第8話 米語り。そして麦茶
文章一部修正しました。
「所詮穀物……。そう言われればお米様の立つ瀬はございません。ですが、お聞きくださいフォルカーお兄様、ロズヴィータお義姉様。お米は、日本人にとっては単なる穀物ではないのです。日本人は言います。『米の飯ほどうまいものはない。ご飯の唯一の欠点はうますぎて、つい、食べ過ぎてしまうことだ』と……」
「コーメとはそんなにうまいものなのか……?」
「ええ。『米の飯をおかずにして米の飯が食える』という日本人もいるほどです」
「それほどか……」
フォルカーお兄様が驚きの声を上げ、ロズヴィータお義姉様も「まあ……」と言いながら、頬に手を当てた。
よし!
「想像してみてください。米は穀物です。ですが麦のように茶色くはないのです。やや透明感のある白い粒……、硬い穀物を、まず水で研いでから浸し、吸水させます。十分に水を吸った米は徐々に真っ白になります。完全に白濁化したら、炊き始めるサイン。鍋に入れて、更なる水をいれて、炊きます」
「ターク……とはなんだ?」
「米を煮ることを特別に『炊く』と称するのです」
「ほほう……。なるほど?」
「続けます。鍋に米を入れて、水を入れて、火にかけて、ふたをする。そうして煮ていると、しばらくして蓋から泡がこぼれ出てくるのです。ブクブクと音がするのを目安にしても良いのですが。そうしたら、火を弱めて更に煮ます。少々待って、程よい頃にもっと弱火にします」
「火加減を、弱めていくのか」
「はい。火加減、それから、鍋の蓋も重要です。鍋の中の水分がなくなったら、火を止めるのですが。一度蓋を開けて、水分がなくなったことを確認したら、また蓋をして、そのまま蒸らす」
「ムーラス……。蓋をしないと駄目なのか?」
「はい。炊いた米は蒸らす。これは美味しいご飯を炊くための鉄則です。鍋炊きご飯は蒸らしてはじめて芯までふっくら炊き上がります」
「ふっくら」
「はい、ふっくらです」
フォルカーお兄様もロズヴィータお義姉様も「穀物なのにふっくらとは……」と、感嘆の声を上げた。
よし、よし。掴みはオッケー!
「ふっくらと炊きあがったお米はツヤツヤと透き通っていています。一粒一粒がしっかりと立ています。その米を口に入れると、まず、お米の粒粒した食感が感じられて噛み心地がよいのです。あとから甘みと旨味がじんわり広がっていきます」
「じんわり……」
「香りもですね。焼きたてのパンは香りが広がりますでしょう? それと似ていますが、炊きたてのご飯の香りは芳醇さがありますね。粘り気のあるご飯ですので、香りと相まって、なお一層おいしさを感じる」
「パンのようにパサパサはしないのか?」
「はい。ああ、粘り気と言ってもネトネトしているわけではないんですよ。しっとりと甘い。しかも噛めば噛むほどほのかな甘みが増す」
フォルカーお兄様が「しっとり……か」とぼそっと呟く。
「あの……、ほのかな甘みって、クッキーやケーキのような甘さとは違うのかしら?」
「いいえ、ロズヴィータお義姉様。砂糖をふんだんに使った菓子の、あの圧倒的にして暴力的な甘さではないのです。温かさが身に沁みる……と言いましょうか、口の中でふわっと香る甘味です」
「うーん、想像が難しいな……」
「そうですね、噛むほどに甘みがじわりと広がる優しい甘さは、一度味わうと病みつきになるのですが、こればかりは実際に食していただかねばわかりませんよねえ……」
うーん、未知の食材を言葉だけ説明するのは難しい……。
百聞は一見に如かずとの言葉通り、一度食べてみれば分かると思うんだけどなあ……。
「実際にと言っても……。我が国にコーメとやらはないのだが……」
「ええ。ですから大麦で代用し、近い感じにならないかと思いまして。試してみたいのです」
「なるほど……」
フォルカーお兄様は「よし」と言って、わたしを見た。
「そのコーメとやらも探してはみるが……。とりあえず、代用品として大麦を用意してみよう。トリクシー。大麦をタークしてみてくれ」
「ありがとうございます、フォルカーお兄様」
数日後、用意された大麦。
ちょうど収穫の時期だったのもよかったわね、ラッキー。
早速厨房を借りて、調理……と思ったのだけど。
失敗して、がじがじの米みたいになったら。
今後、フォルカーお兄様、ロズヴィータお義姉様が興味をなくすかもしれないなー。
というわけで、米の代用としての大麦を試す前に、多分失敗しないであろう麦茶を作ることにしました!
