4の九 主席魔法士は勉強ができない
放課後の教室。
並べられて机に傾いてきた日差しが差し込む。
教室内に残った数名のカリカリというペンを走らせる音。
あとはーーースヨスヨという心地良さそうな寝息。
シリルの使い魔のヤナはいつも通り、フェルを追いかけて何処かへ行ってしまった。
フェルは本気で嫌そうな顔で逃げていった。
シリルに向かって「ライラに何かあったら塵にするから!」と言い残して。
黒属性のヤナは「近くにいるだけでゾワゾワする」というのがフェルの言い分だ。竜種や王族以外の黒魔法は受け付けないらしい。
最近の学園名物とまで言われている高位魔獣二体がいなくなった教室に残っているのはライラ、デニス、シリルの三人。
ミシェーラやパーシヴァルは呆れた顔でいなくなった。
というのもーーー
「おバカ二人のために放課後を費やすなんてデニスはずいぶんお人好しだね。」
「俺はライラのために残るのであって、このバカのためじゃありません!」
デニスが叫び返すも、パーシヴァルは「どーでもいいよ」とひらひらと手を振っただけだった。
ミシェーラに至ってはコメントさえなかった。
彼女もペガサス部が忙しいらしい。もうすぐ行われる文化祭のためだろう。
ミシェーラは黒薔薇団に加入したこともあり、三年生にして代表を任されていた。
「これ以上忙しくしてわたしをどうする気!?」とプンスカしながらも、せっせと部活に顔を出し、新入生の勧誘活動やイベントごとまで日々尽力している。
「ミシェーラが代表!?ーーージョーハンナ様は?」
ミシェーラからこの話を聞かされた時、ライラは思わず問いかけたものだ。
しかし、ミシェーラは力なく首を振っていた。
「代表ってね、書類仕事とか会議とか結構雑務が多いのよ。ーーージョーハンナ様に『わたくしに雑用係になれと?』って絶対零度の顔で言われた先輩たちが…わたしに泣きながらすがってきたわ。嫌とは言えなかったわよね。他に黒薔薇団の生徒はいないし。」
ジョーハンナは自分のポリシーに背くような行動は絶対に引き受けないタイプだ。「黒薔薇団所属生徒がやるのが慣習だから」などと言われてもすっぱり断ったのだろう。
ライラは黒の王族の前で「黒よりも青こそが至高」と言い放ったという鮮やかな紫色の髪を持つ上級生の姿を思い出して、吹き出してしまった。
笑い事じゃないのよ、と拗ねるミシェーラをよしよしと撫でるライラ。
ジョーハンナのトレードマークである青いサファイアのはまった傷一つない手に「雑用」を押し付けることは、いくらプライドの高く融通が効かないと噂されるペガサス部の上級生でもできなかったそうだ。
ミシェーラだけではない、他の三年生も我先にと教室の外へと駆け出して行った。
デニスも魔法剣術部の生徒に遊びへ誘われていたが、断っていた。
「俺こいつらに勉強教えなきゃいけないんで」と言って、哀れみの目を向けられていたのだ。
「ほっとけよ?せっかく部活がない日じゃねえか。今日はフットボールやるんだぜ。お前うまいから来てくれよ。」
ぐいぐいとデニスの袖をひく三年生たち。
しかしデニスは涼しい顔で立っている。
ピクリとも動かないデニスに、ライラは「こいつの体幹ってどうなっているのだろう?」と首を傾げてしまったほどだ。
ノリ悪いぞ!生意気だぞ!と騒がれても、デニスは取り合おうとしなかった。
「優先順位の最上位は常にライラなんで。」
と言い放ち「ヒュー!」と囃し立てられていたりする。
デニスは慣れたものなのだろう。その辺りまでくるともはや周りを気にすることをやめ、せっせと机を移動させたりしていた。
