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無能教師と呼ばれた俺は、見捨てられた問題児たちを卒業させる。だが彼らは全員、次代の化け物だった  作者: 井芹蒼


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第8話 見捨てた側だった教師

その夜は、ほとんど眠れなかった。


いや、眠るつもりで目を閉じた時間はあった。  でも閉じるたびに、旧結界室の薄暗さと、ノアの声が戻ってきた。


これ、何


もっと言いようはあったはずだ。  もっと早く話すべきだった。  言い訳はいくらでも浮かぶ。


けれど、そのどれも結局は同じ場所に戻る。


黙っていたのは俺だ。



翌朝のゼロ組は、静かだった。


ヒナは窓の外だけを見ている。  セレナは膝の上で指を組みすぎて、爪の先が白くなっていた。  ノアは本を開いていたが、ページは一度もめくられない。


俺は黒板の前まで行って、それから振り返った。


「昨日の続きを話す。今度は逃げない。全部言う」


ヒナの肩がわずかに動く。  セレナは息を止める。  ノアだけが、静かに本を閉じた。


「旧結界室で見つかった報告書は、俺が書いた」


そこで初めて、ヒナが振り向いた。


赤い目が真っ直ぐ刺さる。


「何それ」


「そのままの意味だ」


「意味が分かんない」


当然だ。  分かるわけがない。


「五年前、高危険実習の崩落事故で、俺は救助順を切った。助からない側を、先に決めた」


言葉にした瞬間、セレナの指先が強く震えた。  ヒナの眉が寄る。  ノアはただ、じっとこっちを見る。


「その時の表が、今の危険実習規程と切り離し運用の原型に流用された」


「ゼロ組の理屈も、その先にあるってこと?」


ノアの声は低かった。


「……そうだ」


「じゃあ」


ヒナが立ち上がる。


「私たちをここに押し込めた理屈の始まりに、あんたもいたんだ」


「いた」


短く返す。  もう濁せない。


「つまり、俺は一度、見捨てた側だった」


教室の空気が一気に冷えた。


「僕に聞けって言ったのに」


ノアが言う。


「一番まずいところは、黙ってたんだ」


「その通りだ」


「何で今まで言わなかった」


ヒナの声は怒鳴り声より低かった。


「怖かった」


「お前たちに、俺も最後は切る側の人間だって思われるのが」


「だから黙った。怖くて黙った。最低だ」


言った瞬間、セレナが顔を上げた。


「……先生」


「何だ」


「……怖いことは、怖いって言っていいって、先生が言ったのに」


痛いほど静かな声だった。


「先生だけ隠したら……わたしたちは、何を信じればよかったんですか」


ヒナが机の縁を強く叩いた。


「怖いなら、先に言えばよかったでしょ」


怒鳴り声ではなかった。


「知らないまま信じたこっちが、馬鹿みたいじゃん」


答えが出る前に、扉が二度ノックされた。



呼び出しは、予想通りだった。


学院本棟の小講義室。  中にはミレイユ、ヴァルター、それから数人の教員が並んでいた。  細長い机の奥にミレイユとヴァルターが並び、その左右に教員が三人。俺たちは入口側に立たされ、椅子は用意されていなかった。


昨日の事故と、旧報告書。  この二つが重なれば、話が穏便に済むはずがない。


「全員来ましたか」


ヴァルターが書類を整えながら言う。


「では、確認に入ります」


嫌に丁寧な声だ。  こういう時ほど、ろくなことにならない。


「昨日の西共同演習区画における結界異常については、内部干渉の可能性が高いと判断しました」


教員たちの間にざわめきが走る。


「ですが本件には、もう一つ確認すべき点があります」


ヴァルターが次の書類を持ち上げた。  昨日、ノアが見つけたものと同じ報告書だ。


「レオ・アーヴィン先生。こちらはあなたの署名で間違いありませんね」


「間違いありません」


答えると、空気がさらに冷える。


「この報告は、後の危険実習規程の原型です」


ヴァルターは淡々と読み上げる。


「救助優先順位。低適性者切り離し許容。群全体の生存率を優先。実に合理的だ」


その合理の先に何があるかを、俺はもう知っている。


「にもかかわらず、あなたは現在、見捨てない教師を自称している」


ヒナの拳が震える。  セレナは俯いた。  ノアはじっと前だけを見ている。


「発言の機会はあります」


ミレイユが言った。  柔らかい声だが、逃がしてはくれない声でもある。


「話しますか」


「話します」


俺は前へ出た。


「報告書は本物です。俺が書きました」


崩落で通路が二本潰れた。  救助班は足りなかった。  現場では「誰から引き上げるか」より先に、「誰を後回しにするか」の表が回った。  ユージンの名前もそこにあった。  俺は止めきれず、署名した。  あとから抗議した時には、もう制度の方が先に整えられていた。


