4の十 バトル勃発
授業が始まるには二時間ほど早い朝の時間。
静寂に包まれた特別寮に、ふんふんふん〜という調子外れな声が響く。
「ひっさびさに気分がいいな〜」
機嫌よさそうに歌うフェルを見てライラがニマニマと笑う。にやけ切った顔を見るに、フェルに負けずライラのテンションも高そうだ。
この日のライラはーーーというか、ライラの服装パターンはデニスとミシェーラにより決められており、ジョシュアに会う予定の今日は「綺麗め意識コーデ」とのことで、学校指定の黒マントにデニスのお下がりであるシンプルな青のニット、黒革のパンツを合わせている。
父親の形見のサークルストーンとネームジュエリーのついたチョーカーと腕輪も装備済みだ。
早朝にも関わらず、隙がない。見た目だけなら王族の側近として十分見れる格好である。
ーーー服装装飾品全てが貰い物であり、起床後三十分ほどは布団から出ようとしないせいで、着替えさせているのまで使役獣であるフェル…と、本人の意思が皆無なのだが、周りにそんなことはわからない。
魔法使いに舐められがちなライラを想う友人たちの愛情の現れだ。ーーー黒竜と王族しか見えていない本人に伝わっているのかはいまいち怪しそうだが。
ライラは特別寮の廊下でシリルが起き出してくるのを待っているところだった。
これから一緒にシャロンの所へと向かうつもりなのである。
「ジョシュア様に言われちゃったから授業に遅れてもシャロンのところにいくしかないよねえ。フェルのことも治してくれたし。ホント、サイコーだよ。うへへへへへ。」
気味の悪い笑い方をするライラ。頭上を上機嫌で高速旋回するフェル。
ぐるぐると回り続けるフェルのせいで、ライラのくせのない銀毛がふわふわと風邪に煽られている。
そんなライラとフェルの上機嫌さは早朝の静かな特別寮の廊下では異質なもので。
十分ほど前「寝過ぎた…朝練遅刻じゃん!」と叫びながら早足で通り過ぎようとしたジョージがギョッとした顔になり、思わず足を止めていたほどだ。
「いっつも感情忘れてきましたみたいな無表情なのに…気味悪い笑い方してどうした!頭でも打ったか?」
「ジョシュア様に言われちゃったから授業遅れるんだあ。うへへへへ。」
「(でた、これがデニスの言ってる王族絡むとアホになる病か)そーか!頑張れよ。」
ジョージの呆れ顔に気がつかないくらいにライラは浮かれている。
ライラだけでなくフェルが上機嫌なのにもきちんと理由があった。
フェルはここ最近、ぐったりとライラのポケットで眠っていることが多かった。
昨日、ライラと会話していた際にジョシュアがフェルの不調にも気が付き、診てくれたのだ。
医学の心得がないとライラの病状に関してはサジを投げているジョシュアだが、フェルの不調の原因には見当がついたらしい。
珍しくわかりやすく不機嫌そうな顔になったジョシュアを見て、ライラはオロオロとしていた。
「これはヤナの魔力だな。ーーーライラ、フェルとヤナを近づけさせないほうがいい。フェルの純度の高い黄色の魔力とヤナの呪いの固有魔法は非常に相性が悪い。」
そう言いながら、ジョシュアはフェルに手をかざして黒の魔法を使っていた。
ライラの目にもジョシュアの黒魔力が動いたのがはっきりとわかったのだ。
フェルはヨタヨタと力なく中に浮いていたのだがーーージョシュアはフェルから何かを引き摺り出すような動作を後で、閉じていた瞳をパチリと開いた。
「復活!」
ぴゅっと飛び出てライラの頭上を嬉しそうに旋回したあとーーージョシュアの方へと飛んで行った。
「ジョシュアありがとう!ヤナの魔力を無効化してくれたんだね。ーーーでも、ライラを責めないで。ライラだって当然気づいてる、シリルにも何度も言ってるのに全然聞き入れてくれないんだ。」
フェルの抗議にーーージョシュアが「やはり厄介ごとか」と渋い顔になった。
「学生というのは非常に厄介なんだ。大人が介入しづらい。留学生だけに使役獣を連れるななどといえば確実にプロイセンから抗議が来る。」
眉間にシワを寄せたジョシュア。
ライラはこんな時だが、「シリルがいるとジョシュアさまは随分と感情豊かになるな」と考えていた。
フェルは「ボクがペガサスに遅れを取るなんて」と非常に悔しそうだ。
「ライラの魔力の乱れがひどくなってきているからな。パスが繋がってるフェルにも多少弱体化しているのだろう。ーーーわたしのところに来れば無効化してやる。定期的に見せにきなさい。」
ジョシュアはそう言って、ポンとライラの頭に手をおいた。
ライラは驚きで固まっている。
