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Uranus 第六特命巡視捜査隊  作者: サロ
第2章白きシロモノ
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24/28

A Place for Hekatē/幕間

仮想世界で、コイツの居場所はなくなった。


現実でも逆探知されて、逮捕待ったなしだろう。


これにて、オレの本日のHekatēとしての業務は、無事完遂。


「よっしゃっ、終わった~!!!」


「月城《つきしろ》」


伸びをしたオレにかかったのは、低く、渋みのある呼び声だった。


振り返ってみる。


――



「ひふみ警部補って、係長に反発とかしないですよねぇ」


所属する捜査四課の昼休み。


同じ課で働く後輩の一言に、オレは笑って、おかずをつまんでいた箸を止めた。


そりゃ、いちいちイラついてたら仕事が進まねーし。


ニコニコしとく方が得だし。


面倒事は、画面の中だけで充分だ。


「……役職が上の奴に反発して、得ってあるか?」


紅い制服姿のオレは、メロンパン片手にそう言った。


けれど、後輩は苦い顔をしている。


「だって……階級は同じなのに、部長の息子ってだけで係長に抜擢されるなんて嫌じゃないですか!?

本当は月城先輩が就くポジションだったのに」


その最後の言葉に、ちょっと口が止まる。


人事の気まぐれは、いつも突然だ。


だから、1年前の人事で聞かされた申し訳程度の謝罪なんて、食べて忘れるに限る。


(……ま、皆が思う「もっと情報捜査員としてのびのび働きたい」って気持ちは叶えてやりたかったけど……親の肩書きには勝てねーわな)


チラリと壁掛け時計を見る。


「くっちゃべってるのはいいが、あと25分で昼休み終わるぞ。ごちそうさん」


立ち上がった拍子に、金の前髪が揺れる。


休憩室の自動ドアが開いた。


「あ! ひふみさん」


(……コイツは昼休みっつー概念を知らないのか)