そう、麦茶。
日本の夏の友。
冷やし茶漬けにも欠かせない名わき役。
冷やし出汁茶漬けも捨てがたいんだけど、余ったご飯に、余った漬物を乗せて、冷やした麦茶をかけてがががっと食べる手軽さもいいよね。
しかも麦茶は大麦さえあれば比較的簡単に作れるのよ。
というわけで、フォルカーお兄様と共に厨房にやってきた。
「それではまず、麦茶を作ります」
「ムーギチャ……。コーメではなく、ムーギチャなのか?」
「ええ、フォルカーお兄様。今日のところは麦茶です」
実は下準備は済んでいるの。
調理人に命じて大麦のごみやもみ殻を取り除き、洗い、洗い終わった麦を、ざるの上に広げてしっかりと乾燥させてもらっている。
だから、もう焙煎作業に入れるのよ。
……ただちょっと、作業が雑なのか、それとも機械はないから碾臼的な何かの道具を使ったのが、大麦が……、粒のままのものもあれば、割れて砕けているのもある。
麦茶にする分には砕けようが何だろうが、問題はないけれど。
「まずは焙煎。鍋で大麦を炒めます」
「炒める……」
「がっつりしっかり時間をかけて炒めて香ばしさが出ましたら、そこに水を入れて煮立たせます」
わたしがやってみたかったんだけど、そこは侯爵令嬢。火は危ないと言われましたので……、調理人に命じてやらせるのです。えらそー!
わたしは厨房に用意された椅子に、フォルカーお兄様と並んで座り、そこから指示を出しているだけ。
調理人が大麦を炒めだしてしばし。厨房には麦のなんとも言えない香ばしい匂いが漂ってきた。
「パンが焼ける匂いとは異なるが……香ばしいな」
フォルカーお兄様は興味津々。やっぱり、想像ではなく実体験が必要よね!
「お嬢様、炒めるのはこのあたりでいいですか?」
「そうね。そろそろ鍋の半分くらいまで水を入れて、煮立たせてちょうだい」
「かしこまりました」
時間にして十分くらい煮てもらう。
「すぐに飲めるのか?」
「飲めなくもないですが、煮出した麦を目の粗い布などで濾したほうが良いですね。熱湯状態で濾すのは危ないですので、粗熱が取れるまでしばしお待ちください」
「なるほど」
「それに、麦茶は温かいうちの飲むのもおいしいですが、きっちりと冷やして飲むのもまた趣があるものです」
「冷やす? ムーギチャを?」
「はい。夏の暑い盛りなど、冷やした麦茶をごくごくと飲むのは格別です。今日も晩夏の暑さが残っておりますから、冷やしても美味しいことでしょう」
一応、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク王国には冷たい食べ物や飲み物はある。冷やした食べ物や飲み物を得られるのはお金持ちの特権だけど。
何故特権なのかと言えば、この世界、氷室はあっても冷蔵庫がないから。
雪が降り積もるような標高の高い山の斜面に穴を掘り、藁などで覆って作った洞窟に、冬の間に天然の氷や雪を貯蔵しておくのよ。山の氷や雪だから、天然だしキレイ。溶かして飲むこともできる。でも、氷室に氷を保存するって、大変な作業よねえ。土地と金と人員。貴族とか金持ち商人とかしかできないよねえ。あと南側の領地では、貴族であっても氷室を作るのはかなり難しいかも。
我が家……我が領地は高い山もあるから。氷室はあるのよね。主に肉の貯蔵とか薬の貯蔵に使っているんだけど。
「ほほう……。では冷やしたムーギチャとやらを飲んでみたいものだ」
フォルカーお兄様は視線を調理人に向ける。
調理人たちは「氷室から氷を取ってまいりましょう」と言った。
「それじゃあ、早く麦茶が冷めるように、粗熱が取れたら濾して、ティーポットに入れてちょうだい。それで、そのティーポットを大きめの鍋に入れて、氷で冷やしてね」
「かしこまりました」
「出来上がるまでは我々はサロンでのんびりと待って居ようか。ちょうど楽師たちに音楽を奏でさせようと思っていたところだし」
フォルカーお兄様がスっと手を差し出してくれた。おおお! フォルカーお兄様ってばなんて紳士!
その手を取って、わたしたちはサロンに向かったのだった。




