11 理由
「くはあっ……くっ車の時は……遠く感じなかったのに……はあっ、まだ着かねえの……かよ」
急な勾配、灰色のアスファルト。
踏み込んでも踏み込んでも一向に軽くならない自転車のペダル。
それはもう足はぷるぷる、歩いた方が早いくらいの速度で俺は今、止まったら負けを合言葉に先程命名した心臓破りの坂道に挑戦し続けていた。
立ち漕ぎしながら顔を上気させ、よろよろと登って行く姿は見苦しいことこの上ないだろう。おまけに、Tシャツが汗ばむ背中に張り付いて不快だし。
笑えてくる。なんで俺こんな必死に坂道を登ってんだって。
「で、電話さえ繋がれば……もっと、はあっ……楽に行けた……のに」
苦境から桜子の力を使えたら、と考えてしまう。
しかしそれができない状況だからこそ、俺は桜子ん家に行くハメになっている。
全く以て不条理だ。
それはさておき、苦しみに喘ぐ無様な自分とは、お別れする頃合いがやっと来たようである。
踏み込むペダルが徐々に軽くなってきたぞ、コンニャロめ。
「見たかっ。はあっはあ」
達成感に身を包む俺は、挑み続けていた戦いを勝利で飾る。
下りの坂道を駆る自転車はぐんぐん加速した。
「待ってろよ、桜子っ。絶対、お前ん家に行ってやっからなっ」
疾走する俺は――吠える。
吹きつける風がその声と体の汗を、後ろへさらっていった。
昼をちょっと過ぎた頃、ようやくたどり着いた赤錆色の洋館は、今回で三度目の訪問である。
石畳を走行しレンガ壁の脇へ自転車を止め、慣れた足取りで槇邸のエントランスへ向かう。
すると……俺の行く手を阻むものがあった。
重厚感ある観音開きの扉ではない。その前に鎮座する、もし双子じゃなかったら他人の空似もいいところである、顔がそっくりな男性二人組。
うちの親父よりも全然若そうなのだが、若者って呼ぶには抵抗がありそうな彼らの風貌は、声を掛けるのに躊躇いたくなるほどのいかつい面相に、黒いスーツの上からでもわかるたくましい体躯で、腕はほんと丸太みたいだった。
俺はそんなツインズに面識があるからして、そこまでビビることもないと思う……思うのだが。
「こ、こんにちは。あの俺わかりますかね。数日前、御子守京華さんと一緒に車に乗った池上スバルです」
「……帰れ」
うわっと。
歓迎されてなさそうな雰囲気をビシバシ感じてたけど、そのストレートさ加減は予想外だ。
しっかし、『帰れ』はないだろ。
ぶっきら棒な言い草もさることながら、俺がここへ来るのにどんだけ苦労したことか。
この人らが知る由もないわけだが、こっちとら体はくたくた、足はぱんばんなんだぞ。
「――うっ」
筋違いの苛立ちに興奮し俺は、押し通ろうと一歩踏み出す――ものの、ツインズの放つ鋭い眼光により、その後が続かない。
――怖え……動けねえ。
俺は情けない自分を恥じながらも、これが蛇に睨まれた蛙だと身を以て学んだ。
固まってしまうオレ蛙の緊張は、ぐんぐん上昇中した。
嫌な汗を分泌させる中、ツインズの後ろにある大きな扉がゆっくりと開かれた。そこには見知った老紳士の顔があって、
「瀬良さんっ」
嬉しさのあまり、距離感に合わない声のボリュームにしてしまった。
俺の大きな呼び声に会釈で応えたくれた執事の瀬良さんは、目元にしわを浮き上がらせ俺に安堵を与えると、その顔を左右のツインズへ。
「御子守男衆のご両人、お勤めご苦労様です。差し出がましく申し上げます。そちらは、槇邸へお越し頂いた客人で御座います」
「……お嬢からはそのような者が来ることなど、聞いてはいない」
俺から見て左にいる男が瀬良さんへ言い、短い受け答えが終われば、何やら張り詰めた空気が周りを覆う。
でもそれも束の間で、男らは身を引くようにして、槇邸内への道を俺に譲った。
「どうぞスバル様。こちらへ」
いかついツインズを笑顔で引かせた執事さんに迎え入れられ、俺は立哨してたと推察されるツインズを尻目に、意気揚々、エントランスホールへと足を運ぶ。
その際に、いかつい男らへ睨みつけられたお礼を返さなくてはと律儀な思いに駆られる。
