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無能教師と呼ばれた俺は、見捨てられた問題児たちを卒業させる。だが彼らは全員、次代の化け物だった  作者: 井芹蒼


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第13話 壊れ方には、癖がある

翌朝、俺が旧校舎の教室を開けた時には、もう先客がいた。


窓際ではなく、一番前の机だ。  ノアが紙を広げ、その上に金具を三つ並べている。


昨日の柵支柱から外したもの。  E組訓練区画の可動板の軸から記録した寸法。  それから、今朝こいつが旧校舎の物置から持ってきた、使っていない予備金具。  月末査定までに、ゼロ組の判断が一番人を守れると証明する。  あの朝ノアが口にした目標を、こいつは案外いちばん律儀に守っていた。


朝の薄い光の中で見ると、同じ形のはずの金属が微妙に違って見えた。


「早いな」


声をかけると、ノアは顔を上げないまま答えた。


「先生の方が遅い」


「比較対象が朝の鐘より前に来る生徒なのはどうなんだ」


「必要だったから」


短い返事のあと、ようやく一本を指先で弾く。  乾いた、軽い音がした。


「これ」


「昨日のやつか」


「うん」


次に、予備金具を弾く。  音が少しだけ低い。


「違うな」


「厚みが微妙に削られてる」


紙の隅には、ノアの細い字で数字が並んでいた。  削れた幅。角度。片減りしている側の向き。


「偶然じゃないのか」


「偶然で同じ向きに削れない」


そこで、ようやく顔を上げる。  眠たげな目のまま、今朝は芯だけが妙にはっきりしていた。


「壊れ方には、癖がある」


その言い方は、誰かの字癖でも見つけたみたいだった。


「同じ人がやると、削る角度も、触る場所も似る」


「やめろ、そういう職人みたいな顔。仕事が増える予感しかしない」


「嫌」


嫌、で済ませるあたりがノアだ。  だが、こいつがこういう時に間違えることは少ない。


俺は机の上へ鞄を置いた。


「何が要る」


「今日の昼休み」


「時間か」


「あと、ユノとカイル」


ノアの声はいつも通り平坦だったが、紙の端を押さえる指だけが止まらなかった。  答えを拾うのを急いでいる時の速さだった。


その名前が出たところで、後ろから足音がした。


ヒナだった。  まだ眠そうなくせに、教室へ入った瞬間に机の上の金具へ目を止める。


「何それ」


「昨日の壊れたやつ」


「朝から地味」


「地味だから残る」


ノアが答える。  ヒナは露骨に嫌そうな顔をしたが、木刀を椅子へ立てかけながら金具を覗き込んだ。


「で、分かるの」


「分かりかけ」


「腹立つ言い方」


少し遅れて、セレナも入ってきた。  今日は小さな布包みを二つ持っている。  ひとつは自分たち用、もうひとつは、たぶん来客用だ。


「あの……朝の分、置いておきます」


机の端へ置かれた布包みから、薄い薬草の匂いがした。  最近、この教室にはこういう小さな準備が増えている。


「セレナ」


「は、はい」


「昼休みに、ユノが来るかもしれない」


セレナがぱちりと目を瞬かせる。


「また、相談ですか」


「たぶん相談というより、確認だ」


ノアが紙を畳みながら言った。


「昨日の続き」


ヒナが鼻を鳴らす。


「じゃあ決まり。昼、誰か来ても追い返さないで」


「お前が一番追い返しそうなんだが」


「来たやつが変なのだったら追い返す」


「結局その権限は自分にあるんだな」


言い合っているうちに、いつもの朝の空気になる。  それでも、机の上の金具だけは最後まで目に引っかかった。  ノアの言った 壊れ方には、癖がある が、朝の空気にまだ残っていた。



昼休みの旧校舎には、やっぱり足音が多かった。


廊下の向こうで立ち止まる気配。  扉の前まで来てから引き返す影。  誰かが「今、E組の子入った」と小さく囁く声まで聞こえる。


扉の前に立っていたのは、ユノと、その半歩後ろに立つカイルだった。


ユノが扉を叩き、カイルは露骨に居心地悪そうな顔をしている。  旧校舎の教室に自分から入る人間の顔ではない。  それでも右手には、途中で拾ったらしい曲がった札留めが握られたままだった。