「止められなかったのか」


質問してきたのは、若い教員だった。


「止めようとはした」


「止められなかった」


「そうです」


事実だけが残る。


「だから今の俺は、同じことを繰り返したくない」


ヴァルターがそこで口を開いた。


「繰り返したくない、ですか」


薄い笑みだった。


「それは個人的な贖罪であって、教育方針ではないのでは?」


ヒナが一歩前へ出かける。  だが今、それをさせるわけにはいかない。


「そう見えるのは当然です」


俺は先に言った。


「実際、そういう面もあります」


セレナがこちらを見る。  痛そうな顔だった。


「でも、贖罪だから間違っているとは思わない」


声が少しだけ硬くなる。


「一度手を離した人間が、次は離さないと決めることには意味がある」


「では、その決意のためにゼロ組を使っているのではないと?」


「使っていない」


即答した。


「少なくとも、そのつもりで向き合ったことはありません」


「つもり」


ノアがそこで、ぽつりと繰り返した。


それだけで十分だった。  つもりで足りないこともある。


「……そうだな」


俺はそっちを見る。


「黙っていた以上、そう見られても仕方ない」


ヒナが低い声で言う。


「仕方ないで済ませるなよ」


「済ませる気はない」


「じゃあ何で言わなかった」


正面からの問いだ。  逃げ場はない。


「怖かった」


「嫌われて当然だって分かってたから、余計に怖かった」


講義室が静まり返る。


たぶん、そこは格好つけても意味がない。


「最初にそれを言ったら、お前たちが『同じ側の人間だ』と思うのは正しい。だから、せめて違う動きができるところを見せてからにしようと思った」


「……結果だけ見れば、一番信用を削る順番を選んだ。三流だ」


ノアが小さく眉を寄せる。


「それ、余計に悪いよ」


「ああ」


「判断材料を後出しにしてる」


「分かってる」


セレナがようやく声を出した。


「先生」


「何だ」


「わたしたちに、選ばせるって言ってましたよね」


「言った」


「だったら……そこは隠したままじゃ、だめです。選ぶ前に知りたかったです」


小さい声なのに、やけに深く刺さった。


それも、その通りだった。


「そうだな」


答えるしかない。


ミレイユが、そこで机に指を組んだ。


「事実確認は十分でしょう」


金の瞳が、順にこちらを見る。


「論点は次です。今日の時点で、ゼロ組を誰の前に立たせるか」


ヴァルターが眉を寄せる。


「学院運営を感情で決めるおつもりですか」


「感情ではありません」


ミレイユは静かに返した。


「教育です」


「傷を知ったあとも同じ教師の前に立つかどうかは、本人にしか決められない」


それから、俺を見る。


「あなたはどうしますか」


答えは、一つだった。


「今日の授業は中止にします」


ヒナがぴくりと反応する。  ノアもセレナも、黙ってこちらを見ていた。


「お前たちには、考える時間が要る」


「先生は?」


ノアの問いに、少しだけ間を置いてから答える。


「待つ。明日の一限の鐘まで、旧校舎にいる」


「……短い」


ノアが言う。


「長く引き延ばして決めさせるのも、違う。教師の答えとしては情けないけどな」


ヴァルターが口元をわずかに上げた。  たぶん、都合がいいと思っている。  でも今は、それでいい。


ここで無理に縋れば、全部がもっと安くなる。



旧校舎へ戻る道は、昨日までよりずっと遠く感じた。


誰も喋らない。  四人いるのに、足音だけが別々だった。


教室へ入って、俺はいつもの位置に立つ。  黒板の前。  最初に署名を拒んだ日と、同じ場所だ。  ヒナは窓際の机の横で腕を組み、ノアは戸口に近い後ろの席へ立ったまま入らない。セレナだけが前から二列目の机の脇で、座ることもできずにいた。


「今日は帰っていい」


ヒナがすぐに睨む。


「それ、逃げてるみたいでむかつく」


「逃げてる部分もある」


「……っ」


先に認めると、ヒナは言葉を詰まらせた。


「でも、今ここで『それでも信じてくれ』とは言わない」


ノアが静かにこちらを見る。  セレナの指先は、まだ強く握られたままだった。


「明日の一限までに決めろ」


言いながら、自分の声がひどく遠い。


「次にここへ来るか」


「誰の指示で立つか」


「月末査定に出るかどうか」


「全部、お前たちが決めろ」


ヒナが机に拳をついた。


「それで、先生は」


「教室を開けて待つ。それ以上を取りに行ったら、また同じになる」


「それだけで済むと思ってる?」


「思ってない」


でも、今の俺が勝手にできるのは、そこまでだった。


ノアが最初に席を立った。  戸口に一番近い位置から、そのまま。  無言のまま。  だけど、扉を乱暴に閉めたりはしない。


セレナは立ち上がりかけて、一度だけこっちを見た。  何か言いたそうで、それでも言葉を探すように一拍だけ踏みとどまる。


「……怖いままでも、最初から知って、自分で決めたかったです」


それだけ言って、頭を下げた。


最後まで残ったのは、ヒナだった。


赤い目で、真っ直ぐにこっちを見る。


「……最悪」


「そうだな」


「でも」


そこで言葉を切る。  言い切らない。  言い切れないのだろう。


「今、顔見ると余計腹立つ」


それだけ言って、教室を出ていった。


扉が閉まる。


旧校舎のひび割れた教室に、一人分の呼吸だけが残る。


朝のまま並べた四つの机が、やけにきれいだった。


明日の一限までに、そのどれか一つでも椅子を引く音が戻らなければ。  この教室は、ここで終わる。

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