第12話 いなくなった先生
「黄金焦がし様、またいつでも来てくれ」
「……はい」
……やっと閉店だ。私は、肩を下げながら町の食堂を出た。
「ヨシュカさん、一緒に温泉寄って帰りましょうよ」
ダリナだ。メガネを手で上げながら、私の横を並んで歩く。もうすっかり友達だ。
「ありがとう。でも予想外に遅くなっちゃったから、今日は帰るよ」
いつまでも私が帰って来ないから、もしかしたら先生が心配しているかもしれない。
「あぁ、ヨシュカさんはおじさまの雇い主がいるんでしたっけ……どんなお仕事ですか? 困ってたら相談に乗りますよ」
不動産屋め。守秘義務という言葉を知らないのか? あと、ダリナが変な想像をしている気がするぞ。
私は聖都の神殿を出てから先生に助けられ、ここまで連れてきてもらったことを掻い摘んで話した。
「じゃあその先生という方は、ヨシュカさんの恩人なんですね! 安心しました!」
「そういう訳だから、またね」
私は、ダリナに手を振ってから走り出した。
町を出て、湖畔沿いを急ぎ足で歩く。町の中は店や家の明かりがあったが、湖畔沿いはもうすっかり暗くなってしまっていた。空に浮かぶ無数の星と月が湖に反射して幻想的だ。
夏の夜の虫の声がして、心地がいい。
(帰って、先生に今日のことを話したら褒めてくれるかな)
想像すると勝手に頬が緩んだ。
私は、月明りを頼りに動く家へと急いだ。
「ただいま戻りました」
「ビビ。おかえりなさいませ、ヨシュカ様。お食事にしますか? シャワーにしますか?」
私はビビちゃんの言葉を無視してきょろきょろと先生を探した。リビングに先生の姿はなかった。
「ビビちゃん、先生は?」
「ビビ。お食事にしますか? シャワーにしますか?」
ビビちゃんは、相変わらず融通が利かない。なんとしてでも自分の任務が最優先だ。
「ご飯は食堂でまかないが出たからいらないよ。急だったから、伝えられなくてごめんね。シャワーにします」
「ビビ。承知しました。お洗濯モードへ移行します」
ビビちゃんの後について階段を上がる。先生はもう寝てしまったんだろうか。
二階に上がると、私は真っ先に先生の部屋の戸を見た。実は動く家の部屋の戸の下には、必ずビビちゃんが通り抜けられるように二十センチ四方の穴が空いている。先生が部屋にいる時は、そこから明かりが漏れているので分かるのだが、今日は暗いままだった。
バスルームにビビちゃんと入り、服を脱いで「お願いします」とビビちゃんに渡す。ビビちゃんは「ビビ。お洗濯いたします。完了時間は一時間です」といつもの返事をした。
シャワーを浴びていてもなんだか落ち着かない。
先生の気配がしないからだ。
私はいつもより早く全身を洗い、さっさとガラスのシャワー室を出た。ビビちゃんがふわふわのタオルを持ってきて、私に手渡す。
「ビビ。ヨシュカ様。マスターからの伝言を預かっていますので、再生いたします」
「このタイミングで!?」
ビビちゃんは、私のツッコミを無視して、先生そっくりな声で話し始めた。
『ヨシュカ。急だが魔物の討伐依頼を引き受けた。しばらく留守にするが、いつものように動く家は自由に使ってもらって構わない』
「え、先生、魔物討伐なら私も……」
『実は、君が町で仕事をしているのを見た。町の人とも馴染んで働けていて、安心した』
先生の顔は見えないが、先生がどんな顔をしてこの言葉を残していったのか、目に浮かぶようだった。
きっと優しく笑っているのだろう。
その顔を想像すると、胸が締め付けられるように痛んだ。
『俺は、君ならできると思っていた。でも、その一歩を踏み出せたことは、とても勇気のいることだ。君がその勇気を出せたことを尊敬する』
「いやだよ、先生……そんなこと言わないでよ……」
先生の言葉は、私には別れの言葉に聞こえてならなかった。
もう一人で歩けと言われている気がした。
「私を……おいて行かないで」
私は、その場にしゃがみこんでしまった。
* * *
翌日。私はいつもより早く起きた。こんなに早起きしたのは、神殿にいた時以来かもしれない。
着替えもしないで寝巻のままリビングへと下りた。先生が帰ってきていないかが気になって、居ても立っても居られなかった。
でも、リビングにいたのは、ソファーの上に転がっているビビちゃんだけだった。
何もする気力がわかなくて、ビビちゃんの隣にすとんと座る。
私が座った振動で目が覚めたのか、ビビちゃんがふわふわと宙に浮かんだ。
「ビビ。おはようございます、ヨシュカ様。朝食にしますか?」
「……ビビちゃん。先生はいつ帰ってくるかな」
「ビビ。朝食にしますか?」
「……そうしてください」
ビビちゃんはふわふわと飛んでいき、キッチンに吊るしてあるエプロンをして朝食の準備を始めた。
今日の朝食はパンケーキだった。パンケーキの上にはカリカリに焼いたベーコンとパンケーキの熱でとろけるバターが乗っている。
「いただきます」
私は、両手を組み合わせて、創世の女神に感謝の祈りを捧げた。
ナイフとフォークを取り、柔らかいパンケーキにナイフを入れる。一口サイズに切ったパンケーキを口に含んだ。
美味しい……すごく美味しいのだが、なにか物足りない。
いつもなら、私の向かいには先生がいる。
先生は、いつも朝食は紅茶から一口飲む。私が朝食の感想を言うと、「そうだな」と優しく微笑み返してくれる。
その姿がまるで目の前にいるみたいに想像できるのに、今日は空のダイニングチェアがあるだけだ。
先生がいない。
それだけで、パンケーキのおいしさが半減してしまっている気がした。
私は何も言わずに、黙々と朝食を腹の中に押し込んだ。
「ビビ。今日は、ヨシュカさんにお願いがあります」
食事の途中、ビビちゃんは私の横でくるんと陽気に回って、そう言った。
ビビちゃんからお願いだなんて、初めてのことだ。
「ビビ。黄金焦がしの聖女プリンの作り方を覚えておくよう、マスターに頼まれました」
私は飲んでいたオレンジジュースを吹きそうになった。
「な、な、な、なんでその名を知って……」
「ビビ。マスターが昨日町で聞いたと。教えてください」
先生、昨日私に変な二つ名がついたことも聞いていたのか。ビビちゃんに覚えておくようにって言ったってことは、私が作ったプリンを食べてみたいってことだよね?
「ビビちゃん。悪いけど、聖女プリンの作り方は教えてあげられないな」
「ビビ?」
ビビちゃんは、私の言葉の意味が分からなかったのか、首を傾げるように斜めになった。
「聖女プリンは、私が先生に作ります。ビビちゃんは、覚えなくても大丈夫です」
「ビビ。命令の更新を確認しました。黄金焦がしの聖女プリンは、ヨシュカ様が作ります」
先生が帰ってきたら、とびきり美味しいのを作ってあげよう。
そう決めると、自然と気持ちが前向きになった。




