6-1 調香師
朝、スイレンがいつも通りにガーディナー商会へと出勤すれば、待ち構えていた同僚から『店主ジョルジオが呼んでいる』と伝えられ、急ぎ彼の部屋まで行くこととなった。
(どうしたのかしら。ジョルジオさんが私に用事なんて)
スイレンの雇い主であるジョルジオは人の重要性をよくよく理解していて、工房で働く選りすぐりの職人たちには高給を支払い、彼らの仕事振りについては自由にしてもらいあまり干渉しない。
スイレンも女性が主な客であるガーディナー商会店内を生花で飾る仕事さえ、きっちりとこなしていれば、これまでに何か文句を言われるようなこともなかった。
こうして、ジョルジオに呼び出されるようなことは、初めてだった。
スイレンはジョルジオが仲介する花魔法の仕事の準備などを店内でしても構わないと、お墨付きをもらっている。これはガーディナー商会でなければ、あまりないことだ。
彼が人を縛ることのない革新的な仕事のやり方をしていても、ガーディナー商会は同業種の中でも驚くほどに繁盛していた。それだけ、優秀な店主であるという証だろう。
店奥にあるジョルジオの部屋へと辿り着き、扉を三回叩けば、すぐに声が聞こえてきた。
「……失礼します?」
おそるおそるスイレンが顔を顔をのぞかせれば、ジョルジオの座る机の前には、一人の紳士が立っていた。
(誰かしら……? ジョルジオさんの知り合い?)
ここに呼ばれた理由がわからずに戸惑うスイレンに、ジョルジオは手を振った。
「ああ。スイレンさん。こちらの方は、ジュリアン・クレマン。君の花魔法の話を聞いて、頼みたいことがあるそうなんだ」
ジョルジオは椅子から立ち上がり、紳士に手を向けて彼を紹介した。
ジュリアンと呼ばれた彼は非常に背が高く、黒髪と黒目で一見強面の男性だった。茶色のローブを羽織り、自らを紹介されても無愛想な表情を崩すことはなかった。
「はじめまして。スイレン・アスターです」
そういうことかとスイレンは慌てて部屋へと入り、彼へ挨拶をした。
「ジュリアン・クレマンだ。ジョルジオから、君の花魔法の話を聞いた。俺は調香師をしていて、精油を得るために、ある花を種から大量に咲かせて欲しいんだ」
「……え?」
依頼内容を聞いたスイレンは、これまでにやったこともない仕事を驚いた。
(……精油……? 調香師? 花を大量に咲かせる?)
聞き慣れない単語に目を白黒させるスイレンに、ジョルジオは微笑んだ。
「ああ。そうなんだ。スイレンさん。実はこのジュリアンの仕事は、香水を作る仕事でね。精油というのは、花から作る香りの元なんだ。香水の原料になるものだ。しかし、ジュリアンの求めている花は、非常に貴重なもので……」
そこで、ジョルジオはジュリアンを見て、彼は言葉を引き継いだ。
「花の精油は、何千個の花を抽出しても、小瓶に溜まるかどうかしか取れない。それに、この国に自生しない花であれば、なおさらだ。しかし、とあるやんごとない断れない方からの急ぎの依頼でね……どうしても、求めている香りを調香しなければならない」
ジュリアンはこれがあまり気の向かない仕事であることを示すように、大きくため息をついていた。
(やんごとない……断れない方からの依頼ということかしら?)
ここで依頼人の名前を出す訳にはいかないと言わんばかりの彼の言いようを聞いて、スイレンは不思議に思った。
もしかすると、依頼人は大貴族か王族だろうか。
たかだか後ろ盾のない商人の身で彼らに逆らうわけにもいかないとい言うのならば、ここまでジュリアンが気乗りしない雰囲気もわかる気はする。
きっと、無理な依頼だとしても、断れなかったのだろう。
「そうなんだ。とは言え、花の精油はとても貴重で、金を積んで頼んですぐに出来るかと言われればそうではない。だから、僕たちの方で種を大量に用意するから、スイレンさんには花魔法で花を咲かせてもらおうと思ってね」
「種から花を咲かせることは……出来ます! けれど、私の魔力では一日に咲かせる量は限られてしまうかもしれません。種から花を咲かせることはそこまで難しいことではないので……出来るだけご期待に応えたいとは思いますが」
なにせ、先ほど何千個で小瓶という話を聞いていたので、ここでスイレンはどのくらいの花が必要になるのかわからず不安になった。
(それって、どのくらいの数の花が、必要なのかしら……? 数千個って言っていたけれど、それ以上の可能性もあるということ?)
花娘として生花を籠に入れて売り歩いていた頃は、多くても百本の花を咲かせて用意する程度だっただろうか。
魔力が枯渇してしまうほどに咲かせたことはないものの、彼らの要望に自分はきっと応えられるだろうとスイレンは思った。
「ああ。スイレンさん。一日に一度に咲かせる……というわけではないんだよ。一日に千個……そして、その次の日も……と、そういう計算になるんだろう? ジュリアン」
「そうだ。抽出器具にも限界がある。先ほど、何千個とは言ったが、必要量が抽出出来るかどうかはやってみないとわからないんだ。その日の天気にも左右される」
スイレンは彼らの話を聞いて、ほっと胸をなで下ろした。
「それならば、大丈夫です! 私に出来るのなら、お手伝いさせてください!」
「と、いうことだ。ジュリアン。彼女の依頼料に関しては、私と相談しよう」
そつのない商人の笑みを浮かべたジョルジオに、ジュリアンは仕方なさそうに頷いた。
スイレンはそこで仕事に戻るようにと伝えられて、退室することになった。仲介料として一割はジョルジオの懐に入るものの、九割はスイレンの手に渡る。
ガヴェアに居た頃の取り分は、まるで逆だった。
ガーディナー商会店主ジョルジオは、花魔法を使った仕事に関しても、適正な金額でなければ交渉に頷かないだろう。そういった意味で、スイレンは彼のことをとても信頼していた。
「……スイレンー!」
自分を見付けて廊下の奥から走って来る紺色の髪の少年を見て、スイレンは嬉しくなって微笑んだ。
「クライヴ!」
「スイレン。いつもの時間に出勤して来ないから、何かあったのかと思って心配したよ」
どうやらクライヴはスイレンが仕事でいつも使う小部屋で、彼女のことを待って居てくれたらしい。
「ふふ。ジョルジオさんに呼ばれていたのよ。待って居てくれたのね」
スイレンは微笑んで彼の頭を撫でると、クライヴは真面目な表情で頷いた。
「……ああ。ブレンダンの父親か。彼から何かを頼まれたの?」
長い寿命を持つクライヴにとってみれば、ブレンダンの父親もブレンダンも同じ並びに居るのだろう。今は少年の姿を持つものの、彼の本来の姿は雄々しき姿を持つ竜なのだから。
「そうよ。花魔法を使った仕事があって……何か、調香のために使う花を咲かせて欲しいということだったわ」
「調香か。香水を作る仕事だよね。スイレンの花魔法を使った仕事は、色々あって面白いね」
クライヴはスイレンと並んで歩き始めて、彼女の手を握った。小さな手が早く早くと自分を導くので、スイレンは彼の様子に思わず微笑んでしまった。
「クライヴ、私に何か用事があったの?」
クライヴは朝から職場で自分を待って居たようなので、もしかしたら彼には何か急ぎの用があったのかもしれないとスイレンは思った。
「あ……うん。そうそう。スイレンに頼みたいことがあるんだ」
何故だか楽しそうに見えるクライヴに、スイレンは不思議に思いながら首を傾げた。