そんなデニスはライラの横に座り、肩肘をついて魔法陣学の教科書を流し読みしていたがーーーある時、バンっと音を立てて立ち上がった。
ライラがびくっとしてペンを取り落としていたのだが、デニスは気がついていないようだ。
大きな一歩で距離を縮めるとーーー斜め前に座って気持ちよさそうに寝ているシリルの後頭部を叩いた。
スパーンという小気味良い音が響く。
「寝すぎなんだよ!ちょっとくらい課題をやるそぶり見せろよ!お前のやる気がなさすぎてシャロン先生困ってただろうが!!」
デニスが怒鳴るとーーーノロノロとシリルが顔をあげた。
ファーっと大きくを開けてあくびをし…ポツリとつぶやいた。
「ああ、ビール飲みてえ。」
ブチっと音がしたような気がした。
ライラは慌ててデニスに駆け寄り、振り上げている拳を押さえつける。
「ちょっと、デニス!ダメだって、シリルを殴るのはまずいって。」
ライラが必死になって宥めた結果、なんとか殴るのことは諦めたらしいデニス。
しかし、眉間に深いシワを刻んで苛々と魔力を波立たせている。
「一応留学生としてきてるんだろ?なのに筆記試験の成績は悪いにも程があるし、かといって転移魔法使えるの隠そうともしてねえし。ーーーなんなのこいつ!?」
チラチラと焦げ付くような熱を放っているデニスの中の赤い魔力を見ながら、ライラは頭ひとつ分大きいデニスに手を伸ばし抱き寄せた。
デニスも抵抗することなくライラの肩に頭を埋めている。
「落ち着きなさいって。ーーー確かに、こんなにアホなのはちょっと予想外だよね。いかにもエリート感出してるのにわたしより小テストの点数悪いって。」
ポンポンとデニスの背中を叩きながら、ライラが笑う。
当のシリルは「俺がいないとこでいちゃついてくれない?このリア充が!」と嫌そうな顔でぶつぶつと言っていた。
しかし、何度も「頭が悪い」といった趣旨のことを言われてさすがに頭にきたらしい。
「勝手に人の見た目で判断して非難すんなよ!俺だって嬉しくて成績悪いわけじゃねえんだよ。なんでこの歳になって小テスト…おい、デニス=ブライヤーズ!ここは公共の場だ!」
ライラの首筋に噛みつこうとし始めたデニスにシリルがブンッと赤の力でできた球を投げつける。
「うお!?」と言ってデニスが横に飛び退った。
ライラは相変わらずの二人に苦笑いしながらもーーーでもさ、と首を傾げた。
「プロイセンの魔法学校は出てるんでしょ?世界一の魔法学校って言われてるーーー」
「「チャールズダーウィン魔法学校?」」
デニスとシリルは同時に言って、お互いを睨みつけていた。
案外仲がいいのでは?とライラは内心で思う。
口に出したら今度こそデニスに噛み付かれそうなので内心に留めたままだが。
デニスを睨みつけながら…不貞腐れたようにシリルが弁明する。
「だって、ダーウィンでは、実技ができれば卒業できるんだ。俺、魔法得意だし。こんな小難しい魔法理論だとか、ましてや魔法薬学?医学?ふざけんなよ。なんであんな横文字だらけの教科があるんだよ。」
何か問題でも?と言わんばかりのふてぶてしさだ。
流石全ての教師の問いにわかりませんで応える男は違う。
「じゃあお世話役に聞くか〜」などと流れ弾によって、ライラが無駄に巻き込まれるのでやめて欲しいのだが…
ライラは呆れた顔でシリルを見ていた。
デニスはどこか嬉しそうな表情だ。純粋な魔法ではシリルに勝てないのがわかっているため、シリルの苦手分野が見つかって喜んでいるのだろう。
「元の世界ではIGOのプロの卵だったんでしょう?頭良さそうなのに。」
ライラがポツリと呟くと、シリルはないないと顔の前で手を振って見せた。