俺は、カッと射るような視線を放ってやるつもりでいた。
身体をくるりと後ろへ反す――でも、やっぱり怖かったので、更にそのまま反回転。
結果、敷かれてあった踏み心地の良い絨毯の上で、ぎこちない一回転ターンを披露したことになる。
滞りなく情けない自分に辟易した後、俺はそこにあった人影を見た。
執事の瀬良さんから案内され、足を掛けたエントランスホールの正面にある大きな階段。
階段の踊り場では、凛とした眼差しで俺を見下す御子守京華が仁王立ちであった。
「池上スバル殿。何故、貴方がここに居る。それに瀬良殿も瀬良殿だ。何故彼を邸宅に招き入れたのですか」
「京お嬢様、爺は紅茶の準備が御座いますので」
上方からの責め立てに、俺の側から燕尾服がエレガントに離れた。
「ちょちょ、瀬良さんマジっすか……」
頼れる老紳士の退去に、心細さと見上げる相手がいかついツインズ以上の難敵であることを知る。
「それで、ここへ何をしに参られた」
早々に矛先がこっちへ戻ってきた。
高圧的な態度で下りてくる相手に、階段に掛けていた足を後ろへ戻した。
それで、彼女が携える物をはっきりと確認した俺は更に後退る。
にわかには信じ難いが、御子守京華の手には鞘に納まる日本刀があった。
「じゃ、ジャージを。桜子には学校で使うジャージを貸してたから、それを取りに……来たんすけど」
「相わかった。その品は今日にでも使いの者に届けさせる」
「いや、わざわざ届けてもらわなくても、俺に直接渡して……」
言葉は小さくなって消滅。
墓穴を掘った。
ジャージを受け取ってしまえば、俺がここへ来た目的が終わる。
日本刀女子の凛々しい顔がエントランスホールの端へと向く。
「瀬良殿。桜子が借りていた衣服はおありか。今すぐ池上殿に渡してもらいたい」
「待ってくれ。ジャージはその……それだと……」
「それだと桜子に会えぬ。そう申したいのであろうな。されど伝えたはずだ。貴方は我々と関わるべきでない側の人間故、私は池上殿を桜子に会わせるつもりはない」
きっぱりと言い放たれた宣言は耳にする分には気持ち良いくらいだろうが、浴びせられた俺としちゃ反感を覚えるものだ。
「なんでだよ……。なんで桜子に会えないんすか。この間までは普通に話したりして……。言いたくはないけど、御子守京華さんが現れてから、それがおかしくなった」
「こちらの不手際故、気が咎める部分もある。しかしながら、池上殿も桜子の事情は知るところのはずだ。私の意を酌んでいるものだと思っていたが、そのように思われていたとは。少々残念であるな」
物言いにチクリとくるが。
「アテラレていない俺は一般人で、御子守さんや桜子はアテラレの特別な人間。確かに違うさ。だからって俺が桜子に会えない理由にはならないだろ」
「十分な理由である。アテラレは表沙汰にしてはならない。外部の人間とは極力関わるべきでない」
「それなら大丈夫だ。家族にも言わなかったんだ、俺は秘密にできる。アテラレのことを誰にも言わないと誓える。だから」
「池上殿――」
対話には間合いというものがあって、俺と彼女は一定の距離を保って会話していた。
それを相手が強い語気とともに、ずいと踏み込んで壊す。
俺は後ろへ引いていた足に力を込めると、半歩前へ。
気がつけば階段は既に遠い。
ここで下がってはダメだ。ここは下がれない。
相手からエントランスの出口へと押し切られてしまう。
「貴方は桜子の力に巻き込まれた。その事は理解しているであろうか」
「部屋と部屋を繋げる力があいつのってのは、ちゃんとわかってる。それにテレポーテーションとか、俺が思っていた感じの能力じゃないのもなんとなくわかっている」
「テレポーテーション……家から出られぬ空間転移現象のことであるか。あれは制約故、気にするまでもない。問題視すべくは、当人の意志とは関係なく発露した空間接合の力の方だ」
「本人の意志とは関係なく……て、自分の能力なのにか」
「彼の力は人の能力ではない。人に宿りし異能。勘違いせぬ事だ」
そこには身を斬られるような威圧があった。
