第17話 役立たず管理人、冒険者五人を全員生還させる
『第一層・毒気区画に生命反応――五』
『推定生存可能時間――五十八分』
台座に浮かんだ五つの光は、同じ場所へ集まっていた。
四つは小刻みに動いているが、一つだけ反応が弱い。既に意識を失っているか、自力で動けない状態なのだろう。
「毒気区画はどちらです」
「待って」
リゼットは簡略図を覗き込み、右端の通路を指した。
「この形、旧採石場の地下と同じよ。地上へ繋がる亀裂がある。黒門が閉じていても、そこから第一層へ入れる」
「立入禁止では」
「もちろん禁止よ。でも古代遺物や魔石が見つかるから、密かに入る冒険者がいる。守備隊が亀裂を塞いでも、数か月すると別の穴を掘られるの」
「命を懸けるほど儲かるんですか」
「たまにね。十回入って何も見つからなくても、十一回目に魔石を一つ拾えば借金を返せる。それで成功した一人の話だけが酒場で広まり、戻らなかった十人の話は忘れられる」
宝くじや投機と同じだ。
成功者の姿は見えるが、失敗者は消えていく。人間は、自分だけは成功する側へ入れると思いやすい。
「五人組で、第一層へ入る可能性がある冒険者に心当たりは」
「《灰鷹》という若い一隊がいる。人数は五人。昨日、麓の酒場で、新しい管理人が着く前にもう一度潜ると言っていた」
「俺が到着することを知っていた?」
「護送予定は辺境守備隊にも届いていたから、噂が漏れたのでしょう。新しい管理人が亀裂を塞ぐ前に稼いでおきたいと言っていたわ」
リゼットは気まずそうに視線を逸らした。
「正確には、もう少し感じの悪いことも言っていた」
「どんなことです」
「王都から捨てられた役立たずの罪人に、迷宮を管理できるはずがない。三日で死ぬ前に、使える物は取っておく、と」
「なるほど」
「腹が立たないの?」
「会ったこともない相手に腹を立てても、残り時間は増えません」
「私は少し腹が立ってきた。助けるのをやめるほどではないけど、一度くらい殴りたい」
「生還してからにしてください」
「助けるのね」
「助けられる方法を探します」
「方法がなければ?」
「そのときは入らない。二人増えて死ぬことを、救助とは呼びません」
リゼットは俺の顔を探るように見た。
「あなたなら、何も考えずに行くと言うかと思った」
「誰がそんな無謀な印象を広めたんです」
「王都で百人以上を助けた本人」
「危険を計算した結果です。命を投げ出したわけではない」
「自分の命だけ、計算から抜いていたように見えるけど」
「今は五人の状態を確認します」
「話を逸らしたわね」
否定せず、台座の文字へ意識を戻した。
管理率一パーセントでは、第一層の詳しい構造は表示されない。それでも空気の流れと、稼働している設備の位置だけは確認できた。
毒気区画の換気装置は停止している。
停止時刻は一時間十四分前。その直前に、圧力調整器が取り外されていた。
「事故ではありません。誰かが換気装置の部品を外しています」
「壊したということ?」
「持ち去った可能性が高い。台座から、内部へ声を送れますか」
問いかけると、古代文字が浮かんだ。
『第一層・管理者伝声機能――使用可能』
『受信機能――一部破損』
一方通行に近いらしい。
俺は台座へ鍵を差し込んだ。
「第一層毒気区画にいる五人へ。こちらは第十三封鎖迷宮の管理人、黒部修司です。聞こえるなら、壁か床を三回叩いてください」
しばらく反応はなかった。
やがて台座から、小さな衝撃音が三度返ってくる。
『聞こえる! 誰でもいい、換気を動かしてくれ!』
若い男の声だった。咳き込んでいるせいで、途中から掠れている。
「五人全員、生きていますか」
『一人が意識を失ってる。残りも長くは持たない。早く扉を開けろ!』
「名前を」
『こんなときに必要か!?』
「呼びかける相手を区別するためです。名前、人数、負傷状況を答えてください」
『……俺はカイル。《灰鷹》の隊長だ。五人ともいる。ミアと俺は動ける。バルトは足を怪我して、セドは意識がない。ユノはまだ喋れるが、さっきから吐いてる』
リゼットが小さく頷く。
「《灰鷹》で間違いない。カイルは、酒場であなたを役立たずと言った本人よ」
「今は関係ありません」
「本人に聞こえるように言ってもいいのに」