「逆に囲碁…じゃなかった、IGOしかやってなかったんだよ。学校の勉強とか全部寝てたもん。詰碁は何時間でもできるけど、数学は分数すら怪しかった。」
「なんかあのプロイセンの主席魔法士ってもっとなんでもできるかっこいい人だと思ってた。」
デニスの一言にーーーシリルは不貞腐れたような表情になった。
「どーせ俺は魔法しか能がないですよ。」
と呟き、机の上に広げられたまっさらなノートにグルグルと意味のない線を描き始める。
そんな情けない主席魔法士を見つめ、ライラも確かに、と頷いた。
「最強の魔法使いっていうと、私たちはどうしてもジョシュア様のイメージがあるからね。ーーーあとはイアハート学園長とか。」
ライラの言葉に…シリルは「はっ」と笑った。
「ジョシュアは規格外なんだよ。千年に一人の逸材って言われてんの知ってんだろ?頭よし、容姿完璧、魔法も完璧…性格はちょっとポンコツだけどーーーというか、人材が揃いすぎてる今のグレイトブリテンがおかしいらしい。黒竜が代替わりのために加護を強めてるっていうのが五大魔法大国首脳部の大半の意見。」
ボソボソとつぶやかれる内容に、ライラとデニスは目を見張る。
他国の意見がさらさらと出てくるあたり、学生のライラたちとシリルははっきり違う世界の人間だということを思い出させる。
でもさ、とデニスがシリルの横の席に移動した。
机に腰掛けると長い足を組み合わせる。
…余談だが、彼は足が当たるから椅子に座るのが窮屈だと最近いい始め、どれだけ足が長いのだと周囲を呆れさせていた。
ちょうど窓から差し込む夕日に照らされてデニスの赤い短髪がキラキラと光る。
学園指定の黒のマントに、白のシャツと黒の皮のズボン。
そんなモノトーンコーデをさらりと着こなすデニスにーーーシリルが嫉妬のこもった目線を飛ばす。
怒りを収めた十三歳のデニスに八つ当たりする二十歳。
「イケメン滅べ」と言っているあたり、シリルはなかなかに拗らせていそうだとライラは思う。
恨めしげなシリルの目線をすっぱりと無視してデニスが問いかける。
「でもさ、赤竜だって眠りにつくんだろ?ーーーその理屈じゃあ、そろそろプロイセンだって同じ状況になるはずじゃねえ?」
デニスの指摘にーーーシリルが遠くを見つめるような顔になった。
そしてーーーしみじみと呟く。
「それがさ、竜にも色々あるみたいでーーーなんか、女王が同じこと赤竜さまに聞いたら…『む?もうそんな時期か?われ時間の流れなど気にしておらんぞ』って言われたらしくて。」
「「…。」」
ライラとデニスはおそらく同じ光景を思い出していた。
大騒ぎになった昨年の最強位決定戦。
赤竜と女王が突然襲来し、騒然となったあの事件。
「さ、最近は時間の流れを気にしてるんじゃないの?」
ライラのフォローに、シリルは苦い顔で頷いた。
「まあな。去年の暴走の話だろ?正直遅すぎる…でも、上層部も馬鹿じゃない。ーーーブリテン王国でジョシュアが生まれたあたりから、本腰を入れて赤竜さまを説得していたらしい。『カゴ?難しいことを言われても気分が乗った時にちょいちょいと魔力で遊んでるだけなのじゃ。チャールズが我の遊びを人間に役に立つようにしたとは言ってたが、詳しいことはわからぬ。』って言われて、一時期王宮中がお通夜みたいになってたって聞いた。」
フェルがいれば大笑いしていたような内容だ。
あとからライラがフェルと話したときにはーーー
「赤竜は馬鹿だよね。チャールズ=ダーウィンが賢かったからなんとかなってたって聞いた。」
ーーーなどと言っていた。
チャールズ=ダーウィン。
