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無能教師と呼ばれた俺は、見捨てられた問題児たちを卒業させる。だが彼らは全員、次代の化け物だった  作者: 井芹蒼


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第14話 置いていく方が、間違ってる

朝の旧校舎には、いつもより椅子が二つ多かった。


教室の中央に机を寄せ、紙コップが五つ並んでいる。  セレナが湯気の立つ薬草湯を小さく配って、その隣でユノが布袋を両手で包み込むみたいに持っていた。  昨日、セレナから受け取っていたものだ。  その向かいには、緊張で背中を丸めた一年生の少女。リタ・エルム。  カイルは教室の外へ半分出るみたいな位置に立ち、入るでも帰るでもない顔をしている。


朝の教室、というには人数が多い。  セレナが言った 助けを求めていい場所 は、もう黒板の文字じゃなく、こういう朝の光景になり始めていた。


俺が扉を開けると、リタが弾かれたみたいに立ち上がる。


「す、すみません。朝から」


「謝るな。静かな朝は先週この教室で絶滅した」


リタが目を瞬かせる。  冗談だと気づくまで、半拍かかったらしい。


答えながら、中へ入る。  ノアはもう一番前の机を占領していて、昨日の点検票を二枚並べていた。  ヒナは窓際にもたれたまま、リタの様子をじっと見ている。


「薬草、熱くないです」


セレナが小さく言う。


「その、飲めなくても、持ってるだけで少しだけ楽になるので」


リタは紙コップを受け取ったが、すぐには口をつけない。  代わりに、ユノが自分の布袋をそっと差し出した。


「これ、昨日わたしが持ってたやつです」


リタが困った顔になる。


「え」


「あると、少しだけ息しやすいので」


ユノは言ってから、少しだけ頬を赤くした。


「わたしも、昨日そうだったので」


リタはその袋を受け取り、胸の前でぎゅっと握る。  礼を言う声は小さかったが、さっきよりは少しだけ息が通っていた。


「返すのは後でいいです」


ユノが少しだけ慌てたみたいに言う。


「今は、持ってる方がいいので」


「なくすほど余裕ないでしょ」


ヒナが窓際から言った。


リタはその言葉に一瞬きょとんとして、それからごく小さく頷いた。


「それで」


ノアが紙を指で揃えた。


「先に聞きたい」


リタが肩をすくめる。


「は、はい」


「昨日、器具持ち出し票書いたの誰」


単刀直入だ。  だが、今はその方がいい。


リタは少し迷ってから答えた。


「ジャレット先輩、です」


「誰」


ヒナが眉を寄せる。


答えたのはカイルだった。


「補習補助係の三年」


相変わらず愛想のない声だが、今日は立ち位置が少し違う。


「器具票もよく書く。器具倉庫の鍵、持ってる時ある」


ノアが机の上の持ち出し票を指で叩く。


「字、似てる気がする」


紙の端で跳ねる線。  右上へ払う癖。  昨日見た雑な書き込みと、たしかに近い。


「そのジャレット先輩が」


俺が促すと、リタは紙コップを握る指に力を入れた。


「今日は予定通り補習やるって……」


言葉が少し震える。


「来なかったら欠席扱いにするって、言われました。あと、また余計なこと言ったら、協調性不足って書くって」


「それ、協調性じゃなくて……黙っててほしいってことです」


ユノが小さく言った。


教室が一瞬だけ静かになる。


「書かせない。今日はこっちが先に止める」


ヒナの目が冷たくなる。


「何それ」


「その、器具が危ないって言っただけなんです」


リタは慌てて首を振った。


「でも、補習の子はすぐ言い訳するって……」


そこで、扉が二度、低く叩かれた。


返事をするより先に、ダリオ・フェンが入ってくる。  灰色の教師コートは今日も隙がない。  ただ、目だけは昨日より硬かった。


「ベル」


「は、はい」


「君は、本当に行動が早いですね」


呆れと感心の中間みたいな声だった。  それから、リタへ視線を移す。


「エルム」


リタがびくりとする。


「補習線担当の一年です」


「知っています」


フェンはそう言ってから、ノアの机の上の票を見る。


「……ジャレットですか」


「知ってるのか」


俺が訊くと、フェンは短く頷いた。


