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第18話 罠を止めたら、辺境都市の井戸が枯れた

 辺境都市グレイベルの水が止まったことを、都市の住民より先に、第十三封鎖迷宮が知らせてきた。


『外部給水圧――ゼロ』


『都市内貯水量――推定六時間分』


『関連故障箇所――管理権限不足により表示不能』


 原因の詳しい位置さえ、管理率二パーセントでは分からない。


「六時間というのは、余裕がある方ですか」


「あるわけないでしょう」


 リゼットは簡略図を睨んだ。


「グレイベルには、井戸が七つと共同貯水槽が三つある。診療所、守備隊、食堂、鍛冶場、家畜まで全部そこから水を使ってる。貯水量の計算に、住民が各家庭で持っている分は入ってる?」


「入っていないと思います」


「なら少しは持つ。でも、断水に気づいた人間が不安になって、水を余計に汲もうとすれば一気になくなる」


「水が出ないのに、どうやって余計に汲むんです」


「家に残っている水を隠すの。金を持っている商人は、他人より先に貯水槽の水を買おうとする。水が本当に足りないことより、『自分の分だけなくなるかもしれない』という不安の方が、街を早く混乱させるのよ」


 事故も同じだった。


 危険そのものより、情報がない状態で人が勝手に動くことの方が被害を増やす。


「先に知らせます」


「どうやって?」


「さっきの信号矢は、もうありません」


「私のせいみたいに言わないで。五人を助けるために使ったのよ」


「責めていません。別の方法を探しています」


 黒門の外から、馬の蹄が近づいてきた。


 夜中に撃った最初の信号矢を見た守備隊が、ようやく到着したらしい。門を開けると、兵士四人と荷馬車が管理所の前へ止まっていた。


 彼らは毒気を吸った冒険者たちを見て驚き、次に管理所の崩れた二階を見上げ、それから俺へ視線を向けた。


「一晩で何をしたんだ」


 隊を率いてきた中年の兵士が尋ねた。


「五人を救助し、管理所の排除設備を止めました。その影響でグレイベルへの送水が停止しています」


「……最後の部分だけ、もう一度言ってくれ」


「都市全域で断水が起きています。推定貯水量は六時間分です」


 兵士はしばらく黙った後、リゼットを見た。


「こいつを管理人にして、本当に大丈夫なのか」


「管理人になって二時間で、冒険者を五人助けたわ」


「水も止めたんだろう?」


「それは今から直す」


「直せるのか」


 リゼットが俺を見る。


「方法を調べます」


「そこは『直せる』と言ってくれない?」


「まだ原因を確認していません」


「この人、ずっとこうなのよ」


 守備兵たちは、まだ意識の戻らないセドと、歩けないバルトを荷馬車へ乗せた。


 俺とリゼット、《灰鷹》の残る三人も同乗し、グレイベルへ向かった。


 管理所から都市までは、馬車でも一時間半かかった。その間にも《迷宮事故記録》の端には、外部貯水量が少しずつ減っていく様子が表示され続けている。


 残り五時間四十二分。


 残り五時間二十一分。


 時間は、こちらの都合に合わせて止まってくれない。


     *


 グレイベルへ到着したとき、中央広場の共同井戸には長い列ができていた。


 井戸へ下ろされた桶は、水音を立てない。


 母親に抱かれた子供が泣き、宿屋の主人が桶を二つ抱えて怒鳴り、家畜用の水を求める農夫と、火事に備えて貯水槽を守ろうとする守備兵が言い争っている。


「犯罪者の管理人が、迷宮を壊したんだって?」


 誰かの声がした。


「昨日まで水は出ていた! あいつが来た途端に止まったんだ!」


「王都で封印を壊した奴なんだろう! どうしてそんな男を、ここの管理人にした!」


 人々の視線が俺へ集まった。


 怒って当然だった。


 彼らは俺が五人を助けたことを知らない。知ったとしても、家族が飲む水と引き換えなら、素直に喜べない者もいるだろう。


「あなたが水を止めたの?」


 赤ん坊を抱いた若い女が、俺の前へ出た。


 赤ん坊は熱があるのか、顔を赤くしている。


「直接には、俺が管理所の排除設備を止めた影響です」


 周囲の声が一段大きくなる。


 リゼットが俺の袖を掴んだ。


「もう少し言い方を考えて」


「原因を隠せば、後で余計に揉めます」


「だからといって、最初の一言で全部自分のせいにしなくてもいいでしょう」


「この人の熱を下げる水は、いつ戻るの」


 母親は周囲の怒声を気にせず、俺だけを見ていた。


「まだ正確には答えられません。診療所の貯水を先に確認します。足りなければ、山の沢から運びます」


