第二章9「生活は変わらない」
全面的に自己責任でお願いします。
休日の朝だった。
優守は目覚ましが鳴る前に目を覚ました。
カーテンを開ける。
天気は晴れ。
窓から差し込む光が部屋を明るく照らしていた。
「ええ天気やな」
そう呟きながら軽くストレッチをする。
朝食を済ませたら、スポーツバッグを持って家を出る。
向かう先は会員制のスポーツクラブだ。痩せたあともずっと通っている。
ただし、通う頻度は以前より増えていた。
(仕事辞めてから、時間あれば来てるもんな〜)
受付で会員証を見せる。
顔見知りになったスタッフが軽く頭を下げた。
「おはようございます」
「おはようございます」
挨拶を返しながら更衣室へ向かう。
まずはジム。
ランニングマシン。
筋力トレーニング。
ストレッチ。
無理はしない。
健康維持が目的だ。
それでも一時間ほど体を動かすと心地よい汗が流れた。
その後はプールへ向かう。
水の中をゆっくり泳ぐ。
昔は運動なんて嫌いだった。
仕事が忙しいことを理由に避けていた。
だが今は違う。
体の調子が良い方が生活そのものが楽になる。
それを知ってしまった。
泳ぎ終わった後、体重計に乗る。
数字はほぼ理想通りだった。
「よし。維持できてるな」
無理な減量はしていない。だが四十代半ばにしては悪くない状態だと思う。
一時は糖尿に肥満、高コレステロールにと役満状態だった頃を思い出す。
(チートのおかげで始めたが、今では自分から通っているし、料理にも気をつけてるからばっちりや)
トレーナーが近づいてきた。
「本堂さん、また体脂肪率下がりましたね」
「そうですか?」
「かなり良い数値ですよ」
「前はキツかったことが、この年でできて、なんだか楽しくて。今は健康維持程度でええんですけど」
「それが一番です。楽しめば続きます。健康維持がなかなか普通は難しいんですよ」
トレーナーは笑った。
優守も少し笑う。
確かにその通りだった。
若返ろうと思っているわけではない。
ただ健康でいたいだけだ。
自分の体を自由に動かせる。
そのことが楽しくて仕方ないのだ。
ジムを出た後は、予約していたマッサージへ向かった。
肩や腰のケアを受ける。
さらに別の日にはメンズクリニックにも通っている。
健康診断。
肌のケア。
なんならネイルケアや体の脱毛にも行った。
年齢とともに必要になる各種のメンテナンス。
以前は必要ないと思っていた肌ケアも、正直高いと感じていた。
でも今は違う。
自分が必要だと思うものには金を使うし、目立たないところに力を入れている。
高級車は買わない。
豪邸も買わない。
ブランド品も興味がない。
だが健康には金を使うし、靴や時計など、見る人が見れば手入れしてますねと言われる部分に金を使う。
優守にとっては、その方がよほど価値があった。
(結局、金で買えるもんの中で一番コスパええのは健康やと思うんよな。まぁチートのおかげで怪我とかには強いが、気にしておいて悪くない年齢やしな)
昼過ぎ。
スマホに通知が入る。
元職場の友人からだった。
『今日飲まへん?』
短いメッセージ。
(めずらしい。今日はもう予定もないし飲みに行くかな)
優守は少し考えた後、了承の返信を送った。
夕方。
駅前の居酒屋。
仕事帰りの客で賑わっていた。
個室に入ると、三人の友人が既に席についていた。
「おう、本堂」
「久しぶりやな」
「相変わらず元気そうやな」
優守も席に座る。
乾杯が終わり、しばらく他愛のない話が続いた。
仕事の愚痴。
上司の話。
人事異動の噂。
懐かしい会社の話。
そんな中、一人が優守の顔を見ながら言った。
「お前さ」
「ん?」
「若返ってへん?」
優守は苦笑した。
またその話かと思う。
別の友人も頷く。
「それ俺も思った」
「肌ちゃう?」
「なんか疲れた顔せんようになったよな」
優守はビールを飲みながら答える。
「ジム行ってるだけや。それにやっぱり、誰にも気を使わんでいいのはええわ」
「それはそうやろうが、ジムだけは絶対それだけちゃうやろ」
「いや、ほんまや」
「彼女でもできた?」
「おらん」
「じゃあ何やねん」
「知らんがな」
全員が笑った。
実際のところ、健康管理の効果は大きいし、エステやらなんやらには行ってる。
でも別に言う必要はないやろ。
宝くじ当選後に急激に変わったわけではない。
会社を辞める少し前から、少しずつ変わり始めていた。
そう、あの地震からだ。
だから周囲から見ても違和感が少ないのだろう。
急に高級時計を付け始めたわけでもない。
(前よりは良いものだが、普通の四十代がつけられる金額のもんやしな。少し奮発した程度の金額のものやし)
急に外車に乗り始めたわけでもない。
(今使ってるのは親が乗りやすいファミリーワゴンだし、今日はもちろん電車だ)
変化は緩やかだ。
だから友人たちも気づかない。
友人が話題を変える。
「そういや独立どうなん?」
「ぼちぼちやな。それなりにやってる。顧客もついたしありがたいことや」
「儲かってるんか?」
「まあ普通に生活できる程度にはな」
「ええなぁ」
羨ましそうな声が上がる。
優守は苦笑した。
「実際やることは帳簿ばっかりやで。まあ、ストレスが無いだけええけどな」
「夢ないな。ストレスないのは羨ましいけど」
「現実、そんなもんや」
「もっとこう、自由になったー! みたいなん無いん?」
「無いこともないがな。全部自己責任になるし、計算ごとを経理にまわすなんてこともできんしな」
「そらそうか。俺にはできん」
また笑いが起きる。
だが優守自身は嘘を言っていなかった。
自由になった。
確かにそうだ。
だが自由になったからといって毎日遊んでいるわけではない。
帳簿を付ける。
教材を作る。
講座をする。
取引を管理する。
やっていることは案外地味だった。
数時間後。
飲み会はお開きになった。
駅へ向かう夜道を歩く。
酔いはほとんどない。
風が少し気持ち良かった。
高級車なんていらない。
豪邸もいらない。
ブランド品にも興味はない。
だからといって金を使わないわけでもない。
健康には使う。
学びにも使う。
快適さにも使う。
自分磨きにも使う。
それで十分だった。
(これでええんやろな。正直、自分にはこの生活が向いてるんや)
自然とそんな考えが浮かぶ。
若い頃なら違ったかもしれない。
もっと派手な物を欲しがったかもしれない。
だが今は違う。
欲しいのは安心して暮らせる毎日だった。
駅前の信号が青に変わる。
優守はゆっくりと歩き出した。
生活はそれほど変わらない。
少なくとも他人から見ればそう見えるだろう。
だが、その変わらない生活を自分で選べるようになった。
それだけは、昔とは確かに違っていた。
読み終わってのクレームは、お止めください。
自己責任です。