「三年。補習補助係。要領はいいですが、弱い線を 遅い側 とひとまとめにしやすい」


「最悪」


ヒナが吐き捨てた。


俺も、だいたい同意だ。


「行くぞ」


フェンが言う。


「今日の補習線に入る前に、まず顔を合わせます」


「私も行く」


ヒナが即座に言った。


「止めない」


「止めた方が面倒だ」


ノアの一言に、反論はできなかった。


「わたしも行きます」


ユノが布袋を抱えたまま言う。


「順番札、どこが違ったか、まだ言えます」


フェンが短く頷いた。


「来なさい」


セレナがリタへ向き直る。


「歩けますか」


「は、はい」


「怖かったら、先に言ってください」


リタはその言葉に少しだけ目を見開く。  たぶん、怖いと言っていい場に慣れていない。


その横で、ユノが布袋をそっと押す。


「持っててください」


リタはこくりと頷いた。



F組補習線の区画は、E組よりさらに学院の端に寄っていた。


壁は古いまま塗り直されただけで、砂の色もどこかくすんでいる。  訓練用の可動板には補修跡が多く、盾棚の金具は新旧が妙に入り混じっていた。  使えないわけじゃない。  だが、最初から 最高条件では使われない場所 として扱われているのが見て分かる。


その中央で、腕章をつけた上級生が苛立った顔でこちらを見た。


短い茶髪を無造作に撫でつけ、手には鍵束。  制服の着方だけ妙に整っている。


「何ですか、朝から」


声に露骨な歓迎のなさがあった。


「補習線、ただでさえ遅れてるんですけど」


「ジャレット・コール」


フェンが低く呼ぶ。


「安全確認です」


「補習でそこまでやります?」


ジャレットは肩をすくめる。


「本線じゃないんだから」


その言葉で、ヒナの指が木刀の柄を叩く。  速い。


「本線じゃないと雑でいいって?」


「ゼロ組は黙っててくれます?」


ジャレットはヒナを見もしないで返した。


「外から来て事情も知らないくせに」


「知らないから聞いてる」


俺が言う。


「昨日、危険器具を一年一人に運ばせたのはお前か」


ジャレットの眉がわずかに動く。  その反応だけで、否定しきれないのが分かった。


「補習って、そういう雑務も込みなんですよ」


「込みなわけないでしょ」


ヒナが前へ出る。


「危ない棚の前に、一年一人立たせてんのに」


「危ないって決まったわけじゃ」


「落ちた」


ノアが遮る。


「昨日、実際に」


ジャレットはそこで初めて、まともにノアを見た。  子ども扱いはしていない顔だった。


「……で?」


「票、見せて」


ノアが差し出された持ち出し票を受け取る。  指先が紙の端をなぞる。


「昨日の字と同じ」


カイルが横から言った。


「あと、その鍵束」


ジャレットが顔をしかめる。


「何」


「予備倉庫の鍵、混じってる」


「補助係だから当然だろ」


ぶっきらぼうな返答だった。  だが、ユノが小さく眉を寄せる。


「油の匂い……昨日の倉庫に近いです」


ジャレットは鼻で笑いかけて、少しだけ遅れた。


フェンが見逃さない。


「コール」


「ただ整備しただけです」


「整備票には、二日前の点検済み印があります」


ジャレットは舌打ちした。


「古い器具だったんで、少し締め直しただけですよ」


「報告は」


「してません」


開き直った声だった。


「その程度でいちいち止めてたら、補習なんて回らない」


その一言で、区画の空気が冷える。  リタの肩が目に見えて縮こまった。  他の一年たちも、誰も口を開かない。


「……始める前に全部見る」


フェンが言う。


「全棚、全可動板、補助線の固定具も」


「そこまでやったら時間が」


「遅れるなら私が責任を持ちます」


フェンの声は静かだった。  昨日までより一段低い、教師の声だった。


「あなたは口を挟まないでください」


ジャレットは露骨に不満そうだったが、さすがに黙った。


それでも、目だけはまだリタたちを急かしている。  遅い側を、最初から遅いままのものとして見ている目だ。


その目つきは、ヒナにとって嫌いすぎる種類だった。



点検はした。  支柱と固定杭は見た。  押し出し板の横金具も、露骨に緩んだものはいくつか外した。  それでも、区画の端に積まれた予備の押し出し板までは手が回らない。


