Things Dogs Pick Up/幕間
ウチで飼っているラブラドール・レトリバーは、よく落ちているものを拾ってくる。
特に、キラキラしたものが好きみたいで。
「レオ、また拾ってきたのか」
僕の一言に、チョコ色の尻尾が興奮気味に振られる。
軍手。
小枝。
空き瓶。
雲母が混じった石。
僕の彼女が忘れていったネックレス。
とにかく、色々だ。
そして今日も。
「さ、行こう」
「ワン! ワン!」
僕は新ジン類だから、夜が日常だった。
「人類との共生社会」が掲げられたこの2090年代、目に見える差別は少ない。
ただ、距離感。
言葉の端々。
目線。
そういった目に見えないものは、未だに根強い。
でも、祖父母が生きた時代みたいな迫害や、露骨な不平等はない。
特に不満はないかな。
……ない、と思う。
あ、でも。
国を守る「聖職」には就けない。
自衛官。
警察官。
保安官。
それから、裁判官。
守る側にも、裁く側にもなれない。
まあ、それも昔からそういうものだと言われれば、それまでなんだけど。
「え。今日はこっちに行くの?」
僕は、レオが行きたがる方向を見た。
橋ノ海公園方面。
まだ歩きたいらしい。
いつもの散歩コースより、帰りは遅くなりそうだった。
けれど、愛犬の意思を無視するのも可哀想で。
桜の見納めだと思えばいいか。
「……分かったよ。行こう」
「ワン!」
四葉の蒙古斑がある左手の中で、リードが緩んだ。
真夜中の東京で、出歩く人間は少ない。
特に25時を過ぎると、道を歩くのは新ジン類たちの方が多くなる。
だから、少し呼吸が楽だった。
すれ違うたびに「こんにちは」と挨拶をして、小川沿いを歩く。
こんな時間にその挨拶は変だと、昔、彼女に笑われたことがある。
でも、新ジン類同士ならこれで通じる。
もうすぐ桜並木が見えてくるはずだ。
そんなことを思いながら歩いていたら、レオが小川の方を凝視した。
これは、キラキラしたものでも見つけたな。
でも。
「冷たいから、行かない方が」
犬に日本語は通じない。
少なくとも、今のレオは好奇心が勝っていた。
四つの足が、アスファルトから階段へ移る。
このままじゃ、僕まで水に浸かりそうだ。
そう思った瞬間、体が止まる。
パッと、リードが手から離れた。
距離にして、3メートルくらいだったと思う。
レオは浅瀬の泥のあたりで、スンスンと鼻を動かしている。
……まさか、また空き瓶。
「レオ、それはダメだって」
そう注意した時には、もう咥えていた。
四角い何かを。
空き瓶じゃない。
おもちゃかな。
僕は、そう思った。
戻ってきたレオの目は、「見て見て! 褒めて!」と訴えているようだった。
「よしよし。じゃあレオ、それ僕にちょうだい」
口元に差し出した手に、レオは名残惜しそうに鼻を鳴らした。
最初に感じたのは、泥の感触。
次に、固さだった。
ぬるりとした冷たさの奥に、角ばった感触がある。
おもちゃにしては、重い。
「……なにこれ」
指先で泥を拭うと、黒い表面が出てきた。
片側に、小さなレンズみたいなものがある。
もう少し拭ってみた。
厚み的に、アクションカムではない。
おもちゃでもない。
「あれ? このメーカー名……」
不穏に思う僕とは対照的に、レオは無邪気に尻尾を振っている。
これは、持ち帰っちゃいけないな。
「レオ、交番に行こっか」
「ワン!」
「遊びに行くんじゃないからね」
言い聞かせても、レオは分かっていない顔で歩き出した。
泥のついた黒い機械をハンカチで包みながら、僕は来た道を引き返す。
桜並木は、もうすぐそこだった。
でも今夜は、見納めどころじゃなくなった。
――
最寄りの交番は、徒歩5分くらいの場所にある。
軒下の赤いランプと、足元のレオを見比べた。
なんか緊張する。
落とし物を届けるだけなのに、手の中の黒い機械が妙に重い。
……レオ、ここは遊び場じゃないんだよ。
それと、もうひとつ心配事があった。
届ける相手が保安だったら、こんなに緊張しなくていいのに。
「すみませーん」
「はい!」
中にいた若い警察官が、僕を見る。
それから、僕の右手を見た。
四葉の蒙古斑。
ほんの1秒にも満たない間だったけれど、視線がそこに止まったのは分かった。
……やっぱり、気になるよな。
保安官なら、たぶん見ても止まらない。
