第16話 白い軽バン
「ーー私は運転席のあるフロントだけを覚えてて、廣目は被害者が運転してた車のバックのナンバーを覚えてた。
だから、お互いに記憶してた車が違ってたんじゃないかって」
当番勤務、後発組の休憩時間。
そう説明すると、煮え立つ深型フライパンの前に立つ快君が眉を寄せた。
「そんなこと、あり得ます?」
懐疑的な声。
その瞬間、不意にキッチンタイマーが鳴った。
「あっ、はいはい!」
タイマーを止めた快君が、深型フライパンの柄を握る。
「じゃ毘乃木先輩、ザル押さえててくださいね!」
(マジで?)
思わず一歩引く。
(マジで……この23時にうどんの湯切りする気!?)
次の瞬間。
ザバァーッ!!
勢いよく湯がシンクへ流れ落ちた。
一気に立ち上る湯気。
(……まぁ、腹が減っては戦はできぬって言うし)
「その夜食根性が凄い……熱っ!」
「先輩、湯切りは気をつけないと!
はいっ、皆さーん!! できましたよ〜!!!
だしは麺つゆと白だし、自分で割って作ってくださいねぇ〜」
「「「「はーい!」」」」
休憩室に広がる返事。
気配を察知した隊員達が、ぞろぞろと入ってくる。
「今日のうどん何ー?」
「讃岐ですね。あ、天かすありますよ!」
「おっ、やった。長ネギあるじゃん。当たり日〜!」
用意していたお椀と割り箸が、次々と減っていく。
そのうちのひとつを、岡本先輩が手に取った。
「堀宮の『あり得ます?』、実はあり得るかもしれへんわ」
((((え?))))
ほんの少し、休憩室の空気が変わる。
「……どうしてですか?」
岡本先輩の次に讃岐うどんを取ろうとしていた快君が首を傾げた。
「ほら、車ってマイナーチェンジとかで旧型と新型あるやん?
せやから、毘乃木と廣目が見たもんが、色は同じでも実は別の車やったって不思議やないねん」
ネギを掴みながら続ける。
「しかもこちとら、車内は無線やら会話やらで忙しいし。ネギいる?」
「ほしいです。あ〜、なるほど。
確かに僕達って、前見ながら周囲も注意しなきゃですし、バディとのコミュニケーションもしてるから……ズレるの自然ですね〜。
毘乃木先輩、つゆどっちですか?」
「……めんつゆ」
((((なるほど……))))
微かに空気が休憩へ戻った。
三人並んで席に着く。
手を合わせ、割り箸を割る。
でもーー私は考えてしまっていた。
603号車を煽った、あの白い車。
あれが、偽造ナンバーだったかもしれないことを。
⸻
「そうだ。ドラレコって、やっぱり持ち去られたんですかね……毘乃木先輩達、車内チェックしたんでしょう?」
皆がぼちぼち食べ終え、解散ムードになった頃。
片付けをしながら堀宮が聞いてきた。
まだ水を飲んでいた私は頷く。
「……うん。したんだけどね……」
思い起こされるのは、約二時間半前ーー。
⸻
「アタシ、ミスったってこと!?」
「ううん。そうじゃない。
恐らく、お互いに記憶の食い違いってだけ……見つけたからには、車内チェックしてみよう」
黒いウエストポーチから白手袋を引っ張り出す。
「失礼します」
断って助手席ドアへ手をかけた。
まず飛び込んできたのは、運転席側の灰色シートへ付着した血痕。
(そこで膝ついたのか……とすると、ダッシュボードに用?)
視線を動かす。
だが。
(……ハズレ。配達用の手袋に、法人の給油カードしかない)
後部座席を見る。
全部倒され、配達品置場になっていた。
「……廣目、グローブボックス見て」
「OK〜……んー、車検証? だけだね」
そっか。
じゃあ、何を取った。
膝をつくほど必死に、何を。
「あ」
正面。
スマートルームミラーの少し後ろ。
配線。
その先に、本来あるはずのーー。
「ドライブレコーダーがない」
「「確信犯じゃん」」
⸻
ーーピチョン
隣の給湯室から、水滴の落ちる音。
休憩室には、向かい合って座る私と快君しかいない。
「それは……余程見られたくない何かがあったか、映ったか」
その言葉に頷く。
「もしくは、その両方か」
こればっかりは、警察の車両解析待ち。
時計を見る。
24時36分。
(……いい加減、仮眠行こ)
席を立つ。
「電気、消しますね」
「うん」
⸻
午前一時過ぎ。
ラジオの流れる車内。
「〜♪ ……あ?」
男はハザードランプを焚いた。
路肩へ停車する白い軽バン。
ナンバープレートは《千葉 え 94-63》。
男はディスプレイオーディオへ触れる。
「ーー先日はどーも! 使えそうです?