「なんです、係長」


オレは、できる限りの笑顔を繕った。


「ちょっとだけ、いいかな」


ちょっとだけ。


上の人間が使うその言葉は、だいたい長い。


「――例の解析、午後イチまでに見てもらえないかな」


「午後イチ、ですか」


「君ならすぐだと思って」


出た。


できる人間にだけ発生する、無料の時短魔法扱い。


「あ。それと」


……出たよ。


「この報告書、チェック終わったから第六に届けてもらっていい?」


ドサドサと出てきた、色とりどりのバインダー。


全部、第六が上げてきた報告書だった。


ただし、返すのは「提出し直してこい」という意味だ。


本来は、係長の業務のひとつだろ。


やれよ、それぐらい。


本部棟の床は、そんなに高級か。


「……承知しました。午後イチの解析も、確認しておきます」


笑顔は便利だ。


少なくとも、この罵倒を外に漏らさずに済む。


「ありがと~。月城さん、第六と付き合い長いからさ〜助かるよ」


「いえ。確認しておきます」


付き合いが長い、ね。


便利な言葉だ。


人に仕事を投げる時だけ、関係性を褒める。


――



すっと開くエレベーターの扉。


地下2階の第六フロアは、設計のおかげか、太陽の光がしっかり届くから明るい。


重い台車を押して出たところで、声がかかった。


「月城君」


声をかけてきたのは、第六特視隊隊長、雪園《ゆきぞの》正雄《まさお》だった。


手には、紙コップのコーヒー。


視線はオレではなく、台車の上のバインダーに落ちている。


「……また雑に投げたな。君が届けに来るのも珍しい」


「お疲れ様です。


係長が、会議が立て込んでいて行けないそうなので。こちら、確認済みの返却分です。……今日、藤井《ふじい》主任いますよね?」


雪園隊長は苦笑い気味に、「藤井はいるが」と答えた。


それから、再びバインダーへ視線を落とす。


「……1人で運べる量じゃないだろう、それ」


――


ガラガラと廊下に響く音。


「……すみません。台車を押してもらって」


前を行く雪園隊長に、そう言った。


代わりに、オレの両手が抱えているのは、コンテナ1個分だけ。


「謝ることじゃない」


雪園隊長は、前を向いたまま言った。


「謝る相手がいるとすれば、それは君じゃない。投げた側だ」


オレはどうしてか目を伏せた。


「……そういうものでしょうか?」


「そういうもんだ」


雪園隊長は、台車を押す速度を変えずに言った。


「できる奴に仕事が集まるのは仕方ない。だが、便利に使っていい理由にはならん」


突き当たりの手前を右折し、少し歩いたところで、ガチャ、と主任執務室の扉が開く音がした。


「……藤井主任、いるんじゃなかったんですか」


「いるとは言った。今ここにいるとは言ってない」


「詐欺師の論法ですね」


「情報捜査員に言われるとはな」


そんな掛け合いをしつつ、コンテナを丸テーブルへ置いた。


さて、四課へ戻らないと。


「……月城君、まだ休憩時間じゃないのか?」


午後イチまでに見なきゃいけない解析依頼があるので。


そう言いかけて、口をつぐむ。


何をうっかり言ってる……第六には関係のないことなのに。


「休むのも仕事だ。

……少し、もらってほしいものがあるんだ。何か言われたら、俺に強引に引き止められたとでも言っときなさい」


ガサッ、と紙袋を開けてみる。


中には、ギフト用の焼き菓子と紅茶のセットが2つ入っていた。


今、オレが座っているソファーの前に置かれているものと同じものだ。


黄金色のフィナンシェ。


「この間、使節団が見学に来ただろう……その時にもらったんだが、あいにく俺は、甘いものも紅茶も好きじゃなくてな」


「……これ、オレにですか」


「他に誰がいる」


「藤井主任」


「藤井にはもう、やった。本間《ほんま》にも第六の給湯室にも、ウチの嫁にもな……ただ、残り2つの貰い手がいなくてなぁ……だから、もらってやってくれ」


「……そこまで配って残ったなら、もはや在庫処分では?」


「そうとも言う」


「言うんですね」


「言わない方が受け取りやすいか?」


「……言われた方が、受け取りやすいです。では、ありがたく在庫処分に協力します」


「助かる」


助かる、はこっちの台詞だと思った。


けれど、それは言わなかった。


不意に、隊長室のPCから通知音が鳴る。


雪園隊長が途端に渋い表情を浮かべた。


(……この音は、セキュリティアップデートを促す音では?)


