第9話 麦茶とコーン茶と
ラインシュ侯爵家の音楽サロンには、何と! パイプオルガンっぽいどでかい楽器があるのです。わーお!
幼稚園の先生が、園児たちを歌わせるために弾くようなリードオルガンではなく。
大聖堂とか、ミッションスクールの礼拝堂に置かれているような、あのパイプオルガンです。
天井まで到達するほどに長いパイプから、短いパイプまで。正面から見るだけだとそれほど本数はないように見えるけど、我が家のパイプオルガンのパイプの数は五千本を超えているそうです。うひー!
更に、そのパイプオルガンの横にはハープに似た弦を指や爪で弾いて音を出す撥弦楽器が置かれています!
お抱えの音楽家に演奏させるんだって! すごいわね! さすが侯爵家!
わたしとフォルカーお兄様が音楽サロンにやってきた時には、既にロズヴィータお義姉様とラフェドがソファに座り、優雅に音楽を聴いていたわ。
優雅……、あーいやいや、ラフェドの授業かもしれない。侯爵家の跡取りは大変だなあ。幼稚園生くらいなのに、庭で泥まみれになって遊ぶとかできないんだから。小さな紳士として、既に教育を始めているのねぇ。英才教育ー!
可哀そうというのは文化の違いで。
多分、幼少期からこうやって英才教育を施されているのが、こっちの世界の普通なんだよねえ……。
でも、ちょっと……、なんていうか、ラフェドにも白線だけを踏んで飛んで歩くとか、微笑ましい遊びを教えてあげたくなっちゃうなあ……。
なんてことを考えているうちに、お抱えの音楽家が数曲、ゆったりした曲調の音楽を演奏して。
その後、ラフェドもちょっとパイプオルガンを弾いて……弾いてって言っても、音楽家に言われたとおりの鍵盤に指を置いて、ミーファーソーとか、音を出すってだけだけど……、楽しそうだから、まあいいか。
ピアノレッスン! なんて堅苦しい感じじゃなくて、楽しい楽器遊びって感じてくれるならいいよね。
「トリクシーも弾いてみるかい?」
フォルカーお兄様に勧めらえて、うっ! どうしよう……とか思ったけど……。
トリクシーは侯爵令嬢だからね、ちゃんと楽器は習っている。淑女教育の一環で。だから、指は動くと思う。
で、転生前の鳥居クミも……幼少時はピアノ教室に通っていた。うん、通っていたのよ……。ピアノを弾くっていうよりも、指を一本鍵盤に置いて、あとは自由に歌うって感じのフリーダム幼稚園生。
まあ、ね。それでも楽しそうだからと笑ってピアノを習わせてくれたおかーさんありがとー。月謝、無駄だったかもしれませんが、そのおかげで娘は音楽好きに育ちました。もっとも中学生くらいからは楽器よりもカラオケに走ったけどさ。
採点モードとか楽しくって。それから歌っていて、音程外すとシャッター降りてきて、途中で曲が強制終了するやつとか。
カラオケしたいなー。
でもこの世界、カラオケ、ないもんなー。
自分で弾いて……というか、テキトウ伴奏付けて歌っちゃおうか。
そーだ歌っちゃおう!
「では、少々お耳汚しですが……」
パイプオルガンの前の椅子に座り、椅子の高さを調整。
さあ、行くぞっ!
ジャパニーズポップスメドレー!
ちゃんとフルでおぼえている曲と、サビしか覚えていない曲があるから、ゆっくり目に弾いて、テキトウにつなげてオリジナルメドレー。
曲を繋げつつ弾いているうちに、興が乗ってきた!
弾き語り、いきまーっす!
歌詞を覚えていないところは「ラララー」とか「ルルルー」とかでテキトウに歌って。歌詞をおぼえているところは「君とならー」とか「愛の証ー」とか気ままにサビカラ的に歌って……。
……調子に乗り過ぎました。
お抱えの音楽家の皆さん方に目を見開かれてしまったわ。あわあわあわ。
「お、おおおおおおおお嬢様っ! 今の曲は……!」
「えーと、あの、その……」
「素晴らしいですお嬢様! それはもしや東の聖楽では⁉」
「へ? 聖楽?」
なんじゃそりゃ。
「我が国の楽曲、近隣の楽曲とは異なる極東国の素晴らしき歌唱の数々です! 私どもも数度しか聞いたことがないのですが、まさか、お嬢様がお弾きになられるとは!」
お抱えの音楽家の数名が、すごい勢いで前のめりに素晴らしいの連呼!
聖楽に極東国なんてのは知らないけど……。
ええとー。
江戸時代にベートーベンでも聞いちゃったカンジかしら?