「返事。」
溢れそうなほどに目を見開いているライラを、ジョシュアが見下ろす。
いつも通りなんの感情もうつさないように見えるジョシュアの黒の瞳が、ライラにはとても優しいものに見えた。
はい、とライラがうなずいた後で…フェルが「でも大丈夫?」とジョシュアの前をくるくると回った。
「黒の子って、黒魔法使うのにかなり消耗するんでしょう?パーシヴァルもよくそのせいで寝込んでるよ。」
フェルがこの発言をしたとき。
ライラとジョシュアの会話が聞こえる位置で見守っていたデニスやレイモンドなどはそっと隣のパーシヴァルへと視線を向けた。
自然と視線を集める形となったパーシヴァルはジョシュアを睨みつけ、余計なお世話だと言わんばかりの渋い顔だ。
そんなフェルの懸念にもーーージョシュアは「わたしは黒魔法との親和性が高いから大丈夫だ」と何でもないことのように返す。
正確には「迷子」の一件のように精神的なリバウンドはあるのだが…ジョシュアは他者を守るためであれば自分を犠牲にすることは厭わない。
それが彼の生き様であり、パーフェクトプリンスなどという呼ばれ方をする要因なのだろう。
ここでようやくジョシュアの手がライラから外れた。
解放されたライラがふらっとよろめき、慌てて駆け寄ってきたデニスに支えられていた。
「これは、夢…?」と呟きながら頭を両手で押さえている。
「心配したけど、普通に元気そうだな…。」とデニスは呆れ顔だ。
ジョシュアはすでにライラから興味を失ったようだ。
フェルと、レイモンドに寄りかかっているパーシヴァルを見ながらキッパリと言う。
「少し使うだけで消耗する段階はもう過ぎている。破壊衝動は如何ともし難いが…。ーーーパーシヴァルもいずれはそうなるだろうがな。」
ジョシュアの瞳は真っ直ぐで揺らぎがない。
フェルは満足そうに舌をちらつかせている。
「やっぱジョシュアはいいわ。もっと黒に愛されるように頑張って。」
「言われなくてもそのつもりだ。」
ーーージョシュアとパーシヴァルの掛け合いを思い出してライラが一人でにやけていると、「リン」というおなじみになっている鈴のような音がしてシリルが現れた。
レースのついた真っ赤なパーカーを羽織っているシリルを見て、ライラがにやけるのをやめた。
「女王」が会いにきてたのかな?と思いながら、ライラが「また断りもなく抜け出したのね」とため息をつく。
「せめて部屋から出てきてよ…今更だけどさ、わたし一応シリルを見張ってろって言われてるわけよ。」
ライラが苦言を呈すもーーーシリルは「次からは覚えてたら気をつける」などと適当な返事をしている。
シリルの表情は明るい。小さくなった姿のシリルは、女王と体格が似るのだろう。
明らかに女物のパーカーの袖をちょいちょいと引っ張ったりして…先ほどのライラに負けず劣らず機嫌が良さそうだ。
本人は口元をへの字にしてみたりして、必死に隠そうとしているようなのだが…あまりうまくいっていなかった。
「陛下を送ってきてた。自室経由するのが面倒でーーー」
「なんか着せられたんだけど」と満更でもなさそうな顔で言うシリルに「はいはい」と雑な返事をライラが返す。
フェルは少し驚いたような声色で言った。
「シリルって魔力量どうなってるの?人間二人で隣の国を往復してきたってことでしょ?」
フェルの指摘にーーーシリルが得意げに胸を張る。
「俺、魔力量は人一倍あんだよ。ーーーあと、転移魔法はなんというかしっくりくる?…たぶんフェルが浮遊魔法使う感覚。」
このシリルの説明はライラにはさっぱりだったのだが、フェルには非常に納得がいくものだったらしい。
「なるほどね」と舌をちらつかせた後…じっとシリルを見た。
「空間系に適性がある生き物は本当に少ないのに、さらに制限もほとんどないとかーーー赤竜もいい仕事するね。ジョシュアばりの才能じゃん。」
素直な称賛に、シリルは「グッ」と呻き声を上げて黙り込んでいた。
恥ずかしかったらしい。
会話しつつもプレート停車場へと移動したライラたちはーーーばったりと朝練のロードワーク中のクリケット部員と鉢合わせた。
「うわあ、ジーゴプレートだあ!」とロードワークそっちのけでプレートへと群がってきたクリケット部の部員たち。
ゲッという顔になったライラとシリル。
「大人しく朝練してろよ…ほら、原っぱへお帰り。」
シッシとライラが手をふるも、彼らは「いいじゃないっすか!カッケー!」などと言って取り合わない。「話を聞かねえ、これだから陽キャは嫌いなんだ」ーーなどと文句を零すシリルも戦力外だ。