「隊長、アップデートなさらないんですか?」


オレの質問に、「設定のどこを触ればいいのか分からなくてな」と困った口調で言った。


なるほど。


「見ましょうか?」


言ってから、しまったと思った。


休むのも仕事だ、と言われたばかりなのに。


「休憩時間を削る気はないぞ」


「焼き菓子1個分の範囲で」


「……交渉が上手いな」


「情報捜査員なので。よいっしょ」


ソファーから立ち上がり、向こうの机へ移動して画面を覗き込む。


オレは元々、共同指令部《きょうどうしれいぶ》の情報システム部に勤めていた。


まぁ、その後、捜査四課に引き抜かれたけど。


よし。


できた、できた。


「これでしばらく待てば、アップデート完了です」


「助かった」


隣で一緒に様子を見ていた雪園隊長が言った。


「在庫処分の対価としては高くつきましたね」


「焼き菓子1個分だろう」


「情報システム部時代なら、もう1個請求してるところです」


その冗談に、雪園隊長は懐かしむように言った。


「そうだったな。月城君の専門分野は、情報セキュリティだったか」


「はい。情シスのあの当時は、第六の南《みなみ》主任とよく喧嘩してましたね。お騒がせしました」


「喧嘩、というより、南が毎回負けていた記憶があるが」


「ログの提出を求めただけです」


「南はそれを喧嘩と呼んでいた」


「ログを出さない方が悪いですよ」


「……耳が痛いな」


コンコンコン。


「失礼します。正雄隊っ……あれ!? ひふみちゃん、どうしたの?」


「南主任」


タブレット端末を持って固まった女性が、メガネの奥で目をパチクリさせている。


「何それ」


「焼き菓子です」


紙袋を見せる。


「正雄隊長、またそういう渡し方したんですか。まぁいいです。あ、実はこれなんですが……」


2人のやり取りを眺めつつも、帰るタイミングを逃してしまったことに内心焦る。


割り込むのも悪いし。


南主任は「じゃね」とオレに笑顔で言って、去っていった。


そこでふと、回覧文書を思い出す。


「南主任、今月で辞めちゃうんでしたね……」


「そうだが、俺が引き止められることでもない。業務上は正直困るがな」


「ですよね……」


だって、第六の捜査面における情報部分を支えていたのは、南主任なんだから。


「……南主任がいなくなったら、第六の情報チームは?」


「あれはそもそも、南が大昔に自主的に作った非公式チームだ。俺が都合よく使っていた。

本当は公式にしてやりたかったが……当時の保安《ほあん》総監《そうかん》が首を縦に振らなかった」


直属部《ちょくぞくぶ》の部長でもある保安総監が認めなかったチーム、か。


「……公式じゃないものを、そこまで使ってたんですか」


「必要だった」


「必要なら、公式にするべきだったのでは」


「だから、しようとした」


その声は、少しだけ苦かった。


「……月日が流れて、保安総監には新たな者が就き、またチャンスが巡ってきたのに……今度は主力がいなくなる。

物事ってのは、上手くいかないもんだ」


――



後日。


Uranus庁舎、本部棟最上階の一室は、現場とは空気が違った。


流れている空気そのものが。


その主は、景色ではなく、提出された用紙へ目を落としていた。


牡丹色の瞳が怪訝に歪む。


「なんだ、これ。近江《おうみ》」


出入口付近の影で業務をしていた秘書へ、声をかける。


「はい。何でしょうか、迦梨屋《かりや》総監」


すらりとしたウルフカットの女性が、両袖机のそばへ歩み寄る。


その手には、深緑の手帳が握られていた。


「この提言書は、第六から上がってきたんだったな?」


「はい」


「誰が書いた?」


「……そこに雪園正雄警視長と」


「それは、まとめた奴だろ。

私が聞きたいのは、書いた張本人……第六は私の古巣だが、こんな具体的かつ実用性の高い文を書く者はいない。

南が書く文の癖でもない。

かといって、雪園が手直ししているわけでもなく……これは第三者が書いている」


一拍、沈黙が挟まる。


「だから聞いてるんだ。誰が書いた、と」


牛革製の椅子がキィと鳴り、その主が机の方へ顔を向ける。


黒髪に牡丹色のインナーカラーをした、この若き総監。


その目線の意味を、近江秘書は知っている。


「かしこまりました」


――



雪園隊長に話したことをまとめた、あのレポートはどうなったんだろう。


提出して3週間目に入ろうとしている。


「ハッション!」


またか。


こんなにくしゃみが出るなんて……花粉症じゃないはずなのに。


あれ。


おい、コピー用紙が切れてる。


「補充しとけよ……印刷できねー」


席を立った時、背後を通った女性職員たちが言う。


「近江秘書が東棟に来てるらしいよ」


「直属部の人でしょ!」


「うん。支援課の総監秘書だって」


総監秘書。


その単語で、足が止まりかけた。


……ま、オレには関係ない。


コピー用紙の方が切実だ。


関係ない、はず。


棚の奥にあったコピー用紙を引き出した瞬間だった。


「月城ひふみ警部補で、お間違いありませんね」


背後から、落ち着いた声がした。


腕の中の紙束が、急に重くなる。


振り返ると、そこにはウルフカットの女性が立っていた。


(モデルみたい)


ハッとする。


襟に付いているバッジが白金色。


直属部。


(待て待てっ、落ち着け落ち着け! オレは無関係)


「……コピー用紙なら、今補充します」


「その件ではありません」


「失礼ながら……つ、つきしろって苗字の者は他にもいるかと」


「月に城と書くのは、あなただけです」


「違います」


「そうですか。では、ここ最近で上司に担当外の業務を押しつけられたことは?」


オレは思わず、反対側の席をチラ見した。


あれ。


なんか係長、しょぼくれてね……ん、注意されたのか。


近江秘書に。


(怖っ)