ノアが低く言う。


「広すぎる」


「全部見ても、全部は触れない」


カイルが続ける。


「補習線、器具多いし」


フェンが一年たちへ向き直る。


「危ないと思ったら止まること。返事が遅れたら、そこで切ります。恥ではありません」


その言葉に、何人かが戸惑ったように顔を見合わせた。  こんな場でそう言われ慣れていないのだろう。


ジャレットだけが、わずかに白けた顔をする。


「止まってたら終わりませんよ」


「壊れて終わるよりましです」


俺が返すと、ジャレットは鼻を鳴らした。


補習内容は、模擬盾を使った後退訓練だった。  前から押し出し板で圧を受け、二人一組で模擬盾を支えながら安全線まで下がる。  速さより、崩れないことが大事なはずの訓練だ。


なのに、ジャレットは開始前から一年たちを急かした。


「遅い方に合わせるな」


「止まるな」


「置いてかれる方が悪い」


その言葉に、ヒナの目が細くなる。  木刀の柄を叩く指が、止まった。


最初の組は何とか終わった。  二組目で、リタが後衛に入る。  相方は小柄な一年の男子だった。模擬盾を持つ手が、もう震えている。


「始め」


フェンの合図で、前方の押し出し板が動く。  リタたちは模擬盾で圧を受け止めながら、じりじり後ろへ下がった。  遅い。  だが、遅いこと自体は間違いじゃない。  崩れないことの方が大事だ。