元気有り余るクリケット部員たちの羨望の眼差しにライラがぐったりしてきたところで、パーシヴァルとレイモンドが通りかかった。
「お前ら、ずいぶん早く出ただろ。ーーーこんなとこで何してんだ?」
…パーシヴァルは恐れられている。ライラが何を言っても立ち去る気配のなかった部員たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。
ぐったりとしながらも、ほっとしたようにお礼を言う二人を見て…事情を察したらしいパーシヴァルとレイモンドが呆れ顔で見送ってくれた。
シリルは気がつかない振りをする。
自然にライラを抱え上げたシリルにレイモンドが驚いた顔をしたことに。
パーシヴァルがニヤリと笑っていたことに。
ようやく走り出したプレート。
シリルは片手でプレートへと魔力を流しながらーーーシリルの出したクッションに頭を預け、ぐったりと横たわっているライラへと視線を向けた。
ーーー熱が上がってんな。…あんな奴らに構うから。
熱があっても一つ一つクリケット部の後輩の質問に答えてやっていたお人好しなライラに内心呆れつつも…嫌いじゃないなと思ってしまうシリル。
「黒竜さまを助けるんだ」と曇りない目で語るこのニュートは…黒竜だけでなく基本的に誰にでも優しい。本人は認めないだろうが。
ーーー周りの前に自分をもう少しでいいから大事にしろよ。なんて、俺にいう資格はない、か。
シリルは行き場のない罪悪感を感じながらも、プレートを図書館棟横に駐車する。
片手でライラを抱え上げるシリル。
どこへ行っても人目を引く二人はここでも注目を集めていた。
しかし、好奇心の込められた視線を全て無視してシリルは図書館棟へと向かう。
フェルに先導され、シリルは図書館等の裏口へと続く階段を上がっていった。
ーーー俺に抱えられて寝れるって…コイツの危機管理能力はどうなってんだよ。
内心悪態をつきながらもーーーうとうととしているライラを見てシリルが優しげな顔になっていた。
なるべく揺れないように足を進めるシリル。
フェルが器用にノックをして、慣れた様子で扉を開けた。
見慣れた真っ白な部屋から薬品の香りがしーーーシャロンと目があったシリル。
視線があった刹那、二人の間に緊張感が走る。
ーーーコイツ、出来る。
シリルが無意識のうちに空間から魔法剣を取り出すのと、シャロンが壁際に立てかけられた剣へと手をかけるのは同時だった。
お互いに油断なく睨み合ったままーーー先にシリルが口を開く。
「ーーーコイツを寝かせても?」
シリルの問いにシャロンは無言で奥に置かれた寝台を指差した。
シリルは一つうなずくとーーーシャロンから視線を外し、シャロンへと背中を向けた。
シャロンはその行動を意外に思った。
ライラを横たえるシリルの動作が、まるで壊れ物を扱うような丁寧さを含んでいたことも。
シリルがふわりと布団をかけたあたりでライラがうっすらと目を開けた。
「ありがと」「寝てろ」
ーーーそんな優しいやりとりが行われる。
だからライラは知らない。
無言で視線を交わし合い、外に出たシリルとシャロン。
シャロンの方へと向き直り、自身の剣に手をかけたシリルがどんな顔をしていたのかも。
シリルが次に使った魔法がどれくらいシャロンを怒らせたのかも。
うつらうつらし始めたライラ。
しかし、次の瞬間…
ーーーバチバチバチィ!
巨大な魔力のぶつかり合い。
びっくりしたように目を見開いたライラは慌てて寝台から転がり出た。
「あんな奴ら放っておきなよ〜」フェルがライラの頭上で呆れ声で言う。
しかしライラはフェルの声など耳に入っていないかのように、足をもつれさせながらも、慌てて外へ続く扉へと向かう。
ーーービュウウウ。
風の強い日だった。
ライラが慌てて扉が開くと外の魔素を多く含んだ空気が一気に流れ込んでくる。
ライラは魔力のぶつかり合いでしきりに点滅している場所を見つけた。
ずいぶんと遠い。慌てて視力強化の魔法陣を取り出そうとしたライラにフェルが「しょうがないなあ」などと言いながら魔法を使ってやっている。
クリアになった視界でーーーシリルとシャロンが戦っているのが見えた。
喧嘩には見えなかった。ライラには、二人が殺し合いをしているように見えたのだ。
二人のまとう魔力の光は激しくぶつかり合いを繰り返していたがーーーキーンという音がして、真っ赤な剣がはじき飛ばされた。クルクルと回った後で地面にぶすりと刺さった剣。
ーーーあれはシリルの剣?シャロンがはじき飛ばしたのか?
