5-20 怒り(Side Ricardo)
「……悪かった」
やっと塔の上での軟禁から解放されたリカルドに謝罪を受けたブレンダンは、何でもない顔をして微笑むと肩を竦めた。
ブレンダンも何もない城の廊下で、ただ佇んでいた訳ではあるまい。今日ようやくキースの物言いで解放されることになったリカルドの帰りをここで待っていてくれたのだ。
「謝らなくて良いよ……僕があの夜、本当に幸せだと思ったのは確かだから。その感情は本来なら、リカルドが感じるはずだったものだ。殴られても仕方ない」
自分とは違う男と間違われたと知っていても、ブレンダンはそれを幸せだと言った。
(どんなにか、これまでも辛かっただろう……俺はそれすらも、想像することも出来なかった)
ブレンダンはいつも何もなかったような顔をしているから、わからなかった。振られてからも目に見えて落ち込んだ様子を、彼は誰にも見せたこともない。
近しい関係だから共に居ることが多かったのに、集まりに誘われればいつものように参加して楽しそうで、普段通りの彼だった。
だが、捕えられてからのリカルドには、あの出来事やそれまでのことを考える時間がたっぷりあった。
もし、スイレンが違う男の恋人で、熱に浮かされて間違われたとわかりつつ一夜を過ごし、ブレンダンのように自分は平常でいられるのだろうかという話だ。
(とても、無理だ。感情は荒れ狂うだろうし、普段通りになんて絶対無理だ。なんでもないような顔をして、二人に会うことなんか出来そうもない)
そんな彼は自分が好きなスイレンの気持ちを一番に考えて、あの出来事を隠そうと提案したのだ。
自分の中にある切ない想いなど、すべて覆い隠して。
「スイレンとブレンダンは、何も悪くない。悪いのはそんなことになった原因を作った俺だ。ただ時を待ち、自分のことを諦めてくれるのをただ待った。それがあの人をこんな風に増長させてしまう最悪な結果になるとは、思ってもみなかった」
「……仕方ない。リカルドの立場を思えば、それが最良の対応ではあったね。王族には誰しも逆らいたくないものだから」
王族に直接仕える貴族なのだから、逆らうことはなかなか出来ることではないだろうとブレンダンは理解を示し頷いた。
「俺は……間違えていたよ。単に戦闘が上手いというだけで英雄と呼ばれる竜騎士になり、自分でも気づかぬうちにどこかいい気になっていたのかもな。だが、俺は一番に大事な存在を、これからは最優先することにするよ。大事なんだ……一時も離れていたくないくらいに」
「……そうか」
視線を逸さぬリカルドの決意を聞いて、ブレンダンは微笑んで頷いた。彼とて今この瞬間も、複雑な想いを抱いていることは理解していた。
スイレンを幸せにしたいと願っているのは、どちらも同じだと思うからだ。
「俺はこれは謝らないよ。お前もそうされたくはないだろう」
「……そうしてくれ。気持ちに区切りがつくまでは、出来れば何も言わずに放っておいてくれ。僕も別に二人の仲を引き裂きたいなんて思わない。ただ……好きなだけなんだ」
「わかった。ところでお前、団長の恋人に何かしたのか?」
その場に立ち込めた重苦しい空気を切り替えるように、いつもの調子でリカルドが言葉を掛けたのでブレンダンはいきなりなんだと目を見開き不思議そうな顔をして首を捻った。
「え? ……オデットさんに僕が? いいや、特別なことは何もしていないよ。何度か偶然見掛けて、挨拶はしたことはあるけど……」
二人の上司であるキースの現恋人オデットに、ブレンダンが何かを言ったのかと思っていたらどうやら違うらしい。
「お前……行動には、気をつけた方が良いぞ。別に他の誰かなら問題はないが、団長には女関係で嫉妬されたくはないだろう」
神妙に話を切り出したリカルドは、そろそろ先を急ごうと身振りで促したブレンダンに続きゆっくりと歩き出した。
