第37話 怒りのエリンとカイエン男爵
「……トリクシーお嬢様」
「は、はい、エリン……」
うわあ……、エリンの背後から暗雲が漂ってきているみたい。わ、わたし、何か怒られるようなこと言ったかしら……?
「侯爵家のご令嬢が! 野宿! ありえません‼」
うわあ……、エリンの額に青筋まで……、こ、怖いわー……。
「えーと、でも、侯爵令嬢でいられるのもあとわずか……よね……?」
だって、ラインシュ侯爵家は現在進行形で、こっそりとブラウンシュヴァイク=リューネブルク王国から独立準備中……。
「トリクシーお嬢様。そのわずかの期間の後は、侯爵令嬢よりも上のご身分になられるご予定なのですよ」
えーと、婚約は破棄だから王太子妃にはならないよ?
きょとんとしているわたしの耳元で、ナイジェル様がぼそりと言った。
「ラインシュ侯爵家が独立した後は、トリクシー嬢は王女ということに……」
え、えええええー⁉ 王女⁉ マジですか⁉
うっわ! 考えたことなかったわ!
婚約破棄して、独立して、いえーい! これで好き勝手にお茶漬け目指して爆走できるわーって……。
そ、それが王女……。わ、わたしが……? せいてんのへきれき……って、漢字どう書くっけ? 忘れたわー。異世界転生してから漢字を書く機会なんて皆無だしー……って、逃避している場合じゃない。
呆けていれば、ますますエリン様のお怒りが……。大魔神級へ……。
「……野宿はマズいわね?」
「ペガサスであれば、いかな遠方のラインシュ侯爵領とこのアンズーの里を日帰りで往復できるであろうと思いましたのでっ! 念のため一日分の着替えのご用意はありますが!」
「さ、さすがエリン……」
し、下着は自分で洗って干すから……なんて、言ったら「トリクシーお嬢様は侯爵家のご令嬢でございますよ!」とますます怒りが……、あうう……。
謝ります! とりあえず、謝ります! ごめんなさい、エリン!
「……うーん。ペガサスでラインシュ領に帰って、また三日後くらいにここにやってくる……」
わたしはナイジェル様に聞いてみた。
「あのー、ナイジェル様。馬をペガサス化して、ラインシュ領に帰って、また三日後とかにここに来るって……、何往復もするのはナイジェル様的には大丈夫ですか?」
ご予定……よりも、魔力量とか、そういうやつ、大丈夫?
ラノベでよくあるじゃない、魔力の使い過ぎで命の危険……とか。
「あー……。半日ほど休めばなんとか……」
「何とか、ということは、余裕でできる! なんてレベルではないですね?」
「……申し訳ない」
「王姉殿下が王都からラインシュ領に来たときはどうしていたんですか?」
わずかに三日で飛んできたけど。
「三日かけて飛んだのではなく。まず一日ペガサスで飛んで、二日目は宿で丸一日休憩。三日目にまたペガサスで……ですね」
「……卒業パーティで王都に行くときもしょっちゅう休憩を取っていたのは王姉殿下のためだけではなくて」
「……私の体力や魔力の回復もありまして」
「朝から昼まで飛んで、ここに到着。約半日休んで夕方に出発。夜中にラインシュ領に戻る……っていう当初の予定で、魔力はギリギリ……ってカンジ?」
「はい……。余裕はないですね」
「ギリギリで、帰って、もう一回ギリギリでここに来る……。蓄積疲労……も考えると……無理ではないにしろ……」
できなくはないだろうけど、梅のためにそこまでは……。
今回はナイジェル様以外の魔法使いの同行もないし。この国には魔物とかあんまりいないけど、どっかで魔物に遭遇したら、その時点でアウトよね。
「んー……。あ! そういえば、ナイジェル様のお父様とお母様にご挨拶というか、お会いすることになっておりましたよね!」
ご挨拶と言っても息子さんをわたしに下さいではないわよ?
アンズーをお酒に加工する工場を営んでいらっしゃるので、その作業場を見させていただくお約束をしていたのよ。事前にお手紙で。社会人たるもの事前アポイントは必須です! なーんて、ね! わたしの立場は社会人ではないけど。
……って、あれ?
学校は卒業した。でも就職はしていないで実家にお世話になっている……。
わ、わたし、ニート⁉
お茶漬けエトセトラで、実家の食生活には貢献しているけど。
麦茶やコーン茶事業は……既にロズヴィータ義姉様だし。
簡易トイレ事業はギュンターお兄様に魔法使いの皆様による事業化。
わたし、お茶漬け目指している以外に何もしていない!
……と、イマサラながらに気が付いても仕方がない。
お茶漬け研究しながら、それが実家のためになるようにすればいいのよ!
個人事業主……までは行かないわね。実家で親に衣食住を面倒見てもらいつつ、一獲千金を目指して特許をとれるような発明をする人って感じ?
ま、私の今後についてはゆっくり考えるとして……。
まずは今日をどうやって乗り切るか!
んー……ラインシュ領に帰るのは無しとして。
ナイジェル様の故郷で宿泊……。あ。
「ナイジェル様のご両親って、ここの土地の領主ではないですよね?」
「ええ。アンズー畑で働いている小作農のようなものですね。平民ですよ」
「では、わたしたちがナイジェル様のお家にお世話になるのは……」
「……休憩程度ならともかく泊まりは無理でしょう」
「……ですよね」
儲けていて、貧しくないとはいえ平民のお家。
ごろ寝の雑魚寝ではないけれど……。それでもベッドのお布団の中身は綿ではなく藁。
……寝床さえあればわたしはどこでも平気だけど、エリンが大魔神になってしまう。
「えーと、じゃあ……ここの土地のご領主は誰だっけ?」
「領地としては……カイエン男爵領ですね」
「カイエン男爵……。ラインシュ侯爵家との直接の繋がりはないわねぇ」
寄り子と寄り親の関係とかではない。
共に同じブラウンシュヴァイク=リューネブルク王国の貴族というだけ。
赤の他人。
夜会とかでお父様とカイエン男爵がお話したこともないだろう。
「……大変申し訳ないのだけれど。カイエン男爵のお家に泊まらせてもらうわ」
見知らぬ他人に「泊めて♡」なんて無茶だけど。
そこは、あれよ、貴族社会。
ラインシュの家もまだブラウンシュヴァイク=リューネブルク王国の貴族で独立はしていないしね。
侯爵令嬢が「泊めて♡」と迫ったら断り切れないだろう。
これぞまさに権力のごり押し。
日本人の意識があるとねえ、ホント申し訳ないんだけど。
ラインシュ領に帰って、ナイジェル様にご負担をかけるよりは、なんぼかまし! というヤツである。
「とりあえず、ナイジェル様のご実家に寄らせてもらって、それで、馬車の車輪が外れたとか、馬が不調でとか、テキトーな言い訳を作って、カイエン男爵家に使いを出しましょう。それでしばらく泊まらせてってお願いを……」
「それしかないですね……」
エリンも妥協してくれた。よかった……。