「えと……こ、心当たりは、ほんのり」


「そうですか。

その際に、雪園正雄警視長にお会いしましたね?」


「ちょっとだけ。え、会釈レベルです」


「ほう。

会釈レベルで、こちらの提言書まで書くことになるのですか?」


差し出された、本部棟専用の通信端末。


そこに映る用紙の文字は、間違いなくオレの筆跡だった。


思わず目を合わせる。


近江秘書はニコッと微笑み、「参りましょうか」とだけ言った。


これはもう、ついて行くしかないかも。


ただ、その前に。


「……コピー用紙は」


「置いていってください」


「でも、補充しないと誰かが印刷できません」


「村上《むらかみ》係長に補充していただきます」


「……係長に?」


「はい」


それは少しだけ、総監室へ行く理由になった。


――



近江秘書の後について歩く。


最初のうちは、見慣れた東棟の廊下だった。


けれど、角を2つ曲がったあたりで、知らない扉の前に出た。


案内表示はない。


近江秘書が白金色のバッジをかざす。


短い電子音。


扉が、音もなく開いた。


その先に伸びていたのは、黒い御影石の床だった。


……いや、待て。


こんな道、知らない。


少なくとも、オレが見たことのある図面にはなかった。


ここは本来、壁のはずなんだ。



(……高度経済成長期に建てられた官庁建築)



その言葉が、頭の隅で浮かぶ。


財力が違う。


今のUranusが改修で隠したものが、壁の内側にそのまま残っている。


普段歩いている廊下の床は、コンクリート風の灰色だ。


汚れが目立たず、滑りにくく、いかにも実務向け。


現場職員が多少乱暴に歩いても、誰も気にしない床。


けれど、扉の向こうは違った。


床が高級とかいう次元じゃなかった。


本当に高級な床は、現場職に踏ませないらしい。


「あの、近江警視正……ひとつ質問よろしいですか?」


「どうぞ」


「ここって、図面上だと壁ですよね」


オレの質問に対し、近江秘書は「そうですね」と言った。


それから、静かに続ける。


「ここは、一般の職員が知る必要のない場所ですので」


つまり。


知ってしまった今のオレは。


その戸惑いを見抜いたのか、先を行っていた近江秘書の足が止まった。


ゆっくりと、こちらを振り返る。


「今回はレアケースですので、目をつぶっておいてください」


そう言って、近江秘書は再び歩き出した。


ヒールの音が、黒い御影石の上を静かに渡っていく。


見なかったことにするんだ。


全部。


『地上20階です』


エレベーターの扉が開いた。


足が出なかった。


赤い絨毯が、エレベーターホールの奥までまっすぐ伸びている。


深い木目の壁。


丸みを帯びた装飾。


静かすぎる照明。


近江秘書のヒールの音すら、絨毯に吸われて消えていく。


(……庁舎だよな、ここ)