本因坊秀策と並ぶプロイセンの建国の勇者まで知っているらしいフェルは何者だよ、とライラは思ったが…
黙り込むライラとデニスに気付いているのかいないのかーーー意外なほどあっけらかんと、シリルはプロイセンの内部事情について教えてくれる。
「でも、赤竜さまも落ち込む人間を見て思うこと所があったみたいでーーー俺が呼ばれたってわけ。」
まさかのここでシリルが出てくるらしい。
ぽかんとした表情になったライラとデニスにーーーシリルが口元を歪めて言った。
「『ここにいないのならば他の世界から使えそうなやつを呼べばいいのじゃ!』って叫んで…プロイセン史上最大規模の空間魔法を使って俺をプロイセンに拉致してきたんだよ、赤竜様は。ーーーまじで怖かった。家に帰ろうとしてたら謎の美女にいきなり魔法陣の上に乗せられて、次の瞬間竜の背中の上だもん。」
異世界転移ならぬ異世界への誘拐事件を経験したらしいシリル。
苦い顔をするシリルにーーーライラとデニスは同情の眼差しを向けた。
しかし、シリルはまだまだ怒りは治らないとばかりにぶつぶつと呟き続ける。
「しかもあいつ、適当なところに俺を捨てやがって!ーーー王宮に保護されるまでの一年間、知らない土地で死ぬかと思ったわ!空間魔法と赤魔法…全部使える俺だからギリ生き残れたけど、まじで死ぬかと思った。」
「え゛?捨てられたって?」
デニスが驚きの声を上げる。
ライラはなんとなくだが想像がついているのだろう。自分が同じ状況になったらどうなっていたのかと考え、すでに遠い目になっている。
シリルは八つ当たりするようにデニスを睨みつけながら「そのままの意味だよ」と吐き捨てた。
「赤竜さま赤くて光ってれば全部王宮だと思ってたんだって。ーーーだからすっげえ王都から離れた貴族の門の前に落とされて。ーーー当然捕まったよね。見慣れぬ衣服に言語も違う。不審者以外のなんでもない。処刑される前日に空間魔法が使えるって気がついてなんとか逃げ出したけど…それ以降も金もねえし、ほんとに大変だった。」
デニスも予想外すぎるシリルの境遇にさすがに同情したのだろう。
哀れみの目を向けている。
「プロ試験だってまだ受けたかったのに、こんなわけわかんねえとこに連れてきやがって…」と恨めしげに呟いていたシリルだがーーー何かを思い出したのだろう。ふんわりと優しい顔になった。
ライラがシリルの変化に気がついて首を傾げる。
シリルは優しい目のまま、窓の外に目を向けて言った。
「でもさ、今は連れてきてもらってよかったって思ってる。ーーー囲碁しかやっていなかった俺に、人を好きになるってことを教えてくれたのは赤竜さまだ。」
シリルは突然プロへの道を断たれたことに当然ながら絶望した。
特別才能があったわけではなかったがーーーそれでも、彼は漠然とだが一生囲碁で生計を立てていこうと決心していたのだ。
その十五年の人生のほぼ全てを費やしてきた競技を全くできなくなったのだ。
異世界には碁盤や碁石などない。
建国の勇者が碁打ちだったグレイトブリテンに落ちていればまだ状況は違ったかもしれない。
しかし、彼が落とされたのはプロイセン。
魔法使いは軍人気質。ブリテン嫌いな慣習も合わさり、ボードゲームなどは貧弱な遊びだとまでいうものさえいた。
上流階級がその状況だ。庶民も当然IGOなどやらない。
人生の目標が塗り替えられた、それどころか世界までもが文字通り変わってしまったシリルは、ただただ日々を生き抜くことだけに必死だった。
シリルは当時の記憶が曖昧だった。
それほどまでに必死に日々を過ごしていた一年間。
ふらふらと歩く、プロイセンでは見かけない真っ黒の髪をしたシリルに声をかけたのは貧しい老夫婦だった。
