第4話 閉鎖されたはずの道
地下へ向かう七人のうち、剣を持っていないのは俺だけだった。
正確には、持たせてもらえなかった。
「この短剣くらい腰に差しておけ。迷宮には崩落以外の危険もある」
ガレンが自分の予備らしい短剣を差し出してきたが、俺は受け取らなかった。
「使い方を知りません。転んだとき、自分の腹へ刺すのが一番ありそうです」
「刃を鞘に入れたまま腹へ刺せるなら、ある意味では才能だぞ」
「では、必要ありませんね」
「そういう話ではない。魔物が出たらどうする」
「剣を使える皆さんの後ろへ逃げます」
「堂々と言うな」
ガレンは呆れた顔をしたものの、無理に短剣を渡そうとはしなかった。
代わりに俺の腰へ二本目の命綱を結び、結び目を強く引く。
「痛いんですが」
「緩く結んで、途中で抜け落ちたいのか?」
「腰骨の上にかけてください。腹へ直接力がかかると、転落したときに内臓を痛めます」
「自分で剣も持てない男が、注文だけは多いな」
「注文を聞くのが嫌なら、俺を連れていかないことです」
「そうすると、今度は俺が二次崩落の音を聞き分けなければならん。面倒なのは嫌いだ」
「奇遇ですね。俺もです」
準備だけで十二分を使った。
地下では水が増え、空気も悪くなっている。一分でも早く入りたいのは全員同じだったが、俺は七人の命綱、灯り、濡れ布、木製の楔、救急袋を一つずつ確認した。
兵士の一人が、三度目の結び直しを命じられて苛立った。
「こんなにきつく結んだら、岩へ引っかかったとき動けなくなる」
「では、あなたはどう結びたいんです?」
「すぐ外せるよう、輪を大きくする」
「転落したときも、すぐ外れますね」
「俺は十五年、地下迷宮を歩いている。縄の扱いを、今日来たばかりの人間に教わるつもりはない」
四十歳前後の、頬に古い傷のある兵士だった。
ガレンが口を挟もうとしたが、俺は先に縄を緩めた。
「分かりました。では、体へ巻かず、手首へ通してください。ただし、岩へ引っかかったら切る。そのための小刀を右手側へ付けます」
「……言うことを聞けと言わんのか」
「あなたの言うとおり、地下では縄が危険になる場合もあります。俺はここの地形を知らない。ですが、完全に外すのは認められません。両方の危険を減らすなら、これが妥協点でしょう」
兵士はしばらく俺を見ていたが、やがて自分から縄を手首へ巻いた。
「ドーグだ」
「はい?」
「俺の名前だ。いつまでも『あなた』では、命令しにくいだろう」
「黒部修司です」
「知っている。さっきから隊長が何度も、面倒な異界人と呼んでいる」
「名前を教えた意味がありませんね」
「名前と悪口は別だ」
ドーグは初めて、わずかに笑った。
救助隊はガレン、ドーグを含む兵士六人と俺。地下へ入る人数を増やせば、運べる資材も救出できる人間も増える。その反面、狭い通路で身動きが取れなくなり、酸素も多く消費する。
七人でも多い。
だが、担架を運ぶには最低四人が必要で、支柱を組む作業も考えれば、これ以上は減らせなかった。
「黒部さん」
排水路へ向かおうとしたところで、白石に呼び止められた。
彼女は廊下の壁際に膝をつき、頭から血を流している兵士を治療していた。手のひらから淡い緑色の光がこぼれているが、額には汗が滲んでいる。
「これを持っていってください」
差し出されたのは、白い布に包まれた小瓶だった。
「薬ですか?」
「ただの水です」
「水なら持っています」
「黒部さん、能力を使ったあとに鼻血が出たでしょう。今度は頭痛だけでは済まないかもしれません。おかしいと思ったら、すぐ飲んで休んでください」
「水を飲めば、能力の反動が治るんですか」
