4の十一 愛の残酷
放課後の学園は賑やかである。
特に、部活動発表会を目前に控えたこの時期は全ての部活が本番に向けていつも以上のやる気を見せている。
水色のユニフォームに身を包んだクリケット部一団を器用に避けながら、ライラはプレートの上でふんふんと鼻歌を歌っていた。
彼らの振り回していたバットが吹っ飛んできて、ライラの頭に直撃しかけたのをフェルが慌ててはじき返している。その間もライラはマイペースに歌っていた。
プレートを器用に操っているシリルがそんな光景を呆れた顔で見ている。
「どこ見てんじゃボケが!!」
シャー!というフェルの威嚇もプレートが早すぎて届いたのかは怪しい。
ライラのジーゴプレートはほぼシリルが運転する結果になっていた。
魔力量、魔力の扱いーーーどちらをとってもシリルが上なのだ。ライラが運転を放棄してしまったことを誰も責められないだろう。
凄まじいテクニックで学園内を颯爽と走るライラのジーゴプレートは、新入生たちに憧れの目で見られているのだが、残念ながらライラは全く気が付いていなかった。
王族以外に興味がないので仕方がないかもしれない。
今日も、その王族であるジョシュアに会いに行くということで頭がいっぱいなライラは瞳をキラキラと輝かせながら、プレートの真ん中にちょこんと座っている。
ライラの真横ではヤナが丸まって眠っている。ヤナはプレートがひどく気に入っているらしく、プレートからなかなか離れたがらないのだ。今日も目的地についてもヤナだけはプレートに残るだろう。
ジョシュアは学園に教師として赴任してきたが、彼は王宮での執務がある。
毎日学園に来ているわけではなくーーー火曜日と水曜日だけ学園に滞在していた。
今日は火曜日だ。
ライラは毎週欠かさずジョシュアの元へと授業の準備を手伝いに行っていた。
スッとプレートが減速して学園内のある一室で止まった。
ドアの上に書かれたプレートは「職員室」。
見事な魔力の扱いに、周囲の生徒からは驚きの声が上がりーーープレートに乗っているのがシリルであるのを見て、納得の表情になっていた。
シリルは実技科目で全てA評価。
噂の留学生が非常に優秀な魔法使いであることはすでに全校生徒が知るものになっている。
ライラの白銀の髪と、対照的なシリルの漆黒の髪を見てモノクロコンビなどと呼ばれ始めた二人だがーーー本人たちは至ってマイペースに生きている様子だ。
今もシリルがプレートを停めている最中にも関わらず、ライラは職員室の扉をすでにノックしている。
「失礼します!」
ガラガラっと金属でできたドアを開けると、規則的に並べられたデスクが目に入る。職員室は全体的に色味が少なく無機質な雰囲気だ。
ライラは手前の方にいる教師たちには見向きもせず、一番奥のジョシュアのデスクへと小走りで近づいていった。
良くも悪くも庶民的で普通の職員室の椅子。
その背もたれ付きの丸いすに収まるにはあまりに場違いなキラキラとしたオーラを放っているジョシュアがライラの足音に気がついたのか、視線をあげた。
ーーーこれは余談だが、ジョシュアの学園内での滞在場所をどうするのかで一騒動あった。
熱狂的なジョシュアファンであるフィンやロバートといった教師は特別な部屋を用意するべきだと強行に主張した。
逆にアンチ王族派の気があるフレイザーと、個人的に恨みがあるらしいシャロンは「特別扱いをするな」と言って職員室の使われていない埃のかぶった机を指差した。
大人気なく言い争う教師陣を見たイアハートはーーー難しい顔をして一言だけ発した。
「シャーマナイト殿下に決めていただこう。」
ちなみにイアハートもジョシュア信者として有名である。
ジョシュアもイアハートを慕っているため、実際に顔を合わせているときは黒竜団団長らしいキリッとした顔をしているのだがーーー本人がいないと「ジョシュアが来る前はちょっとソワソワしている」というのが周囲の見方だ。
