第20話 夜明け前の魔女
ズカズカと部屋へ入っていく、部屋着姿の背中。
デスクトップPCをはじめ、壁際に並んだモニターへ次々と明かりが灯っていく。
「――解析してほしいのは、なんだ」
起動した画面に、保安章と『Hekatē』の文字が浮かび上がった。
『監視カメラのSDチップです』
スピーカーから流れた俺の声に、ひふみ先輩は視線を落とす。
額にはまだ、『醤油』と書かれた赤いアイマスクを乗せたまま。
映像通話が繋がっているか確かめるように、すぐ上のモニターへ眉を寄せた。
ちゃんと見えてますよ。
「SDチップか……めんど」
『めんどいとか言わんとってください。今、送ってますから』
モニターの向こうで、ひふみ先輩がマグカップに口をつける。
『……それと、ひふみ先輩』
「ん?」
『今後、勝手に俺の名前で警察署へ依頼を出すのはナシです。突然、湾岸署から一報が来るこっちの身にもなってください』
一拍。
『これは、主任命令です』
ドカッ、とマグカップが置かれた。
続いて、チェアへ乱暴に腰を下ろす音。
「は? 今まではよかっただろ!?」
『これまで何度注意したと思ってるんですか。忘れたとは言わせませんよ。堪忍袋もここまでです』
「え〜……庄司の名前出すと、すぐやってくれるから超便利だったのにぃ」
『知りませんよ、そんなん。とにかく、もうダメです』
「……いつまで?」
『無期限です』
そう言ってから、俺は少しだけ考えた。
『あと、散々俺の名前つこたんやから……今度、なんか甘いもんください』
モニターの向こうで、ひふみ先輩が小さく鼻を鳴らした。
「お前、それオレの真似」
『お安いもんやと思いますけど?』
「……今度」
『守ってくださいね』
デスクトップPCの上部に、《データ受理》の文字が表示された。
ひふみ先輩は、観念したように『醤油』と書かれた赤いアイマスクを外す。
淡い青の瞳が、画面を射抜いた。
「……解析始めんぞ」
『お願いします』
俺が答える頃には、ひふみ先輩はもうSDチップ内のファイルを開いていた。
その瞳が、映像を一度だけ追う。
それで十分らしい。
複数のウィンドウを立ち上げ、各部屋に待機しているチームメンバーへ矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。
映像の抽出。
画質の補正。
車体、ロゴ、ナンバープレートの分離。
すべてを同時に進めながら、ひふみ先輩はぼそりと呟いた。
「マジでワシノ運輸の登録配送車にそっくりじゃん。ロゴ」
当然、聞き流せるわけもない。
『ロゴ、ですか?』
「……あれ?」
ひふみ先輩がマウスを動かしたまま、モニターを見上げる。
「あ、沙与ちゃん、まだ言ってないのか」
『何をです?』
「昨夜、仮眠する前にな。《江東 お 12-58》のナンバープレートを付けた車、偽造なんじゃないかって疑ってただろ。オレも気になったから調べてみたの」
『甘っ』
「どの口が言ってんだよ」
即座に返された。
「そしたら、文字列も色味も本物にそっくりでさ。あの時の画像はちょいと粗めだったけど、これはさすがAI主導型なだけあるわ」
カーソルが画面上を駆け回る。
映像の一部が切り取られ、拡大され、輪郭が補われていく。
「ナンバープレートの分類番号も、バッチリ分かりそうだな〜」
『分類番号まで拾えそうなんですか』
「拾う。ついでに車種も絞る。あ、ロゴの件は沙与ちゃんに聞いとけよ」
601号車の助手席から、堀宮が通話へ割り込んだ。
『……月城さん、あの』
「お、堀宮。どした?」
『どれくらいで、全部の解析が終わりそうですか?』
その問いに、ひふみ先輩は口元を上げた。
「安心しろよ」
キーボードの上を、指が走る。
「夜明け前には特定してやる」
マウスは止まらない。
ひふみ先輩の指示を受け、各部屋ではSDチップ内の電磁的記録から、次々と情報が抽出されていった。
拾い上げられたデータが共有され、映像の細部が可視化されていく。
ぼやけていた車体が。
ロゴが。
ナンバープレートが。
少しずつ、本来の輪郭を取り戻していった。
ただの記録だった映像が、証拠として使える形へ変わっていく。
車内に響くのは、エンジンの微かな振動と、通話越しに聞こえるキーボードの音だけ。
不意に、ひふみ先輩の手が止まった。
「――できた」
その一言が、身体に張りついていた夜通しの疲労を吹き飛ばす。
俺はすかさず顔を上げ、組んでいた両腕を解いた。
『ナンバー、拾えました?』
「庄司、それだけじゃねーぞ」
ひふみ先輩が映像の一部を拡大する。