「入れ」


俺が言うと、ユノはすぐ頷いた。  カイルは一瞬だけ躊躇ったが、結局ついて入ってくる。


中へ入った途端、ヒナがじろりと見る。


「増えた」


「来るって言ってない」


カイルがむっとした顔で返す。


「でも来たじゃない」


「ユノが一人で来ると、また変に見られるから」


そこで気づいたらしく、カイルが眉を寄せる。


「……別に、そういう意味じゃなく」


「分かってる」


ユノが慌てて言った。


「その、わたしが、来てほしいって言ったので」


セレナが用意していた紙コップを二つ、机の端へ置く。


「熱くない方です」


ユノはもう、その差し出し方にそこまで怯えなかった。  昨日ほどではなく、少し迷ってから受け取る。  カイルは「俺はいい」と言いかけて、ノアに見られて黙って受け取った。


「それで」


ノアが単刀直入に言う。


「何を見た」


カイルが紙コップを持ったまま、答える。


「昨日のあと、気になって、朝いくつか叩いた」


「どこを」


「E組の可動板。予備の支柱。あと、補助査定で使う終点杭の固定」


そこまで一息で言ってから、不機嫌そうに舌打ちする。


「二か所、おかしかった」


ノアの目が少しだけ細くなる。


「音?」


「うん。軽い」


「どっち側」


「査定線の外寄り」


質問が重なるたび、カイルの答えが整っていく。  ユノがその横で、小さく補う。


「あと……補助用の巻き取り具にも、昨日と同じ匂いが、少しだけありました」


「匂い?」


「鉄じゃなくて……油、です。たぶん。古いのじゃなくて、もっと尖った匂い」


セレナが眉を寄せた。


「医務室の器具を削った時みたいな……」


「新しい金属の匂い」


ノアが引き取る。


「削った直後は出る」


ヒナが腕を組んだ。


「じゃあ、誰かがちまちま削って戻してるってこと?」


「たぶん」


「地味で最悪」


「だから残る」


朝と同じ返答をして、ノアは机の上へ紙を広げた。  簡単な見取り図だ。  E組訓練区画、予備器具置き場、査定導線の位置が記されている。


「おかしかった場所、印つけて」


ユノが覗き込み、細い指で二か所を示す。  カイルはその隣へ、少し乱暴な筆圧で一か所を書き足しかけて止まった。


「……いや、でも」


「書いて」


ノアが先に言う。


「関係ないって決まってない」


カイルは一瞬だけ眉を寄せ、それから書き足した。


「ここも」


「そこは何」


「防御補習用の器具置き場」


カイルは言ってから、気まずそうに少し視線を逸らした。


「明日、F組の一年が使う」


「昨日、器具票抱えて倉庫の前にいたやつ」


その瞬間、教室の空気が変わった。


「一年?」


ヒナが低く繰り返す。


「何でそんなとこまで知ってるの」


「同じ訓練区画だから、予定表見えるし」


カイルはぶっきらぼうに答えた。


「補助線って、大体後ろの時間に押し込まれるから」


押し込まれる。  いかにもこの学院らしい言い方だった。


ノアは予定表の位置まで書き込む。


「低優先の補習線に偏ってる」


「偶然じゃない?」


ユノが不安そうに訊く。


ノアは首を振った。


「昨日のE組。今日の予備支柱。明日のF組」


「査定や補習で使う場所ばっかり」


見取り図の三点を、ノアが指で静かに結ぶ。


「これ、事故じゃない」


「順番だ」


ユノの指が紙コップの縁で止まった。


「昨日、わたしがもっと早く言えてたら」


「違う」


ノアがすぐ切った。


「今、見る方が先」


そこへ、扉がもう一度叩かれた。


今度の音は、遠慮がない。


入ってきたのはダリオ・フェンだった。  灰色の教師コートをいつも通り乱さず着ているが、目だけが少し険しい。


「ベル」


「は、はい」


「君が旧校舎へ行くと言った時点で、こうなる予感はしていました」


そう言いながらも、ユノを叱る声ではなかった。  視線はすぐ机の紙へ落ちる。


「それで」


「E組だけじゃないかもしれない」


俺が答えると、フェンは紙の印を追った。


「根拠は」


「音と匂いと削れ方」


ヒナが言うと、フェンはもちろん納得した顔をしない。  代わりにノアが、朝からの紙を差し出した。