「五十手前のおっさんがもじもじしているの気持ち悪いわ」とシャロンなどには酷評されている。
強い魔法使いほどーーーシャロンのような例外もいるがーーージョシュアを崇拝するものが多い。
そのため、てっきり味方だと思っていたイアハートに裏切られたと感じたロバートなどは抗議していたが…ジョシュアが赴任した日に、そっと自分の建物コレクションをいつでも出せるようにしているイアハートの姿を見て、「立場上ああ言うしかなかったのだな」と納得の顔を見せていた。
騒動の結末は見た通り、ジョシュアは職員室に収まった。
フレイザーやシャロンのニヤニヤとした顔に気付いているのかいないのかーーー指差されたホコリだらけの机を魔法で一瞬で綺麗にし、オズワルドに指示を出して私物を並べさせていた。
「本当にいいのですか!?」
ーーーと悲鳴のような声を上げて詰め寄るフィンやロバートにジョシュアは心底不思議そうな顔で「わたしは教師としてきたのだから職員室にいるのは当たり前だろう?」などと応えている。
イアハートは少し離れたところで、空間魔法の付与された箱を握りしめていた。
「シャーマナイト殿下ならそうおっしゃると思っていたが…。」
ジョシュアに自慢の建造物コレクションを披露したかったのか、悲しげな顔をしていたイアハートだが、フィンやロバートがジョシュアに握手を求めているのを見て、慌てて輪に加わりに行っていた。
話を戻そう。
そういうわけで、大人である教師陣でさえ浮き足立たせてしまうジョシュアだ。
普通な顔をして職員室に座るジョシュアの元へはーーー当然ながら学園の生徒がひっきりなしに質問と銘打って訪れている。
ライラは見慣れた光景になってきたジョシュアとそれに群がる生徒たちという構図を少し離れたところで見守る。
ジョシュアの斜め後ろに立っているオズワルドが胸に手を当てて挨拶してくるのでライラも同じ仕草を返した。
遅れてやってきたシリルもライラの横に並び、またかと言いたげな顔をした。
「ジョシュア今日もめちゃくちゃ人気だね。」
ライラはコクコクと頷いた。なぜか誇らしげな顔である。
ライラが来るとジョシュアは生徒たちを解散させにかかる。
「部活にでも行きなさい」というジョシュアに生徒からは「えー!」と不満の声が上がっていた。
若さだろうか。「やるな」と言われると必ずやってみたくなる生徒がいる。
一例が「黒竜の儀のメンバーは見つかりましたか?」などと尋ねたりする生徒だ。
シリルがいるときは慌ててジョシュアが口を塞いでいた。
入学式にいなかったシリルに聞かれると、契約魔法に引っかかる恐れがあるのだ。
パーシヴァルの契約魔法を破る危険性を理解していないのだろう。
驚きながらも嬉しそうな顔になった生徒に心底困った顔をするジョシュア。
流石に他の教師が介入して職員室から引き摺り出していた。
外で説教をしたらしい。ライラはジョシュアに張り付いていたのでよく知らないのだが。
今日も変わらずに楽しげに騒ぐ生徒たち。「早くいけ」とジョシュアが手を振るも、ジョシュアがどこまで許容してくれるのか確かめている節さえある。
「じゃあ今日こそサインくださいよ!」
「クズ魔石でもいいので魔力込めてください!」
今この瞬間は教師とはいえ、王族であり本来気軽に物事を頼んでいい存在ではないはずのジョシュアにも、お願いをしてしまう生徒たちを一部の教師陣が若干恨めしげな顔で見ている。
まあ、ジョシュアは首を横に振るのだが。
「ダメだと言っているだろう。転売されると困るから形に残るものはあげられない。」
毎度毎度、律儀にこの言葉を繰り返すジョシュアを見て、シリルはプッと吹き出している。
「ジョシュアが転売って、台詞の違和感がすげえな。ーーーOZの差し金か?」
