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無能教師と呼ばれた俺は、見捨てられた問題児たちを卒業させる。だが彼らは全員、次代の化け物だった  作者: 井芹蒼


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第18話 見ているだけでは、足りない

公開観察査定の通達が貼られた翌日、旧校舎の前には朝から人がいた。


前みたいな嘲笑ではない。  通り過ぎるふりで立ち止まる足音。すりガラスの向こうを一瞬だけ覗いて、誰かと小声で何かを確かめてから去っていく気配。  見世物にされる日は、見る側の方が妙に静かになる。  上の連中を正面から黙らせるなら、こういう 見られる日 からは逃げられない。


教室の扉を開けた時には、もう椅子が二脚増えていた。  昨日のうちに足した分では足りないと判断したらしい。  壁際に一脚、黒板寄りに一脚。どちらも脚の長さが合っていなくて、座ると少しだけ傾く古椅子だ。


セレナがその片方へ布をかけている。  ユノは観察席の位置を書き写し、アイラはその横で西棟の見取り図に線を引いていた。リタは紙コップを並べながら、何度も扉の外の気配を気にしている。  ノアは一番前の机に紙を三枚並べていた。  アイラの線は、定規がなくてもほとんどぶれない。  几帳面というより、そうしていないと自分の呼吸が落ち着かない人間の手つきだった。  観察される準備というより、見る側の席を先に読む作業に近い。


公開観察席。

 退路。

 器具搬入導線。


項目は増えている。  でも、机の上は不思議と散らかっていなかった。


「先生」


ノアが紙の一枚を指先で叩く。


「観察席、十六」


「多いな。授業参観って顔した人数じゃない」


「見たいだけの人、多すぎでしょ」


ヒナが窓際から顔をしかめる。


「代表者だけなら八」


「それでも、見るだけで済むなら、まだいいです」


セレナが布を整えながら言った。


「途中で具合悪くなる人も、多分います」


アイラが線を引いたまま、少しだけ目を上げる。


「あなた、そういうことを静かに言うのね」


「……大きい声だと、もっと怖がらせるので」


つまり残り半分は、代表者ではない。


アイラが淡々と補足した。


「代表席を除けば、教員二、記録係二、管理側四です」


「管理側?」


ユノが少しだけ不安そうに訊く。


アイラは頷いた。


「通達には 学院運用補助監査 とだけ」


その言い回しで、ノアの目が少しだけ細くなる。


「補助」


低い声だった。


「昨日の紙と近い」


管理補助確認済。  西棟管理助手室。  学院運用補助監査。


紙の上では似た言葉が並ぶ。  似た言葉ほど、こういう場所では誰もよく読まない。


「先生」


今度はユノだった。


「見られるのは分かるんですけど、どこまで見られるんでしょう」


「全部じゃない」


答えたのはヒナだ。  窓際にもたれたまま、外の気配を見ている。


「見る側って、自分が見たいとこしか見ないし」


「その通りです」


静かな声が、扉のところから入った。


振り返る。  ミレイユ学院長だった。


今日は学院長室の華やかさがない。  淡い灰青の外套を軽く羽織っているだけで、立ち方も柔らかい。なのに、教室へ入った瞬間だけ空気が一段細くなる。


ヒナが露骨に顔をしかめる。


「朝から濃い」


「ご挨拶ありがとう、ヒナさん」


ミレイユは笑った。  だが、視線はすでに教室全体を一度なぞっている。  増えた椅子。並べた紙。紙コップ。扉の横の張り紙。誰がどこに立ち、どこに座っているか。  この人は笑っていても、最初に数える。


「レオ先生」


「何でしょう」


「少し、外を借りてもいいかしら」


「今ここで話せない話ですか」


「あなたには」


学院長は俺を見る。


「ここで話さない方がいい話です」


はっきり言う。  そういうところがこの人は厄介だ。


「行ってきて」


ヒナが窓の外を見たまま言う。


「その代わり、変なの持って帰ってきたら先に言って」


命令みたいな口調だった。  でも、内容はたぶん一番正しい。


「分かった」


そう答えると、ミレイユはほんの少しだけ口元を緩めた。


「いい教室になってきましたね」


独り言みたいに言う。  だが、それが褒め言葉なのか観察記録なのか、最後まで意図を読ませない声だった。



学院本棟の裏手に、小さな温室がある。


派手な場所ではない。  透明な壁の向こうで朝の光がガラスに反射し、白く満ちている。薬草と観賞植物が混ざって育てられていて、たまに医務室へ回す葉もあるらしい。  土の匂いがあって、外の石造りの冷たさとは少し違う。