「何時に戻るか聞いたの」


「原因を確認してから答えます。できない約束はしません」


 女は唇を噛んだ。


「なら早く確認して。謝るのは、その後でいいから」


 それだけ言い、赤ん坊を抱いて診療所の方へ走っていった。


 罵声より、その言葉の方が重かった。


「広場で騒いでいても水は出ん!」


 太い女の声が響いた。


 人垣を押し分けて現れたのは、五十代半ばほどの大柄な女だった。革の前掛けに工具をいくつも差し、腕は鍛冶職人のように太い。


「水路頭のマグダ・ロイスよ」


 リゼットが小声で教えた。


「グレイベルの地下水路は、あの人が二十年以上見ている」


 マグダは俺の前へ立ち、挨拶もせず尋ねた。


「何を止めた」


「第十三封鎖迷宮の外部管理棟にある、生活事故偽装型排除設備です」


「長い。普通の言葉で言え」


「管理所へ入った人間を、天井の崩落や井戸への転落に見せかけて殺す設備です」


 マグダは片方の眉を上げた。


「そんなものが、街の水と何の関係がある」


「まだ分かりません。ただ、排除設備を停止した直後に送水圧がゼロになった。共通の動力か、同じ安全弁を使っています」


「根拠は」


「管理鍵に表示されました」


「王都から来た罪人の、得体の知れない能力を信じろと?」


「信じる必要はありません。現物を確認させてください」


 マグダは俺の顔を見た後、リゼットへ視線を移した。


「この男は、信用できるのか」


「説明は信用できる。ただし、本人は信用しすぎない方がいい。放っておくと休まずに動いて倒れるから」


「そういう話はしていない」


「一日一緒にいれば、どちらも同じくらい大事になるわ」


「俺はまだ倒れていません」


「迷宮で膝をついたでしょう」


「能力を使った直後です」


「それを倒れたと言うのよ」


 マグダは俺たちのやり取りを聞き、深いため息をついた。


「痴話喧嘩なら水を戻した後にしろ」


「違います」


 俺とリゼットの声が重なった。


「息だけは合ってるじゃないか。ついてこい。中央貯水槽の下を見せる」


     *


 グレイベル中央貯水槽の地下には、古代の水路が残っていた。


 都市の人間が後から作った石管とは、材質も太さも違う。迷宮内部で見たものと同じ黒い金属管が岩盤を貫き、山側から貯水槽へ水を送っている。


 管の途中には、三方向へ分かれる巨大な弁があった。


 一つは都市の貯水槽。


 一つは第十三封鎖迷宮。


 残る一つは、管理所の方向へ延びている。


「昔から、この三本目がどこへ繋がっているか分からなかった」


 マグダが管理所側の管を金槌で叩いた。


「水は通っていたが、量は少なかった。止めれば街へ来る水が増えると思って弁を動かした職人が、二人ほど腕を折っている。それ以来、触るなと決めた」


「弁が急に戻った?」


「見ていたのか?」


「管理所の排除設備は、水圧を動力にしています。都市へ送る前の水を一度管理所へ流し、天井梁や井戸蓋を動かす圧力へ使った後、残った水を貯水槽へ送っていた」


「街は、人殺しの仕掛けを動かした残り水で暮らしていたというの?」


 リゼットが嫌そうな顔をした。


「設備を作った当初は、侵入者を排除する正規の防衛機能だったのでしょう。ただ、管理鍵が壊れたことで、管理人まで侵入者として扱うようになった」


 俺は三方向弁へ手を近づけた。


 触れる前から、《迷宮事故記録》が赤い線を表示している。


 都市側の管は生きている。


 だが排除設備を停止したため、古代装置が異常と判断し、山からの主取水弁を閉じていた。


「元の状態へ戻せば、五分ほどで水は出ます」


「なら戻せ」


 地下へ降りてきた都市長が言った。


 クラウス・ベルンと名乗った五十代の男で、上等な外套を着ているが、靴は泥で汚れていた。騒ぎを部下へ任せず、自分で現場まで来た点は評価できる。


「戻せば管理所の排除設備も再起動します」


「そこに住むのは、あなた一人だろう」


 クラウスは悪意なく言った。


「一人の危険と、都市四千人の水を比べろというのは酷かもしれない。しかし、私には住民を守る責任がある」


「排除設備が狙うのは俺だけではありません。前任者の一人は井戸へ落とされ、一人は階段から転落した。設備の対象範囲が、管理所だけだという保証もない」


「だが昨日までは事故など起きていなかった」


「昨日までは、壊れた管理鍵を持つ人間がいなかった。今は俺がいる。元へ戻せば、俺を排除するために、都市側の設備まで使う可能性があります」


