【特別SS】急用
強い風になびく燃えるような赤い髪、それに、強い目が見えた。
(リカルド様……)
急降下したワーウィックの大きな翼が孕んだ風が、直立したままのリカルドに向かっただろうに、彼は全く怯む様子もなく目も逸らさなかった。
リカルドの意志の強さを表すような茶色い瞳に、スイレンは彼を初めて見た時の事を思い出す。決して折れることのない剣のような真っ直ぐな視線だ。
敵が全方位隙なく囲っていても、リカルドは怯えた姿を見せることはなかった。恐怖の感情などは、まるで忘れてしまったかのように。
だからこそ、あの敵国ガヴェアでも恐れられていたのだ。まるで、人の感情を持たぬ悪鬼のような男。竜騎士リカルド・デュマースとして。
「……スイレン。君がいきなり城に来るなんて、何かあったのか?」
ここはヴェリエフェンディ王城の中にある竜たちが飛び立ったり降り立ったりする発着場だ。火竜ワーウィックはその場に降り立つと、リカルドと、スイレンを乗せたままじっと目を合わせた。
彼らの心の中は、竜騎士の契約で繋がっている。そんな様子を間近で見る度に、スイレンはなんとなく仲間はずれになっているような気がしてしまう。
(前は私もワーウィックと話してみたいって思ったけど、今は人の姿になれば話せるもの……竜の姿でも話したいと思うなんて、なんだか、贅沢になってしまったみたい)
スイレンはヴェリエフェンディでリカルドと暮らすようになって、それまでに欲しかったもの、すべてが満たされたようにも思うけれど、そんな生活にも慣れてしまえば何かが気になり出す。
あの頃の自分には、望むべくもない何もかもを手にしているはずなのに、もっと満たされたいという欲は湧きだして止まらない。
恋するリカルドと思いを通わせているというのに、彼と離れればまたすぐに会いたくなってしまう。
だから、スイレンは人の欲は永遠に満たされることなどないのかもしれないと、たまに思うのだ。
「君がそんな事を言い出すなんて、なんだか珍しいな。別に構わないが、俺はこれから仕事だから、一緒には行けない。悪い」
ワーウィックから事情を聞いたリカルドに下ろしてもらい、スイレンは白い石床の上に降り立った。
スイレンもワーウィックに迎えに来て欲しいと頼んでいたものの、仕事中のリカルドが迎えに出てくれるなんて思わずにいた。
「はいっ……私は大丈夫です。リカルド様、お仕事頑張ってください!」
「ああ。ありがとう。明日の昼には帰るよ」
軽く手を振って離れたリカルドは竜騎士で彼らは少数精鋭であるため、かなり不規則な勤務形態だ。今日の朝仕事に出たものの、帰宅するのは夜勤明けの明日になるらしい。
スイレンは迎えに来てくれたワーウィックとリカルドにお礼を言ってから、城の中へと一人入った。
白亜のヴェリエフェンディ王城は建国の王が、この国の守護竜イクエイアスに贈るために建造したと言う。竜は美しいものを好むので、随所に彫刻が施された美しい城だった。
「あのっ……すみません! 図書館って、何処ですか?」
廊下を歩いていた文官らしき男性を見つけてスイレンは目的の場所を聞いて、この城の中にあると言う巨大な図書館へと歩き出した。
(綺麗だけど、広すぎて大変……働いている人たちは、迷ったりしないのかな)
スイレンが生花を売り歩いていたガヴェアの王都は、区画が完全に整理されていたために、彼女はあまり道に迷ったりすることはなかった。
けれど、城の中は室内で同じような風景が続いていて、慣れていないと迷路のように思えてしまうだろう。
「あ……ここ」
ようやく辿り付いた図書館は、スイレンがこれまでに想像していたよりも素晴らしいものだった。
王城の中にある図書館は他国からもこれが目当てで観光客が訪れてしまうくらいに、大きく立派なものだ。蔵書もかなり多く、見渡す限り本の海だった。