ライラはジョシュアの一挙一動でも見逃すまいと、入ってきた瞬間からジョシュアのことを一心不乱に見つめている。シリルが隣で笑おうと、飽きてきたフェルが勝手に鞄を開けて魔石を食べ始めようと一切気にしていない。
ジョシュアに魔力を使った祝福のようなものをしてもらい、やっと生徒たちが引き上げていった。
皆表情は満足げだ。去り際にライラたちの方に聞こえるように「あいつらが来なければ…」などとささやいていくものもいるが、そんな言葉で動揺するような二人ではない。
ジョシュアが手招きして二人を呼び寄せる。
タタタと駆け寄るライラ。シリルはその後ろをゆっくりと歩いていく。
ライラが手伝っているのは黒竜の器探しと生徒の評価だ。
ーーー生徒の評価にライラも生徒なのに関わっていいのか?という意見は当然あるだろう。
しかし、ジョシュアは個人を特定するのが非常に苦手だ。
一人一人の魔力を覚える時間を必要とするし、オズワルドも補佐をしているのだがーーー学園に在籍する生徒はオズワルドも知らない顔ばかりだ。事前情報がある他国の王族や外交官とは話が違う。
そこでライラの出番なわけである。
ジョシュアのこの致命的ともいえる弱点を外部に漏らさず、かつ学園内の生徒をよく知っているライラ。(実際は全く知らなかったのだが、ジョシュアのために勉強した。)
ちなみにシリルもジョシュアが人間の顔を識別できないことはよく知っている。
何を隠そう、ジョシュアのプロイセン留学時代のこの弱点を補っていたのがシリルなのだ。
ぴったりとジョシュアに張り付いて行動し、「この前はありがとうございました!」などと笑顔で押しかけてくるフィメルや「もう一回勝負しろ!」などと暑苦しく迫ってくるマスキラからジョシュアを守っていた。
「誰だこいつって顔までイケメンでマジムカつく」などと愚痴りつつも「一昨日のパーティーであった子」「一週間前に授業で絡んできたやつ」などと毎度囁くもので、学生たちからは「シャーマナイト王子に話しかけるには必ずシリルをとおせ」などと冗談まじりに噂されていたほどだ。
そんな懐かしい数年前の光景を思い浮かべながらーーーシリルはライラとジョシュアが顔を突き合わせてこの生徒があーでもない、こうでもないと言い合っているのを眺めている。
フェルによって防音魔法が貼られているので、会話内容はわからないのだがーーー暇つぶしとばかりにシリルはその防音魔法を掻い潜って二人の会話を聞いていた。
うろんげな顔でフェルがシリルを見るが、ニヤリと笑って見せただけだった。
威嚇してくるフェルを横目で見つつーーー聞こえてくる会話の内容に呆れ顔になった。
「ライラ、赤の魔力三割、青の魔素七割…この生徒の名前は?」
ジョシュアの淡々とした声に、ライラはうーんと唸っている。
「四年の一組…となるとこの子かな?ジョシュア様、その魔力ってこう…すんって静かな感じでした?」
何言ってんだこいつーーーという顔になったシリル。
しかし、ジョシュアはライラの言いたいことがわかったらしい。
「違う、それは次の生徒だ。」などと首を振った。
「わたしが今言ってるのは水中で戦ってるタコみたいな魔力のやつだ。」
ーーーいや、どんな説明だよ。
シリルのツッコミも、二人には届かない。
「ああ、それならこの人ですよ!」などとライラは嬉しそうに名簿を指さしている。「戦っているタコ」に該当する生徒が見つかったようで何よりだ。
シリルを威嚇することに飽きたらしいフェルが、フヨフヨと飛び回りながら笑っている。
「二人とも何言ってるのかわかんなーい。でもライラが楽しそう!」
ーーーお前の存在も俺からすると意味不明なんだよ…
シリルは人間のように正確に感情を読み取る魔獣をチラリと見てーーーふふふと笑みを浮かべたのだった。