ミレイユは奥の細い通路を歩きながら、振り返らずに言った。


「ここなら、壁の耳が少し減るの」


「減るだけまし、ってことですか」


「学院ですもの」


笑っている。  だが、否定はしない。


通路の先、陽の当たる丸机のところでようやく足を止めた。  白いカップが二つ置いてある。  すでに湯気が立っているあたり、最初からここで話すつもりだったらしい。


「座って」


促され、向かいへ腰を下ろす。  学院長は自分のカップを持ち上げ、すぐには飲まなかった。


「昨日の西棟」


最初に口を開いたのは、やはり向こうだった。


「よく止めたわね」


「運がよかっただけです」


「いいえ」


やわらかい声で、あっさり否定する。


「運だけなら、高床区画の上から二人落ちてる」


静かな言い方なのに、内容だけが冷たい。  この人のこういうところを、まだ好きになれない。


「それで」


俺は訊く。


「わざわざ何を聞かせたいんです」


「聞かせたい、というより」


ミレイユはカップの縁へ指を置く。


「先に言っておいた方が、後であなたが無駄に腹を立てずに済むかもしれない話」


「その前置きで穏やかに聞ける人、たぶんいませんよ」


「でしょう」


否定しない。  むしろ楽しんでいる節すらある。


「公開観察査定を止めなかったのは、ヴァルターの暴走ではありません」


そこで一拍置く。


「私も必要だと思ったから」


予想はしていた。  でも、予想していたのと、本人の口から確認するのは違う。


「ゼロ組を見世物にするのが?」


「半分」


学院長は言う。


「もう半分は、西棟の件を 事故 に丸めたい人たちを、外へ引っぱり出すため」


その言葉で、背筋が冷えた。


「心当たりがあるんですか」


「あります」


「誰です」


「まだ名前になるほどではないわ」


そう言って、ミレイユは温室の天井を見る。


「でも、線にはなっている」


線。  最近よく聞く言葉だ。


「西棟管理助手室、補助運用記録、外部から回る器具予算、低優先線の整理名目」


並べ方が、もうかなり具体的だった。


「学院は大きいから、全部を教頭室だけで回してるわけじゃないの。見栄えだけ整えて、実態は後ろへ落とす仕事は、だいたい補助へ押しつけられる」


「だから補助に流す」


「ええ」


学院長は頷く。


「そして補助は、失敗が起きた時に一番切りやすい」


ジャレットの顔が頭に浮かぶ。  あれはただの末端だ。  だからこそ雑に使われていた。


「それを炙り出すために、ゼロ組を公開査定へ?」


嫌な言い方になる。  だが、わざとだった。


「あなたの言い方だとそうね」


ミレイユはそこで初めてカップを口へ運ぶ。


「ただし、誤解しないで」


目線だけが、少しだけ鋭くなる。


「私はあなたたちが壊れる前提で盤を組んでいない」


「でも、盤ではある」


「そう」


あっさり認める。


「学院を変えるには、盤が要るもの」


そこが、この人の怖いところだ。  情がないわけじゃない。  でも、情で止まらない。


「ゼロ組は、可哀想だから守るには強すぎる。放っておくには目立ちすぎる。だから、今の学院の歪みを一番よく映す」


「子どもです」


言葉が少しだけ硬くなる。


「鏡でも、駒でもない」


「知ってる」


学院長の返しは速かった。


「だから、あなたを担任にしたの」


そこで、ようやく少しだけ沈黙が落ちる。


「私一人なら、たぶんもっと早く使ってるわ」


笑ってもいないのに、その言葉は妙に軽かった。  軽いくせに、たぶん本音だ。


「でも、あなたがいると止まる」


学院長はカップを置く。


「使う前に守る。切る前に残す。記録を削られる前に声を大きくする。そういう人が一人いるだけで、駒は教室になる」


都合のいい評価だった。  なのに、反論しきれないのが腹立たしい。


「……ずいぶん勝手ですね」


「ええ」


平然としている。


「学院長だもの」


