背にして座った。


 風に乗って、甘いコーンの香りが鼻孔をくすぐる。トレーの上には、お椀に入ったコーンスープと白い陶器の皿に乗ったバケットサンド。私の腹の虫がさっきより大きな音で鳴いた。


 にじりにじりと忍び寄り、さっとトレーの前に座る。久しぶりに見たちゃんとした食事は、光っているようにさえ見えた。


 私は両手を組み合わせ、創世の女神に祈ってからトレーに乗ったスプーンを取った。

 コーンスープにスプーンを入れると、とろりとした黄色いスープがスプーンの上にゆっくりと流れ込む。そっと梳くって口に入れると、コーンの甘さとミルクのコクが口いっぱいに広がった。こんなに美味しいスープは、生まれて初めてかもしれない。


 次に隣のバケットサンドだ。手に取ってみて驚いた。

 バケットサンドがほんのり温かい。長細いパンには、炙ったベーコンとまるでさっき採ったばかりのようなみずみずしいレタスが挟まっていたのだ。旅に新鮮な野菜は、あまりに不自然である。

 だけど、私はその暴力的なまでの見た目に我慢できず、不自然さを無視して一気にかぶりついた。パリッとした香ばしいパンにシャキシャキのレタス。ベーコンは、最近食べていた干し肉とは全く違う肉汁があふれ出す。見た目では気がつかなかったが、胡麻のソースまでかけてあるようだ。

 私は、夢中でトレーの上のごちそうを平らげた。


「はぁ……」


 食べ終わった私の口から、勝手にため息が漏れた。

 すごく美味しかった。神殿では、塩味のスープしか飲んだことがなかったし、こんなバゲットサンドも初めてだった。人生で一番美味しい食事だったと言っても過言ではないだろう。私は、もう一度両手を組み、この美味しい食事に出会わせてくれた創世の女神に感謝した。


「なぜ一人で旅をしているんだ」


 問いかけてきたのは、さっきの男だ。私は、また木の後ろに逃げようかと体に力を入れたが、食事のことを思い出して、我慢した。


「新しく住む場所を探してるんです。フェルネ山のふもとの町がいい所だって聞いて……知らない人が苦手なので、一人で旅に出ました」


「一人旅は危ない。獣も魔物も、野盗だっている」


 さっきのこともある。男の言葉に私は反省した。

 懺悔の旅でも、死んでしまっては女神様も悲しまれるだろう。初めてだったとはいえ、考えが足りていなかった。


「良かったら、一緒に乗せてってやる」


 私は男の言葉に木の後ろへ隠れた。「乗せてってやる」とは、馬か馬車でも近くにあるのか。


「取って食ったりはしない。その代わりやってもらいたい仕事がある」


 男はポケットから何かを出して、それを私に放った。地面に転がったそれを、私は恐る恐る拾って観察する。

 それは円柱状の透明なガラスのようなものだった。一体何に使うものなのか、見当もつかない。


「それは、魔導セルだ。力を貯めておくことができる」


 説明されてもさっぱりだ。


「さっき指の先に火を灯していただろう。あの力をそれに込めてほしい」


「神聖力のことですか?」


「すまない。俺は、この国の人間ではないから、呼び方までは知らない。だけど、たぶんそれだ」


 食事の礼もある。私は、その魔導セルとかいう綺麗な塊を手の平に乗せて、ふぅっと息を吹きかけた。すると魔導セルは淡い水色へと色を変えた。ガラスの筒の中に色水が入ったようになり、たぷんと中が揺れた。


 私は男に向かって、魔導セルを転がし、「これでいいですか?」と聞く。

 男は手に取って確かめ、頷いた。


「これでいい。同じような魔導セルがいくつかあるから、やってほしい。その代わり、君をフェルネ山のふもとの町まで送って行こう」


(こんな簡単なことで?)


 私は、男のことが信用できなかった。こんなことで目的地まで送ってくれるだなんて、あまりにも話がうますぎる。何か裏があるのではないかと思ってしまう。


「一日三食の食事もつけよう」


「し、仕方がないですね……」


 さっきのような食事が日に三食も出てくるなら、断るのは馬鹿だ。これはきっと創世の女神の思し召しに違いない――そう思うことにした。

 それに一緒について行けば、私を助けてくれた時に使った道具がなんなのかやこの人の謎が分かるかもしれない。私は気になると勝手に体が動く質なのだ。


 私の変わり身に、男が少しだけ口元を緩めた気がした。

 初めて笑ったその顔に私の心臓が少しだけ跳ねた。

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