「治るかどうかは分かりません」
「では、なぜ?」
「具合が悪い人へ何も渡せないと、見送る側が不安なんです。気休めですよ」
白石は少し苛立ったように言った。
「役に立たない物はいらないと、おっしゃいますか?」
「いいえ。もらいます」
小瓶を上着の内側へ入れる。
「素直ですね」
「気休めが役に立たないとは思っていません。人間は機械ではないので」
「そういうことも分かっているんですね」
「かなり失礼では?」
「地下から戻ったら謝ります」
「戻らなければ?」
「地下まで下りていって、遺体の前で説教します」
「それは避けたいですね」
俺が答えると、白石は笑わなかった。
代わりに、俺の袖を一度だけ強くつかんだ。
「本当に、戻ってきてください」
「努力します」
「そういうときは『必ず戻る』と言うものでは?」
「守れるか分からない約束はしません」
「黒部さんは、女の人に嫌われるでしょう」
「離婚しています」
「でしょうね」
会ってから一時間も経っていない女性に、離婚へ納得されてしまった。
反論しようとしたが、廊下の先でガレンが「置いていくぞ」と怒鳴っている。俺は白石へ手を上げ、救助隊の後を追った。
問題の排水路は、王城の厨房奥にあった。
厨房では鍋や皿が床へ散乱し、竈の火も消えている。避難が済んでいるため人影はなく、作りかけのスープだけが傾いた鍋から流れ出していた。
排水路の入口は、食料庫の棚に隠されていた。
「閉鎖したというわりには、ずいぶん丁寧に隠してありますね」
「管理局からは、鼠が入り込むので棚を置いたと説明を受けた」
ガレンが兵士たちと一緒に棚を動かす。
壁の低い位置に、鉄格子の付いた穴が現れた。人一人が屈んで通れる程度の大きさだ。
鉄格子には王立迷宮管理局の封印札が貼られている。
見た目だけなら、何年も開かれていないように思える。しかし、格子を留める蝶番だけは不自然に黒く光っていた。
「灯りを近づけてください」
ドーグが魔石灯を掲げる。
蝶番には新しい油が塗られていた。鉄格子の周囲は埃だらけなのに、留め具の一本だけには触れた跡がある。
「これ、日常的に開けていますよ」
「やはり、無登録の作業員をここから入れていたか」
ガレンが顔をしかめた。
「正門なら記録が残る。運搬組とやらは、厨房の食料搬入に紛れて入り、ここから地下へ下りたのだろう」
「王城の厨房を通って?」
「役人が絡んでいなければ不可能だ。王城は腐っているとは思っていたが、床下まで腐っていたらしい」
「笑えませんね」
「俺も笑っていない」
ガレンが封印札を破り、留め具を外した。
鉄格子は、驚くほど滑らかに開いた。
中から湿った空気が流れてくる。泥と苔の臭いに混じり、油と、人間の汗の臭いがした。
閉鎖された通路の臭いではない。
「俺が先に行く」
ガレンが入口へ足をかける。
「待ってください。先頭は一番体の小さい人にしてください」
「俺では不満か?」
「先が塞がっていた場合、後ろ向きで戻ることになります。あなたは肩幅がありすぎる」
「では、おまえが行くか?」
「俺は二番目です」
「一番にはならないんだな」
「先頭が穴へ落ちたとき、後ろから縄を引く人間が必要です」
「本当に、可愛げのない男だ」
最も小柄な若い兵士が先頭に決まり、俺がその後ろ、続いてガレン、ドーグたちが入る。
排水路の中は狭かった。
場所によっては、膝と肘をついて進まなければならない。床には冷たい水が流れ、服へ泥が染み込んでくる。天井から垂れた細い根が顔へ張りつき、背中のすぐ上を低い振動が通り過ぎていった。
先頭の兵士が振り返る。
「黒部殿。音がします」
「どこから?」