そりゃあよかった……運んだ甲斐ありますよ!」
軽い笑い。
「あ〜……それね。ま、なんとか。正直、焦りましたけどね」
一拍。
「分かりゃしないですって。たかが人間。今頃、病院じゃないですか」
そう言って、少し身を乗り出した。
街灯が頬を照らす。
右頬。
そこに浮かぶ、四葉の蒙古斑。
「えぇ、ええ。気をつけますよ……特に保安とかいう“猫のよまわりさん”には。
あのナンバープレート、もう使うのやめた方がいいですね。目ざといから」
男が助手席を見る。
そのシートには、一枚のナンバープレートとドライブレコーダーが置かれていた。
⸻
『東京湾岸警察署から連絡あったぞ。《江東 お 12-58》は間違いなく石母田憲和ーー【WASHINO’Transport】、ワシノ運輸の登録配送車だそうだ』
情報捜査室リーダー・月城ひふみの声がリフレインする。
私は603号車へ乗り込み、慣れた手つきでエンジンをかけた。
でも、そのリフレインが止まらない。
だから。
助手席へ廣目が乗り込んできたことに気づかなかった。
「毘乃木さん?」
ビクッ。
肩が跳ねた。
(……久々)
新人時代で治ったと思っていた、この反応。
「……え。ご、ごめん」
「いや、別に驚かすつもりじゃ……」
廣目の声が少しだけ弱くなる。
私はエンジン音へ意識を逃がした。
「……ちょっと考え事を」
「ふぅん?」
納得してない声。
視界の端で、サーモンピンクがこちらを見る。
「毘乃木さんって、たまーにそういう反応するよね」
心臓が一拍だけズレた。
咄嗟に視線をフロントガラスの向こうへ逃がす。
……真正面。
601号車。
(大丈夫。岡本先輩こっち見てないし……うん。
バレてない。そう。きっとバレてない)
「密行第二弾、行こうね。仕事……仕事しないと」
独り言みたいに呟きながら、機器を指差し確認。
マイクを取る。
「ーー司令センター、どうぞ」
再び夜が廻る。
⸻
東京都品川区東品川。
「「「ご迷惑おかけしました……」」」
頭を下げる大学生グループ。
その横には、緊急車両で保護していた酔っ払いの女の子。
廣目が私の隣へ並ぶ。
この子は酒に呑まれ、横断歩道脇で熟睡していた。
通報を受けて来てみれば、「友達がいるはず」と言う。
その友達を、一緒に探したのだ。
「ちゃんとご自宅へ帰ってくださいね」
「はぁい。
マジすみませんでした……シュシュの夜廻りさんの言う通り、ちゃーんと帰りますっ!」
そう呼ばれた私は、彼女達を見回した。
明らかに酔いが残っている。
足元が少し揺れている。
焦点もまだ甘い。
(……いくら友達と一緒とはいえ)
「んじゃ帰りまーす!! バイバーイ」
右隣の廣目がつられて手を振る。
「気をつけて! 前見てね、前!!」
「「「「はーい!」」」」
しばらく見送る。
……あ、転けそう。
「やっぱ、新馬場駅まで送ってあげればよかったかな?」
廣目が小さく呟く。
私も同感。
でも。
(いや、本人の意思が最優先だから)
そう考え直し、運転席へ向かうため車道側へ出た。
その瞬間。
『ブロロロロー……ッ』
震えるような重低音。
(TOKYOレンガ倉庫……同じっ!)
思わず顔を上げた。
黒い夜道を、低いエンジン音が滑る。
普通の軽バンには珍しい、腹へ響くような振動。
白い車体。
背後の交差点をサッと左折していく。
異変を察した廣目がナンバープレートを見る。
ーー《千葉 え 94-63》。
「ん〜、毘乃木さん。どっか気になりました?」
「……エンジン音」
私だけが、その白を目で追う。
「そう? 普通でしたけどね?」
首を傾げる廣目が先に助手席へ乗り込む。
瞬きして、私も運転席へ乗り込んだ。
もしかしたら。
そう思った。
でも。
『沙与の耳はきっと正しいで。けど、それだけを信じ続けるんは良ぉない』
リンクキャンディを噛む音。
元バディの声。
薄緑の瞳。
直感は時に、証拠にならない。
⸻
603号車 車内。
エンジン始動。
廣目がシートベルトを締める音。
発進しようとサイドブレーキへ手をかけた瞬間、私の水色スマートフォンが鳴った。
(……月城さん?)
月城ひふみ。
情報のスペシャリストであり、私達後輩にとっての大先輩。
通話越しに、ポテトチップスを食べる音がした。
『ごめんな。今ちょっといいか?』
「はい」
パリ。
『沙与ちゃん、寝る前に情報捜査室で「偽造ナンバーじゃないか」ってボヤいてただろ?』
「……はい」
『オレも気になって、その被害者が走ってた時間帯の国道357号線ライブカメラ引っ張ってみた……そしたら、同じナンバーが二台走ってる。
完全にもう一台は偽造だ』
背筋が冷える。
「……それって、被害者の石母田憲和かどうか分かりますか?」
パリパリ。
『うーん。それはちとムズいなぁ。まぁ、東京湾岸警察署に確認してもらうことはできる』
「……そう、ですか」
『いくらオレが“魔女”って呼ばれてても……正真正銘か否かまでは判断しかねるぜ。
ただ、そのどっちもが煽り運転のクソ野郎なのは間違いないな』
私は顔を上げた。
引っかかる。
「どっちも、ですか?」
『ん?』
……パリ。
「だから、マルヒの石母田が煽ってるなら分かりますけど……もう一台もなんですか?」
『おう。こっちもかなりエグいぞ……交通課への通報履歴見てるが』
(……通報履歴って秘匿じゃ。聞かなかったことにしよ)
『つまり……ここ最近の《江東 お 12-58》の煽り運転は、偽造と正規の二台がやったことだ』
一拍。
『本来、会っちゃいけない車同士が国道で出会ったのが、今宵の事件の始まりってことになる』
マルヒ
被疑者のこと