慌てたようにシリルが赤いシールドを展開したのと、シャロンがシリルの上に馬乗りになったのは同時だった。
「シ、シリルの首切られちゃう!」
ライラがヒイイイと悲鳴を上げる。
ギュッと目を閉じるもーーー数秒後、バチバチイ!という衝撃音が聞こえてライラは思わず目を開けた。
シリルが恐怖で引きつった顔でシャロンの攻撃を防いでいた。
シリルの燃えるような赤いシールドに向けて、馬乗りになったシャロンが魔法剣を幾度も幾度も振り下ろしている。
「ーーーーーーー」
シャロンの口元が動く。ライラは遠すぎて聞き取ることなどできなかった。
でもなんとなく意味はわかった。
おそらく「これじゃ威力が足りないか」とかそういった意味のことを言ったのであろう。
というのも、直後、もう一段階シャロンの魔力放出が上がったのだ。
明るさを増したシャロンの魔法剣。
馬乗りになられたシリルが半泣きの表情になっている。
ライラはそこでようやく思考がまともに働き出した。
シャロンが剣を振り下ろそうとしたところで、慌てたようにすぐそばに浮かんでいたフェルへと叫んだ。
「シャロンを止めて!」
フェルはライラの言葉に「しょうがないなあ」とのんびり呟くと、パッと光った。
すぐに金色の光がシリルとシャロンを包む。
不自然な位置でシャロンの剣がピタリと止まる。
シリルはどこかへと飛ばされていった。「うわあああ」という叫び声とともに。
ライラは「ふざけんな、飛ばしすぎだろ!」と文句を言いながら小さくなっていくシリルを茫然と見つめていた。
鈍くなった思考で「まあ、シリルなら死ぬことはないか」と結論づけ、いまだに殺気だった様子でシリルが飛んで行った方向を睨みつけているシャロンに駆け寄る。
シャロン!とライラが何度も呼びかけーーーようやくシャロンがライラの方を向いた。
スーッと熱が引くようにシャロンの魔力の泡立ちが収まっていくのを感じ、ライラがほっと息をつく。
シャロンは黙って図書館棟へと戻っていく。歩くスピードがいつもの二倍以上速い。
ライラは未だにびっくりが抜けないまま、トコトコと後を追った。
フェルによってバタンと閉じられた扉。
そこでシャロンが「ふーー」と大きく息をついた。
「シャ、シャロン?いきなりどうしたの?」
ライラの問いかけにーーーその日初めて、シャロンが笑みを浮かべた。
ぎこちないものだったがーーーライラはいつものシャロンに戻ったような気がしてひどく安心した。
シャロンの答えは物騒なものだったが。
「なんだか、『こいつは殺しておかないとまずい』って長年の勘が告げてきたのよね。ーーー取り逃したけど。」
なんでもないことのように「殺す」という言葉を使うシャロン。
ライラは思わず息を飲んだ。
穏やかそうに見えるシャロンだが、その正体は謎に包まれている。
固まってしまったライラを見て、今度こそシャロンが柔らかな笑みを浮かべた。
「驚かせてごめんなさいね」と笑って、腕を一振りするだけでライラに治癒魔法をかけてくれる。
マイナスイオンを浴びているような、いつもの不思議な感覚に包まれた後、ライラは体に渦巻く魔力の渦が少し鎮まったのを感じた。
ーーー最近は、シャロンの治療を受けなくてもよくなったと思ってたけど、勘違いだったな。
一度はプラチナの手によってライラの体内の魔力は整理された。
しかし、その秩序はまた乱れ始めていた。
ーーー始祖竜でも治せないんだな、わたしの病気は。
ライラは思わず胸に手を当てていた。
「残り時間」を突きつけられたような気がしたのだ。
「ライラ?」というフェルの心配そうな声にハッとした表情で顔を上げたライラ。
泣きそうな表情になっているフェルの頭を人差し指の腹で優しく撫でている。
そんなライラたちの様子を見ながらーーーシャロンはフェルの方を見つめた。
「フェル、あなたならわかっているでしょう?空間魔法だけでも厄介なのに、呪い、鑑定…幾つ奥の手を持っているのか知れたものじゃないわーーーあれは危険よ。ライラのそばに置かないほうがいい。」
シャロンの容赦ない意見にーーーフェルは一瞬固まった。
そして、不機嫌そうな声色になる。
「その通り、色々とボクは読み違えた。ジョシュアに提案されたとき断るべきだったって今は思ってる。ーーーでも、ライラがやりたいっているんだから、ボクはそれの手伝いをするよ。」
ボクはライラの使役獣だから。と舌をちらつかせたフェル。
シャロンが非難するように片眉を少し上げた。
次にライラへと視線を向け、口を開きかけたがーーー先に口を開いたのはライラだった。
「危険なのかもしれません。でも、それも含めてジョシュア様のご命令。ーーーたとえ死ねと言われようが、喜んでこなして見せましょう。ジョシュア様は黒竜さまに選ばれたお方ですから。」
ーーーそれ以上の理由なんていらないんです。
そう言って笑ったライラがあまりにも眩しくて、シャロンは目を細めた。
「正直あなたの覚悟をなめていたわ」と苦笑いしている。
授業だ!と声を上げてバタバタと去っていったライラ。
静かになった室内でーーーシャロンは声を上げて笑っていた。
「真っ直ぐ純粋っていうのはああいうことを言うんだろうなあ。」
今時珍しいと言いかけーーーシャロンは首を捻った。