図書館に入るためには身分証明をせねばならず、それを知らなかったスイレンが困っていたところで、背後から声がした。
「スイレンちゃん」
「……ブレンダン様」
見知った顔を見て安心したスイレンは、ほっと息をついた。ブレンダンは今特徴的なあの黒い竜騎士服を着ていない。ということは、勤務外でここに居たということだろう。
「……図書館は身分証明が必要だということを、私知らなくて……持って来ていなかったんです」
着の身着のままこの地に降り立った時とは違い、今はガヴェアに出生証明書を取りに行き、必要な手続きをすべて済ませていた。
だから、この国で通用するような身分証も既に手にしているが、必要だと思わずに家に置いて来てしまったのだ。
「ああ。そうなんだ。良いよ。僕は入れるから、その同行者って事で入ろう」
すぐに事情を理解した気の利くブレンダンは片目を瞑って、スイレンにそう提案した。
「ありがとうございます! 急いでいたので、助かります!」
両手を組んで自分を見上げたスイレンに、ブレンダンは苦笑して頷いた。
「……うん? それは、全然構わないよ。僕もたまに利用するけど、ここには貴重な書物もあるから、身分証明が必要なんだ」
ブレンダンは軽く言って身分証を司書に見せると、スイレンの背中を押して歩き始めた。
「ああ……そうなんですね。私……知らなくて。ブレンダン様が、偶然居てくれて、助かりました」
ワーウィックまで呼んで連れて行って欲しいとお願いしたのに、家にとんぼ返りしなくてはならないところだった。
(恥ずかしい……本当に良かったわ。ブレンダン様と偶然会えて)
スイレンもヴェリエフェンディ王城内でのリカルドの同僚たちのような知り合いは、皆無ではないが少ない。その中でも一番に頼れそうな人に会えて良かったとスイレンは思った。
「いや、知らないのも無理はないよ。スイレンちゃんは、この国の出ではないからね。そんなに急いで何の本を探しているの?」
「実は……テレザさんが、明日誕生日なんです。今日知ったので、出来るだけ早く借りたくて……」
「へー! テレザが? そうなんだ。知らなかったな」
恥ずかしそうに図書館に来た理由を口にしたスイレンに、ブレンダンは目を細めてにこやかに微笑んだ。彼もリカルドと仲が良いので、テレザとは良く会っていた。
リカルドの家で働く通いメイドのテレザは、故郷を離れて暮らすことになったスイレンに、とても親身になってくれた大事な存在だ。
誕生日のお祝いに彼女に何か作ってあげたいと考えて、この図書館にはお菓子のレシピが書かれた本を借りに来たのだ。
「いつも美味しいご飯を作っていただいているので、少しでもお礼がしたくて……テレザさんはお菓子が好きなので、私も何か作れたらって」
「すごく良いと思うよ! 僕も一緒に作ろうかな……わ!」
「っ……ごめんなさい! わ。ブレンダンさん! ごめんなさい。今、急いでて!」
ブレンダンの背中にぶつかった黒髪の女性は、慌てて頭を下げると走り去って行った。
「アリスさんっ……?」
「アリスさんでしたね」
あれは、リカルドの同僚の恋人、アリスだろう。お団子で頭をまとめて眼鏡を掛けた女性は、慌てた様子で小走りに去って行った。
「本当だ。なんだろう。今日はなんだか、急いでいる女の子が多いね」
「……そうなんです?」
ブレンダンほどの人になると、一日に会う女の子も通常より多いのかもしれないと、スイレンはなんとなく思った。
「いや……スイレンちゃんだって、そうだったからね。よし。お菓子のレシピ探そうか。あ。あっちかな?」
自分のことだと思っていないのと呆れた表情になったブレンダンに目的の本棚に案内されることになり、スイレンは微笑んで彼を追い掛けた。




