第6話 その剣は、武器じゃなくてお前のものだ
ヒナが露骨に荒れている日は、見れば分かる。
訓練中の足音がいつもより重くなる。 木刀を振ったあとの戻しが速すぎる。 そして何より、無言の時間が長い。
その日がまさにそうだった。
旧演習場での基礎訓練。 ヒナは木製標的を三つまとめて叩き割ったあと、一度もこっちを見なかった。
弾けた木片が一枚、セレナの足元へ跳ねた。
「わっ」
「動くな」
ヒナが振り向きざまに木刀の先でそれを払い落とす。 荒れているくせに、飛んだ先がセレナだと見た瞬間だけ、身体が先に動く。
「割れた直後は散る」
「壊しすぎだ。備品担当が泣く」
「壊れる方が悪い」
「壊れた標的に責任転嫁するな」
ヒナは返事の代わりに、聞こえるように舌打ちした。
ノアが壁際からぼそっと言う。
「朝から二回目」
「何が」
「機嫌悪い」
「喧嘩売ってる?」
「事実確認」
ヒナが木刀を投げそうな勢いで振り返った、そのときだった。
演習場の入口に、黒い外套の男が立っているのが見えた。
年の頃は三十代後半。 無駄のない体つき。背筋は真っ直ぐで、目だけが冷たい。 学院の人間じゃない。
だが、ヒナの顔色が変わったのを見て、すぐに察した。
身内だ。 ヒナは木刀を下ろさないまま、セレナとノアの前へ半歩だけ出た。
「お久しぶりです、ヒナ様」
男は一歩だけ中へ入り、静かに頭を下げた。
敬意の形をしているのに、空気が少しも柔らかくない。
「帰れ」
ヒナが即座に言う。
「それはできません」
「じゃあ死ぬまで立ってろ」
男は顔色一つ変えなかった。
「クロス家当主より言伝です。月末査定で不体裁を晒すようなら、学院との契約を見直すと」
契約。 嫌な言葉だ。
「学院との、ですか」
俺が口を挟むと、男は初めてこちらを見た。
「ゼロ組担任のレオ・アーヴィン先生ですね」
「そうだ。今は俺が見てる」
「私はロドリック・クロス。ヒナ様の教育係を務めておりました」
教育係。 なるほど。 ヒナの木刀の握りや、対人制圧寄りの剣筋が頭をよぎる。
「用件は今ので終わりか」
「もう一つ」
ロドリックはヒナへ視線を戻す。
「あなたの剣はクロス家のものです。学院で遊ばせるために預けたのではありません」
空気が凍った。
ヒナの殺気が、目に見えるほど濃くなる。
まずい。
「先生」
ノアが低く言う。
「今、止めないと壊れる」
「分かってる」
ヒナは一歩、前へ出た。 木刀を握る指先が白い。
「もう一回言ってみろ」
ロドリックの顔は動かない。
「あなたは家の剣です」
次の瞬間、ヒナの身体が弾けた。
速い。 正面から叩き込めば、木刀でも骨は折れる。
俺は間に入った。
木剣で受ける。 重い。
「どけ!」
「どかない」
「そいつは関係ない!」
「お前が後悔する形なら、関係ある」
ヒナの目が揺れた。 喉が詰まったみたいに、次の踏み込みが一拍遅れる。
「ヒナ」
「……っ」
「今ここでそいつを叩き潰したら、それはお前が選んだ剣か」
数秒。
木刀がわずかに止まる。
その隙に、ノアが足元へ細い結界を滑らせた。 ロドリックとの間に、見えない一線が引かれる。
セレナは息を詰めたまま、ヒナを見ていた。
「今日の訓練は中止だ」
俺は言った。
「いや」
ヒナが低く返す。
「やる」
「何を」
「訓練」
彼女はロドリックから目を離さずに言う。
「今日、やめたら、負けたみたいでむかつく」
そう言うだろうと思った。
「分かった」
俺は木剣を下ろす。
「じゃあやる。ただし内容は変える」
ヒナが初めてこっちを見た。
「内容?」
「お前の剣の訓練だ」
「いつもそうでしょ」
「違う。今日は壊す方を一回休みにして、守る方をやる」
ロドリックがわずかに眉を動かした。
ヒナは露骨に嫌そうな顔をした。
「は?」
「嫌か」
「嫌に決まってる」
「じゃあ丁度いい」
俺は演習場の中央に立つ。
「課題は単純だ。奥の旗三本を、一本も折らせずに三分守れ」
視線の先には、細い木製の旗が三本。 その前には移動式の訓練人形と、ノアが用意した自動発射装置が置いてある。
「壊すのは簡単だ」
「……」
「でも守る方は、目についたもんから潰すとすぐ穴が開く」
ヒナの表情が固まる。
「ロドリック殿」
俺は振り向かずに言う。
「見物するなら好きにどうぞ。ただし、学院の授業には口を出さないでください」
「……承知しました」
本当は承知していない顔だが、今はそれでいい。
◇
一回目は、ひどかった。
開始十五秒で旗が二本折れた。
ヒナは最初に飛んできた訓練人形を叩き壊したが、その間に左右から飛んだ木球が旗を折ったのだ。
