第18話 橋ノ海公園
「……どこで?」
『通行人の方がたまたま拾ったそうです!』
湾岸署の警官は、遠慮なくそう言った。
そんな棚からぼた餅みたいな話、あってええんか。
俺のスマートフォンを持って、代わりに応対していた堀宮の声が一段明るくなる。
「超ラッキーですね、班長!!」
こらこら。
待ちなさい。
ちょっとは警戒しなさい。
そういうものこそ、まず疑ってかかるべきなんや。
目だけでそう伝えると、助手席の堀宮は不服そうに眉を寄せた。
「あんなぁ……それが毒入りの餅かもとか考えへん?」
「拾ってくれた人まで疑うんですか?」
「……疑うんが仕事やもん」
601号車は、黄色に変わった信号の手前で静かに止まった。
堀宮が銀色のスマートフォンを俺の手元へ戻す。
俺はそれを車両のBluetoothに繋ぎ直し、通話音声をディスプレイへ回した。
ここからは、二人で聞いた方がええ。
声だけ、少し標準語へ戻す。
「すみません。今、車内スピーカーに繋ぎました。続けてください」
『はい。拾得物は、東品川三丁目の公園そばの小川で、飼い主の男性が飼い犬の散歩中に見つけたようで』
通行人いうか、散歩中の住民か。
『見つけたっていうより、ワンちゃんが拾ったみたいですけどね』
「犬……」
『その飼い主曰く、キラキラした物をよく拾ってくる子らしくて。今回は、それがドライブレコーダーだったと』
一拍置いて、警官は続けた。
『気づいた飼い主の方が、そのまま近くの交番へ届けてくれたそうです』
飼い主はビビったやろな。
犬が拾ってきたものが石でも枝でもなく、車載用の記録機器だったわけやから。
問題は、状態や。
小川に落ちていたのか。
流れてきたのか。
それとも、誰かがそこへ捨てたのか。
「へぇ、可愛いワンちゃんですね」
信号は、まだ赤のままだった。
「堀宮」
俺が問い直す前に、通話の向こうで警官が少し慌てたように続けた。
『そのレコーダーの状態ですが、本体はかなり濡れています。外装にも傷があります。ただ、完全に水没していたわけではないようです』
「完全ではない?」
『はい。飼い主の男性によると、犬は草の根元に引っかかっていたものを咥えて持ってきたようで』
「なるほど。中身の記憶媒体は?」
『……残念ながら、ありませんでした。抜かれています。ただ、本体側に一部キャッシュが残っている可能性があるため、今、解析へ回しています』
なるほどな。
拾得物ではある。
けど、綺麗な幸運とは言い切れない。
603の二人が言っていたことが本当なら、ナンバープレートを知られるのは御法度。
似た車種で、何を運ぶ気なんやろうな。
「邪魔くさくなってきたわ」
ナンバー。
ドラレコ。
同型車。
煽り運転。
繋がりそうで、まだ線にならない点ばかりが頭の中に散らばっている。
(……乗せている可能性も、ゼロやないけど)
ひとまず、今押さえるべきところを押さえる。
「その拾得者の男性の連絡先って押さえてます?」
『はい。届け出の際に』
「いつもその辺りを散歩してるんですかね。今日だけ違ったんかも確認してください。それと、これが一番知りたいんですけどぉ、小川の上流方面に防犯カメラってあります?」
拾った場所だけでは足りない。
落ちていた場所は、犯人が捨てた場所とは限らない。
けれど、入口にはなる。
堀宮の視線が、通話中の俺とディスプレイを行き来していた。
「班長、相変わらずサクサク進めますね。早い」
「早ないよ。手順や」
『分かり次第、また連絡差し上げます。では失礼します』
警官の声で通話が穏便に終わった。
ディスプレイに、通話終了の文字が表示される。
俺はBluetoothを切った。
途端に、601号車の中が静かになる。
「この後、どう動くつもりです?」
スマートフォンをしまう俺に、堀宮が問うた。
俺は前方を一瞥し、信号が青に変わるのを見てから601号車を発進させる。
「湾岸署からの連絡待ちなのは当然として、まずは拾得場所を明らかにせんと。犬の拾ったところが、そのまんま捨てた場所とは限らへんやろ」