「可能性で四千人へ水を我慢させるのか」


「分からない危険を、存在しないものとして扱うことはできません」


 クラウスの言い分も間違っていない。


 都市長として、水を優先しなければならない。遠くの管理所にいる罪人一人を危険に晒せば四千人が助かるなら、選びたくなるだろう。


 だが事故は、犠牲にする人間を正確に選んでくれない。


「別の経路を作ります」


 俺は三方向弁の横へ走る細い管を指した。


「ここに使われていない補助水路があります。排除設備を通さず、山側から都市の貯水槽へ直接流せる」


 マグダが屈み込み、管の表面を削った。


「腐食してる。今の水圧を一気にかけたら破裂するよ」


「先に圧力を落とし、少量ずつ水を入れます。継ぎ目を補強し、空気を抜く弁も必要です」


「何時間だ」


「順調なら十時間」


 クラウスの表情が険しくなる。


「都市の貯水は、あと五時間も持たない」


「診療所と火災用の水を残し、一般配給を一度止めます。山の沢から運べるだけ運び、雪も溶かす。十時間を耐えてもらうしかありません」


「住民が納得すると思うか」


「納得できる材料を全部話します。その上で決めてもらいます」


「古代設備の話を広場で説明するのか? 余計に混乱するぞ」


「不都合な部分を隠して水だけ我慢しろと言えば、もっと混乱します」


 マグダが立ち上がった。


「私は直接水路を作る方に賭ける」


「マグダ」


「元の仕組みに戻すのは簡単だよ。簡単だから、今まで誰も中身を考えなかった。それで何人も死んだんだろう?」


「だが――」


「都市長。住民に説明するなら、あんたも隣に立ちな。罪人一人に石を投げさせて、自分だけ地下へ隠れるんじゃないよ」


 クラウスは苦い顔をした。


「私は逃げているつもりはない」


「逃げてる人間ほど、自分ではそう思ってないものさ」


 水路頭は、都市長にも容赦がなかった。


     *


 中央広場へ戻り、二つの方法を説明した。


 排除設備を戻せば、五分で水は出る。ただし、誰がどこで事故に遭うか分からない。


 安全な補助水路を使えば、復旧には十時間かかる。その間、配給を止めなければならない。


「管理人が管理所に戻らなければいいんじゃないのか!」


 宿屋の主人が叫んだ。


「こいつ一人が街を出れば、仕掛けも動かないんだろう!」


「その可能性はあります。ただし確認できていません。俺が離れても、管理鍵との接続が残ることも考えられます」


「何も分からないじゃないか!」


「分からないことを、分かっているように言うつもりはありません」


 別の男が声を上げた。


「うちには牛が十頭いる! 十時間も水をやらなかったら乳が出なくなる!」


「診療所だけ先に水を回すなんて不公平だ!」


「火事が起きたらどうするんだ!」


 どれも身勝手な意見ではなかった。


 牛が弱れば家族の生活が壊れる。診療所を優先すれば、自分の家族が見捨てられたように感じる者もいる。火災用の水を残す必要もある。


 正解が一つしかない問題より、正しい意見がいくつも衝突する問題の方が面倒だった。


「診療所と火災用の貯水は確保します」


 俺は声を張った。


「残りは、乳幼児のいる家庭と共同炊事場へ配る。家畜用の水は山の沢から運ぶ。水路修理には二十人必要です。別に運搬できる人間も――」


「待て!」


 広場の端から、カイルが出てきた。


 毒気を吸った影響で顔色は悪い。それでも自分の足で立っている。


「水が止まる最初の原因を作ったのは俺だ。迷宮の部品を勝手に外した。こいつだけのせいじゃない」


 群衆の視線が、今度はカイルへ集まった。


「お前たちか!」


「また《灰鷹》が問題を起こしたのか!」


「街から追い出せ!」


 カイルの肩が震えた。


 それでも逃げなかった。


「毒気区画の換気を止めたのはカイルです」


 俺は群衆へ向き直った。


「ですが、都市の断水は、俺が管理所の排除設備を止めたことで起きた。原因を混ぜないでください」


「庇う必要はない!」


 カイルが俺を睨んだ。


「庇っていません。あなたには換気装置を壊した責任がある。今後、修理作業で返してもらいます。ただし、やっていないことまで押しつければ、本当の原因が残る」


「……あんた、本当に全部分けるんだな」


「混ぜると、次も同じ事故が起きます」


 マグダが前へ出た。


「私が補助水路の工事を指揮する! 死にたくない奴、水を飲みたい奴、自分の家だけ助けろと喚く前に手を貸しな! 働けない者は桶を出せ。歩ける子供は、雪を集めろ。ただし汚れた雪は食用にするんじゃないよ!」