不思議なことにライラだけでなくジョシュア、ミシェーラ、最近ではパーシヴァルさえもが「黒竜の儀」に関することに対しては驚くほど真摯に対応している。
未曾有の危機。
黄竜の加護がなくなったと聞いた時、シャロンは絶望したものだ。
それでもーーー未来を担う子どもたちがあれほど真っ直ぐに頑張っている。
ーーーひねくれた大人なりに、あの子たちに道を示してあげなくちゃね。
シャロンは早速国王への緊急報告書を作成し、「留学生」に接触したことを伝えた。
何かが起こった際に、少しでも上層部が円滑に動けるように情報を流すのもシャロンの重要な役目なのだ。
ライラが走り込んだ教室でーーーまるで何事もなかったかのようにシリルは肘をついて外を眺めていた。
授業はすでに始まっていた。ーーー運よく自習だったようだが。
ライラが駆け寄って「大丈夫!?」と問いかけても、「ああ、平気」とひらひらと手を振って見せた。
そんな二人の様子に気がついたデニスとーーーちょうど隣に座っているパーシヴァルが訝しげな顔を向けてきた。
そこでようやくパーシヴァルが「朝の教室」にいることに気がついたライラがパッと顔を輝かせ、膝をつこうとしたところとパーシヴァルに引っ張り上げられている。
「大袈裟だ。ーーーで、なんかあったの?」
パーシヴァルの問いかけに、ライラは手短に先程の出来事について説明する。
反応は三者三様だった。
パーシヴァルは「ザマア」とシリルを鼻で笑い。
デニスは純粋に「シャロン先生の攻撃受けれるのハンパねえな」と驚いている。
でもなんでいきなり?と言うデニスの疑問はライラも思ったことだ。
シリルとシャロンは初対面ではない。
魔法医学の授業で何回かすでに顔を合わせているのだ。
その時にはにこやか…とは言わないまでも普通に会話をしていたはず。
しかし、シリルは思い当たる節があるらしい。
スッとわざとらしく目線を逸らした。
しかし、フェルが「あれはシリルが悪いよね」と言い放った。
「魔力感知が得意な治癒魔法士に『鑑定』魔法かけようとしたでしょ?ーーー実力を図りたいのかもしれないけど相手見てやりなよ。シャロンは強いよ、なめてかかったね。」
シャロンの魔法を解析しようとしてキレられた、ということらしい。
ライラは呆れた顔になったがーーーパーシヴァルとデニスは真っ青になっている。
ーーーあれ、そんなに深刻なことなの?
こてんと首を傾げたライラがイマイチことの重要さを理解していないことを察したのだろう。
フェルが呆れたように付け加えた。
「『鑑定』は遺伝で伝わる固有魔法なの。黒魔法や空間魔法みたいなね。単独ではそこまでの効果はないんだけど、反魔法を使うときには凄まじい効果を発揮する。一回鑑定されちゃうとそのあと使った魔法の情報が全て相手の術師に流れるからね。」
フェルの説明で、ライラもようやく自体を飲み込み始めた。
つまりーーー
「シリルがシャロン相手に反魔法なんていう厄介極まりない魔法を簡単に使えるようになるってこと?」
ライラの声にフェルが「せいか〜い」とのんびりと答えた。
ライラはなんだか脱力してしまった。
「シリルはフェルのことは鑑定してないんだ?」
呆れたように言ったライラにーーーフェルが「ふふふ」と明るい声で応えた。
「シャロンを見てたでしょう?相手に断りなく鑑定をかけるのは喧嘩を売ってるのと同じ…ボクにかけたら塵にするよ。流石にリスクが高くてやらなかったんじゃない?」
バッと一同がシリルの方を向く。
シリルは若干青くなった顔でうなずいている。
「フェル様に喧嘩売るのはまずい。それは俺にもわかる。」
「フェル以外にもかけるんじゃねえ!」というデニスの蹴りをシリルはさっと避けていた。意外にも身のこなしが軽い。
「でも変だな」とデニスが首を傾げた。なんでも鑑定魔法は、かけられた対象者以外が感知するのはほぼ不可能らしい。
「なんで気がついたんだ?」というデニスの問いにーーーフェルはあけっらかんと答えた。
「シャロンがとっさに防御魔法使ってたから魔力がぶつかり合ったんだよね。だからボクにも見えた!ーーー固有魔法幾つも持ってるシリルも大概だけど、シャロンもすごい魔法使いだよね!」
今の人間優秀!とフェルが楽しそうに叫んだ。
パーシヴァルは黙ったままだ。レイモンドが横で苦笑いしている。
「パーシヴァル様はようやく自分の黒魔法が制御できてきたところっすからね。絶対鑑定魔法かけられても気がつけないって思ってこの顔になってますね。」
パーシヴァルはレイモンドの説明を否定することもなくーーー黙ったままだった。
が、突然スッと立ち上がった。
スタスタと出口へと歩き出す。
そんなパーシヴァルを慌てた様子で止めたのはシリルだ。
「ちょ、悪かったっすから!やめて、ジョシュア様にチクるのはやめて。パー様にはかけてないっすから。王族関係者にはかけてません!デニスにはかけました!」
通せんぼするようにパーシヴァルの前に立ち塞がったシリル。
パーシヴァルは非常に不機嫌そうな顔でシリルを睨みつけている。
その光景を見てーーーライラは場違いにもほっこりしていた。
ーーー自分で解決できないからお兄ちゃんに言いつけるパーシヴァル様可愛すぎでは?