「こっち」


数字と簡単な断面図。  片減りの角度。  予備金具との差。


フェンは無言で読み、最後に小さく息を吐いた。


「……面倒ですね」


「否定しないんだな」


「否定したいのは山々です」


フェンは紙を机へ戻す。


「ですが、ベルとヴァーンの観察が一致している時点で、無視はできない」


その一言で、カイルが少しだけ目を上げた。  フェンに「観察」と言われるのは、こいつにとって悪くないらしい。


「放課後、器具倉庫を開けます」


「いいのか」


「よくありません」


即答だった。


「ですが、明日の補習に本当に影響するなら、先に確認すべきです」


そこでフェンは一度、教室全体を見た。


「ただし、騒ぎにはしない」


「証拠が固まるまで、か」


「それもあります」


フェンは淡々と続ける。


「中途半端に広がると、補習対象の生徒たちだけが余計に怯えます」


その理屈は、分かる。  分かるからこそ厄介だ。


「じゃあ、放課後に見る」


俺がまとめると、ノアが頷いた。  ヒナは露骨に面倒そうな顔をしたが、帰るとは言わない。  セレナは予備の紙と包帯を静かにまとめ始めていた。


こういう時、この教室は誰も「行く」と大きく宣言しない。  やるべきことがあると分かれば、勝手に席を立つ。



放課後の器具倉庫は、思った以上に狭かった。


訓練用の可動板、支柱、予備金具、巻き取り具、模擬盾、固定杭。  木と鉄の匂いが籠もり、奥には油のしみた布が積まれている。


旧校舎の物置みたいな雑さではない。  整っている。  整っているはずなのに、その整い方の中に、かえって触られた跡が浮いていた。


ノアは入ってすぐ、棚を端から見始めた。  指で触るより先に、見る。  金具の並び、箱の札、戻し方の微妙なずれまで一気に追っていく。


「こっち」


呼ばれて近づくと、予備支柱の箱の前だった。


「同じ規格の箱が二つある」


「予備だろ」


「うん。でも」


ノアは箱の中の金具を一本ずつ見比べる。


「減ってる側が片方に寄りすぎ」


フェンが眉を寄せた。


「使用頻度の差では」


「なら汚れ方も同じになる」


ノアは一本を持ち上げる。


「こっちは新しい」


「見ただけで分かるの」


ユノが思わず訊く。


「戻され方がきれいすぎる」


その説明は分かるような分からないようなものだったが、ノア本人の中では明確らしい。


そこで、ユノがそっと手を上げた。


「あの」


「何だ」


「少しだけ、糸、使ってもいいですか」


フェンが一瞬だけ警戒する顔になったが、俺が頷くより先にノアが言った。


「使って」


俺も頷く。


「使え。揃うなら、その方が早い」


ユノは箱の前へしゃがみ込み、細い魔力糸を二本伸ばした。  白い糸が、金具の列の上すれすれを水平に走る。


「同じ高さなら、揃うので」


糸はぴんと張られたまま、数本の上でだけ微妙に浮いた。  削れた分だけ、わずかに低いのだ。


カイルが低く息を吐く。


「……本当に減ってる」


「だから言った」


ノアは平然としている。  だが、ユノの糸がここで役に立ったこと自体は、ちゃんと意味があった。  ユノの目つきも、昨日までよりほんの少しだけまっすぐだ。


「この箱、誰が使う」


俺が訊くと、フェンが札を確認した。


「補助線用です」


「査定だけじゃないんだな」


「防御補習、基礎補習、低学年の実技補助にも回る」


ヒナが舌打ちする。


「最悪」


「うん」


ノアは棚の奥へ視線を向けた。


「広く刺さる」


その時だった。


倉庫の外で、かたんと軽い音がした。


誰かが立ち止まった音。


ヒナが最初に振り向く。


「誰」


返事の代わりに、扉がほんの少しだけ開いた。


立っていたのは、見覚えのない一年生の少女だった。  栗色の髪を三つ編みにし、胸の前で紙束を抱えている。顔色が悪い。指先は、紙の端を潰すくらい強く入っていた。


「あ、あの……」


声が細い。  ユノが少しだけ目を見開く。たぶん、数日前までの自分を見る顔だ。


「何」


ヒナがぶっきらぼうに訊くと、少女はびくりとした。


