第19話 最初の住民は、王都から逃げてきた鉱夫たち
グレイベル西門の外には、二十三人がいた。
男が十五人、女が六人、子供が二人。荷馬車は一台だけで、そこには足を負傷した老人と、人数分には足りない毛布が積まれていた。
水路修理を終えたばかりの住民たちが、井戸から戻った水を運ぶ横で、彼らは閉じた門の前へ固まって座っている。
「黒部様!」
俺を見つけたマルタが、荷物を放り出して走ってきた。
王宮の侍女服ではなく、厚手の旅装を着ている。十一日以上の移動で疲れているはずだが、立ち止まる様子はなかった。
そのまま抱きつかれるかと思ったが、マルタは俺の一歩手前で急停止し、深く頭を下げた。
「無事で、本当によかったです」
「それはこちらの言葉です。全員、王都地下にいた人たちですか」
俺が人数を確認し始めると、マルタは顔を上げた。
「再会して最初に聞くことが、それですか」
「誰かが途中ではぐれていれば、探す必要があります」
「……そういう方でしたね、黒部様は」
呆れたように言いながらも、マルタは一人ずつ説明した。
十五人は王宮地下で無登録労働に従事していた鉱夫。女性のうち三人は鉱夫の妻や姉妹で、残る二人は炊事と衣服の補修を担当していた。子供二人は兄妹で、父親を崩落事故で亡くしている。
最後の一人はマルタ自身だ。
「ジェスクとボロスは」
「王都に残りました。ボロスさんはまだ長距離を移動できませんし、ジェスクさんは証言する人間が全員いなくなれば、ローデンの思うつぼだと」
「彼らしい判断です」
「それから、黒部様が勝手に死んだら、辺境まで行って墓の前で三日三晩怒鳴る、と言っていました」
「それは避けたいですね」
「死ぬことより、怒鳴られる方が嫌なんですか」
「死んだ後まで怒鳴られるのは不合理です」
「死んだ人へ合理性を求めないでください」
マルタがようやく笑った。
その後ろからルカが歩いてくる。地下から救出されたときより顔色はいいが、右足を少し引きずっていた。
「黒部さん。俺たちを雇ってください」
挨拶より先に、ルカは言った。
「迷宮で働いた経験があります。支柱も組めるし、換気管の修理もできます。今度は隠れて働かなくていい場所があると、ジェスクさんから聞きました」
「誰が言ったんです、そんなこと」
「違うんですか」
「まだ管理人になって二日です。管理所の二階は崩れ、食料は一週間分しかない。都市の水路を直したばかりで、迷宮の管理率も三パーセントです」
「それでも、王都よりましです」
ルカの声から、先ほどまでの勢いが消えた。
「王命で恩赦が出た翌日、神殿の人間が来ました。罪には問わないが、身元確認が終わるまで神殿の管理する作業場で働けと言われたんです。それでは前と何も変わらない」
「断ったら?」
「仕事を紹介してもらえなくなりました。宿も、食料を売る店も、急に俺たちを断るようになった。恩赦は出た。でも、紙に名前が載っていない人間は、どこにも住めないままでした」
ローデンは法を破っていないのだろう。
恩赦そのものには従いながら、仕事と住居を奪う。違法な命令を出さなくても、人間を追い詰める方法はいくらでもある。
「商人の荷馬車に頼み込み、王都を出ました」
マルタが続けた。
「黒部様の護送馬車より後に出発しましたが、商人の街道を使ったので、一日遅れで追いつけました。皆、辺境へ来れば仕事があると思っています」
「俺は募集していません」
「分かっています。それでも、来るしかなかったんです」
マルタの言葉に、後ろの人々が頷いた。
ただし、全員ではない。
腕を組んでいた大柄な男が、鼻を鳴らした。名前はラグン。地下では採掘班の副頭をしていたという。
「恩返しだの、助けてもらった礼だの、綺麗な話だけにするのはやめようや」
「ラグンさん」
ルカが咎める。
「何だ。嘘をついて雇ってもらう方が失礼だろう」
ラグンは俺を真っ直ぐ見た。
「俺は稼ぎに来た。第十三封鎖迷宮には、王都の連中も手をつけていない魔鉱石があると聞いてる。危険なのは承知だが、見つけた物の取り分があるなら働く。全部王国に取られるなら、こんな辺境まで来た意味はない」