川なら、どんぶらこと流れてきた可能性もある。
逆に、草が生い茂っているから見つかるまいと投げた可能性もある。
「拾った場所だけ見ても足らん。上流と、道路と、車を停められる場所。そこまで見て初めて、“捨てた場所かもしれへん”になる」
「……拾得場所って、ゴールじゃなくて入口なんですね」
「せやな。犬が入口見つけてくれたわ」
「ワンちゃん優秀ですね」
「……届けた飼い主もファインプレーや」
そういうことで、巡視しつつ東品川三丁目へ向かう。
俺は、京急本線の立会川駅周辺を流していたネイビーブルーを左折させた。
「堀宮、ウォッチの地図出せる?」
「はい」
堀宮がスマートウォッチを操作すると、地図が車両のディスプレイへ反映された。
「小川って……ここですかね?」
東品川三丁目周辺。
運河へ流れ込む細い水路と、公園らしい緑地がいくつか表示される。
「うーん、公園そばの小川だとぉ……三つくらい候補がありますね」
「そやな。拾得者の詳しい住所はまだ湾岸署から折り返し来てへんからなぁ。でも、散歩コースなら自宅から近いとも限らんし」
「犬って、毎日同じ道を行くとは限らないですもんね」
「そう。飼い主が決める場合もあるし、犬が行きたがる方に行く場合もあるし」
俺は普通に言ったつもりだった。
けれど、堀宮が少しだけこちらを見る。
「……班長、詳しいですね」
「そうか? 普通ちゃう?」
瞬きしながら返すと、堀宮は「普通……ですかね」と曖昧に笑った。
「犬、飼ってました?」
「実家な。……ええから地図を見なさい」
堀宮が何か察した顔をした。
班長、犬好きなんだ。
そんな目線に、俺は気づかないフリをした。
その時、見覚えのある番号から着信が入る。
拾得者の件やな。
俺は車両を路肩に寄せた。
「もしもし、岡本です。拾得者の件ですか。はい」
堀宮がすぐにメモ帳を開き、ボールペンを構える。
『いつもの散歩ルートからの寄り道だったようです。場所は、橋ノ海公園。交番へ届けられたのが午前3時半ごろです』
堀宮のペンが走る。
散歩コース:いつもは別ルート
今回は寄り道
場所:橋ノ海公園・小川
拾得時刻:午前3時半より前
交番届出:午前3時半ごろ
俺はそれらを横目で確認しながら、寄り道した理由を聞いた。
『いつもは別の散歩ルートなんですが、今日は犬が急に橋ノ海公園の方へ行きたがったそうです。飼い主の方は、たまにはいいかと思って付いていったと』
犬が行きたがった。
匂いか。
光か。
それとも、水音に混じった何かか。
いずれにしても、飼い主の男性が選んだ寄り道ではない。
なら、拾得者側の作為は薄い。
「犬が咥えてきた正確な場所は? 飼い主さん、見てました?」
『小川沿いの草むらです。橋から見て上流側ですね』
大体の状況が掴めてきた。
「連絡ありがとうございます。失礼します」
通話を切り、俺は堀宮を見る。
「ってことやから、橋ノ海公園に行くで」
「はい!」
――
午前4時46分。
橋ノ海公園。
東品川三丁目の北側にあるその公園は、運河沿いの静かな水辺に面していた。
船着場のある水面が、午前5時前の薄明かりを受けて、まだ眠たそうに揺れている。
そこから脇へ入ると、遊歩道沿いに細い小川が流れていた。
……ここか。
綺麗な場所やな、と思った。
けど、こういう場所ほど、夜は物を捨てやすい。
朝になれば、散歩の人が来る。
釣り人もいる。
通勤前に歩く者もいる。
けれど、午前3時台なら別や。
水音が小さな音を消す。
草むらが小さな物を隠す。
人目の少なさと、見つかりにくさ。
その二つが、都合よく重なっている。
「……少し選んでる感じあるな」
周辺を目視していた堀宮が、その呟きに反応する。
「選んでる?」
「あぁ」
俺は小川へ視線を落とした。
「適当に放ったにしちゃ、ここは場所が良すぎるわ」
「良すぎる、ですか?」
「そう。良すぎ。ドラレコを完全に消したいなら、もっと雑にできる」
俺は橋と、小川沿いの草むらを順に見た。
「道路脇のゴミ箱でも、目の前の運河でもええわけよ。