自分のパンプスの底が、急に汚れている気がした。


「月城警部補」


呼ばれた。


いいのか。


このエレベーターの敷居溝を跨いだら、戻れなくなる気がする。


「お待ちしています」


扉を押さえた近江秘書が、一言そう添えた。


逆に急かされた方が楽になれそうなくらい、ここの空気は吸うだけで重かった。


ようやく踏み出した先で、赤い絨毯が足音を飲み込んだ。


もう、本当に戻れない。


「――大丈夫でしょうか。間もなく、この扉を開けますが」


自動ドアの前で、近江秘書はそう確認した。


正直、大丈夫ではないですね。


だって、この秘書室を通ったら、眼前はもう総監室じゃないですか。


ここまで来て「やっぱりコピー用紙を補充してきます」とは言えない。


「一応こちらは裏口なので、まだマシかとは思いますが……大丈夫ですか?」


だから自動ドアだったのか。


表はどんな扉なんだろう。


たぶん、もっとひどい。


……いや、やめよう。


余計な想像を働かせるな。


想像しただけで、胃が重くなる。


深呼吸して、オレは頷いた。


それを確認した近江秘書は前を向き、自動ドアのボタンを押した。


数歩進んで、木目のルーバーの奥へ回る。


「失礼いたします。

迦梨屋総監、今朝の件で月城ひふみ警部補をお連れしました」


「ご苦労。通せ」


近江秘書が、その場からこちらへ下がる。


それは、オレに対する「前へ出なさい」という暗黙の命令だった。


緊張はする。


怖くないわけがない。


けれど、待たせてはいけない。


赤い絨毯の上で、もう一度だけ呼吸を整える。


それから、オレは木目のルーバーの奥へ踏み出した。


オレは、第一声をどう発したのか覚えていない。


覚えていない、というより。


その姿を認識した途端、思考が完全に飛んだ。


黒いソファー。


そこに座る、黒髪。


ブルートパーズのイヤリング。


牡丹色のインナーカラー。


こちらを見る、同じ色の瞳。


胸に金の4つの芝桜。


オレが言い終わると同時に、ホクロのある口元が微笑んだ。


「突然探しに行かせて、混乱させたことは申し訳なかった。

私の秘書は怖くなかったかな?」


オレは首を横に振るのが精一杯だった。


「そうか。ならいい。

探してもらったのは、少し……いや、四課にいる君の意見を直接聞きたくなったからだ。

実に良いものだったのでな」


一拍。


「座って」


「……し、失礼します」


促されたソファーに腰を下ろす。


目線の先には、功労賞や調度品が並んでいた。


つまり、上座。


……いいのか。


いや、総監が座れと言った。


だから座った。


座ったけど。


(これ、座っていい位置か?)


そうこう悩んでいるうちに、目の前へ紅茶が置かれた。


いい茶器。


いい香り。


いい席。


胃だけが、ぜんぜん良くない。


「本題の前に……村上の件はすまなかった」


(はい?)


「パワーハラスメントは、もう少し厳罰化を図ってもいい。……村上には、お目付け役を置くべきだったな」


付箋の上を、ペン先が走る音がした。


「こういうものは、一度見逃すと慣例になる」


総監は付箋から目を上げずに言った。


「慣例になれば、次は誰も違和感を持たなくなる。そうなる前に潰すべきだった」


いや待て。


オレは今、総監に謝られているのか。


村上係長の件で。


カチッ、とペン先をしまう音がした。


まるで、今ここで決定事項が確定したような音だった。


「さて。余談はほどほどにして、本題に移ろう。

まず確認だが、この提言書は君が書いたもので間違いないな?」


テーブルの上に差し出された用紙の束。


表紙には、シンプルに「第六特視隊提言書」の文字。


(……これはオレが入れてないから、雪園隊長だろう)


提出者は、雪園正雄。


「中身を確認してくれても構わないぞ」


「では、失礼します」


嘘であってほしい気持ち以上に、雪園隊長がオレのレポートをどうまとめたのかが気になった。


1ページ目。


3ページ目。


28ページ目。


……間違いなく、オレが書いた。


オレが雪園隊長に話した時よりも、ずっと具体的で、実用的な形に整えられている。


でも。


でもだ。


(あの時、紅茶とフィナンシェに釣られて、雪園隊長にペラペラ話したオレを、今のオレは殴りたいっ!

金の延べ棒で頭をかち割る勢いで!!)


「これは確かに、私が書きました」


「そうか。やはり、月城君が書いたものか。

……率直に述べると、四課である君がここまで特視隊のことを理解し、実用に耐える形で書ける。

その洞察力は素晴らしい」


「お褒めいただき、光栄です」


口ではこう言ったが、総監の仰った“実用”というワードがどうしても引っかかる。


(なんせ、この提言書は……)


「それで、月城君。君を慕っている四課の者も、何名かこちらへ移す」


「……はい?」


「君だけを抜けば、残された者が困る。君のやり方を知る者も必要だ。

それに、腐らせるには惜しい」


帰りたい。


そう思っていたはずなのに、その一言で喉の奥が詰まった。


自分だけの話なら、まだ逃げ道を探せた。


けれど、部下の名前を出されると、足元にあった退路が音もなく閉じる。


「勘違いするな。人質ではない」


「……」


「何より、君にはあるのだろう?