実際は言いつける=シリルの強制送還になりかねない状況なので、わりかし緊急事態である。
それがわかっているシリルは相当焦っているのだが、王族以外がどうでもいいと思っているライラにとってはパーシヴァルのジョシュアへの信頼の方が重要だったらしい。
突然ニコニコとし始めたライラを見てフェルは呆れたようにため息をついている。
そこで、遅れてやってきたミシェーラが「どういう状況?」と首を傾げた。
それもそのはず、なぜか地面に這いつくばるようになったシリルをゲシゲシとパーシヴァルが踏みつけているのだ。
「ふざけんなよ。次に怪しい真似したら絶対返すからな。」
「痛い!痛いよパーシヴァル様!」と叫ぶシリルを無視して、パーシヴァルの容赦ない蹴りは教師が入ってくるまで続けられた。
レイモンドがニコニコと笑っていたのが逆に怖かった。
ちなみに「かけられた」宣言を受けたデニスは落ち込んでいたがミシェーラに慰められていた。
「心配しないで。何年経っても空間魔法を使えるシリルはデニスの格上よ。わざわざ反魔法なんて使わなくても敵わないわ。」
「ミシェーラちゃんひでえ!」
やいのやいの騒いでる一団を他の三年生は遠巻きにして見ていた。
「空間魔法」「黒魔法」「鑑定魔法」…次々と聞こえてくる強力な固有魔法の名称に遠い目になっている生徒も多い。
シャロンには吹っ飛ばされ、パーシヴァルに散々蹴られていたのに平然と席についてーーーいつものように寝始めたシリルを見て、パーシヴァルが疲れたようなため息をついていた。
余談だが、翌日シリルの真っ白な肌には特大の紅葉がついていて、ライラたちを爆笑させた。
本人は女王に怒られたことがよほどショックだったのだろう。数日間は口数が少なかった。
「問題を起こすな!」
そう叫ぶと女王陛下自ら鉄拳を下したらしい。
女王が自ら謝りに行くと言った時点でようやくシャロンがかなり国の重要人物だと気がついたシリルは、ますます落ち込んだ。
「自業自得」
ボソリと告げられたパーシヴァルの言葉に、ふてくされた顔でシリルはそっぽを向いていた。
◯
時は少し遡る。
世界一美しい城とも名高いプロイセンのノイシュヴァインシュタイン城。
春の三日月の夜にーーーフィメルの厳しい叱責の声が響く。
「シャロン=ベローは厄介なんだ。暗殺部隊とも言われてるんだぞ?本当に殺されてたらどうするつもりだった!」
真っ赤な目を怒りに燃え上がらせ、自分よりも頭二つ分ほども背が高いマスキラを跪かせ、叱り飛ばしているのはこの国の女王だ。
ひとしきり説教をした後で、黙ったまま首を垂れ続けるシリルを一瞥した後、肩を怒らせて女王が退出していった。
バーンと閉められた扉。
その衝撃で天井に吊るされていたシャンデレラがわずかに揺れている。
シーンと静まり返った室内でーーーいつまでも跪いたままのシリルを、同僚であるマスキラが引き上げている。
無理やりソファに腰掛けさせーーーシリルが落ち着くのを待っていた。
シリルは黙って涙を流していた。
ぽたりぽたりと流れる涙が、床に敷かれたカーペットに吸い込まれていく。
喋るのが得意でないこの男ーーー世界一の魔法大国で、史上最速で頂点に上り詰めた才能を持つくせに気の弱い同僚を見て、壮年のマスキラがため息をついた。
「ちゃんと説明すればいいのにーーーっていうのは無理だったな。ほら、どんな情報を集めたんだ?わたしがきちんと伝えておくから、いい加減泣くのをやめろ。」
シリルは「ほら」と言って差し出されたちり紙を遠慮なく受け取り、「チーン」と鼻を噛んでいた。
いまだにかすれた声のままーーーポツリポツリと「成果」について語り始めた。