「……団長は僕に? 嘘だろう。やめてくれよ。それに、だからと言って、あからさまにオデットさんに冷たくも出来ないよ。彼女は何も悪くないし、僕だって急に態度を変えて傷つけたくはない」
女性にやたらと優しい上に悪魔的に好かれてしまうブレンダンは、よく分からない誤解が妙な誤解を招き、いつか名も知らぬ男に背中から刺されるのかもしれないと、リカルドはその時になんとなく思った。
(いろんな方面から、恨みを買ってそうだな……)
リカルドと幼い頃から日々を過ごしてきたブレンダンが本気に好きになったのは、スイレンだけのように思う。
だが、ブレンダンは好きな相手には感情が隠すのが上手く、そうでない相手には多分なんの気もなく愛想を振り撒いているように見えている。本人には悪気がないだけ厄介だ。
「……団長がブレンダンは早く結婚させた方が良いって言ってたぞ。お前、そろそろ逃げられない縁談でもあの人に持って来られるんじゃない?」
ブレンダンは年齢を重ねれば、竜騎士を辞めて家業を継ぐと公言している。商売は人脈が何よりも大事だ。もしこの国で絶大な権力を持つ団長がそうしようと思えば、ブレンダンを断れないように追い詰め圧力を掛けることは可能だし簡単だ。
「嘘だろ。冗談はやめてくれよ……団長だと、それは洒落にならないじゃないか」
「いや、本当だって。あの人、この前に真顔で言ってたから」
ただ事実を伝えただけだが図らずも脅したような形になり、珍しく顔色を悪くしたブレンダンを見てリカルドは堪えきれずに笑い声を漏らした。
◇◆◇
「リカルド……話は聞いている。とにかく、仕事が先だ」
竜騎士団の使う大部屋に入ったリカルドとブレンダンに視線が集まり、話途中だったらしいキースが言った。
リカルドにとっては、浅からぬ因縁のある国ガヴェアが辺境の国境付近で暴れているらしい。珍しいが魔法大国がそれなりに本気を出して侵略を仕掛けているならば、主力の竜騎士団が出るしかなかった。
団長が招集をかけ遠征へと飛び立つ竜騎士たちは、リカルドとブレンダン以外は既に準備を済ませているようだった。
「良いか。相手の数に対し、今回は特別に普段必要な人数の倍連れて行く。さっさと済ませるぞ。ビビって逃げたら深追いするな。王族だろうがなんだろうが、人の留守中に好き勝手が許されることはない……行け!」
見るからに怒った様子の上司キースを見て、彼は多分自分のために怒っているし、自分へ怒っている訳ではないとわかりつつもリカルドはどうするべきかと悩んだ。
この後、解放してくれたあの人へと礼儀として感謝の気持ちを伝えねばらないというのに近寄りたくない。
上司と部下のしての関係が数年かけて出来上がっており、この人には逆らいたくないという強い気持ちには抗い難い。
「……リカルド」
「わかっている」
ブレンダンが自分のために尽力してくれたキースに礼を言うべきだと名前を呼べば、リカルドも頷いた。
「団長……ありがとうございます。助かりました」
礼を言ったリカルドに、キースは苛々とした様子で頷いた。
「……女の子を冷たい池へと落とし、妙な罠に陥れようとしたとか。誇り高き騎士として、そんな卑劣な輩は到底許し難いと思わないか。リカルド」
「ええ。そうですね」
確かにその出来事に対し許し難いと思ってはいるが、当事者の自分より怒りを露わにしている人を見ると逆に冷静になってしまうのだと、リカルドはその時に産まれて始めて知った。
「それを言って直接責めたところで、あの子は何の反省しまい……ブレンダンの策で行こう。見栄っ張りの女は大衆の前で恥をかかされるのが、一番に堪えるだろうからな」
キースは部屋を出て行き、彼の放つ覇気に息を詰めていた二人はそれを見送った後で出立の準備のために慌ただしく動き出した。




