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無能教師と呼ばれた俺は、見捨てられた問題児たちを卒業させる。だが彼らは全員、次代の化け物だった  作者: 井芹蒼


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第19話 消される前に、拾う

旧校舎の窓に夜の色が溜まり始めた頃、教室の空気は昼より静かで、ぴんと張りつめていた。


いつもなら、放課後は少しずつ人が抜ける。  今日は違う。  机の上には紙が広がり、増えた椅子は半分だけ埋まったまま、誰も帰る話をしない。  ノアが言った ゼロ組の判断が一番人を守れる は、こういう夜にしか証拠へ変わらない。


ノアが一番前の机に、西棟の見取り図を三枚並べていた。  ひとつは正面導線、ひとつは搬送口、ひとつは管理助手室の棚配置。  その脇に、昼間エリオが持ってきた封筒と、管補確認 の印が押された紙切れが置かれている。


「まず」


ノアが紙の端を押さえる。


「今夜、棚替えじゃない」


「理由」


ヒナが短く訊く。


「本当に棚替えなら、明日の公開査定終わってからでいい」


淡々とした声だった。


「今夜やるのは、見られる前に消したいから」


誰も反論しなかった。  昼のうちに、そのくらいはもう共有されている。


エリオが工具袋の縁を何度も触りながら、小さく頷いた。


「いつも、夜の棚替えってそんなにないです。西棟の管理助手室、鍵を閉めたら次の日まで触らないので」


「エリオ」


俺が呼ぶと、少年は肩を跳ねさせた。


「は、はい」


「助かる。潜入前に名前知らないの、先生としてだいぶ間抜けだからな」


言うと、エリオは一瞬きょとんとした。  それから、少しだけ頬を赤くする。


「あ……はい」


リタがその横で、紙コップを一つ差し出した。  前までなら、自分のことで手いっぱいだったはずだ。  でも、今日は先に人へ手を差し伸べている。


「の、飲めますか」


「あ、ありがとうございます」


エリオは慌てて受け取った。  その様子をヒナが窓際から見て、何でもないみたいに言う。


「で、誰が行くの」


「全員は行かない。夜の校内探検にしては人数が立派すぎる」


誰も笑わない。  だから俺はすぐ地図へ指を戻した。


「人数が多いと目立つ」


ノアが指先で順に叩いた。


「中、先生、僕、セレナ」


「私も」


ヒナが被せる。


「外で待ってる方が面倒」


「中で斬る方がもっと面倒です」


アイラが静かに言った。  この二人は、話し方の相性だけは最悪に近い。


「外で待たせる方が面倒だろ」


ヒナが睨む。


壁にもたれたまま、カイルが短く口を挟んだ。


「両方正しい。だから外」


「雑」


ヒナが言う。


「分かりやすいだろ」


俺は肩をすくめた。


「先生としては助かる。胃には悪いけど」


「滑ってる」


ヒナが即答する。


「だったら外」


ノアが淡々と続ける。


「ヒナ、カイル、右通路」


カイルが壁にもたれたまま頷く。


「了解」


「ユノ、アイラ、左の記録窓」


ユノは少し緊張した顔で、それでも頷いた。  アイラは地図の縮尺を一度だけ見直し、静かに言う。


「窓格子の間から中の棚番号が見えます」


「リタとエリオは旧校舎」


そこでエリオが顔を上げる。