シリルの真っ赤な瞳を見て、ずっと前に出て行った息子を重ねたらしい。
独房に閉じ込められたせいで痩せ細った身体。
言葉もわからず、環境の変化に打ちのめされて喋れなくなっていたシリルを、まるで本当の息子にするように手厚く看病したのは六十歳になっていた老婦人の方だ。
忙しい店番の合間を縫って、必死にシリルに尽くしてくれた老夫婦。
その姿は、疲れ切っていたシリルの心に再び火を灯した。
はじめは言葉を覚えることから、体力が戻ってくると、持ち合わせた魔法の才で老夫婦の店の切り盛りを手助けした。
人が良すぎる店主は、店内はいつでも満員なのに、「ツケ払い」を許しすぎていつも赤字だった。
シリルはその状況を聞いて呆れたが、優しすぎる二人に拾われたからこそ自分も再び頑張ってみようと思えたのだとわかっていた。
金を払わずに帰ろうとする客を笑って見送る店主に呆れながらも、同じように何気ない日常で笑えるようになったシリル。
ビール純粋令などという法律ができるほどにビール愛が強いプロイセンの大衆酒場で、大人たちに無理やりビールを飲まされながらも汗水垂らして働いていたシリルのもとに、真っ赤な髪の美女が現れる。
バーンっと音を立てて開かれた扉。
割れんばかりに騒がしい酒場の客もーーー突然現れた、美しすぎる客に静まり返った。
長く伸ばされた真っ赤な髪は、カツカツという彼女のヒールの音に合わせてゆらゆらとたなびいていた。
護衛の騎士たちが主人へと不躾な視線を送る客たちをジロリと睨むも、誰もが彼女に夢中だった。
一身に注目を集める赤髪の美女だが、その視線は一点に向けられている。
その視線の先ーーー酒場の隅で、まさに注文を書きつけていたシリルはどんどんと近寄ってくる美女に、驚きで固まっていた。
真っ赤の二つの瞳が交差した瞬間ーーー猫のような大きな瞳は、喜びの色に輝いた。
白銀の鎧はカシャリカシャリと音を立て、背中には彼女の髪の毛よりは少しくすんだ色合いの、真紅のマントがたなびいている。銀の糸で刺繍されているのは、炎を吐き出す竜の文様。
そして彼女の身分を表すーーー小ぶりな頭に乗せられた、特大魔石をあしらった王冠。
「女王さまだーーー。」
息を飲むように言ったのは誰だろうか。
シリルの前まで歩み寄った女王はーーーシリルをじっと見つめ…確信したように頷いた。
その動きを見て、家臣たちが一斉に動き出す。
「陛下、彼で間違いないのですね?」
「護衛を手配しろ!」
「各地に号令をかけろ!目標発見だ!」
ざわめき出した食堂の中でーーーシリルは息を吸うのを忘れたように固まっていた。
不思議な感覚だった。
まるで、絶対に逆転不可能だと思っていた局面で、起死回生の一手が見えたような。
気がついてしまえば、もうこれしかないと確信が持てるような。
ーーーああ、なぜ気が付かなかったのだろう。俺は、この人に仕えるためにこの世界に呼ばれたんだ。
全身の魔素が喜びで色めき立つのがわかった。
そして、それはシリルに限らなかった。
女王の方もーーー感極まったように、一筋の涙をこぼしている。
「ああ、赤竜さま感謝いたします。この方がいれば、我が国にも希望が見出せる!」
このときシリルは知らなかったが、プロイセンは軍事国家にも関わらず、軍事教育が全くされていない「姫」として育てられたフィメルが国のトップに立つ非常事態が発生していたのだ。
不完全な主はーーーシリルを強くした。
元々の素養もあったのだろう。
魔法の才に合わせ、囲碁の修行で培った忍耐力と集中力を持って、シリルは女王と出会ってわずか二年で主席魔法士の頂点まで上り詰めて見せた。