「前です。誰かが石を叩いているような……」
全員が動きを止めた。
水の流れる音に混じり、かすかな金属音が聞こえる。
二回。
少し間を置いて、もう二回。
「救助隊だ!」
ガレンが声を張った。
「聞こえるなら返事をしろ!」
「……税金……取りなら……帰れ……」
暗闇の奥から、掠れた男の声が返ってきた。
ガレンが眉を寄せる。
「助けに来た人間へ、最初に言う言葉がそれか?」
「管理局の連中に、何度も給金を持っていかれたんでしょう」
「元気はありそうだな」
「声だけで決めないでください」
通路を進むと、少し広い空間へ出た。
天井の一部が崩れ、石と木材が積み重なっている。その下に、一人の男がいた。
五十歳前後。顔も服も泥まみれで、左耳が半分欠けている。
マルタが話していた第三運搬組の親方、ボロスだろう。
男は倒れた木材に右脚を挟まれ、身動きが取れなくなっていた。足元には血が溜まり、顔色も悪い。
「ボロスさんですか」
「そうだが……おまえ、見ない顔だな」
「今日、この世界へ来ました」
「来た初日に、こんな穴へ入ったのか。前世でよほど悪いことをしたんだな」
「転生ではなく召喚らしいです」
「どっちでもいい。俺を置いて、先へ行け」
「嫌です」
「即答するな。西の作業場に三十四人いる。ここで俺に構っている時間はない」
「あなたを助ければ、道案内が一人増えます」
「この脚を見ろ。歩けるように見えるか?」
「見えません。ですから、道を説明してから地上へ戻ってもらいます」
「俺が戻れば、一人が付き添わなきゃならん。救助隊が減る」
「数の計算はできるようですね」
「親方だからな」
「なら、あなたが死んだ場合、詳しい道を知らない七人が迷う危険も計算してください」
ボロスは顔をしかめた。
「嫌な喋り方をする男だな」
「よく言われます」
「弟子にしたくねえ」
「頼んでいません」
ガレンが木材へ手をかけた。
「持ち上げるぞ。ドーグ、反対側を――」
「触らないでください」
「今度は何だ」
「その木材は、瓦礫ではありません。天井を支えています」
「倒れた梁だろう」
「だから支えになっているんです。偶然、石の間へ挟まり、荷重を受け止めている。持ち上げれば、上の岩が落ちます」
ガレンは木材から手を離したものの、納得はしていない。
「見ただけで分かるのか?」
「表面の削れ方と、ここです」
俺は梁の中央を指した。
木材の繊維が少しずつ裂け、細かな粉を落としている。上から力がかかり続けている証拠だ。
「《事故鑑定》を使わなくても分かります。あれは最後の確認にします」
「少しは白石殿の言うことを聞くらしいな」
「聞かないと、遺体へ説教されますから」
「何の話だ」
「こちらの話です」
持ってきた角材二本を梁の両脇へ立て、木製の楔を打ち込む。
狭い通路では、大きく槌を振れない。兵士たちは交代しながら、少しずつ楔を押し込んだ。
「もっと強く打て」
ガレンが先頭の兵士へ言う。
「駄目です。一度に力をかけると、梁がずれます」
「この速さでは日が暮れる」
「急いで支えを壊したら、永遠に暗いままです」
「おまえの部下は、いつもこんな言い方をされているのか?」
ガレンが俺ではなく、誰もいない日本の職場へ同情するように言った。
「俺に部下はいませんでした」
「なぜだろうな。まったく想像がつかん」
「皮肉なら、もう少し分かりにくく言ってください」
楔が入り、二本の角材へ荷重が移る。
梁の下にわずかな隙間ができた。ドーグが腹ばいになって手を伸ばし、ボロスの脚をゆっくり引き抜く。
「痛いか?」
「見りゃ分かるだろうが!」
「分かった。まだ悪態をつく元気はある」