「ぼ、僕は行かなくていいんですか」


意外そうだった。  怖がっているくせに、置かれるとも思っていなかったらしい。


「行く」


セレナが先に言った。


「でも、中までは入らない方がいいです。見つかったら、その……明日からつらいので」


それは優しい言い方だった。  けれど、甘いだけじゃない。  どこまで背負わせるべきかをちゃんと考えた声だ。


エリオは紙コップを持ったまま、少しだけ目を伏せた。


「……はい」


悔しさがないわけじゃない。  でも、引く理由を雑に押しつけられた顔ではなかった。


ノアが最後に一枚の紙を出す。


合図。


そこへ、短い線だけが三つ引かれていた。


一回、異常なし。

 二回、動いた。

 三回、引く。


「だから最初からそう言って」


ヒナが呆れたように言う。


「危ない時の合図」


ノアは短く付け足した。  それでも、そのやり取りで教室の空気がほんの少しだけ和らいだ。


張りつめたままでは、この面子も長く動けない。  皆、最近それを知り始めている。



西棟の裏手は、夜になると昼より広く見える。


石壁の白さだけが月明かりを拾い、搬送口の鉄扉は黒く沈んでいた。  周囲に立つ支柱の影が長く伸びて、見慣れた訓練棟のはずなのに別の建物みたいだ。


俺たちは西棟の裏を三手に分かれて回り込んだ。


右通路にヒナとカイル。  左の記録窓へユノとアイラ。  搬送口脇の細い整備路から、俺とノアとセレナが入る。


その直前、エリオが小さな鍵を差し出した。


「これ、内側の補修扉のです」


差し出された鍵は、握りしめられていた熱でわずかに湿っていた。  それでも鍵だけは古い布で何度も拭ったらしく、油の筋がなかった。


「でも、一回しか回さないでください。二回回すと、古い音が出ます」


「分かった」


「あと」


エリオは喉を鳴らした。


「中にいるの、多分……管理補助主任です」


「見たことある?」


俺が訊く。


エリオは小さく頷く。


「顔は、はい。でも今は……灯り落としてると思うので」


つまり、見つける気がないのではなく、見つからない前提で動いている。


「先生」


セレナが小さく呼ぶ。


「先生、エリオくん、もう大丈夫です」


見ると、エリオの肩の強張りが少しだけ抜けていた。  恐怖が消えたわけじゃない。  でも、今すぐ逃げる顔ではなくなっている。


「ありがとう」


エリオへ言うと、少年は慌てて頭を下げた。


「み、見えたことは、また出します」


それは小さかったが、本物の約束だった。



補修扉の内側は、乾いた木屑と油の匂いがした。


西棟の表側は整っている。  だが、裏の管理路は違う。  予備支柱、古い留め具、換え札の束、使用停止札の木箱。使わないものが 見えないように置かれている場所 だ。


ノアが先にしゃがみ、床の石目へ指を滑らせる。


「新しい」


「何が」


「台車痕」


月明かりの細い線だけで見ているくせに、こいつはよく分かる。


「二台。重い方が先」


セレナがそっと空気を吸った。


「油、昼より強いです」


「同じか」


「はい。西棟の搬送台車の匂いです」


進む。  管理助手室の手前には、古い記録棚が並んでいた。  いつもなら布がかかっている場所だが、今日は半分だけ外されている。  棚の番号札が何枚か抜け、代わりに新しい紙片が仮止めされていた。