そんなプロイセンを代表する女王の剣であるシリルだがーーー勉強が苦手な点はどうしても克服できなかったらしい。
ブリテン語の勉強に手一杯で、四年生として編入してきたにも関わらず三年までの授業内容は全く知らないそうだ。
「魔法陣学と黒魔法学以外の座学は捨てるわ。」
ーーーと言い放ち、現在進行形でシャロンやフィンといった担当教師の頭を悩ませている。
留学の理由になっている黒魔法学は置いておき、魔法陣学を捨てないのは…ただ単に好きだから。
自作の魔法陣も多く作っているくらいで、今更習うことはないレベルらしい。
とはいえ、フレーザーのことは気に入ったそうだ。
「全く無駄がないAIが作ったみたいな魔法陣」ーーーという常人では理解不能な言葉でフレイザーを評価していた。
そういうわけで、週の半分くらい小テストの穴埋めの補修を受けさせられているシリル。
ライラも補佐役として教室に残りーーー今日のように、都合のつく日はデニスも残っていた。
そして、シリルやライラの質問に答えるのだ。
デニスはこんな調子なのに、なぜか能力別にクラスが分けられる魔法詠唱学や黒魔法学でライラと同じところに入っており、シリルやミシェーラにドン引きされていたりする。
「どう考えてもデニス満点取れるでしょ。」
「え、なんなの?なんで同じクラスにいるの?ライラのアホさ加減まで見通してるの?こわ!」
パーシヴァルたちと同じく、魔法詠唱学で一番上のAクラスになったミシェーラが若干引いたような目でデニスを見ても彼はニコニコと笑っていたし、白紙で解答用紙を出してもライラと同じクラスにされたシリルに「ゲッ」という顔をされても無言で蹴りを繰り出して見せただけだった。
当のライラはのほほんと笑っていた。
「デニスが同じクラスだと楽できていいな。」
などとのたまい、「気付いてるでしょうに」というミシェーラの呆れ顔にも、「まあね」と笑っている。
「上級生の中で一人は嫌だって言ったのデニスは覚えていてくれてるんでしょう?いいやつだわ。」
よしよしとなぜかライラがデニスを撫で、デニスの方も満更でもなさそうな顔をしている。
ちなみにパーシヴァルとレイモンドは全てAクラスなのだが、ほぼ授業にいないらしい。
「テストの時だけふらっと入ってくる」というのがミシェーラの証言だ。どこかで昼寝でもしているのだろう。
今のところ黒魔法学だけ出席していた。
しかし、ジョシュアにそろそろバレるだろうとライラは思っている。
シャロンが「保護者に告げ口してやる」と肩を怒らせていたのだ。
結局、シリルは全く課題をやらなかった。
喋るだけ喋って新作の魔法陣を書き付け始めたシリル。
彼にやらせることを諦めたライラが、代わりに課題を埋めてしまい、デニスが怒っていた。
「甘やかすな!」とデニスは言っていたが、ライラもいい加減、寮へと戻りたかったのだ。
ライラたちは言い争いながらもジーゴプレートで特別寮へと帰って行った。
そして門の前に立つ人影にーーーライラがいきなり飛び上がってプレートから落ちかけ、フェルを慌てさせていた。
「ちょっとライラ!僕疲れてるから不用意な行動はやめて!」
そう言いながらもフェルはサッと浮遊魔法を使ってライラを元の場所へと戻している。
「浮遊魔法は繊細なのに見事な魔力の扱いだな。」ーーーとヤナにもたれかかっていたシリルが感心している。
デニスは呆れて笑いながらーーー「まあ仕方ないか」と言った。
「一週間前からずっと楽しみにしてたもんなあ。正式にシャーマナイトさまが赴任してくるのを。」
「ジョシュアさまー!」