「急がなくちゃって思ったんだ。ーーー思ったより優秀な魔法使いが多い。俺の手の内を向こうも全力で暴きにきてる。早めに手を打たないとおそらく『失敗』する。」
ズビズビと鼻をすすりながらも、告げられた内容にーーー隣にいたマスキラが息を呑んだ。
「本当か?このプロイセントップのお前でも『優秀』と思える魔法使いがそれほどにブリテンにはいるのか?」
信じたくない、と言った声色のマスキラ。
しかし、「いるね。」とあっさり肯定して見せる。
「正直、この先戦争になったらーーー」
「やめろ!」と焦ったような声でマスキラが止めるが、シリルは淡々と続ける。
「この先戦争になったらうちは負けるかもしれない。黒竜の儀のタイミングは非常に重要だ。ーーーしかも、グレイトブリテンはたぶん継承を成功させるね。あの国は『伝承』がかなり残ってるみたいだよ。プロイセンでは千年の間にほぼ消えてしまった始祖竜信仰もいまだに根強く残ってる…本因坊秀策と黒竜はいい仕事をしてるよ。」
はあ、とため息をはいたシリル。
隣のマスキラは黙り込んでしまっている。眉間に刻まれたシワは深い。
「でも、幸いなのは向こうの王族が平和主義者ばっかりなところだよね。ーーー正直俺は突かない方がいいと思う。それで協力してもらった方がこの国の未来はーーー「シリル、その先は本当に言ってはならない、我が国が他国に助力を仰ぐなどあってはいけないのだ。」
シリルの言葉をマスキラが遮った。
シリルはチラリと同僚の顔を見て、苦い顔になった。
「軍事力最強のプロイセン」その誇りは高く、強靭な戦士を生み出す一方で、足枷にもなっている。
平和な世界からやってきたシリルは度々戸惑う。
そこまでして守る「国の誇り」が彼には理解できないのだ。
はあ、とため息をつき…再びボソボソと語り始めた。
「わかってるから俺も色々と無茶してるんだけどね。本気で死ぬかと思った…赤竜さまから奥の手は使うなって言われてるけど破ろうか真剣に迷ったよ。ライラがきて助かった。シャロンってやつ、ライラが出てきてから治癒魔法使うのやめた気配あったし。」
そこまで言って、先程の女王陛下の怒りを思い出したらしい。
再び涙目になったシリルに、今度はハンカチが差し出される。
「陛下に怒鳴られるの思ったよりキツイ…」と弱々しく呟いて呆れられている。
「私たちなんてしょっちゅうあんな感じで怒られてるぞ。ーーーまあ、シリルは別枠だからな、確かに珍しい光景ではあったが。」
「しばらく陛下に会いにくるの止める」ーーーと呟いたシリルを、同僚は慌てて宥め始めた。
どうせ陛下もシリルを叩いてしまったことで、今頃落ち込んでいるのだ。似たもの同士なのである。
「早くくっつけよ!」と言うのが近衛騎士たちの総意だ。
貴族どもが色々うるさいらしいが。
「いや、俺の言い方が悪かったよ。というかお前面倒くさいな!お前が大事だから陛下も怒ってんだよ!マスキラならわかってやれよ!」
「好きな人に嫌われるくらいならこっちから離れる」ーーーそんなことを真面目に言うシリルに、マスキラは頭を抱える。
この天才は魔法を行使している際はゾッとするほど頼もしいのに、一度日常に戻るととてつもなく情けない男になる。
「一月は会いに来るのをやめる」という謎の結論で落ち着いたシリルは、再び成果の話に戻った。
同僚がいくら宥めても意見を変えなかった。
「いらんところで強情だな!」と叫ばれていたが、むすっとした顔で「もう決めた」と繰り返していた。
「それで、たぶん黒竜の儀のメンバーは確定させたと思う。」
シリルのこの発言でーーー頭を抱えていた同僚の男性がバッと顔をあげた。
黒竜の儀のメンバーは当のブリテン王国でさえいまだに探しているのではなかったのだろうか?
