首の皮一枚
「これはお母様、御自らお越しとはいつぶりでございましょう! 会えて嬉しゅうございます」
ニュクスは近衛兵たちに槍を突きつけられながら、にこやかに応じた。
笑顔の裏で、舌を出すのを忘れない。
(焦らしに焦らしてカルミア公爵家に頭を下げさせたかったのに、使者がいつの間にか帰ったと知ってさぞかし慌てたことでしょうね)
そしてニュクスの不在を知って激怒したのだろう。
周囲にいた女官かメイドがきっと八つ当たりの対象となったのだろうから、そこだけは同情する。
しかしながら、女王の行動がこれまでの人生とまるで同じで、ニュクスは思わず笑ってしまいそうだった。
道化がわざとミスをして人を笑わせているかのようではないか。
内容は国民からしてみればまるで楽しくないものだけれど。
「カルミア公爵領にて慰霊祭があると聞き、是非にと願い出て私が参加させていただきました。陛下は第二王女の看病があったのでしょう? あの子の熱は下がりましたか?」
さも妹を案じる優しい姉といった風情でニュクスが心配そうな表情を浮かべれば、周囲の近衛騎士たちは僅かに怯む。
それはそうだ、女王の命令とはいえ十才の王女にむき身の槍の穂先を向けるなど兵士たちからすれば複雑でしかないのだろう。
だがニュクスは彼らに視線を向けない。
哀れむ視線を向けることも、引かせることも、今は彼らにとって悪手でしかない。
ここで彼らがニュクスを案じてしまえば女王の勘気をこうむることになるだろう。
別にそれでニュクスのせいだと騎士たちが恨んだとしても彼女は気にしないが、彼らが罰せられてしまうのは無駄な損失だと思ったのだ。
(いずれ彼に会えた時のためにも兵士たちを掌握しておくべきだろうし……)
何より、ここで女王の醜態を知る証人にもなってもらわなければならないのだ。
だからニュクスはこの場では騎士たちを前に何もしない。
ただ女王に向かって物わかりのいい娘としての笑みを向けるだけだ。
それが最も、この目の前の母親である女王を苛立たせることだと誰よりも知っていたから。
「このっ……生意気な!」
ぱあん、といい音がした。
ニュクスの体が傾ぐ。
女王が持っていた扇子で少女の頬を思い切り殴ったからだ。
よろめいてそのまま膝をつくニュクスに、追い打ちをかけるように女王が腕を振りかぶった。
「――陛下、そこまでに」
低い声がそれを制した。
女王はいらだたしげに声の主を探し、馬車に視線を向ける。
それまで、馬車の中にいて静観していた老公爵がゆっくりと下りてきたのを見て女王が小さく悲鳴を上げたのを周囲の騎士も、女官たちも聞いた。
「我がカルミア公爵家主催の慰霊祭に王家からどなたもご参加いただけないとあっては王家と貴族の間で軋轢も生まれようと案じた王女の行いは、そのように打ち据えられるほどの罪でしたかな?」
「な……な……」
「本来ならば陛下がお越しくださるご予定でしたが生憎と都合が悪いとのお話でしたな?」
「む、む、娘が熱を出したのよ!」
「なるほど、それは一大事。名代も立てられぬほどの重病とは存じませんで」
「~~~~~ッ、カルミア公! 言葉がすぎましてよ!」
「ほほう、どのあたりが?」
老公爵はあごひげを弄りながら穏やかな声音で問う。
女王は怒りで顔を赤く染めるが、それ以上は何も言わなかった。
睨み合いの中、もう一台の馬車が到着するのをニュクスは見る。
頬の痛みが激しいが、ようやくこれで役者は揃ったと内心でせせら笑った。
「陛下……!」
「あなた!」
そう、現れたのはニュクスの父であり、王配であるダンテその人だった。