「俺たちは黒部さんへ恩を返すために――」
「恩で腹が膨れるのか、ルカ」
ラグンが言い返した。
「お前は姉さんが王宮で働いていたから、まだましだっただろう。俺には娘が二人いる。今日明日の飯だけじゃない。冬を越す金が必要なんだ。恩を返すために家族を飢えさせたら、そっちの方が立派なのか?」
「そんなことは言ってない!」
「言ってるのと同じだ。自分だけ善人みたいな顔をするな」
ルカが拳を握った。
マルタが二人の間へ入る。
「やめなさい、ルカ。ラグンさんの言い方は悪いけれど、言っていることまで間違っているわけではありません」
「姉さんまで、そんな」
「助けてもらったから、何も求めずに働く。それを私たち全員へ押しつけたら、王宮地下でやらされたことと変わらなくなるでしょう」
恩返しをしたい者。
ローデンから逃げたかった者。
稼ぐために来た者。
二十三人が同じ理由で動いているはずがない。
「全員、今夜は門外の旧隊商倉庫を使ってください」
俺が言うと、ルカが顔を曇らせた。
「雇ってもらえないんですか」
「今は判断できません。怪我と健康状態、できる仕事、働く意思を確認します。それに俺には、賃金を支払う金がない」
「金なんて要りません」
マルタが即座に答えた。
「炊事も洗濯も、管理所の掃除もします。黒部様には弟の命を救っていただきました。そのお返しを――」
「無給では頼みません」
「でも、私がそうしたいんです」
「俺が受け取りたくありません」
「恩を返す方法まで、黒部様が決めるのですか」
マルタの声が強くなった。
周囲が静かになる。
「ルカを助けていただいたとき、私は何もできませんでした。崩落が起きたのも知らず、王宮の廊下を掃除していた。無事だと分かったときも、ただ弟を叩いて、泣いただけです。今度こそ私にも何かさせてください」
「無償で働くことだけが、恩返しではありません」
「それを決めるのは私でしょう」
「何を返すかは、あなたが決める。受け取るかは俺が決めます」
マルタは悔しそうに唇を結んだ。
「今のあなたは、助けられたことへの罪悪感で働こうとしている。今日なら休まず働けるかもしれない。ですが一か月後、疲れて辞めたくなったとき、『恩があるから断れない』と思うようになる。俺は、その状態を利用したくありません」
「そんな先の気持ちまで、今から決めつけないでください」
「だから契約にします。未来のあなたが、現在のあなたの罪悪感に縛られないように」
「……本当に、人の感謝まで面倒にする方ですね」
「人間が最初から面倒なので、仕方ありません」
マルタはしばらく俺を睨んでいた。
やがて視線を逸らし、目元を指で拭う。
「分かりました。でも、安い賃金なら断りますから」
「その方が交渉になります」
「そこは、少しくらい慌ててください」
門の内側から、都市長クラウスと水路頭のマグダが出てきた。
話を聞いていたらしい。
「二十三人全員を都市へ入れることはできない」
クラウスが言った。
「冷たいと思うだろうが、身元を確認できる書類がない。昨夜の断水で食料と水の備蓄にも余裕がない。神殿から追われているなら、揉め事まで持ち込むことになる」
「第十三封鎖迷宮の管理作業員として登録します」
「あなたに、その権限があるのか」
「管理人は、封鎖区域の維持に必要な人員を雇用できると、王国法に書かれていました」
「十三ページしかなかった管理記録の中に?」
「王国への忠誠を求める九ページの、最後に一行だけ」
「よく見つけたな」
「役に立つ情報が少なかったので、覚えています」
クラウスは二十三人を見渡した。
「それでも、都市から給金は出せない」
「昨日の水路修理費を払ってください」
「何?」
「都市給水を復旧するため、十一時間の緊急作業を行いました。作業員二十名以上、資材、危険作業を含みます」
「あなたは王国から任命された管理人だ。給水設備も迷宮に付属するなら、修理は職務ではないのか」
「管理人の職務に含まれるとしても、住民と作業員の無償労働まで含まれません」