「訳わかんないやつばっかり。」
◯
「わかってるならさくっと殺せばいいじゃない。」
アメリアイアハート魔法学園の特別寮の一室で、赤い髪をした妙齢のフィメルが口を尖らせる。
彼女の頭にはルビーの乗った王冠が輝く。
シリルの「一月は女王に会わない」作戦はあっさり覆された。
本人が会いにきてしまったのだ。
執務が忙しいはずなのに、呼び出すでもなく、他国にいる自分のもとへと足繁く通う女王にシリルは違和感を覚えながらもーーー高貴な彼女のために整えた特別量の一室で、彼が敬愛してやまない女王を歓迎する。
ーーーシリルがこの時の違和感をもっと掘り下げていればと後悔するのは、そう遠くない未来なのだが…この時の彼は女王が自分の元へと訪れてくれることが嬉しくて、そこまで考えられていなかった。
「気に入らないから殺せばいい」そんなことを平然と言ってのける女王にーーーシリルが黙って俯く。
「ねえ、シリル!そうでしょ?」そんな風に言って、自分の前に跪いているシリルをじっと見つめる。
シリルは当然彼女の視線に気がついているだろうに、顔を上げることはない。
「あんな綺麗な人と至近距離で目があったら恥ずかしぬ」これがシリルの口癖だ。
いつも通り後頭部しか見えない主席魔法士に女王がムッと口を尖らせる。
苦笑いしながら仲裁に入ったのは女王の側近のニュートだ。
燃えるような真っ赤な髪をした彼は、慣れた様子で「まあまあ」と女王を宥めながらーーーシリルへと問いかける。
「ほら、口で説明してくれよ。お前の読みは深すぎて私たちには伝わっていないんだよ。ーーー殺らない理由を言え。」
ーーーまさか、情が移ったとは言わないよな?
シリルへと向けられたニュートの目は笑っていない。
シリルはスッと顔を上げ、真っ赤な髪のニュートと目を合わせた。
二人の間にバチッと火花のようなものが散った。
ニュートは口元だけがにいっと上げたままの表情だ。
シリルは「その顔をするならいっそのこと笑うフリをやめればいいのに」と常々思っている。
「情が移ろうとなんだろうと、女王のお望みとあれば俺はやるよ。ーーーただ、あっちにはジョシュアがいるから。」
シリルの発言にすぐさま反応したのは女王だ。
自分の方を向かないシリルに不満そうだが、いつものことなので皆が慣れてしまっている。
「アレックス、シリルに問うてくれ。ーーージョシュアがいてもお前ならなんとかなるのではないか?」
女王の問いに、アレックスと呼ばれたニュートが片眉を上げる。
「女王がお尋ねだぞ」とわざわざ言い直してやると、シリルはようやく口を開くのだ。
馬鹿みたいなやりとりだとアレックスはシリルを睨むがーーーシリルは本気で女王と顔を合わせられないのだ。
真面目な顔で女王と逆方向にある真っ赤な洋服タンスの方を向いたまま、ボソボソと言う。
「冗談。ーーージョシュアは天災みたいなもの。闘っちゃいけないんだよ。…わかってないみたいだね。軽々しくライラを殺してみなよ。ジョシュアにこの国の上層部、みーんな消されるよ?」
そんな冗談を…とアレックスは笑おうとしたが、シリルの横顔がどこまでも真剣で、これは一切誇張などではないのだと知った。
女王は普段から聞かされていたのだろう。
「何度聞いても信じられぬ」と不満顔だ。
「空間魔法も鑑定魔法も使えるシリルが歯も立たないーーーそんなのもはやずるいではないか。」
女王の呟きに…シリルが苦笑いする。
アレックスは「やっと会話はじまったよ」と苦い顔だ。
はじめから二人で向かい合って話せよ、という至極もっともなツッコミは受け入れられない。
いまだに女王の方を向かずにーーー敬語も使わないことからシリルはアレックスに喋りかけているのだろうーーー「ずるいんだよ」と答えた。
「アレックスも覚えてるでしょ?黒竜が休眠したって知って、フランク王国が国有数の魔法使い数人で黒竜の元を襲撃しに行った話。」