それをたった一週間で「確定させた」と言い切るシリル。
魔力だけでなく洞察力までもが優秀すぎる青年。
そうでなければ二年で主席魔法士などになれるはずもないのだが。
「急いだとは言っていたが流石の一言に尽きるな」ーーーと内心舌を巻きながらも同僚は話の続きを促した。
「歴史的に見て異世界人が多いこの国にしか残っていない伝承があったよね。それが決め手になった。まず、ジョシュア、パーシヴァル、この二人はみんな知ってるよね?」
シリルの問いかけに同僚がうなずく。
二人は黒に愛された王子として世界的に有名なのだ。
黒竜の儀のメンバーには間違いなく入っていると言うのが大半の見立てである。
ーーーパーシヴァルを「出来損ない」だと考えているのがグレイトブリテン内だけだというのも皮肉な話だ。もっとも、最近はその見方も変わってきてはいるのだが。
「あとはミシェーラ=ビリンガム。一般生徒にしては護衛がしっかりしすぎているし、外交にまで出てるね。彼女の存在もおそらく隠そうとしていない。」
これにも同僚は頷いた。ここまでは比較的有名な話だったからだ。
問題はあと二人。一番怪しいのはイアハートだと言われていたが…
シリルはイアハートではないと思う、と言った。
彼は「普通」なのだとシリルは称した。
話を聞いている同僚は黒竜団のトップーーーつまりは、プロイセンで言う主席魔法士に向かって普通とはいかがなものかと首を傾げていたが、余計なことは言わずに黙って話を聞き続けた。
「年齢が離れているからいまいち確信が持てなかったんだけど、四人目はシャロンだ。ライラに施した治療を見て確信したね。あれは『加護』持ち。魔力の流れがジョシュアやパーシヴァルに似てる。」
同僚は「シャロン…さっき言ってたマスキラか?」と首を傾げた。聞き覚えのない名前だったからだ。
同じような認識だったからこそ、シリルも割と軽率な作戦を立ててしまい、女王自ら足を運馬せるという失態を引き起こしてしまったのだが…。
「反省中」と言わんばかりの暗い顔で、「俺も聞いたことなかったんだよ」とシリルが呟いた。「たぶんヘマタイト王の側近だ。ジョシュアの周りでは見たことがない」とため息をついている。
「でも、恐ろしいほどにみんなが今の学園に集まってるんだよね。だからこそ、俺も直接向かうまではイアハートかと思ったんだけどーーー最後の伏兵は意外も意外、色なしの一般生徒だった。」
シリルの言葉を黙って聞いていた総量も「色なし!?」と叫んでいた。
しかし、シリルは動じることなく「そう、色なし」と頷いている。
「色なしは色なしでも竜種を使役してて、ジョシュアとパーシヴァルからネームジュエリーをもらってる、しかも異世界の記憶持ちの色なし。」
さらさらと色なしーーーライラの特徴を語ったシリル。
同僚の方はといえば、「竜種」「ジョシュアのネームジュエリー」と言う言葉に、「あれ、色なしってなんだっけ?」と首を傾げている。
しかし、最後の「異世界の記憶持ち」のワードにーーーはっと息を飲んだ。
そう、この同僚のマスキラは「指令書」の中身を知っている数少ない一人なのだ。
「お前にしか頼めなかったとはいえーーー同郷人がターゲットとは、また残酷な話だな。」
正確には同郷人の記憶持ちだけどね、と訂正しつつーーーシリルが苦い顔になった。
「シャロンが一般人ならあっちにしようと思ったんだけど、どう考えてもプロイセンとしてはライラックを狙った方が好都合だ。…いい子なんだ、すっげえ気が重い。」
はあっと気落ちしたように肩を落としたシリルを、同僚は黙って見つめる。
余計なことは言う必要がないのだ。
シリルが「やる男」だと知っているから。
今は「憶測」だがすぐに確証へと変えるのだろう。
暗殺任務が「相手を間違えました」では済まされない。
だが同僚は心配していなかった。信頼があったのだ。
そもそも、今回も「失敗」ではないのだと同僚はわかっていた。
反省はしているが、間違えてはいないのだろう。
帰還させられないギリギリのラインを狙った。
力の強い魔法使いほど自分の手の内を見せない。
強烈な怒りを引き起こす事で、シリルはシャロンの内面を読みに行ったのだ。
シリルは囲碁棋士を目指していた時代も「ミスが少ない」ことを持ち味にしていた。
魔法士になった今でも、基本的な考え方は変わらない。
じっくりゆっくりと、着実に事を進める。
まだまだ作戦は始まったばかり。
局面は言うならば序盤もいいとこ。
「相手の布石は読み切ったから、あとはどうやって進めていくか…。ライラがターゲットだっていう証拠を上げるのがかなり難しいな。」
宙を見つめる赤い瞳を見てーーー壮年の魔法使いはブルリと体を震わせた。
「お前が敵じゃなくて良かったって心から思うよ。」
そんな同僚をチラリと見たシリルだがーーー何か思い出したかのようにポンと手を打った。そして、まるで世間話でもするように言った。
「なんかヤナの呪いが強まってるんだけど誰が黒幕かわかる?」




