第7話 お兄様とお義姉様
先ぶれを出していたし、ラインシュ侯爵領に入った途端に、使用人の一人が馬で屋敷まで先行してくれていたから当然といえば当然なんだけど。
「おかえり、トリクシー」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
ラインシュ侯爵家の屋敷の玄関ホールにはフォルカー・フォン・ラインシュお兄様やロズヴィータお義姉様たちがすでにいて、わたしたちを迎えてくれた。もちろん使用人たちも、玄関ホールの壁際にずらーっと勢ぞろい。
「ただいま戻りました、フォルカーお兄様、ロズヴィータお義姉様。それから使用人のみんなも久しぶりね」
ロズヴィータお義姉様はフォルカーお兄様の妻。そのお義姉様のスカートの影には、一人の小さな男の子が。
「ラフェドも久しぶり。わたしのことは覚えている?」
「トリクシーおばさま、おひさしぶりです」
前回会ったときは……、わたしが王都に行って貴族学院に入学する前だから、ラフェドはまだ二歳くらいだったはず。
わたしの顔をおぼえているんじゃなくて、きっとロズヴィータお義姉様か、乳母か誰かにそう言えって言われたのよね。
でも、きちんと挨拶ができるなんて、すごいわ!
「ご挨拶をありがとう、小さな紳士さん! かっこいいね、ラフェド」
褒めたら、ラフェドは照れたのか「えへへ……」とはにかんだ。
わー、かわいいなあ!
わたしがトラック転生したときに助けた男の子と同じくらいの年だよね。
あー……、あの男の子がわたしのことを気にせず元気で笑っていてくれるといいなーなんて、ちょっと思ったり。
うん、わたしのことを忘れてもいいよ。わたしはここで、この異世界でお茶漬けを求めて元気にしているからさ。
さて、とりあえず、荷物の整理はエレンや使用人たちに任せて。
そして、ラフェドはお昼寝の時間だから、部屋に戻って。
わたしはフォルカーお兄様とロズヴィータお義姉様と一緒にサロンでお茶をいただくことにした。
「トリクシー」
「はい、フォルカーお兄様」
「父上からの手紙で、だいたいのことは把握しているが……、王太子殿下との婚約を無くしたいとは思い切ったねえ」
「……ラインシュ侯爵家のことを考えれば、我慢してでも婚約を継続したほうが良いのかとも悩みましたが……」
いやいや、すみません。家のことなど考えたのは、あとからちょこっとだけです。
ホントはお茶漬けのことしか考えていません。
でも、ここは会話の流れとして言っておかないとね!
「まあ、トリクシー。あなたが不幸になる婚姻など、たとえ相手が王太子殿下であろうとも断るべきよ。我慢なんてするものではないわ」
「ありがとうございます、ロズヴィータお義姉様!」
「そうだぞ、トリクシー。政略だの派閥だの考えずに、お前はお前でしあわせにならなくては」
「フォルカーお兄様も……、ありがとうございます」
この世界では普通、貴族の令嬢には婚姻の自由なんてない。家のため、親の政略方針に乗っ取ってどこかに嫁がされる。
だけど、王命でわたしとあの阿呆王子の婚約が決まった後、フォルカーお兄様とロズヴィータお義姉様は恋に落ちて、婚姻を結んだ。
……恋愛結婚なんて、高位貴族にはありえないとは言わないけど、ほとんどない。
それが叶ったのは、ロズヴィータお義姉様が、現国王が女神のようにお慕いする王姉殿下の産んだ娘のうちの一人だったから。
いや、王姉殿下、強し!
「あたくしのかわいいロズヴィータちゃんが、どうしてもラインシュ侯爵家のフォルカー様と結婚したいと泣くのよ」って、現国王に泣きついたとかなんとか!
既にわたしと阿呆王子の婚約が調っていたから、王位継承権はないとはいえロズヴィータお義姉様がラインシュ侯爵家に嫁げば、政治的なバランスが悪い……んだけど。
押し切った! 王姉殿下様! 強し!
だから、わたしと阿呆王子の婚約は多分簡単にではないけど、解消しやすいはずなのよね。
だって、もう、ラインシュ侯爵家から王族に人身御供……ではないわ、王族との結びつきのための令嬢を差し出さなくてもいいんだもの。
きっとラインシュ侯爵家派閥と異なる高位貴族の皆様が、喜んでその家のご令嬢を王太子の婚約者にしようとするはず。
でも、国王陛下の姉君様の娘という、最強女神が溺愛するロズヴィータお義姉様がフォルカーお兄様にベタ惚れだから、我がラインシュ侯爵家は安泰。
ロズヴィータお義姉様が嫁いでいるラインシュ侯爵家を、国王陛下が無碍にはしないはずだものね!
わたしと阿呆王太子の婚約を無くすことに、お父様もお母様の反対しなかったのはこういうわけだ。
どうでもいい裏事情。
あ、どうでも良くはないか。
でも王太子殿下との婚約なんて、もうどうでもいいのだ。わたしはお茶漬けにまい進するのだ!
「で……、婚約の解消もしくは破棄が整うまでに、わたくし、領地でしたいことがありまして……」
婚約のことなどお父様とお母様にお任せして、さあ、わたしのお茶漬けのために、サクッとお兄様にお頼みしますわよー。
「領地でしたいこと?」
「はい! まずは大麦に関しての研究を行いたいのです!」
「は? 大麦?」
「それから魚ですね。ラインシュ侯爵領で入手可能な魚を知りたいのです!」
「さ、魚……」
「野菜も少々。塩に漬けて保存ができる研究を……」
「野菜の保存……? トリクシー、お前は何をするつもりなんだ?」
フォルカーお兄様の眉根が訝し気に寄せられる。
ロズヴィータお義姉様のお顔もきょとんとしている。
ふっふっふ。申し上げましょう!
「わたくしはお茶漬けが食べたいのです!」
バーン! とか、ドーン! とか言う感じに、わたしは腰に手を当て胸を張って言った。
「オーチャヅケ……?」
「オーチャヅケ……?」
いえ、お茶漬けです。
発音のツッコミは心の中だけに留めますが!
「ブラウンシュヴァイク=リューネブルク王国から遠く、遠く離れたところに日本という国がありまして」
「ニーホン……? ロズヴィータ、知っている国か?」
「いいえ……。初めて聞く国名ですわ」
フォルカーお兄様とロズヴィータお義姉様の戸惑い顔は無視して、説明を続けるわたし。
「日本の主食は米。白米。我が国のように小麦を使ってパンを作ったりパスタを食したりもしますが……。やはり日本人の心は米にあるのです」
「コーメ……、ハークマイ……?」
「我が国に米はない。ですが、大麦を加工すれば、米に近い穀物になるのではないかと思いまして!」
「ああ……? コーメとかハークマイとかいうものは穀物なのか?」
「そうなのです。ソウルフード、米。これなしに日本の食事は語れないのです!」
拳を固めて力説。
だが、フォルカーお兄様とロズヴィータお義姉様にはお米様の素晴らしさは伝わらないようだ。
「穀物……。主食は大事ではあるが……。ソウルフード? 心がコーメにある? それほどまでのものなのか……?」
「あたくし、パンはいただきますけれど……。野菜や肉の煮込みのほうが好きですわねぇ」
イマイチノリが悪い。
うーん、これは元日本人としてはお米様の素晴らしさをフォルカーお兄様とロズヴィータお義姉様にも理解していただかねば!