けど、持ち去った奴はそのどれも選ばず、ここにした」
「……ここにする理由があった?」
「水に濡らしたい。けど、流れすぎても困る。人目につきにくくて、車を短時間停められて、なおかつ手を汚さんと放れる場所。そういう条件で探したら、この場所になるんとちゃうかな」
「確かに午前3時台なら、この近辺って人目がグッと減りますもんね」
「そうそう。せやけど、人目が減るだけなら他でも構わへんし」
「ワン!」
「「ん?」」
二人揃って顔を上げた。
「レオっ、夜廻りさん達がびっくりしちゃうでしょ!」
リードを引く左手の甲に、四葉の蒙古斑が見えた。
拾得者の男性か。
橋の街灯が、スポーツキャップを被った男性の姿と、その足元にいるチョコ色のラブラドール・レトリバーを浮かび上がらせている。
ラブラドールなら、そら拾ってくるわ。
そう思ったが、保安官としての仕事へ意識を戻す。
「すみません。東京保安の岡本です。
先ほどの拾得物の件で」
「あ、はい。交番に届けた者です。すみません、レオが吠えて」
「いえ。届けていただいて助かりました……もしかして、散歩の続きでしたか?」
「あ。いいえっ、交番に届けたあと……少し落ち着かなくて。ちょっと気になって確認しに戻ってきた感じです」
「あぁ、そうでしたか」
名刺を渡す。
その下で、レオと呼ばれた犬が尻尾をぱたぱたと振っていた。
湿った鼻先が、俺の靴先を少しだけ嗅ぐ。
「レオ」
飼い主の男性が、小さくリードを引いた。
「すみません。人が好きで」
「いえ」
そう返しながら、俺は視線を小川へ戻す。
「確認だけさせてください。レオくんが咥えてきたのは、あちらの草むらで間違いないですか」
「はい。確かにあそこだったと思います。ここの小川は、向こうから桜並木で……」
説明しながら、男性が一瞬だけ上流側を振り返った。
「散る前に見納めしとこうと。ただ、レオがドラレコを見つけたから、結局はなしになりましたけど」
堀宮が、ほんの少しだけこちらを見た。
見るな。
「先に草むらへ行った感じですか。それとも、何か光って見えました?」
「僕は光ったのは見てないです。レオが急にぐいっと草むらの方へ行って……」
男性はリードを持つ手で、小川沿いの草むらを示した。
「それで、何か咥えて戻ってきたんです。この子、キラキラした物が好きで。だから普段みたいに石でも拾ってきたのかなって思ったんです」
「……けど、それはドラレコだったと」
「はい」
次に聞くべきは距離やな。
「咥えてから、ここまでどれくらい移動しました?」
「ほんの数メートルです。僕がこの辺りにいて、レオがあそこへ行って……3メートルくらいかなぁ」
堀宮のメモ帳が捲れる音がした。
「ドラレコは水に浸かってました? それとも草の上に乗ってました?」
「どうでしょう。あの時は、レオの方ばっかり見ていたので、ドラレコ自体がどうだったかまでは。
でも、受け取った時には、だいぶ濡れていました。
泥も付いていて……レオが鼻でつついて、咥えた感じです」
濡れと泥。
それに、鼻でつついた。
乾いた草の上ではない。
少なくとも、水際か泥のある根元にあったと見ていい。
「レオくんが鼻を入れたのは、草の根元の水際ですか?」
俺の問いに、飼い主は記憶を辿るように少し上を見る。
「ええ。ちょうど水が溜まっているところです。草の下に入り込んでいたみたいで」
俺はひとつ頷き、最後の質問へ移った。
「その時、またはその前後でも構わないんですが、人や車の影って見ましたか?」
「うーん、すみません。レオに気を取られていて、人や車がどうだったかは……エンジン音も聞かなかった気がします」
「分かりました。謝らなくても十分です。ご協力ありがとうございました」
そう言って頭を下げた時、レオがもう一度だけ尻尾を振った。
……賢い子やな。
そう思っただけで、口には出さない。
「堀宮」
去っていく男性とレオの後ろ姿を見送りながら、俺はバディを呼んだ。
「はい。水際、泥付き、草の根元ですね」
「せや。次は……そこへ、どう入ったかや」