「す、すみません。F組の、リタ・エルムです。明日の防御補習で使う模擬盾を、先に運んでおけって……」


紙束の一番上には、器具持ち出し票があった。  誰かの筆跡で、倉庫番号と棚位置が雑に書いてある。


「一人で?」


俺が訊く。


リタは小さく頷いた。


「上の先輩に、急げって……」


リタは持ち出し票を見て、棚番号と札を見比べた。  一つ通り過ぎて、戻る。  この倉庫に慣れていない足取りだった。


その瞬間、ノアが顔を上げた。


「待って」


だが、もう半歩遅かった。


リタが指定された棚へ近づき、下段の模擬盾へ手をかける。  それを手前へ引いた瞬間、棚の横支えが嫌な音を立てた。


がくん、と片側が沈む。


「危ない!」


俺が動くより先に、ヒナが飛んだ。


木刀を放り、リタの肩を乱暴に引き寄せる。  次の瞬間、模擬盾が二枚、横支えごと床へ落ちた。  重い音が倉庫へ響く。


セレナがすぐリタの腕を掴む。


「けが、ありますか」


「な、ないです……」


声は震えていた。  ヒナの腕の中から離れたあとも、足が少しふらついている。


ヒナは顔をしかめたまま、落ちた棚を見る。


「これも?」


ノアがしゃがみ込む。  外れた横支えの留め金具を拾い上げ、数秒黙ったあと答えた。


「同じ」


「削られてる」


フェンの表情が、今度こそはっきり変わった。  朝から机の上で追っていた 癖 が、ここで現場の形になる。  点じゃない。低優先の線を順に踏ませる手口だ。


「……明日の補習で使う予定だった棚です」


リタが真っ青な顔で持ち出し票を見つめる。


「わ、わたし……これ、運べなかったらまた遅いって……」


そこまで言って、喉が詰まる。  ヒナが苛立ったように息を吐いた。


「うるさい」


誰に向けた言葉か、一瞬では分からない。  リタは肩をすくめたが、ヒナはそのまま視線を落ちた棚へ向けた。


「器具が壊れてんのに、遅いとか言ってる場合じゃないでしょ」


怒っている。  だが、怒りの向きはリタではなかった。


カイルが落ちた金具を拾い上げ、親指で縁をなぞった。


「……これ、現場で外れた感じじゃない」


「分かるの?」


ユノが訊く。


「分かる」


カイルは金具を光へ透かした。


「踏まれた潰れ方じゃない。先に薄くされてる」


ヒナが横目でそっちを見る。


「荒いくせに、そういうのだけ早い」


「褒めてないだろ」


ノアが立ち上がる。


「明日のF組補習線、全部見た方がいい」


「全部?」


フェンが訊き返す。


「今日見つかったのが三か所なら、ここだけ止めても足りない」


カイルがすぐに続いた。


「第三防御線、予備杭も同じ規格だ」


ユノも小さく頷く。


「巻き取り具も、その線に回ると思います」


フェンは数秒だけ考え、それから短く言う。


「予定は止めません」


ヒナが睨む。


「は?」


「止めた時点で、誰かが気づきます」


フェンの声は低い。  だが、昨日までの冷たさだけではなかった。


「その代わり、明朝、私が先に線を確認します」


「一人で?」


俺が訊くと、フェンは一瞬だけ言葉を切った。  そこで、ヒナが先に言った。


「無理」


全員がそちらを見る。


ヒナはリタの前へ半歩出たまま、眉間に皺を寄せていた。


「こういうの、一個見つけたら終わりじゃない」


その言い方は、自分の勘を信じている時のものだった。


「明日、私も行く」


「ヒナ」


「嫌なら勝手に嫌がってて」


だが、その目はもう決まっている。  誰かが弱い側へ押し込まれる匂いを嗅いだ時の、あの顔だ。


ノアが小さく頷いた。


「僕も見る」


セレナはリタの震える手を離さないまま、こくりと頷く。


「その子、一人にしない方がいいです」


俺は落ちた棚の横支えを跨いだ。


「明朝は俺も入る。遅い早いは、壊れてない棚を並べてから言え」


倉庫の床には、削られた金具と、落ちた模擬盾と、明日の補習票が散らばっていた。  補習票の端に書かれた 第三防御線 の下へ、リタ・エルムの番号が細く続いている。  明日の朝、その細い手がまたあそこへ伸びる。

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