ひどい答えだ。  でも、たぶんこの人は自分がひどいと分かっている。  分かった上で、止まっていない。  そういうところごと、人を惹きつけるのだから厄介だった。


「一つだけ教えてください」


俺は訊く。


「公開観察席の 学院運用補助監査。あれは誰です」


学院長は少しだけ視線を逸らした。  完全に隠すときの顔ではない。  だが、全部言う気もない顔だ。


「学院の外へ近い人たち」


「外?」


「予算、実績、整理」


短く区切る。


「教育現場は、その三つが好きな人にずっと覗かれてるの。今回の査定にも四席入っている。名目は学院協力。でも実際には、見込みのあるものと邪魔なものを見に来る」


そこまで聞いて、少しだけ息が詰まる。


まだ学院外の本丸ではない。  でも、気配はもう入ってきている。


「だから、見るなら座席だけを見ないで」


ミレイユが言う。


「誰がどこへ座るか。誰が座らずに立つか。誰が記録係に近づくか。そこまで見て」


「助言ですか」


「半分」


またその言い方だ。


「もう半分は、お願い」


学院長は俺を見る。


「西棟で救ったことを、今度は見える形で残して」


「あなたが残せばいい」


「私が残すと、学院長の贔屓になる」


即答だった。


「でも、あなたたちが見せれば 結果 になる」


ヴァルターと同じ言葉を使う。  なのに、温度は違う。  どちらも結果を欲しがる。  でも、欲しがる理由が違う。


「俺は」


言葉を選ぶ。


「生徒を改革の道具にはしません」


「ええ」


学院長は静かに頷いた。


「それでいいの。道具にはしないで。でも、明日の査定で教室として残して」


また、厄介なことを言う。  拒絶しきれない形で、嫌な頼み方をする。


「あなたが嫌うくらいでちょうどいいわ、レオ先生」


その言葉だけ残して、ミレイユは立ち上がった。


「嫌われるのは慣れてるの。でも、見ないふりをされるのは困る」


温室の扉へ向かいながら、最後にだけ振り返る。


「ゼロ組を守りたいなら、今回の査定で 教室 を見せて」


それは、命令とも助言ともつかない声だった。


「強い子を並べるんじゃなくてね」


そこだけが、この人の本音に一番近い気がした。



旧校舎へ戻ると、昼休み前だというのに教室の外が少し騒がしかった。


言い争いではない。  誰が先に入るかで遠慮し合って、結局みんな立ち止まっているような気配だ。


扉を開けると、ヒナが面倒そうに顎をしゃくった。


「遅い」


「学院長を長めに浴びてきた」


「最悪」


即答だった。


でも、その横の机にはもう紙が二枚増えている。  ひとつは観察席の仮配置図。  もうひとつは、観察査定で 見せること ではなく 崩さないこと を書き出したメモだった。


退路。

 視線が集まる場所。

 詰まりやすい入口。

 落ち着ける位置。

 先に座らせる人。


ノアらしい。  でも、最後の一行だけはセレナかもしれなかった。


「学院長、何て」


ノアが訊く。


「全部は言わなかった」


答えてから、教卓へ手をつく。


「ただ、観察席の四つは、普通の学院記録じゃない。予算と整理を見る人間が混ざってる」


ユノの顔が少し強張る。  アイラは逆に、妙に静かだった。


「……見込みのあるものと邪魔なもの」


ぽつりと繰り返す。


「そういう見方をする人たちが、学院の中にも外にもいる」


俺が言うと、教室が少しだけ静かになる。


嫌な静かさだった。  でも、必要な静かさでもある。


「それって」


リタが小さく訊く。


「強い子だけを欲しがるってことですか」


「たぶん、それだけじゃない」


ノアが紙を見たまま言う。


「扱いやすい子。切りやすい子。騒がない子」


短く並べた言葉が、妙に痛かった。  リタは反射みたいに指を握り、ユノは布袋の口をぎゅっと掴む。  アイラは目を伏せなかった。  痛くても先に目を逸らさないところは、やっぱり C 組で立ってきた人間だと思う。