「最悪」
「分かったことは?」
「むかつく」
「感想じゃなくて」
ヒナは舌打ちし、折れた旗を睨む。
「全部を潰しに行ったら、間に合わない」
「そうだ」
「でも、放っておく方が気持ち悪い」
「分かる」
「二回目」
今度はセレナを旗のそばへ立たせた。
「え、えっ、わたしですか」
「立ってるだけでいい」
「立ってるだけでも怖いです」
「大丈夫。ヒナが守る」
ヒナが露骨に嫌そうな顔をした。
「勝手に決めないで」
「嫌か」
「……嫌じゃないけど」
「じゃあ頼む」
セレナはおろおろしながらも、旗の前に立った。 ノアは壁際で発射装置の角度をいじっている。
「少し難しくする」
「今でも十分腹立つんだけど」
「先生が簡単にしないのは知ってるでしょ」
ノアが刺す。 ヒナが睨む。 少しずつだが、いつもの空気に戻ってきている。
笛を鳴らす。
木球が飛ぶ。 訓練人形が三方向から動く。
ヒナは一体目を叩き落とし、すぐに引かなかった。 そこで一瞬迷う。 追うか、戻るか。
その迷いの間に、セレナの前へ木球が飛んだ。
「っ」
ヒナが反射で身体を入れる。 木刀で払う。 今度は旗は折れない。
だが、後ろから来た人形がセレナ側へ回り込んだ。
「ヒナちゃん、右!」
セレナ自身が叫ぶ。 ヒナが振り向き、半歩で差し込み、木刀の腹で人形を叩き落とした。
三十秒。 一分。 まだぎこちない。 だが最初より明らかに、追うより 戻る が増えている。
二分を過ぎた頃、最後の連動装置が起動した。 左右から木球、正面から人形。 さらに遅れて、低い軌道の一発がセレナの足元を狙う。 嫌らしい配置だ。
ヒナは正面の人形を叩き壊しかけて、止まった。
「……ちっ!」
舌打ちと同時に、身体の向きを変える。 まず左の木球を払い、次に右へ踏み込み、柄で正面の人形を押し返す。 そこで最後の一発に気づいた。
「ヒナちゃん!」
セレナの声。 ヒナは木刀を返しきらず、そのまま肩を差し入れた。 鈍い音。 木球が右肩を打つ。 それでも足は止めず、最後に低い軌道を払う。
笛。
三分終了。 旗は、一本も折れていなかった。
ヒナは息を切らし、木刀の切っ先を地面に突いた。
「最悪」
開口一番、それだった。
「勝ったのにか」
「勝った感じしない」
「壊し足りない?」
「……半分」
「半分か」
「でも守れた」
ヒナは答えない。 代わりに、旗の前のセレナが小さく言う。
「あの、すごく安心しました」
ヒナの肩がわずかに止まる。
「今までのヒナちゃんの剣って、すごく強いけど……近くにいると、ちょっと怖かったです」
「……」
「でも、さっきのは、後ろにいても怖くなかった」
「そっか」
ヒナはぼそっとそれだけ言った。 顔はそむけたままだったが、耳だけ少し赤い。
ロドリックが、そこで初めて口を開く。
「守るために剣を鈍らせるのですか」
「違う」
俺は即答した。
「鈍らせるんじゃない。出しっぱなしにしないだけです」
ロドリックの眉が動く。
「斬る先まで家に決められたら、剣じゃなくて紐付きだ」
ヒナが、今度ははっきりと顔を上げた。
「……先生」
「何だ」
「今の、もう一回」
「どの部分だ」
「後半のやつ」
「守る訓練か」
「そう」
短いが、それで十分だった。
◇
訓練の帰り際、ロドリックは演習場の入口で足を止めた。
「レオ先生」
「何でしょう」
「あなたのやり方は、クロス家の教育方針とは違う」
「でしょうね」
「ですが」
彼は一度だけ、ヒナの方を見た。 さっきまでの冷たさとは少し違う、測るような視線だった。
「結果を出せば、当主も認めざるを得ない」
それだけ言って去っていく。
完全な引き下がりではない。 だが、少なくとも力ずくで連れ戻すつもりではなくなったらしい。
ヒナはしばらくその背を見送っていた。 やがて、木刀を肩に担ぎ直す。
「むかつく」
「知ってる」
「でも」
彼女は少しだけ言いよどんだあと、ぶっきらぼうに続けた。
「さっきの、嫌いじゃなかった」
「守る方か」
「……うるさい」
でも否定はしない。
ノアが横から小さく言う。
「じゃあ次は、守りながら勝つ形を作る」
「偉そう」
「事実」
セレナは二人の間を見て、小さく笑う。
俺はその空気を見ながら、ようやく少しだけ息を抜いた。
旧校舎へ戻る夕暮れの道で、ヒナがふいに前を向いたまま言う。
「あんた」
「ん?」
「月末査定」
「ああ」
「勝てる形、ちゃんと作りなよ」
「命令か」
「期待」
それだけ残して、彼女は少し早足になる。