その時、左壁を二度、かすかに叩く音がした。


二回。


動いた。


だが、慌てる音ではない。  ヒナじゃない。  ユノかアイラだ。


ノアがすぐに指を立てる。


「人、増えた」


次の瞬間、管理助手室の奥から声がした。


「そっちはもういい」


男の声だった。  低く、急いでいるのに妙に抑えている。


「搬送札だけ残せ。記録棚は第三列の後ろへ下げる」


もう一人が答える。


「予備封印札は」


「西寄り用だけ差し替えれば足りる」


そこで、ノアの目が上がった。


西寄り。  観察席の四席が来る位置だ。


「明日の公開線、第三支柱だけで十分ですか」


別の声。  若い。  たぶん主任ではない。


「十分だ」


最初の男が言う。


「外の連中が欲しいのは 危険な線が危険だった という記録だ。全部崩す必要はない」


冷えた。  つまり、派手な事故はいらない。  危険評価へ振れるだけの、ちょうどいい乱れが欲しい。


「でも、もし西棟の副結界まで」


「だから第三支柱で止める」


主任の声が少しだけ苛立つ。


「観察席の視線が集まる。訓練線は乱れる。副結界は揺れる。そこで十分だ」


それで足りる、という言い方が何より嫌だった。  人が落ちるかもしれない。  支柱が崩れれば副結界まで揺れる。  それを、ちょうどいい乱れと呼ぶ。


「先生」


セレナの声はほとんど息だった。


「副結界、揺れたら……西棟の外壁側、空きます」


「どれくらい」


「短いです。でも、十分に」


つまり、明日の公開査定で一度線が乱れれば、観察席だけじゃなく外壁側も危ない。  査定妨害であり、防衛線の隙でもある。


明日の査定だけでは済まない火種が、もう見えていた。


ノアが音もなく棚の陰へ移る。  俺とセレナも続く。  細い隙間から中を見る。


管理助手室には三人いた。  年嵩の男が一人。腕章は 西棟管理補助主任。机の上で札束を仕分けている。  若い補助二人が、棚から記録箱を引き抜いては後ろへ回していた。


机の上には、見覚えのある印。


管補確認。


それだけじゃない。  封印札の束には、公開観察査定第三支柱と書かれた札が混じっていた。  そして、その下にもう一枚。


副結界予備連結。


ノアの指がわずかに動く。  見た、という合図だ。


その時、左の高窓から細い糸が垂れた。


ユノだ。  月明かりにしか見えないほど細い糸が、かすかに揺れている。


机の端。  そこに置かれていた半分焼けた紙片へ、糸がひっかかった。  ゆっくり、ほんの少しだけこちらへ寄る。


うまい。  正面から取らない。  机の下へ落として拾うつもりだ。


だが、その瞬間だった。


「誰だ」


若い補助の一人が顔を上げた。


糸の揺れを見たらしい。


管理補助主任が即座に灯りの向きを変える。  薄暗かった部屋が一気に明るくなり、糸が白く浮いた。


「外だ!」


まずい。  ユノとアイラの窓側だ。


俺が動くより先に、右壁を二度、強く叩く音がした。


二回。  動いた。


次の瞬間、外から鈍い金属音が響く。  カイルだ。  わざと別方向で器具を落とした。


「あっちか!」


若い補助二人がそちらへ気を取られる。  主任も舌打ちし、机から離れた。


その隙に、落ちた半焼けの紙片が棚の陰へ滑る。  ユノの糸が、最後の一押しだけしていた。


「取る」


ノアが低く言う。


だが、その一歩前で棚の上段が軋んだ。  記録箱を無理に抜いたせいだ。  古い棚板が片側へ傾く。  落ちれば音が出る。  見つかる。


迷う間もなく、ヒナが右通路から飛び込んできた。


速い。  影が一つ横切ったと思ったら、真剣の鞘が棚板の角へ叩き込まれていた。  落ちる方向がずれ、記録箱が俺たちとは反対側へ崩れる。


音は出た。  だが、中の三人もそちらへ振り向く。


「誰だ!」


主任の怒鳴り声。


カイルが外から叫ぶ。


「こっちだ!」


あえて見つかる声だった。  追わせる気だ。


「先生」


セレナが袖を引く。


見れば、半焼けの紙片がもう足元へ来ている。  ノアが拾い、同時にもう一枚、机下へ落ちていた封印札の控えを抜いた。


十分だ。  これ以上取れば、誰かが遅れる。


「引くぞ」


言った。


そこで、管理補助主任がこっちを見た。  灯りの向こう、ほんの一瞬だけ目が合う。  年は四十手前くらい。痩せた顔。記録係らしい細い手。  そして、見つけた瞬間に怒るより先に、机の上の印を袖で隠した。