「コイツ、ここでナンバーを付け替えてやがる」
『『……はい?』』
俺と堀宮の声が重なった。
ひふみ先輩の指先が、拡大された映像を軽く叩く。
「……ほら。橋を渡り切って、駐車場エリアに差しかかった、この瞬間」
映像の中で、男が車を降りる。
周囲を見回してから、車体の前へ回り込んだ。
「右手に持ってるのが、付け替え用のナンバーだ。この様子だと……マグネット式だろうな」
映像が速戻しされ、今度はスローで再生される。
男の右手にある薄い板状のものが、コマ送りの中でようやく輪郭を持った。
そのまま男は、ナンバープレートを覆い隠すようにしゃがみ込む。
『あ』
堀宮の声が漏れた。
次に男が立ち上がり、運転席へ戻ろうとする頃には、車体に付けられたナンバープレートが変わっていた。
《江東 お 12-58》
それが、
《千葉 え 94-63》
へと。
「しかも、ただ上から被せたんじゃねーな。外して、別のを付けてる」
拡大された映像の中で、男の手元が再び停止する。
片手には取り外したプレート。
もう片方の手で、別の一枚を車体へ取り付けていた。
「コイツ、偽造プレートを複数枚持ち歩いてるぞ」
『『悪質じゃないですか』』
また声が重なる。
ひふみ先輩は鼻で笑った。
「悪質なのは、これからだぞ」
そのまま別のウィンドウを開く。
「さっきオレ、ナンバープレートの分類番号もバッチリ分かるって言ったよな」
該当箇所がさらに拡大される。
「その分類番号が問題だ」
画面に、比較用の画像が並んだ。
片方は、ワシノ運輸の登録配送車。
もう片方は、今回の対象車両。
「ワシノ運輸の登録配送車は、小型貨物用途を示す《4ナンバー》を使ってる」
ひふみ先輩のカーソルが、番号の上をなぞる。
「だが、この車は、ナンバープレートの黒地に黄色文字まで寄せてるくせに、分類番号は《5ナンバー》だ」
そこで、わざとらしく声を弾ませた。
「はい、元交通課の堀宮君。お答えをどうぞ」
『……《5ナンバー》は、小型“乗用車”の分類です』
「正解。で、車体照合も一致した。
ベース車は乗用モデルだ」
画面上で、二台の車両が重ね合わされる。
「つまりコイツ、元は乗用車。それを配送車に見えるよう仕立て直してる」
堀宮が、表示された画像を睨む。
『……でも、それだけなら、わざわざ見た目を似せる意味あります?』
ひふみ先輩の指が止まった。
「ある」
別のウィンドウが開く。
倉庫街を走行する複数の配送車両。
深夜にもかかわらず、路肩へ停車し、荷物を積み降ろしている。
「配送車は夜中に倉庫街を走ってても不自然じゃない。路肩に停まっても、荷物を積み降ろしてても、誰も気にしねー」
『つまり、目立たないための偽装ですか』
「車種だけじゃない」
ひふみ先輩が、後部窓越しに映った車内を補正する。
暗かった車内に、少しずつ形が浮かび上がった。
本来なら見えるはずの座席の背もたれがない。
代わりに、後部いっぱいまで平らな床面が続いている。
「後部座席、潰してある。荷室に見えるように作り替えてるぞ」
『ガチで悪質になってきましたね』
思わず運転席から割り込んだ俺のぼやきに、
「だから最初から悪質だって言ってんだろ!」
間髪入れず、ツッコミが飛んできた。
「あ。それとな、庄司」
『まだあるんですか』
「《千葉 え 94-63》も、実在する別車両の番号を盗用してる。交通課に照会済みだ」
さらりと投げられた情報に、息を吐く。
配送車へ偽装した車体。
盗用したロゴ。
複数のナンバープレート。
照会を欺くために使われた、実在車両の登録番号。
後部座席まで潰して作られた荷室。
ここまで手を掛けた理由は、一つしかない――これは、何かを隠して運ぶための車や。
俺はモニターの中の白い車を見つめた。
『……マルヒの石母田は、付け替えたナンバープレートに気づいて襲われたんか』
そこで一度、言葉を切る。
『それとも、その生死を問わない“何か”を見たから襲われたんか……』
助手席から、堀宮の声がした。
『謎、増えちゃいましたね。班長』
せやな。
けど、謎が増えたんやない。
見えていなかった輪郭が、ようやく姿を持ち始めただけや。
俺と堀宮は、揃ってフロントガラスの向こうを見た。
夜の端がほどけ、空が白み始めている。
『……約束どおりですね』
堀宮が小さく笑う。
『おう』
その声を拾ったひふみ先輩が、呆れたように眉を寄せる。
「あのな……お前ら、夜明け前には特定してやるって言ったろ」
ひふみ先輩が背中を預けると、ゲーミングチェアが低く軋んだ。
残り時間は3時間半を切った。