「だったらなおさら」


ヒナが窓際から言う。


「雑に座らせない方がいい」


「何を」


「見に来るやつ」


ぶっきらぼうな声だった。


「見たい場所に座らせたら、そのまま見るじゃん」


たしかにそうだ。  見る側に、何を見るかまで自由に渡す必要はない。


そこでアイラがゆっくり顔を上げた。


「観察席、変えられるかもしれません」


全員の視線が向く。


「C組側の代表席は、本来西寄りです。でも共同査定なら、支援役の補助導線確認を理由に前へ寄せられる」


「前に寄せたら」


ユノが続ける。


「それなら、後ろの四席からは西棟の出入り、見えにくくなると思います」


ノアの目が、少しだけ光った。


「使える」


「待って」


アイラは言いながら、少しだけ言葉を探す。


「ただ、露骨だと通りません。だから、わたしとユノが 支援側の確認しやすさ を理由に席の再調整を出す」


「それなら通るかも」


カイルが初めて壁から背を離した。


「C組とE組の連携改善って名目なら」


「いいな」


俺は頷く。


「やろう」


学院長が言った通りだ。  見るなら、座席だけを見るな。  なら、座席から動かしてやればいい。


「あと」


セレナが遠慮がちに手を挙げる。


「その、見に来る人が多いなら……先に落ち着ける場所を作ります」


視線が集まる。  彼女は少しだけ肩を縮めたが、引っ込めなかった。


「見られると、固まる人が出ます。ユノさんも、リタさんも、たぶん他にも」


「アイラも」


ヒナが何でもないみたいに言った。


アイラがぴくりと眉を動かす。


「わたしは」


「固まるでしょ」


「……多少は」


「顔に出したくはありませんが」


認めた。  その時点で、もう前よりこの教室に近い。


「だったら」


セレナは小さく続ける。


「最初に座る席と、休む位置を決めておきたいです。見られてる最中じゃなくて、前に」


その発想は、たぶん学院の査定紙にはない。  でも、この教室にはもうある。


「決めよう」


俺が言うと、ノアが新しい紙を一枚出した。


公開査定前に決めること。

 観察席。退路。器具。記録。

 座る順。休む位置。声をかける係。


そして、一拍置いてから最後にまた一行足す。


見てる人の方を見る。


ユノがそれを見て、少しだけ笑う。  リタも、緊張したまま小さく頷いた。  アイラは真剣な顔でその一行を読んで、それから静かに言った。


「……はい」


返事の仕方が、だんだんこの教室の人間らしくなってきている。



放課後が近づくころ、旧校舎の扉が一度だけ控えめに叩かれた。


入ってきたのは、見覚えのある整備係見習いの少年だった。  西棟で台帳を取りに来た子だ。  今日はやけに落ち着かない顔をしている。


「あの」


入口で立ち止まり、教室の中の人数を見て少しだけひるむ。  前より人が多いせいだろう。


「フェン先生、いますか」


「いない」


ヒナが即答する。


「用件は」


少年は迷ったあとで、胸元から小さな封筒を出した。


「管理助手室の棚替え、今日の夕方に前倒しになったって」


そこで、ノアが顔を上げる。


「前倒し?」


「はい」


少年はこくこく頷く。


「明日じゃ遅いから、今夜のうちに記録棚と搬送札を整理し直すって」


教室の空気が変わる。  整え直す。  整理し直す。  そういう言葉が、今は全部あまりよくない。


「誰が」


俺が訊く。


少年は困った顔で封筒の表を見た。


「名義は、西棟管理補助主任です」


その封筒を受け取る。  表の右下には、小さな確認印が押されていた。


管補確認。


同じ略記。  同じ押し方。


「先生」


ノアの声は低かった。


「今夜、動く」


その一言で、帰る空気が消えた。


窓の外はまだ明るい。  でも、西棟の方角だけ、妙に影が濃い。


公開査定の前に、向こうも盤を動かしてくる。  なら、こっちも先に見に行くしかない。


見ているだけでは、足りない。  たぶん、この学院ではもうずっとそうだった。

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