ライラが手をブンブンとふり、「興奮しすぎ!」とフェルに怒られている。
ジョシュアはライラに気がついているのだろうが、黙って立ったままだ。
代わりにというか、後ろに立ったオズワルドがライラに手を振り返している。
デニスが操縦していたプレートが止まると、真っ先にライラが飛び出した。
いつもは一緒に片付けを手伝うライラのこの行動に、デニスは笑っている。
シリルは「キャラ変わりすぎだろ」と呆れ顔だ。この状態のライラを初めて彼は目撃している。
だっと走り寄って、膝をついて挨拶の口上を述べ始めたライラ。
ジョシュアは相変わらずの無表情だったがーーー流れるように行われたライラの挨拶に一つうなずいた後、こう返した。
「魔力が乱れている、プラチナ殿の魔法の効果が切れるのが予想よりも早いな…明日シャロンのところへ行け。」
ライラは突然の言葉にぽかんとした顔になったがーーーすぐに「はい!」と元気よく返事をしていた。
その光景を見て、シリルが意外そうな顔をしている。
「へえ、ジョシュアって心配とかできたんだ。」
あんまりな言い分に、プレートをしまい終えたデニスがギョッとした顔になったが、当のジョシュアは気にした素振りもない。
プライベートな場での二人はこんなものだ。
「学生」としてきたのだから普段は呼び捨てはやめろよ、と釘は刺しているが。
「ライラが倒れるとわたしがパーシヴァルに怒られるのだ…」
と呟いたジョシュアを見て、シリルが「出た、ブラコン」と吹き出している。
ジョシュアは笑っているシリルを一瞬睨んだ後ーーー「そういえば」とライラの方を見た。
「留学生の成績が悪すぎるだとかパーシヴァルが授業に出ないだとかーーー着任一日目にして次々に教師がわたしの元へとくるのだがどうすればいいだろう?」
この言葉にはーーーシリル以外の全員が吹き出した。
ジョシュアだけが真顔で話し続ける。
「わたしの仕事は黒魔法学の指導で、相談は学園長に頼むと言ってはおいたが…とりあえず、留学生の成績が悪いのは諦めろ、パーシヴァルには連絡してみると答えておいた。」
教師たちが言っていることは事実なのだな?とライラに問いかけるジョシュア。
ライラは笑いながらうなずいた。
ーーーパーシヴァルさま、お昼寝は今日でおしまいになりそうですよ。
心の中で呼びかけている。
ライラの反応を見たジョシュアはシリルを指差して「連れ帰ってこい」と命令した。
シリルは渋々といった表情でうなずき、すぐにパーシヴァルを抱えて戻ってきた。
どこにいたのかは知らないが、レイモンドは置き去りにされたようだ。
半分寝たままのパーシヴァルの首元を掴んでいるのでまるで猫を捕まえたようになっている。
首は苦しくないのだろうかとライラが不思議に思っているとーーージョシュアが再びシリルの方を見た。
「おい、問題の留学生。ーーーお前の座学が壊滅的なのはよく知っているが、せめて他で手を抜くなよ。勘がいい奴はお前の正体にも気がつき始めている。お前を舐めるような生徒や教師が出てきたらわたしも困る。ちゃんとやれ。」
ジョシュアの真っ直ぐな視線を受け、シリルは非常に嫌そうな顔になっていたが、無言でうなずいている。
そしてジョシュアに確認したいことがあったのか、スタスタと歩み寄っていき、二、三言交わすと表情を曇らせた。
「どうした?ーーーライラの病状なんか聞いて。」
シリルは「気のせいかもしれないからまだ秘密。」ーーーとジョシュアに目を合わせることなく言い、パチンと指を鳴らして魔法を行使した。
ーーーリン。
涼やかな音が鳴ってシリルが消えた。
ジョシュアはシリルのいた空間をしばらく見つめていた。