四葉の蒙古斑なんて、彼らにとっては珍しいものじゃないからだ。
確認はする。
でも、引っかからない。
警察官の視線は、悪意ではなかったと思う。
ただ、一瞬だけ止まった。
それだけで、こっちは分かってしまう。
けれど警察官は、すぐに表情を戻した。
「どうされました?」
「あの、落とし物を拾って。正確には、うちの犬が拾ったんですけど」
僕が足元を見ると、レオは得意げに尻尾を振った。
「ワンちゃんが?」
若い警察官の声が少しだけ柔らかくなる。
よかった。
犬は、こういう時に強い。
「これなんですけど」
ハンカチを開くと、若い警察官は一度だけ瞬きをした。
「……カメラ、ですかね」
「たぶん。僕も最初はそう思ったんですけど」
泥のついた黒い機械を、彼は直接触らなかった。
カウンターの下から薄い手袋を取り出して、それをはめる。
その動きだけで、少し空気が変わった気がした。
「どちらで拾われました?」
「橋ノ海公園の、小川の浅瀬です。桜並木の手前くらい」
「時間は?」
「えっと……3時23分くらいだと思います」
警察官は端末に何かを打ち込んだ。
レオはその間も、足元で尻尾を振っている。
自分の拾ったものが褒められていると思っているのかもしれない。
「拾ったのは、こちらのワンちゃんで間違いありませんか?」
「はい。僕は受け取っただけです」
「なるほど」
警察官はもう一度、黒い機械を見た。
さっきより、目が真面目だった。
「少々お待ちください」
そう言って、警察官は黒い機械を載せたトレーごと奥へ持っていった。
落とし物を届けただけにしては、少々が長かった。
レオが僕の膝に鼻先を押しつける。
「大丈夫。怒られてるわけじゃないから」
そう言ったけれど、本当は僕の方が少し不安だった。
たった3分が、やけに長く感じられた。
若い警察官が、もう一人の警察官を連れて戻ってきた。
ベテランっぽい。
というか、なんだか雰囲気が大ごとになっている気がする。
足元で、レオの尻尾が僕の膝に触れた。
大丈夫、大丈夫。
そう言い聞かせたのは、レオにか。
それとも、自分にか。
「夜分にすみません。少し確認させてください」
ベテランの警察官は、僕にそう言ってから、黒い機械へ視線を落とした。
若い警察官より、目が動かない。
慣れている人の目だと思った。
「これを拾った場所、もう一度詳しく教えてもらえますか」
……もう一度?
拾得物の書類を書いて、身分証を確認されて、拾った場所を地図で3回説明した。
最後には「こちらでお預かりします」と言われた。
それだけだった。
それだけだったはずなのに。
――
「なんだったんだろうね、レオ。……足、拭こう」
そう言って、普段通りに足を拭いてから、僕とレオはリビングへ移った。
結局、桜は見られなかった。
あんな気分で楽しめるわけないから、別にいいけど。
少し拗ねた気分で、テレビをつける。
『おはようございます!
4月12日、朝のニュースをお伝えします』
画面の中では、天気予報の前に、都内の交通情報が流れていた。
レオは僕の足元で丸くなって、もう眠そうにしている。
いいな。
犬は、拾ったものの意味なんて考えなくていい。
僕はソファに沈みながら、ハンカチに残った泥の匂いを思い出していた。
ああ……そろそろ寝る準備をしなきゃいけないのに。
なんだか、そんな気持ちになれない。
その時、ニュースキャスターの声が少しだけ低くなった。
『続いて、昨夜TOKYOレンガ倉庫で起きた傷害事件に関するニュースです』
「……お台場じゃん」
呟いて、なんとなく顔を上げた。
そこは、今年できたばかりの複合施設だった。
コンテナ群と飲食店の通り。
黄色い規制線が張られた夜の倉庫街が、画面に映っている。
『警視庁と保安庁によりますと、11日夜20時過ぎ、港区台場のTOKYOレンガ倉庫の敷地内で男性が倒れているのが見つかり、病院へ搬送されました。
男性は重傷ですが、命に別状はないということです』
重傷。
その言葉に、少しだけ背中が冷えた。
レオは相変わらず、足元で丸くなっている。
『現場周辺では白い軽バンが目撃されており、警視庁と保安庁の両方が、車両の行方を調べています』
白い軽バン。
手のひらの中に残っていた、泥の冷たさが蘇った。