 水路頭の怒鳴り声に、住民たちが動き始めた。


 全員が納得したわけではない。


 文句を言いながら桶を運ぶ者もいた。隣人に水を隠していないか疑われ、喧嘩を始める者もいる。金を払うから自分の家へ先に水を回せと、マグダへ持ちかける商人もいた。


 人間は、事情を説明すれば一つにまとまるわけではない。


 それでも、何をするべきかが見えれば、怒りながらでも身体は動く。


     *


 補助水路の修理には、十一時間かかった。


 腐食した継ぎ目を革と金属板で補強し、古い管の途中へ空気抜きの弁を取りつける。カイルたち《灰鷹》は、休むよう言っても作業場へ来た。


「まだ毒が抜けていません。重い物を持たないでください」


「じゃあ、何をすればいい」


「工具を運ぶ。作業人数を数える。休憩した人間と、していない人間を記録してください」


「そんなの、子供でもできるだろ」


「誰かがやらなければ、できる人間へ仕事が集中します」


「俺、冒険者なんだけど」


「今日は作業記録係です」


 カイルは最後まで不満そうだったが、二時間後には誰より細かく名前を書いていた。


 日が暮れた頃、最後の補強板が取りつけられた。


「水を入れるよ」


 マグダが山側の弁へ手を掛ける。


「一度に開けないでください。四分の一だけ」


「分かってる。水路のことなら、あんたより長く見てる」


「古代管へ水を入れた経験は」


「ない」


「なら確認させてください」


「本当に可愛げがないね!」


 弁を四分の一だけ開く。


 黒い管の中へ水が流れ込み、溜まっていた空気を押し出す。高い場所へ設置した空気抜きから、最初は風、次に濁った水が噴き出した。


 《迷宮事故記録》に赤い線が走る。


「止めてください!」


「今度は何だい!」


「三番目の継ぎ目です。補強板がずれています!」


 水圧を落とし、作業員が縄で板を固定する。


 再び四分の一。


 次に半分。


 管は大きく震えたが、破裂しなかった。


「都市側を開くよ!」


 マグダが最後の弁を回した。


 地下貯水槽へ、濁った水が流れ込む。


 しばらく泥と錆が混じっていたが、やがて透明な水へ変わった。


 地上から歓声が聞こえた。


 井戸へ水が戻ったのだ。


 広場へ上がると、住民たちが桶を満たしていた。


 赤ん坊を抱いていた母親もいる。彼女は水で布を濡らし、子供の額へ当ててから、俺へ頭を下げた。


「ありがとう」


「断水させたのも俺です」


「それでも戻したでしょう。今は、それでいい」


 全員が礼を言ったわけではない。


 俺を疑うように見ている者もいれば、近づかず遠巻きにする者もいた。水が戻った途端、作業の途中で帰った人間もいる。


 だが、それでよかった。


 感謝を得るために水路を直したのではない。


『外部給水設備の安全性改善を確認』


『管理率――二パーセントから三パーセントへ上昇』


 管理鍵に新しい表示が現れた。


 その直後、西門の方から守備兵が走ってくる。


「都市長! 王都方面から、二十人以上の集団が来ています!」


「商隊か?」


「違います。鉱夫と、その家族らしいのですが、入市許可証を持っていません。神殿の追跡を逃れてきたと言っています」


 嫌な予感がした。


「集団を率いているのは?」


「マルタという女性と、ルカという若者です。それから、黒部修司に雇ってもらうまで門前から動かない、と」


 リゼットが、ゆっくり俺を見た。


「王都から追放されて、まだ二日目よね」


「そうですね」


「管理所の屋根も、水路も直っていないのに、二十人以上養うつもり?」


「俺は呼んでいません」


「でも、追い返せない顔をしている」


「表情は変わっていません」


「だから、もう分かるのよ」


 水を取り戻したその日の夜、第十三封鎖迷宮へ、最初の住民候補が押しかけてきた。


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