「換気装置から、青い結晶を外しませんでしたか」
台座の向こうが静かになった。
咳だけが聞こえる。
「カイル。答えてください」
『……何の話だ』
否定するまでの間が長すぎる。
別の声が割り込んだ。
『持ってる! そいつの袋に入ってる!』
『ミア、黙れ!』
『何で黙るのよ! あんたがあれを宝石だと言って外してから、風が止まったんでしょう! セドが死にそうなのよ!』
『あれを売らなきゃ、俺たちは今月で終わりなんだぞ!』
カイルが怒鳴り返した。
『昇級試験の費用も払えない。装備の借金もある。俺の親父の店まで担保に入ってるんだ! 何も持たずに帰ったら、今度こそ一隊を解散させられる!』
『だからって、全員で死んだら借金も何もないでしょう!』
『俺だって、こうなると知ってたら外してない!』
若い人間が金に目が眩んだ、というだけではないらしい。
自分だけが儲けたかったのではなく、隊を残したかった。そのために目の前の部品を宝石だと思い込み、都合の悪い可能性を考えなかった。
善意と焦りは、事故を防いでくれない。
「カイル。その青い結晶は宝石ではありません。換気装置の圧力調整器です」
『戻せば、風が動くのか』
「その可能性は高い。ただし、今すぐ戻さないでください」
『何でだよ!』
「一時間以上止まっていた換気装置を急に動かせば、溜まった毒気が一度に流れる。排出弁を先に開かなければ、全員が高濃度の毒を吸います」
『じゃあ、どうすればいい!』
「こちらから指示します。それまで、結晶を持って換気装置のそばで待ってください。毒気は床付近に溜まっています。意識のない人を、できるだけ高い場所へ寝かせる。濡らした布があるなら口元へ。ただし、水は飲み切らないでください」
『あんた、本当に助けられるのか』
「今、方法を探しています」
『絶対に助けるとは言わないのかよ』
「言えば安心しますか」
『……少しは』
「では言いません。できない約束を信じて、判断を遅らせてほしくない」
『本当に、感じの悪い管理人だな』
「それは生還してから話しましょう」
カイルが何か悪態をついたが、途中で激しく咳き込んだ。
伝声を切る。
「どうするの」
リゼットが尋ねた。
「圧力調整器を戻す前に、毒気の排出弁を開きます。ただし、弁へ向かう通路に生命反応が七つあります」
「五人とは別?」
「形が違う。人間ではありません」
簡略図へ赤い光が浮かぶ。
細長い反応が、換気管の周囲へ集まっている。
「腐気蜥蜴ね」
リゼットが言った。
「どんな魔物です」
「毒気のある洞窟に棲む大型の蜥蜴。動きは遅いけど、鱗に毒を溜め込んでいる。傷つけると周囲へ毒液を撒くから、狭い場所では戦わない方がいい」
「好むものは」
「毒気と熱。身体を温められる場所から動かない」
「熱源ならあります」
迷宮図の排出弁とは反対側に、使われていない廃熱室がある。管理所へ温水を送っていた設備らしい。
廃熱室を動かして腐気蜥蜴を誘い込み、その後で扉を閉める。討伐する必要はない。
ただし、管理率一パーセントでは廃熱室を遠隔操作できなかった。
「俺が排出弁を操作します。リゼットさんは廃熱室へ行き、手動で温水弁を開けてください」
「二人で分かれるの?」
「腐気蜥蜴が移動しなければ、排出弁まで近づけません」
「私が戻る前に、勝手に弁を開かないで」
「時間によっては開きます」
「そこは待つと言いなさい」
「五人の生存可能時間は、残り四十六分です」
「分かってる。でも、あなたは自分一人なら危険を増やしてもいいと思っている。さっきから、それが気に入らないのよ」
「待つ時間を決めましょう。二十分です。戻らなければ、俺一人で続けます」
「十五分で戻る。二十分経っても来なければ、何かあったと思っていい」
「分かりました」
「あと、その顔は信用してない顔ね」
「表情は変えていません」
「だから分かるようになってきたの」
知り合って二日目にして、面倒な相手に見抜かれ始めている。
*
第一層の通路には、薄紫色の霧が漂っていた。
管理者権限で点灯させた魔法灯は半分以上が壊れており、明るい場所と暗い場所が交互に続いている。
《迷宮事故記録》は便利だった。
床の亀裂、落下寸前の石、詰まった排水路が、赤い線で見える。