あーマズい。
聖楽も極東国も知らないわたしが、それと似ている曲を弾き語り……。
ジャパニーズポップソングですなんて言うわけにはいかないし……。
どうしようと悩んでいたら、ラフェドが「トリクシーおばさま、すごい!」って立ち上がって、拍手までしてくれた……。か、かわいい……。
「ボクもおばさまみたいに弾きながら歌いたいです!」
「あ、ありがと、ラフェド」
きゃいきゃい言ってくれているラフェドは天使のよう! 抱きしめて頭を撫でたりしてもいいかしらー?
そっと手を伸ばした時に。
厨房の使用人が冷えた麦茶を持ってきてくれた。
喉も乾いているし、有耶無耶にしてしまえー! よし! にっこり淑女の笑顔ー!
「さ、皆様。お待たせいたしました、麦茶が届きましたわ! 早速ご賞味あれ」
誤魔化せ、誤魔化せ! 聖楽なんて知りません的な淑女の微笑みで、お兄様たちだけじゃなくて、音楽家の皆さんや使用人のみんなにも麦茶をすすめちゃう。
「他国ではごく普通に飲むお茶ですから。皆さんも飲んでみてください!」
フォルカーお兄様とロズヴィータお義姉様は興味津々。
「ほう……、香ばしいな」
「冷たいお茶なのですのね?」
「温かくして飲むのも良いですが、暑い時は冷たいのがおいしいですよ」
「あら、では飲み比べもしてみたいわ」
ロズヴィータお義姉様が言うと、使用人たちが「ではあたたかいものもご用意します」と部屋を出て行った。
ラフェドはちょっと不思議そうな顔して受け取った麦茶をじっと見ている。で、恐る恐る口をつけて……。
「わあ! トリクシーおばさま、これ、おいしいです」
にぱっと笑った。笑顔がやっぱり天使ー!
「よかったわねえ、ラフェド」
「はい。僕にはビールも紅茶も苦いです。でもお水はあんまり好きじゃないです。ムーギチャだったらたくさん飲めます」
わお! よかった。
「よかったわ。あ、もしかしたらトウモロコシのひげ茶も好きかしら……」
ふと思いついた。
「トウモロコシノヒーゲチャとは何だ? ムーギチャとはまた別の茶なのか?」
フォルカーお兄様が興味津々です。
では、解説を!
「えっと、我がラインシュ領ではトウモロコシの栽培はしておりましたでしょうか?」
「トウモロコシ? 栽培というからには農作物なのか?」
あら、ないかしら? それともトウモロコシという名称ではないのかしら?
「ええと、別名コーンといいまして……」
「ああ! 何だ、コーンか。家畜の餌として生産はしているぞ」
家畜の餌なの! なんてもったいない! あ……もしかして、ゆでて食べると美味しいスイートコーンではなくて、あんまりおいしくはないデントコーンの種類なのかしらね。
まあ、でも、どちらでも、味はともかくお茶にする分には問題はないだろう。デントコーンだって、栄養豊富だし。
「収穫前のコーンの先端にはモサモサした糸というかひげのようなものが付いていますわよね」
「ああ、収穫のときに捨てるしかない邪魔な部分だな?」
「捨てずに、まず洗って、ざるにあげて乾燥させた後、麦茶と同じように焙煎して飲むと良いと聞いたことがあります」
「ほう! 捨てずに活用するのか」
「ええ。ほのかな甘みがあり、また利尿作用があるのでむくみなどに良いとか何とか」
むくみ、という単語に、ロズヴィータお義姉様の耳がぴくりと動いた。
「……美容に良いのかしら?」
「わたしも聞いただけですので、確実に良いとは言い切れませんが。飲んで実験してみるのもアリかと」
「……そうね、ちょっと試させてみようかしら」
「元々捨てる部分の活用ということで、平民たちや使用人たちに作り方を教えて飲ませるのも良いかと」
「そうね……」
わあ、ロズヴィータお義姉様の目が真剣です! あ、だったら……。
「コーンのひげだけではなく、実も焙煎してお茶にできると聞いたことがあります。コーンのひげと実では、効能が異なり……、その、実の場合は……、ベ、便秘対策にもなるとか……」
「あ、あら……」
「余計なものを体の外に出すという効果があるようなので、その、美容は、分かりませんが、ある程度の健康増進効果はあるかもです……」
お茶漬けにはコーン茶はあんまり向いていないだろうから、私はあんまりコーン茶の研究をする気はなかったんだけど。
ロズヴィータお義姉様がコーン茶とコーンのひげ茶の研究を、使用人たちにさせて。
数年後には、ムーギチャ、コーンチャ、コーンノヒゲチャの三つのお茶が、我がラインシュ侯爵領の特産品となって、広まっていったのでした……。