あれが、この線の現場側の顔だ。


覚える。  今はそれでいい。



西棟の外へ出た時には、アイラが高窓の下で息を整えていた。  ユノは糸を巻き取りながら、少しだけ手を震わせている。  だが、切ってはいない。


「取れましたか」


ユノが訊く。


ノアが紙片を見せる。


「半分」


「半分でもいい」


アイラが即座に言う。


「向こうも全部は持ち出せていない」


右通路から戻ってきたカイルが、肩で息をしながら壁にもたれた。  ヒナはその少し後ろ。  表情はいつも通りだが、真剣の鞘に新しい擦り傷がある。


「追わせた」


カイルが短く言う。


「でも、途中で切った」


「主任、顔見た」


ヒナが続ける。


「ひょろい。嫌な目」


説明としては雑だ。  でも、だいたい合っている。


エリオは影の中で固まっていた。  俺たちが全員戻ったのを見て、ようやく息を吐く。


「あの人です」


小さな声だった。


「西棟管理補助主任、オルド・ベイン」


初めて名前がついた。  こいつが本丸ではない。  でも、現場で紙を動かしている顔だ。


「覚えてる」


ノアが淡々と言う。


「今はそれで足りる」



旧校舎へ戻ってから、教卓の上へ紙を広げた。


半焼けの記録片。  封印札の控え。  副結界予備連結の記載。  そして、ノアが記憶した棚番号と、ユノが見た札束の順番、アイラが見た窓側の箱位置、カイルとヒナが見た追跡の動線。


誰か一人の証言ではない。  噛み合うと、線になる。


「これ」


最初に口を開いたのはノアだった。


「第三支柱の封印、観察席西寄り用に見せてる」


「でも、本当は」


ユノが紙片を覗き込む。


「副結界予備連結にも繋がってる」


「つまり」


アイラが静かに言う。


「公開観察査定で第三支柱が乱れれば、見た目は訓練事故でも、西棟の副結界まで揺れる」


セレナが小さく頷く。


「外壁側、短く開きます」


誰かが意図的にそこまで見ている。  ただ査定を落としたいだけじゃない。  乱れを、防衛線の隙にも変えようとしている。


「公開査定が本番じゃない」


カイルが低く言う。


「入口だ」


その通りだった。


ヒナが椅子の背へ肘を乗せる。


「じゃあ、明日まで待ってたら遅いじゃん」


「遅い」


ノアが即答した。


「でも、今夜全部ひっくり返すと、向こうも隠す」


「どっちも、ですか」


リタが不安そうに訊く。


俺は教卓へ手をついた。


「両方やる。消される前に押さえて、明日も勝つ」


全員の視線が向く。


「証拠は消される前に押さえる。公開査定は、その上でこちらの形にする」


「形」


セレナが繰り返す。


「うん」


答える。


「向こうは 危険だった を残したい。ならこっちは 守れた を残す」


教室が少しだけ静かになる。  それは、分かった時の静けさだった。


ユノとアイラは朝一番で席再配置の理由を通す。  俺とノアは拾った紙をフェンへ回して、第三支柱を止める言い分に変える。


「そのために」


ノアが紙へ新しく書き足す。


第三支柱。副結界。観察席西寄り。

 記録係。封印札。退路。

 見せる順。


最後の一行に、少しだけ間を置いてからもう一つ。


崩れる前に、止める。


ユノがその字を見る。  アイラも、リタも、カイルも、セレナも。  ヒナは一番最後に鼻で笑った。


「それ、最初からずっとやってる」


たしかにそうだ。  でも、今は前より少しだけ意味が増えている。


教室の外では、もう夜が深くなっていた。  査定の前夜。  向こうも盤を動かした。  なら、こっちも準備は終わらせる。


明日の公開観察査定は、たぶん査定だけでは終わらない。  だからこそ、今夜拾えたものは大きかった。


消される前に、拾った。  次に消しに来る手まで、もう一度見逃す気はなかった。  それだけで、まだ勝ってはいない。  けれど、負け方を勝手に決められる場所からは、もう少しだけ遠ざかれた気がした。

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