「おまえら、助ける相手には、もう少し優しくできねえのか!」
「俺たちは医者ではない」
「そういう問題じゃねえ!」
ボロスは怒鳴ったが、その直後、痛みに耐えきれず低く呻いた。
右脚は折れている。出血も多い。
ドーグが布で傷を圧迫すると、ボロスは息を乱しながら、俺の腕をつかんだ。
「俺を地上へ戻す前に、道を教える。ここから水の流れに沿って進むと、二股へ出る。右は正式坑道だが、途中で潰れている。左へ行け」
「図面では、左側に通路はありません」
「だから誰も来ねえと思ってたんだよ。左の奥に第三採掘場がある。運搬組の連中は、そこから西の空洞へ逃げた」
「マルタさんの弟、ルカは?」
「いる。たぶん生きてる。あいつは足が速いから、伝声管まで走らせた」
俺は少しだけ息を吐いた。
確実に助けるまでは、マルタへ何も約束できない。それでも、生存の可能性が分かっただけで意味はある。
「第三採掘場では、何を掘っていたんです?」
「紫晶石だ」
「支柱の根元にある鉱石ですね」
ボロスの手が止まった。
「どうして、それを知っている」
「壊れた床へ触れたときに見えました。支柱を削ったんですね」
「違う。俺たちは、言われた場所の石を取っただけだ」
「俺は、あなたたちが支柱を削ったとは言っていません」
ボロスが黙る。
地下を流れる水の音だけが、やけに大きく聞こえた。
ガレンが男の前へしゃがみ込む。
「誰に命じられた」
「知らねえ」
「ボロス」
「本当に知らねえんだ。管理局の監督官だ。名前も偽物かもしれねえ。銀色の許可証を持っていて、命令に従えば、俺たち全員を来月から正式雇用にすると言った」
「支柱を削れば危険だと分かっていたはずだ」
「分かってたよ!」
ボロスが叫んだ。
「俺は二十七年、坑道で働いてる。支えを削って平気だなんて思うほど馬鹿じゃねえ。だから断った。三度断った。そしたら、あの男は、俺たちが無登録で地下へ入っている証拠を出した。逆らえば全員を牢へ入れる、給金も払わねえ、家族にも罰金を課すと言われた」
「それで従ったのか」
「ああ。従った。俺は家族を守るつもりで、三十四人を穴の底へ連れていった」
ボロスは汚れた手で顔を覆った。
「だから俺は置いていけ。親方が一番先に逃げて、どうする」
「地上へ戻って、命令した男の顔を証言してください」
「そんなことで、許されると思うか」
「思いません」
ボロスが手を下ろす。
「俺が許す話ではありません。仲間に謝るのも、罰を受けるのも、全部生きて戻ってからやってください。ここで死ねば、あなたは楽になるかもしれない。でも、何があったか説明する役目は、ほかの人間へ押しつけることになる」
「……本当に、嫌な男だな」
「それも、よく言われます」
ボロスは泣かなかった。
ただ、何度も口を開きかけては閉じ、最後に低い声で言った。
「命令が来たのは、今日の夜明けだ」
「崩落した当日?」
「ああ。監督官は、いつも以上に急いでいた。勇者召喚の鐘が鳴るまでに、支えの石を三尺削れ。それができなければ、全員牢へ入れると」
ガレンが俺を見る。
王城で召喚の儀式が始まり、恩寵を測っていた時刻。
その真下では、地下迷宮を支える柱が削られていた。
そして、召喚が終わるのを待っていたかのように、最初の柱が折れた。
「偶然だと思うか?」
ガレンが尋ねた。
「いまは答えを決めません」
「慎重だな」
「最初に答えを決めると、証拠を自分に都合よく並べてしまいます。ただ――」
俺は暗い坑道の奥を見た。
「時刻が合いすぎています」
崩落は、古い地下迷宮でたまたま起きた事故ではない。
誰かが勇者召喚の時刻に合わせ、支柱を削らせていた。