「池上殿。桜子は未だ天之虚空を御する事が叶わぬ。そのような桜子が天之虚空の力を不安定な状態で発動した事実が危険なのだ。あれは空間に干渉するアテラレ故、その影響が広範囲へ及ぶ可能性がある。仮に空間接合の力が手に負えなくなり頻繁に発現したらどうなる」
「どうなるって」
いろんな建物同士が繋がるってことだから。
「大騒ぎにはなる……な」
「左様。間違いなくみことの街は混乱に陥るだろう。そして、捻れた空間の果てに起こりえる事態はその混乱をも超える混沌を生むやも知れん。桜子のアテラレはそういった未曾有の危険を孕むのだ」
「けどそれは、もしかしたらって話だろ」
「そうであるな。そのもしかを未然に防ぐ為、私は池上殿にここから立ち去るように言っている」
「それは俺が空間接合の発露の時居合わしたから……そう言いたいんだよな」
相手は一度瞳を閉じることで肯定する。
「池上殿を媒体として発現した可能性がある以上、その要因を断つのは然るべき処置であろう。ご理解頂けたかな」
「ああ理解したよ。理解した。御子守さんはどうしてもここから俺を帰したいんだよな。けど俺は帰らねえ。なぜならここは桜子の家だ。直接あいつが帰れって言うんならまだしも、関係ないあんたに言われて、はいそうですかなんて馬鹿だろ」
「池上殿。不毛な問答はここまでにしたい。浅はかな口実でただ会いに来た貴方と違い、私にはこの街を守るべく大義がある。私はこの覚悟の元、荒事も辞さないつもりだ」
その言葉、その纏う空気には脅しとして受け取るだけの凄みがあった。
けれど、この人と対立するのは端からわかっていたことだ。
俺には自分を奮え立たせる準備はあって、じわじわ蠢き始めた苛立ちがそれを後押してくれる。
だから少しだけ――一瞬だけ、俺は御子守京華に感謝した。
目の前の相手にイラつき、その倍、自分が腹立たしいことを彼女は気づかせてくれたのだから。
「ジャージとか……バカバカしいよな。何こだわってんだって話だ。情けないよな俺。カッコ悪いよな俺」
「池上殿っ。それ以上前へ来ることまかりならぬ。忠告はした。聞き入れてもらえぬ場合は、我等に敵対する者として対処する。瀬良殿も良からぬ行動は起こさずに願いたい。これは御子守としての御役目に準じたものであるっ」
御子守京華の垂れ下がる長い髪が揺れた。
今の俺の視界では把握できないが、たぶん事の成り行きを執事の瀬良さんが影で見守っていてくれたんだろう。
牽制する鋭い目は隙なくまた俺へ。
「私は桜子と会わせぬと言っている」
「いいさ。好きなだけ荒立ててくれよ。瀬良さんっ。桜子はこの上に居るんですよねっ。俺行きます――っ」
そう叫べば、みぞおち辺りに強烈な痛み。
息が吸えなくなり、吐き気やらで口から唾液が流れる。
踏み留まろうとする中、涙目の先には日本刀の鞘尻で俺を突いた有言実行女子がいやがる。
「次来れば、遠慮なく気を失う一撃を叩き込む。さあ、ここから大人しく立ち去られよ。それが貴方の為でもあるのだから」
「嫌だね……」
よろめきながら倒れなかった自分を賞賛して、ぼそり吐露した。
そして――それをきっかけに、体の中をうねっていた感情が吹き出す。
熱くなる血と内蔵が、俺にすべてを吐き出させようとする。
「俺は桜子に謝りたかった。俺の言葉であいつにごめんさいとか言わせちまった。だから、謝りたくても気まずくて。ここで引いたら逃げで、一度逃げたらもうダメで」
荒々しく言葉を吐く。高ぶりたぎる気持ちが抑えきれない。
「けどそういうのも含めて関係ねっ。あんたの話なんてのも関係ねえっ。そんなもん知るかっ。俺は、俺が桜子と会うって決めたんだっ。俺は意地でも桜子と会うっ」
「分からぬ道理で喚いたところで、遠慮はせぬ」
こっちの怒気に臆することもなく、凛とした声が迎え撃つ――がしかし。
「道理ってなんだ。理由がなければ駄目なのかっ」
俺のルールに、俺のオレモラルにっ、そんなまどろっこしいもんはねえっ。
「桜子と会うのに理由や理屈なんていらねーだろっ」
俺は興奮のままに声を張り上げた。