アレックスは黒い瞳に見つめられーーーああと頷いた。
「なんらかの原因で」フランク王国を誇る魔法使い数名は魔力を失う結果になった。
黒竜の仕業だと思われているがーーー「あれは世間で勘違いされているんだ。」とシリルはクスクスと笑う。
何がおかしいのかわからないのだろう。苛立ったようにアレックスがシリルを睨む。
ーーーもう反則すぎて笑うしかないじゃん。お前に睨まれたって微塵も怖くないけどさ。
「OZに特別に教えてもらったんだけどーーー」
シリルが語ったのは、グレイトブリテンとフランクの間の国家機密ともいえるある事件の話だ。
「フランクからまだ黒竜の守りが完成していなかった時期を狙われた。護衛の騎士からの緊急通報を受けたヘマタイト王は真っ青になったんだって。」
ヘマタイトが慌てて指示を出そうとしてーーーちょうど同じ部屋にいた当時五歳だったジョシュアが言ったのだ。
「僕の黒竜さまがあぶにゃいの?ーーー助けてあげなきゃ。」
ジョシュアは次の瞬間、国王と王妃の前から消えた。
ジョシュアの才能の片鱗はすでに十分すぎるほどにあった。
だからこそ、嫌な予感があった。
顔色をなくした大人たち。
物陰をくまなく探したが、ジョシュアはいなかった。
今まで室内を戯れのように移動して見せることがあったジョシュアだったが、この時初めて長距離を移動したのだ。
悲鳴のような声が上がる室内でーーーヘマタイトはジョシュアなら現場まで移動できてしまえるのではないか、という仮説にたどり着いた。
まさか、五歳の子供があの距離をーーーそんな常識的な疑問が浮かんだが、なぜかヘマタイトには確信めいたものがあった。
ジョシュアは言っていたではないか。「助けてあげなきゃ」と。
震える手でヘマタイトが現地に魔力通話をする。
「ジョシュアがいないんだ。」
告げるヘマタイト。
通話相手は「そのことですが…。」言葉を濁した。
痛いほどの沈黙が王宮の部屋を満たした。
誰もがヘマタイトの通話に全神経を傾けていた。
[へ、陛下!シャーマナイト殿下が…。]
ヘマタイトは最悪の事態を予想して真っ青になった。
やはり飛んだのだ。
何キロあるのか、魔力量は大丈夫なのか。
様々な疑問が脳裏に浮かんでは消えーーー結果として騎士の報告を黙って聞く形になる。
ーーージョシュアを失えば、グレイトブリテンは持たない。
わかりきった事実。
ーーージョシュアが黒竜を大好きなのは知っていたのに。
ーーーどうしてよりによってジョシュアがいる場で報告を受けたのだ。
滝のように流れ落ちる汗。
壊れたように拍動する心臓。
まさに寿命が縮まる思いで騎士の宣告を待つヘマタイト。
ヘマタイトが心の底から自分の迂闊さを呪っているとーーー
騎士から告げられたのは予想を良い意味で裏切る言葉だった。
[シャーマナイト殿下が、相手の魔法使いを戦闘不能にしました!す、すごいーーー。]
ジョシュアは五歳にして、魔法使い三人を魔法使いでなくしてしまったのである。
彼らの魔法を「無」にしてしまったのだ。
文字通り、根本から。
ジョシュアが黒の魔法を使った時、魔法使い三人の周りは一瞬暗闇に包まれたらしい。
次に現れた時、彼らは虚無を見つめていた。
瞳は恐怖で見開かれている。
「無理だ、もうやめてくれ…。」何を問いかけてもそればかり繰り返す魔法使い。
「黒竜さまに悪いことしちゃ〜めだよ。」
五歳児らしい無邪気な声で、こてんと首を傾げたジョシュア。
痛いほどの静寂が黒の渓谷を包んでいた。
王宮へと送還されてきた髪が真っ白になった魔法使いたちを見てーーーヘマタイト王はフランク王国に書簡を送った。
五歳児が国のトップの魔法使いを圧倒してしまった。
簡潔な内容の書簡を見て、「嘘だ」「ありえない」ーーーそんな叫びをあげたフランク王国の者も、真っ白になった魔法使いたちを見れば口を閉ざすほかない。