「金を請求するつもりか」
「水路を今後も保守するなら、人が必要です。都市は一か月分の作業費と食料を出す。こちらは給水設備の点検、補助水路の維持、緊急時の修理を請け負う。契約にしましょう」
クラウスは不愉快そうに俺を見た。
マグダがその肩を叩く。
「払いな。水路がまた止まったら、今度もただで直させるつもりかい?」
「都市の予算にも限りがある」
「水が出なきゃ、予算を使う都市そのものがなくなるよ」
「しかし、素性の知れない二十三人を――」
「素性なら今から記録します」
俺は答えた。
「以前の紙がないから、人間まで存在しないことにはならない。名前、年齢、家族、技能、怪我、働き始めた日を、新しく残せばいい」
クラウスはすぐには答えなかった。
最終的に、都市は一か月分の穀物と、十七人分の基本給を水路保守費として負担することになった。代わりに管理班は、都市水路の定期点検と緊急修理を引き受ける。
残る六人は子供、負傷者、仕事を希望しない家族だった。働かないことを理由に追い出すことはしない。ただし食料と住居の分配記録には、全員の名前を残す。
*
旧隊商倉庫へ長机を運び込み、その夜のうちに雇用条件を決めた。
「一日の作業は、休憩を除いて八時間。迷宮内部へ入る作業は一回四時間までです」
俺が紙へ書くと、ラグンが口を挟んだ。
「四時間じゃ、採掘場所まで往復しただけで終わることもあるぞ」
「それなら、途中に安全な休憩所を作るまで深く入りません」
「そんなことをしていたら稼げない」
「死ねば、もっと稼げません」
「採掘ってのは、多少の危険を飲み込む仕事だ」
「多少とは、どの程度です」
「それは現場で決める」
「現場で都合よく変わる言葉は、規則に使えません」
ラグンは頭を掻いた。
「お前、本当に元役人じゃないのか?」
「事故調査員です」
「同じくらい細かい」
「褒め言葉として受け取ります」
「褒めてねえよ」
地下や崩落危険区域での仕事には、基本給とは別に危険手当をつける。単独作業は禁止し、最低でも二人一組。怪我をした場合は治療費と、一定期間の賃金を管理班が負担する。
そして、作業員の誰にでも撤退を申し出る権利を認めた。
「待ってくれ」
年長の鉱夫が手を上げる。
「新入りが怖くなったと言っただけで、全員引き返すのか?」
「理由を確認します。ただし確認が終わるまでは止めます」
「臆病者が一人いれば、毎日仕事にならんぞ」
「臆病な人間が気づき、勇敢な人間が見落とす危険もあります」
「何もなかったら?」
「何もなかったという記録を残す。繰り返すなら配置を考えますが、撤退を申し出たこと自体は処罰しません」
「そんな現場、聞いたことがない」
「前と同じ現場を作るつもりはありません」
王宮地下では、怖いと言えば仕事を失った。
危険だと報告すれば、代わりはいくらでもいると言われた。その結果、誰も支柱の異常を言わなくなり、図面に載らない百人以上が地下へ押し込まれた。
同じ仕組みを辺境へ持ってくるなら、彼らを受け入れる意味はない。
「発見した魔鉱石や遺物は、全部管理所で記録します」
俺が続けると、ラグンが身を乗り出した。
「取り分は」
「売却可能と判断された物については、税と管理費を除いた一部を発見班へ報奨として支払います」
「一部って、どのくらいだ」
「価値と危険度で基準を作ります。勝手に持ち出した場合は契約解除。都市へ盗難として報告します」
「正直に出す方が得になる額にしろよ。人間、決まりだけで欲を我慢できると思うな」
「同意します」
俺が答えると、ラグンは逆に驚いた。
「そこは怒らないのか」
「利益を求めること自体は問題ではありません。隠れて持ち出した方が得になる制度を作り、その後で人間の善意だけを期待する方が間違っています」
「……あんた、聖人じゃないな」
「一度も名乗っていません」
「それなら信用できるかもしれん」
ルカが不満そうにラグンを見た。
「盗むつもりだった人へ、報奨まで払うんですか」
「盗む前なら、条件を変えられます」
「でも、俺たちは黒部さんを助けるために来たんです」