「もっと上げろ!」


ジャレットが叫ぶ。


「遅い! 押し切られるぞ!」


その瞬間、右側の押し出し板を支える横金具が嫌な音を立てた。


ノアが顔を上げる。


「右、落ちる」


言葉が終わるより先に、金具が外れた。  押し出し板の右側が横倒しに滑る。  リタの相方が反応に遅れ、足を取られる。


「下がれ!」


俺が叫ぶ。


だが、一番早く動いたのはヒナだった。


砂を蹴る。  木刀を逆手に持ち替え、倒れ込む防御板と二人の間へ滑り込む。


板の端が肩へぶつかる直前、木刀を横に差し込み、全体重で受ける。  鈍い音がした。  細い身体がきしむ。


「返事!」


ヒナが怒鳴る。


リタがはっと顔を上げる。


「は、はい!」


「じゃあ動け! その子引いて!」


リタが相方の腕を掴む。  そこへ、ユノの糸が飛ぶ。  二本の白い線が防御板の角へ絡み、落ちる速度を一瞬だけ遅らせた。


「カイル!」


「分かってる!」


カイルが横から飛び込み、板の下へ肩を入れる。  ノアはすでに別側の支柱へ走っていた。


「左の杭抜ける、アーヴィン先生、そこ!」


俺は指された位置へ踏み込み、揺れた固定杭を押さえる。  セレナは転んだ一年の手を取り、呼吸を見た。


「リタさん、腕は」


「だ、大丈夫……」


言葉ほど大丈夫な顔じゃない。  右手首をかばっている。


ジャレットが一歩前へ出た。


「それくらいで止めるんですか」


その声で、ヒナの顔が変わる。


木刀をまだ防御板に噛ませたまま、振り向く。  目だけが冷たい。


「それくらい?」


「補習線なんて、多少崩れても」


「置いていく方が、間違ってる」


ヒナの声は低かった。  怒鳴っていないのに、区画全体へ通る。


「遅いやつから壊れる場所で、速さだけ言ってんじゃない」


俺は停止を告げる。


「訓練中断」


フェンもすぐ重ねた。


「全員、後ろへ下がってください」


ようやく、ジャレットの顔から余裕が消えた。



リタの手首は軽い捻挫だった。  大きな怪我ではないが、震えが止まらない。


セレナがしゃがみ込み、いつもより丁寧に言う。


「その……少しだけ、治せます」


リタがびくりとする。  この子は、たぶんもう 触れられる前に説明される こと自体に慣れていない。


「痛いですか」


かすれた声だった。


セレナが正直に頷く。


「少し」


そこで、俺も膝を折って視線を合わせる。


「痛い。でも、ちゃんと治る」


リタが俺を見る。


「セレナは、勝手に触らない」


その一言に、セレナの肩がほんの少しだけ揺れた。  逃げたいんじゃない。  ちゃんと聞いてもらえた時の揺れ方だ。


「嫌なら、別の手当てでもいい」


リタは数秒迷って、それから布袋を握り直した。  ユノが小さく頷く。


「……大丈夫です」


選んだのは、リタ自身だった。


セレナの指先が手首へ触れる。  リタは少しだけ息を詰めたが、すぐに表情が変わる。


「あ」


「だいじょうぶですか」


「お、思ってたより」


リタは目を丸くした。


「ちゃんと、先に言ってもらえると……」


最後までは言えなかったが、それで十分だった。


セレナは小さく息をつく。  その横顔を見て、俺は少しだけ肩の力が抜ける。  このところ、こいつが誰かを支える側へ回る場面は増えた。  今の一瞬で、その支え方がちゃんと届いているのも分かった。



フェンは区画の中央で、ジャレットから点検票と鍵束を取り上げた。


「コール」


「……はい」


さっきまでの強気は、もう薄い。


「この点検票、あなたの字ですね」


「そうです」


「実物確認は」


ジャレットは黙った。  それで足りた。


「古い器具を補習線へ回したのも」


「本線に回せないものを、後ろへずらしただけです」


開き直る声だった。


「補習線はどうせ遅いし、多少重くても」


「多少で済んでいません」


フェンが切った。


いつもの抑制はそのままなのに、今は温度が違う。


「防御板が落ち、一年生が二人巻き込まれかけた」


「でも、あれは」


「しかも」


ノアが口を挟む。


「E組の可動板は、君の担当じゃない」


ジャレットの目が揺れる。


「何」


「昨日のE組の削れ方」


ノアは淡々と言う。


「こっちより細い工具」


カイルが続けた。


「ジャレット先輩、あの支柱まで触ってないですよね」


ジャレットは苛立った顔で舌打ちした。


「E組は知らない」


その一言で、逆に分かったことがある。  こいつは F 組補習線の 顔 ではある。  だが、昨日までの全部を一人でやったわけではない。


つまり、線はまだ続いている。


フェンは鍵束を自分のコートへしまった。


「コール。今日以降、補習補助から外れなさい」


「は?」


「異議は教員会議で受けます」


ジャレットが何か言い返しかける。  だが、区画の周囲で補習生たちが見ていた。  その視線の前で、さすがに強くは出られないらしい。


フェンはそこで、わずかに顔を上げた。


「補習線だから雑でいい、などと今後二度と言わないでください」


その言葉は、ジャレットだけじゃなく、この学院全体へ向けられているみたいだった。



昼休みの旧校舎には、その日、また椅子が二つ増えた。


ユノが当然みたいに座り、リタがまだ遠慮しながらその隣へ腰掛ける。  カイルは結局、扉のすぐ内側に立った。  完全には入らないが、もう外にもいない。


セレナが紙コップを置き、ノアは机へ票を二枚並べる。


ヒナは窓際にもたれたまま、しばらくリタを見ていた。  やがて、ぶっきらぼうに言う。


「次から、一人で持ちに行かないで」


リタが目を瞬かせる。


「でも、行けって言われたら」


リタはそこで一度だけ口を閉じた。  布袋の端を親指で押し込み、呼吸を整える。


「だから先に来れば」


ヒナはそっぽを向いたまま続けた。


「遅いとか、足りないとか、そういうの言われる前に」


「……また、来てもいいですか」


「勝手に来れば」


即答だった。


「ノックだけはしろ」


俺が言うと、リタがこっちを見る。


「椅子は増やせる」


その横で、ユノが少しだけ笑った。


リタはそこで、机の上の点検票を見た。  膝の上で握っていた布袋を、今度は机の端へそっと置く。


「あの」


ノアが顔を上げた。


「今日のこと、わたしも書きます」


ヒナが窓際から視線だけ向ける。


「書けるの」


「怖かった場所なら」


声は細い。  それでも、今度は途中で止まらなかった。


「どこで遅れたかも、誰に急がされたかも、見たので」


ノアは何も言わず、空いた紙を一枚差し出した。  リタは少し震える手でそれを受け取る。


俺は机の上の点検票を見る。  片方はジャレットの荒い字。  もう片方は、昨日 E 組で見た細い字。


ノアが二枚の間へ指を置いた。


「顔は一つ出た」


低い声だった。


「でも、全部じゃない」


昼の光の中で、二枚の票の端に残った油染みと、その横で増え始めたリタの丸い字が、同じ机の上に並んでいた。

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