魔法使いが魔法使いでなくなるーーーこれは、フランク王国だけでなくグレイトブリテンにとっても、あまりにも衝撃的だった。
敵国だけでなく、事実を知った一部の自国の魔法使いも恐怖させたのだ。
両国の王族は慎重にこの件を扱うことにした。
賠償金に加え、有効の証としてフランク王国からは青の飛竜が贈られたという。
竜好きが有名だったジョシュアへのお詫びとしてーーー飛竜の中でも数百年生きているこの青竜は長年フランク王国を軍事面で支えてきた存在で、金額がつけられないほどの価値があった。
金の子を手放してまでフランク王国は、ジョシュアに敵視されることを避けたかったのだろう。
そんな風に両国によって秘匿されたこの事件は、知るものが少ない。
シリルはたまたまジョシュアと親しくなったので聞いただけなのだ。
「ジョシュアってとんでもないことやらかしてそう」そんなたわいもない話の延長線上で、オズワルドがにやりと笑って教えてくれた。
「五歳の時からジョシュアさまはすごかったのです。」
と胸を張るオズワルドを、ジョシュアが呆れた顔で見た。
「褒めるな。ーーーまだまだ幼かったからな。やりすぎたと反省しているんだ。とにかく魔法を使わせてはいけないと思った結果なのだが…飛んでいった魔力を打ち消せるほどの技術はなかった。それで、母上から『他人を傷つけてはいなりませんよ』といつも言われていたから。」
「言われていたから、根本から消してしまったのでしょう?」
「魔法を使えなくさせてしまえばいいと思ったのだ。ーーー加減は間違えたが、誰も死なせずにすんでよかった。」
うむと頷くジョシュアを見てーーーシリルはツーっと背中を汗が流れていくのを感じた。
とてもじゃないが、冗談のような掛け合いを続けているジョシュアとオズワルドにつっこむ気にはなれなかった。
シリルはそんな話を思い出しながらーーーはあっとため息をついた。
アレックスは真っ青になっている。
カタカタと指先が震えているのに本人は気がついていないのかもしれない。
シリルはそんなアレックスを冷めた目で見つめている。
女王はどこかで聞いたことがあったのだろう。「ああ、そんな話もあったな」と頷いている。
ジョシュア=シャーマナイト。
千年の間で一番黒魔力に愛された彼はーーー世界で唯一、魔法使いの生面線ともいえる魔力を消せる力を持っていた。
千年前、のちに五大魔法大国と呼ばれる五つの国の建国者たちに、竜が与えたとされる赤、青、黄、黒魔法の中でーーーもう一つ白金魔法というものがあるのだが、この魔法の話はまた別の機会にーーー黒魔法は防御力は最強だが、攻撃力は最弱と言われてきた。
ジョシュアが生まれる前までは。
攻撃魔法全般に強い赤魔法。
太陽が頂点に登るときには、赤魔法を凌ぐ力を発揮する黄魔法。
黄魔法とは正反対、夜の属性とも呼ばれる青魔法。青色が騎士の色と呼ばれるのは、王族が狙われやすい夜との相性が良いためだ。
そんな三属性と比較して、黒魔法は非常に謎が多い。
使えるのがグレイトブリテンの一部の王族だけである点も解明に至らなかった大きな理由であろう。
胎児の素養が高すぎると、母体を死にいざなってしまうほどに強力な黒魔法だが、「赤、青、黄魔法の方が強力である」というのが常識だったのだ。
そんな数百年かけて作られてきた常識を塗り替えてしまったのがジョシュアだ。
黒竜が攻撃力に乏しい黒魔法に与えた、唯一にして最強の魔法。
もっとも、人体にある魔素を作り出す器官まで吸い取ってしまうわけだから、当然膨大な量の黒魔力が必要となるし、普通はありえない魔法なのだ。
ジョシュアが普通でない存在なのである。
黒竜から与えられた黒魔法を千年の王族の中で唯一使いこなせているとでも言えばいいのか。