同時に、あまりに多く見えすぎる。
右の壁は三日後に崩れ、左の管は二十日後に漏れ、天井灯は次に点灯したとき破裂する。今すぐ対処する必要のない故障まで視界へ入るため、意識して切り分けなければ歩くことさえ難しい。
「便利な能力を得た顔には見えないわね」
分岐点で別れる前、リゼットが俺を見た。
「壊れているものが多すぎます」
「見えない頃より悪い?」
「危険は同じです。俺が知っただけです」
「知らない方が楽だった、と言いたくならない?」
「なりますよ」
「なるのね」
「見なかったことにはできませんが」
「そこが面倒なのよ、あなたは」
リゼットは弓を背負い直し、廃熱室へ続く細い通路へ入った。
俺は排出弁へ向かう。
途中で、腐気蜥蜴の一頭が通路の角から顔を出した。
全長は三メートル近い。腫れ上がった背中の鱗から、紫色の液体が滴っている。
手にしている短刀では、倒せない。
仮に倒せても、毒液が通路へ広がる。
腐気蜥蜴はこちらを見たが、追ってはこなかった。温度の低い俺より、換気管から漏れる熱の方に興味があるらしい。
床を強く踏まず、ゆっくり後退する。
そのとき、遠くで金属管の鳴る音がした。
リゼットが廃熱室の弁を開いた。
通路の向こうから温かい空気が流れてくる。腐気蜥蜴が首を上げ、廃熱室の方向へ身体を向けた。
一頭、二頭。
簡略図の赤い反応が、少しずつ移動し始める。
六頭が廃熱室へ入った。
最後の一頭だけが動かない。
「残り一頭です」
管理者伝声を通して伝えると、遠くからリゼットの声が返った。
『こっちからも見えている。大きい個体でしょう』
「他より体温が低い。弱っている可能性があります」
『弱っている魔物を、どうやって動かすの』
「廃熱室の温度を上げられますか」
『これ以上開けると、弁が壊れそう』
《迷宮事故記録》にも同じ警告が出ている。温水弁をさらに回せば、根元の管が破裂する。
リゼットが赤い信号矢を取り出した。
『昨日、一本しか使わなかったのは運がよかったわ』
「何をするつもりです」
『信号矢は、しばらく燃え続ける。廃熱室の奥へ撃ち込めば、温度が上がるでしょう』
「守備隊へ連絡する分がなくなります」
『助けが来るまで二時間かかるんでしょう。それに、今使わないで五人が死んだら、何のための信号矢よ』
矢が放たれた。
廃熱室の奥で赤い光が燃え上がる。
残っていた腐気蜥蜴が、ゆっくりと動き出した。
『全部入った!』
「扉を閉めてください!」
廃熱室の鉄扉が閉じ、七つの反応が中へ封じられる。
排出弁までの通路が空いた。
俺は円形の取っ手へ鉄棒を差し込み、体重を掛けた。
固着した弁が少しずつ開く。
赤い線が視界を走った。全開にすれば、腐食した毒気管が破裂する。
「半分で止める」
『黒部、聞こえるか!』
管理者伝声からカイルの声が届いた。
『セドの呼吸が止まりかけてる! もう結晶を戻していいか!』
「まだです。排出弁を開いています」
『待てない!』
「今戻せば、高濃度の毒があなたたちの部屋へ逆流する!」
『でも、このままでも死ぬ!』
カイルの声が震えている。
自分の判断で換気を止めた。そのせいで仲間が死にかけている。焦りと罪悪感で、今度も確認を待てなくなっている。
「カイル。今度まで自分一人で決めないでください」
『俺が隊長だ!』
「だからこそです。隊長は、一人で決める人間ではない。判断に必要な情報を集め、止める人間の話も聞く役目です」
『説教してる時間があるのかよ!』
「ありません。だから手短に言います。あと三十秒待て」
排出弁が規定の位置へ入った。
毒気の流れが、床下の排出管へ変わる。
俺は鉄棒で金属管を三回叩いた。
「調整器を戻してください!」
台座の向こうで、カイルたちが青い結晶を換気装置へ押し込む。
一拍遅れて、第一層全体が震えた。
巨大な送風機が回り始める。
紫色の霧が床を這い、開いた排出管へ吸い込まれていく。天井近くから新しい空気が流れ込み、五つの生命反応が一つずつ強くなった。
『風だ!』
ミアの泣き声が聞こえた。
『セドが息をした! まだ生きてる!』
「換気が安定するまで、そこを動かないでください。毒気濃度が下がった後、案内表示を点灯します」
『あんたは来ないのか』
「歩けない二人がいるのでしょう。迎えに行きます」
