第2話 初めての旅
森に入ってからの旅は、想像していたよりずっと楽しかった。
鼻をくすぐる草木の匂い。たまに現れる見たこともない野の花や蝶を見つけるとそれだけで心が躍る。私は見たこともない鈴のような形の白くて小さい花を見つけ、足を止めて近づいた。
こんなことなら、紙とペンでも買ってくればよかった。
この美しい野の花や蝶を記録に残して置けないことが恨めしい。私は、野の花をひとしきり愛でると諦めて立ち上がった。
歩く道は整備された街道ではないが、定期的に馬車でも通るのか、草の生えない土の道になっていて歩きやすい。何より誰にも出会わないというのが、思った以上に心地いい。
「はぁ……楽しい」
そんな言葉が口をついて出てきたから、私は自分の口を押さえた。誰かに聞かれでもしていなかったか、きょろきょろと辺りを見渡し、ほっと息を吐く。
追放されたのに楽しいだなんて……聖女に贅沢は厳禁だ。慎ましやかに過ごすようにと先輩たちからはよく言われたものだ。
しかも私は追放された身分なのだから、自分の無能を恥じながら、懺悔の旅にしなければいけないはずだ。
私は両手を組み合わせて、創世の女神に謝り、嫁に行ってしまった先輩たちにも心の中で謝った。
私は、気持ちを引き締め、ぱんぱんと両頬を叩いてから再び歩きだした。
三時間ほど休みなく歩いた。喉が渇き、足の裏も痛くなった。これで少しくらい休んでも罰は当たらないだろう。
道の脇の草むらに背負っていたリュックサックを下ろして、中から生成りの綿のピクニックシートを出して広げた。足がパンパンだったので、その上に寝そべって空を見た。
背中の柔らかい草の感触を受けながら、木々の間を流れていく雲を眺めていると時間を忘れて、眠くなってくる。
私は流れる雲を見ながら、まだ見ぬフェルネ山のふもとの町を想像した。
翡翠色の湖はどのくらい大きいのか。温泉は温かい水が自然と湧いてくると聞いたことがあるが、本当にそんなものがあるのか。静かな町だとおばあさんは、言っていたっけ。
「はぁ……」
その先を言う前に、私はまたぱっと口を手で押さえた。
休んでいる暇などない。私は懺悔の旅をしなければいけないんだ。
私は起き上がって、ピクニックシートの上に正座して、両手を組み合わせて懺悔した。
そして、両手を皿のようにしてふっと息をそこに吐いた。すると手の中に水が湧き、少しだけ溜まる。
私は神聖力を使ってこういった簡単なことはできるのだ。他の聖女たちは私より力があるから、この力で雨乞いをしたりもできるが、私は精々コップ一杯分しか出ない。
私は手の中に溜まった水を一滴もこぼさないように、大事に飲んだ。
その後の旅も順調だった。
夜には神聖力で火を起こし、干し肉とパンをかじった。
生まれて初めて食べた干し肉は塩辛くて、お世辞にも美味しいとは思えなかった。
焚火のパチパチと揺れる火を見ていると神殿での日々が蘇ってきた。
私は自分の親が誰か知らない。
私が赤ん坊のころ、神殿の前で泣いていたのをヴァシル様が見つけて拾ってくれた――という話は聞いたことがある。恐らく捨てられたのだろう。
幼い私の世話をしてくれたのは、先輩聖女たちだった。皆厳しかったが、その分たくさん甘えさせてくれた。
先輩たちが嫁に行ってからは、私が妹たちを育てた。可愛い双子のカリーナとマリーナ。他にもたくさんの妹が私にはいた。
毎日神殿での仕事に追われる日々は、休む暇などなかった。皆、『忙しいから』と私に仕事を頼んできたから毎日頑張った。週に二日ある休みも、他の者の仕事を代わっていたから、ここのところずっと休んでいない。
なのに口減らしで追放……あまりに理不尽ではないだろうか。
雑用は、誰にでもできるから、神聖力の強い聖女の方が優先されるのだろうか。
私は、ハッとして両頬を手で叩いた。大事な神殿の家族を罵るだなんて、私は最低な人間だ。
もう何も考えなくていいように、私はピクニックシートで丸くなって寝た。
一日目が過ぎ、二日目が過ぎ。私は楽な道を歩いていることに罪悪感が募り、道から木々が生い茂る森へと足を踏み入れた。
森の中は草が生い茂り、所々石や岩があり、歩きにくい。私はあえて歩きにくい道を選んで歩いた。
(これは禊の旅よ。苦しい旅を経て、安息の地にたどり着かないと罰が当たるんだ)
森の中を歩いていると、土の道を歩いていた時とは比べ物にならないほど汗をかいた。もう三日目になり、肌も髪も汗で気持ち悪かったがむしろこれでいい。不快感が強まるほど、私の心は平常を保てているような気がした。
一日目と二日目の野宿は月明りが見える場所を寝床にしていたが、三日目は木の生い茂る明かりのない場所を選んだ。ピクニックシートの上に丸くなるとシートの下に地面の硬さが伝わってきて、体が痛い。一日険しい道を選んだおかげか、瞼は自然と重くなった。
今にも瞼が閉じてしまいそうになった時、少し先で草が揺れる音がした。何かが動いたような気がして、私は一気に目が覚めた。身を起こして身構えると、木の陰から黒い狼が一匹出てきて、私はヒュッと息を呑んだ。




