第19話 ありがとう!
どれだけ長い間、泣いていたのか分からないけど。
ナイジェル様が小さく「すみません」と呟いたのが聞こえた。
わたしは慌てて顔を上げる。
もしかして……鳥居クミが、男の子を救って、命を落とした……、転生前のナイジェル様のせいで、鳥居クミが死んだ……って思っているのかな?
わたしは急いで息を整える。鼻を啜って、深呼吸を繰り返して。
そして、言った。
「ナイジェル様、ありがとう!」
「……え?」
「鳥居クミが死んだ後、両親と仲良くしてくれてありがとう。わたしの言葉を伝えてくれてありがとう。それから、今のわたしに、トリクシーに、鳥居の両親のことを教えてくれてありがとう」
「トリクシー嬢……」
「わたし、死んだことなんて別に気にしていなかったの。ホント、お茶漬け食べたいって言っていた通り、お腹がすいていたことしか覚えてなくて、他には重要なことなんてなくて、この世界でもどうにかしてお茶漬けを食べてやろうって、麦茶作って大麦を炊いて……、今、現在のことしか考えてなくて! あんまり物事は深く考えてなくて、食欲一直線で!」
昔のことは忘れました、じゃなくて、そういえばそんなこともあったわねー程度の軽い認識。
後悔なんてない……って言いきれるほど充実した人生だったわけじゃないけど、死んだあと未練が残るようなこともない。
フツーにしあわせに生きて、運悪く死んだ。
ああ、お腹がすいていてお茶漬け食べたいっていうのは未練なのかなあ……。
お腹がすきすぎて、転生前をうっかり思い出しちゃったほどの執念かも。でも、悔しいとかつらいとかやり直したいとかじゃなくて、この世界で何とかしてお茶漬け食ってやるーって、前向きに思ったのよねえ。ホント、笑っちゃうくらい食欲一直線。
「だけど今! ナイジェル様が言ってくれたことで、思い出したの! おかーさんの声! わたしが、どうしてお茶漬けにこだわっていたのかとかも……」
お母さんの漬ける梅干しのお茶漬けが好きだったから、他の具材のお茶漬けも食べて。冷やし茶漬けも温かいのも、鮭茶漬けも、出汁茶漬けも、ワサビ茶漬けも、市販のお茶漬けのモトを使ったのでも、お茶漬けだったらどれでも好きっていうくらいの大好物で。
「だから、ありがとう!」
運命とか偶然とか、そんなことは知らないし、神様のいたずらも知らないけど。
鳥居クミが助けた男の子であるナイジェル様と、転生後の今、ここで、会えてよかった。
だから、ありがとう。
感謝しかないんだ。
あと、お茶漬け好きの同好の士に出会えて嬉しいとかしか。
過ぎたことは振り返ってもしかたがないし、イマサラ何をどうしても、トリクシーから鳥居クミには戻れないし。
鳥居の両親を懐かしんで泣くことがあっても、今のラインシュの家族だって大好きだし。
自分のせいで鳥居クミが死んだなんて、思ってほしくないんだ。仕方がない事故だったんだし。
わたしは、これでいい。後悔なんてきっとない。
これからも、きっと、泣いたり笑ったり怒ったりしながら、きっとお茶漬けを目指して生きていく。
でも、わたしが、鳥居クミが死んだ後の両親のことを知れてよかった。
きっと数年はわたしの死を悲しんで。それでそれからは……両親は両親で、自分たちの人生を全うしたんだと思う。
……もしかしたら、これから先の人生で、また別の人間として、トリクシーと元両親が会えるかもしれないなんて希望さえ、持ったりもして。
「トリクシー嬢……」
ナイジェル様は口を何度か開けたり閉めたりした。きっと、何かをわたしに言いたくて、でも何を言っていいのかわからなくて……ってところかな?
わたしはしがみ付いていたナイジェル様の腕の中からそっと出る。
えへへ……と笑って、鼻をすすって。
「あーと、えーと。わたし、いったん失礼して顔を洗って目を冷やしてきますね!」
「あ、ああ……」
「ギュンターお兄様、すみません。お兄様にはあとでちゃんとご説明しますね……」
「えーと。よく分からないけど、うん、まあ、とにかく目は冷やしておいで。目が腫れたら大変だ」
お優しいなあ、ギュンターお兄様。
転生前の日本での記憶。わたしとナイジェル様だけが分かりあっている話をして、しかもわたしが泣いたりして。ギュンターお兄様にご理解いただけるようになんて説明なんてしないまま放置状態にしていたのに。
わたしは家族に恵まれている。転生前も、転生後も。
ありがたい。
わたしの部屋に戻って、エリンに目を冷やしてもらって。
ふう……と息を吐く。
何かいきなりの急展開で、びっくりしたなあ……。でも、これからすることはやっぱり変わらない。
そう! お茶漬け!
ナイジェル様が元日本人なら、そして、あの食べっぷりなら。
梅干し作りにきっと協力してくれるはず!
もちろん魔法省のお仕事もあるだろうから、お手すきのときにでも……、そう、梅と似ている身だと思うアンズーの手配にご協力いただくとか、作り上げた梅干しを試食してもらってご意見を言っていただくとか。
……元の世界でも、外国の人に梅干しを食べさせたら、なんじゃこりゃみたいな顔されたとか、よくある話だものねぇ。
わたしはどうしても冷やし茶漬けには梅干しが欲しいけど……。梅干しを作り上げたとして、この世界の人たちに梅干しが受け入れられるのかな……。
ナイジェル様ならわたしと一緒に梅干しを食して、感動してくれると思うんだけどなー。
ふふふ。
楽しみ。
そんなことを思いながら、顔を洗って、目を冷やして。ギュンターお兄様とナイジェル様の待つサロンに戻ったところ……。
戻ってきたわたしにナイジェル様が開口一番に言ったのよ。
「トリクシー嬢! 私も魔法省を辞めてくる! あなたと共に、お茶漬け作りの道にまい進させてくれ!」
えっと、ちょっと、待ってー⁉