叶えてやりたいものに、守りたいもの。

それをこちらも守ると言っている」


「それは……非常にありがたいのですが、迦梨屋総監」


一拍、間が落ちる。


「僭越ながら、この提言書は、あくまで私と雪園警視長の雑談の延長線上を切り取ったものです」


……何言ってんだ、オレ。


うっかり……うっかり、部下と“実用”なんていうワードを耳にしたばっかりに。


口が動いてしまった。


(目上、しかも最上位の方に対して、何を言ってるんだろう)


「切り取ったもの?」


「はい」


目線が合った。


(……やべ。スイッチ入れた)


総監の体が微かに前のめりになった。


「続けて」


「はい。では、お言葉に甘えて話を続けさせていただきます」


あぁマズい。


帰るどころのレベルじゃなくなったぞ。


心は焦るのに、口は喋る。


2090年代における、ジェミニ犯罪等に関わる情報量。


その情報を活用すべきメリット。


還元することで、現場にもたらす恩恵。


(あーよくないっ、よくないぞ……これは)


これじゃ、提言に留まらない。


運用領域のところまで行ってしまうぞ。


部外者の四課であるはずのオレが、完全に設立を後押ししている形に捉えられかねない。


よりにもよって、なんで相手が直属部の部長も兼ねてる人なんだ。


(オレのアホっ)


でも、1つだけ言いたい。


この漂う圧を前にして、黙秘は無理だ。


それは姿勢なのかもしれないし、目の奥の鋭さなのかもしれない。


もしくは、同意する声色か。


……いや、そうだけど、そうじゃない。


「属人化を避け、業務のブラックボックス化をさせないことが目的です」


「うむ。実によい提案だ」


総監が感心したように笑った。


そう、これだ。


笑顔そのものが、圧になっているんだ。


優しく肯定するはずの表情が、人を従える甘美なものに変わる。


そんな魔術を可能にしてしまえるのは、神か悪魔くらい。


「――なるほど。で、実施に際してはどの程度の規模が適切だ?」


そして多分、オレもそこに並んでしまっている。


お菓子よりも甘い、その笑顔の列に。


――



「この廊下の先が、東棟の捜査三課・四課のフロアです。それでは、失礼いたします」


御影石の通路の終わりで、近江秘書が一礼した。


それと同時に、扉が閉まる。


オレも行くか。


足裏に、慣れたコンクリート風の灰色の床の硬さが戻ってくる。


「……あの場所はマズい」


地上20階のあそこは。


人間が長居するとこじゃ……ない。


……気持ち悪い。


咄嗟に手で口を覆う。


手洗い、近いのはどこだ。


頼むから、しゃがみ込むなよ。


排水管へ、ジャージャーと水が流れていく。


キュッという音とともに蛇口を止めて、オレは顔を上げた。


あー……気持ち悪かった。


しかし、思考があの場所から帰ってこない。


(……本当にあの場所は、人間が長居するようなところじゃない。

それなのにオレは、結局、甘い毒を口にしてしまった気がする)


脳裏に、出されたあの紅茶が浮かんだ。


「……帰らないと」



「――月城」


低く、渋みのある声で名前を呼ばれて、脳裏の紅茶がふっと消えた。


顔を上げる。


赤絨毯はない。


御影石の通路もない。


白金色のバッジも、牡丹色の笑顔もない。


あるのは、Hekatēの端末画面と、終わったばかりの業務ログ。


それから、7年前に焼き菓子を寄越した男の顔だった。


画面越しの前髪には、目玉焼きのヘアピンも映っている。


「終わったか」


その一言に、オレはゲーミングチェアを回した。


「ええ。仮想側は潰しました。現実の方も、もうじき拾えます。で?」



……その紙袋は、なんですか。

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