『俺たち、あんたのことを……』
「その話は外で聞きます。今は呼吸を整えてください」
*
五人全員を入口区画へ連れ戻すまで、さらに一時間かかった。
意識を失っていたセドは、簡易担架へ乗せた。足を負傷したバルトは、カイルと俺で肩を支えた。
毒気を吸ったカイル自身も、何度も足を止めた。それでも仲間を置いて先へ行こうとはしなかった。
「自分も苦しいなら、交代してください」
「嫌だ。俺が外した部品だ。こいつらを運ぶのも俺がやる」
「罪悪感で倒れられると、運ぶ人数が増えます」
「分かってる。でも、これまで人に任せて失敗したら、その人のせいにしてきた。今回は逃げたくないんだよ」
「なら、休みながら運んでください。責任を取ることと、自分を壊すことは違います」
「簡単に言うな」
「簡単ではありません。俺も今、教わっているところです」
カイルは意味が分からないという顔をしたが、休憩の指示には従った。
黒門の外へ出ると、空は白み始めていた。
雪の積もった前庭で、ミアが地面へ座り込む。十八、九歳ほどの少女だった。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、俺へ頭を下げる。
「助けてくれて、ありがとうございました。それから、勝手に入ってごめんなさい」
「謝罪は受け取ります。ただし、詳しい事情は後で聞きます」
「今、許してくれないんですか」
「謝ったことと、危険な行動の処理は別です」
「本当に面倒な人ですね」
「よく言われます」
カイルは俯いたまま、何も言わなかった。
代わりにリゼットが彼の前へ立つ。
「酒場で、この人が三日で死ぬと言ったそうね」
「……言った」
「自分たちは半日で死にかけたけど、どんな気分?」
「悪かったよ」
「誰に謝っているの」
「分かってるって!」
カイルは顔を上げ、俺を睨むように見た。
「あんたを役立たずだと言った。どうせ王都で何かやらかして、辺境へ捨てられただけだと思ってた。悪かった」
「分かりました」
「それだけかよ。もっと怒らないのか」
「今後、この迷宮へ無断で入らないでください。旧採石場の亀裂は封鎖します」
「待ってくれ。俺たちは迷宮で稼がないと――」
「無断では、と言いました」
カイルが口を閉じた。
「内部の安全が確認でき、救助手順と入退場記録を整備した後なら、正式な探索者を受け入れる可能性はあります。ただし、持ち出す物は管理所で確認する。設備の部品を宝石だと思って外す人間を、もう一度自由に入れるつもりはありません」
「俺たちを、また入れる可能性があるのか」
「今回の事故原因と改善策を、全員が説明できるようになれば」
「普通は、永久追放だろう」
「永久追放しても、借金が消えるわけではない。別の危険な穴を探すだけでしょう」
カイルは何も答えなかった。
「それから、救助は貸しではありません。返す必要はない」
「じゃあ、事故原因と改善策っていうのは?」
「壊した設備の修理については、働いて返してもらいます。救助と損害賠償は別です」
「やっぱり面倒くさいな、あんた!」
「褒め言葉として受け取ります」
「褒めてない!」
五人全員が生きている。
怒鳴る元気が戻ったのなら、ひとまず充分だった。
管理鍵が淡く光る。
『救助活動――五名生還、死亡者なし』
『入口区画の安全性改善を確認』
『管理率――一パーセントから二パーセントへ上昇』
『外部連動設備の情報を、一部開示します』
新しい簡略図が浮かび上がった。
迷宮から山麓へ延びる、何本もの青い線。
その先には、辺境都市の井戸と貯水槽が表示されている。
『緊急警告』
『外部給水圧――ゼロ』
『辺境都市全域への送水停止を確認』
リゼットの顔色が変わった。
「待って。この青い線、都市の井戸に繋がっているの?」
「そのようです」
「昨日まで、普通に水は出ていたわ」
「管理所の排除設備を止めたか、毒気区画の換気を再開した影響だと思います」
「あなたが管理人になって、まだ半日よね」
「正確には二時間ほどです」
「二時間で、今度は都市一つの水を止めたの?」
助けた冒険者たちが、揃って俺を見た。
五人を毒気から救出した直後、第十三封鎖迷宮は、辺境都市全体の井戸を枯らした。