ジョシュアは文字通り、世界が認めたグレイトブリテン史上最強の魔法使いなのだ。
「そんなわけで、ジョシュアには喧嘩は売りたくない。持って生まれた手札が違うんだよ。ーーーだから、作戦は慎重に。絶対にこっちの仕業だとバレないようにしないと。」
シリルはジョシュアが王族でよかったと心から思っていた。
王族は国民が人質だ。ジョシュアはどんな状況でも、最後は国を優先するだろう。だからこそ、圧倒的に力の差があろうとシリルは勝ち目があると踏んでいた。
シリルのように枷がない魔法使いだったら…今頃どうなっていたのだろうと考える。
「たぶん、作戦見直しを求めてるな。いや、今でも求めてるか。」
シリルに自殺願望はない。
今回も成功の目があると思ったから任務を引き受けたのだ。
しかし、シリルは最近自身の周りに異変を感じていた。
何者かがシリルを使ってグレイトブリテンに呪いをばら撒こうとしているようなのだ。味方のはずのプロイセンにもシリルの読みを外しにきている敵がいる。
要するにシリルはこの作戦に不安を感じ始めていたのだ。
不確定要素の多さ、敵の強力さ、情勢の不安定な国内を長期間にわたって開けることへの不安。
ようやく衝撃から戻ったのだろう。
アレックスが魔力通信を見て「そろそろ帰還の時間です」と言った。
女王がスッと立ち上がる。
彼女が動くと薔薇の芳香が立ち昇る。
むせ返るような、この香りがシリルは苦手だった。
ーーー香水なんて大っ嫌いなのに。いつまでも嗅いでいたいなんて俺も大概おかしいよな。
女王が当然のような顔をしてシリルに右手を差し出す。
シリルはこの時ばかりは女王の方へと向き直る。
震えながら女王の手を取るシリル。
まるで雪の結晶にでも触れるように、そっと指の先を握りしめた。
「よく毎度毎度そこまでうぶな反応ができるな。」
呆れたようにいうアレックスの剥き出しになった手首を、シリルは無言で掴んだ。
当然ながらこちらに遠慮などない。「痛い!」というアレックスの文句はシリルに黙殺されている。
シリルが転移魔法を使おうと体内の魔素を動かそうとした瞬間ーーー女王が戯れとばかりに、シリルの手に頬擦りした。
シリルの魔力がばっと霧散する。
衝撃に驚いたアレックスが飛び退った。
そして、二人を見てため息をつく。
耳まで真っ赤になったシリル。
そんな彼の手を取ったままの女王が、ゾッとするほどに美しい笑みを浮かべて見上げている。
なだらかな弧を描く真っ赤な唇からシリルが目を離せないでいるとーーー
女王は歌うようにささやいた。
「シリル。ーーー信じているぞ。わたしを後世まで語り継がれる国王にしておくれ。」
「歴史に名を残したい」というのが女王の口癖だ。
シリルは真っ赤になって固まったまま。
彼の頭に浮かんでいた作戦変更への嘆願への思いなどは全て吹き飛ばされていた。
至近距離で微笑まれて、こんな言葉をかけられるなどシリルには耐えきれなかったらしい。
そこからの行動は早かった。
クスクスと笑い続ける女王を連れーーーアレックスもついでとばかりに捕まえらえたーーーシリルは国を往復した。
ーーーリンリン。
鈴の音の余韻が残る、寮の一室。
静かになった部屋で、転移した勢いのまま蹲み込んだシリルが真っ赤な顔のままでうなっていた。
「信じてるなんて言われたら、失敗したときの言い訳できないじゃん。というか慎重にやるって言ってるそばからあの人は全く…。」
ボソボソと呟きながらも、シリルの口元には抑えきれない笑みが浮かんでいた。
この時のシリルは知らない、女王がどういう覚悟を持って「自身の名を歴史に残したい」と口にしているかを。
淡い恋に浮かれるにはシリルと女王を取り巻く環境は厳しすぎた。
それでも、純粋に女王への愛を貫こうとするシリルを止められるものはいないのだ。