「ルカ。あなたは最初の一週間、地上作業です」
「どうしてですか!」
「右足を引きずっています。呼吸も浅い。王都地下で負傷してから、医療担当者の許可を受けていないでしょう」
「もう治っています」
「治っている人間は、そういう歩き方をしません」
「俺を信用してないんですか」
「助けたいという気持ちは信用しています。その気持ちのために、痛みを隠す判断は信用していません」
ルカは傷ついた顔をした。
「俺は子供じゃありません」
「だから規則を適用しています。子供として扱うなら、最初から働かせません」
「なら、せめて換気設備の図面整理をやらせてください。歩かなくてもできます」
「それなら可能です。明日、能力を確認します」
「最初からそう言ってくれればいいのに」
「今、提案されたので」
「本当に、話していると疲れるな……」
姉のマルタが、横で笑いを堪えていた。
「笑うなよ、姉さん」
「だって、黒部様とルカは、頑固なところがよく似ているから」
「似てない!」
「似ていません」
俺とルカの声が重なり、倉庫の中に笑いが広がった。
契約書は全員の前で二度読み上げた。
文字を読めない者もいたからだ。
「読めないことを、今ここで恥じる必要はありません」
俺は契約書の写しを机へ並べた。
「管理側だけが読める契約は、契約ではなく命令です。分からない言葉があれば、署名する前に聞いてください」
質問は一時間以上続いた。
食料代は賃金から引かれるのか。家族が病気になった場合はどうするのか。迷宮へ入らない炊事係にも危険手当は出るのか。死んだ場合、未払い賃金は誰へ渡るのか。
面倒な質問ばかりだった。
だからこそ、今決める必要があった。
最後に十七人が名前を書き、書けない者は本人確認の上で指印を押した。
管理鍵が淡く光る。
『外部管理補助者――十七名を登録』
『管理区域居住者――二十三名を仮登録』
『組織名称が未設定です』
「名前が必要だそうです」
俺が言うと、マルタがすぐに答えた。
「黒部管理隊でいいのでは?」
「却下します」
「では、黒部様を守る会」
「もっと却下します」
「役立たず管理人組合はどうだ」
ラグンが面白がって言う。
「自分たちまで役立たずに含まれますよ」
「それは困るな」
結局、名称は《第十三封鎖迷宮管理班》になった。
面白みはないが、何をする集団かは分かる。
人を生かすための名前に、派手さは必要なかった。
*
夜明け前、二十三人は管理所周辺へ移動した。
二階の潰れた本館には誰も入れず、倉庫と厩舎を掃除して仮の寝床を作る。足りない分は天幕を張った。
マルタは契約したばかりの炊事責任者として、大鍋へ豆を入れていた。
「最初の仕事から薄い豆の煮込みで、申し訳ありません」
「昨日の俺よりは塩を使っています」
「褒めていますか?」
「はい」
「黒部様の褒め方は分かりにくいです」
子供たちは肉がないと不満を言い、ラグンとルカは翌日の仕事分担でまた揉めている。長旅で疲れているはずなのに、誰も静かにはならなかった。
リゼットが、少し離れた場所から天幕を眺めている。
「二日前まで、誰も住みたがらない処刑場だったのに」
「まだ仮設の作業場です」
「そう言いながら、住民登録までしたでしょう」
「一か月の仮登録です」
「集落って、だいたいそうやって始まるのよ。最初は全員、少しだけいるつもりなの」
朝日が岩山の向こうから昇った頃、街道に新しい荷馬車が現れた。
三台の荷台には王家の紋章が掲げられ、先頭の御者が封蝋された書類を持っている。
「王都から、第十三封鎖迷宮管理所への定期補給だ!」
予定より早い補給だった。
一か月分の食料、工具、薬、衣類が積まれているという。
これで二十三人を養える。
そう思ったのは、最初の袋を開けるまでだった。
小麦粉は黒い黴に覆われていた。
木箱の中では、金槌の柄がすべて同じ位置から切られ、鋸の刃には目立たない亀裂が入っている。薬瓶の栓も緩められ、中身が別の液体へ入れ替えられていた。
王都がようやく送ってきた補給品は、偶然では説明できないほど、すべて壊れていた。




