5-18 戯言(Side Ricardo)
「デュマース様!」
勤務時間中、城の廊下を歩いていたリカルドは自分を呼ぶ声を聞いて振り返った。
そして、驚いた。リカルドは貴族であるせいか彼の持つ独特な空気のせいか、こうして見知らぬ誰かから呼び止められる事がないと言って良いからだ。
そこに居たのは、高級なドレスを身に纏った貴族令嬢のようだ。彼女の名前は、リカルドにはわからなかった。
竜騎士となったリカルドは、社交関係は妹のクラリスに任せているし、デュマース家にとって重要か近しい家の令嬢しか顔と名前が一致しない。
「……何か、俺に用だろうか」
見知らぬ女性に話し掛けられ訝しげなリカルドを見つめ黙っていた彼女は、はっとしてから緊張した様子で話を切り出した。
「ええ。私。デュマース様に、急ぎお伝えしたいことがあるのです。実は……その、デュマース様の恋人であるスイレンさんとガーディナー様の二人についてのことです」
「俺に、スイレンとブレンダンのことを? すまないが、俺は貴女からその話を聞く必要性を感じないんだが……彼女たちも何かあるのならば、俺に直接言ってくれるだろう」
純粋な性格のスイレンはもし何かあるのなら、自分に言ってくれるはずだ。
(何かあっても、それを隠そうとするような子じゃない)
スイレンは一人孤独で不遇の中にあったとしても、素直さや純粋さを失わずにいた女の子だ。もし、リカルドに言わねばならない何かがあるのなら、隠さずに伝えてくれるはずだ。
見知らぬ女性から愛する恋人を悪く言われたように思えて、不機嫌な様子を隠さないリカルドに彼女は目を見開き怯んだようだった。
「いいえ! あれはとても、デュマース様に直接言えるようなお話ではありません。デュマース様が留守の時に彼女たちは人目を忍んで高級宿へ入っていくところを、私はこの目で見たのです」
(……なんだと?)
眉を顰めたリカルドは低い声を出して、彼女は喉を鳴らして後ずさった。
「……その証拠は、あるのか」
彼女たちの名誉を汚すような戯言を抜かすようなら絶対に容赦はしないと思ったリカルドの顔を見て、彼女は何歩か後ろへと下がった。
「いいえ……ですが、ご本人たちに直接ご確認されることをお勧めします!」
そう言ってくるりと踵を返した彼女は、重いドレスの裾を抱えたままで去っていった。
(あり得ない……だが、何故あんな嘘をつく?)
リカルドは誰よりも近くに居る二人の人柄を知っているし、信じてもいる。
だから、この耳で聞いたよくわからない情報は、絶対にあり得ないと言い切れた。だが、何故あの女性はそんな事を言ったのだろうと疑念を持ったのは確かだ。
(なんだか、気味が悪いな。何かの策略か? 俺に彼女たちの仲を疑わせようと? ……今日は昼にスイレンが弁当を持って来てくれると言っていたから、その時に確認すれば良いだろう)
そうだ。その時にスイレンが「何言ってるんですか。そんな事、ある訳がないですよ」と微笑んでくれれば、それで終わるはずの話だったのだ。
◇◆◇
(反省しなよ。最悪だよ。王女の事を王へと直訴って……馬鹿なんじゃないの)
頭の中に直接聞こえて来た声に、リカルドははっと顔を上げた。
(悪かった。事実だったと知って、動揺した……だが、俺が悪かったんだ。全部俺が悪い。ワーウィック)
今はとりあえず放り込まれた、留置場だ。やってしまった事は事実なのだから、言い訳も出来ない。
(え。何、悲劇のヒーローしてるの。らしくないなあ……リカルド。元気出してよ。君は元気だけが取り柄じゃん)
(ああ。そうだな……そうだ)
(言い過ぎたよ……別に僕は怒っていない。事情は聞いているから、気にしなくて良いよ。たまには太陽の光のない地下で寝るのも良いもんだよ)
リカルドは今は王に逆らった不敬罪で捕えられ、竜騎士である彼は自分の竜ワーウィックと心の中で意志の疎通が出来る事から、万が一のためにワーウィックも城の地下での待機を命じられた。
偶然、弁当を持ってきてくれた彼女とやって来たブレンダンとスイレンへとそんな訳ないだろうと思いつつ事情を確認し、あの情報がでまかせではなく事実だったと知った時リカルドは二人に裏切られたと思った。
目の前が怒りで真っ赤になり感情が制御出来ぬようになったのは、産まれて初めての事だった。
何も悪くないスイレンを泣かせてしまったことや、ブレンダンを殴ってしまったこと……色んな後悔が心の中を渦巻いて、収まらなかった。
お喋りなワーウィックは落ち込んだリカルドに気を使って何度か話しかけて来たが、陽気な彼の冗談に応える気力もなく大きなため息をついた。
「あー、なんでだろうな……上手くいかない」
自分がこの国に連れて来たのだから、スイレンとは元より結婚するつもりだった。イジェマとの事は早急に婚約解消をしたし、自分が言い出したのだからと慰謝料もパーマー家の言い値で払った。
亡くなったリカルドの父親の親友だが狡猾な面を持つパーマー家当主とてあれだけの金額が払われたのならば、黙ってリカルドの申し出を受け入れた訳だ。
ようやくスイレンと一緒になれると思えば、世継ぎの王女の邪魔という横槍を入れられた。
だが、リカルドはどんな困難の中にあったとしても、スイレンと結ばれるべきではないのかもしれないとはとても思えなかった。
(俺が心から結婚したいと思えるのは、あの子だけだ。ならば、これで良いはずだ。王とて俺が立場を考えて何も言わずに居たのなら、何もする必要はないと考えていたはずだ。あの人には何の不都合もないんだからな……)
むしろ王にとっては、自身の立場を考え何も言わないリカルドは好都合だったはずだ。そのまま、娘カトリーヌの希望通りに結婚すれば良いとまで彼は思っていたのではないか。
自分の立場を確固たるものにしたい王女の思惑通り、ヴェリエフェンディの英雄リカルド・デュマースの名は周辺国にも鳴り響いている。
そうすれば、ヴェリエフェンディの将来も安泰であろうし、国の政治を最優先する彼はリカルド個人の痛みや苦しみなど、どうでも良いと思っていても不思議ではない。
「いや、これで良かったんだ。何を悔いることがあるんだ。このまま、王女の横暴を臣下だから何も言わぬと忖度して仕舞えば……俺は、自分の進みたい道を進むことが出来ない」
冷静さを保てずにスイレンを泣かせブレンダンを殴ってしまったことについては悔いるべきだ。もう二度と、同じことを繰り返さないように。
だが、我慢ならぬと王へ進言したことだけは、良かったことなのかもしれないとリカルドは思った。
だがそれもこれもここまで強い感情に押されなければ、出来なかったことだ。
(あの時と同じだな……その時は、運が悪かったと嘆くようなことがあったとしても……そうだ。スイレンと出会えた時のように)
ジャック・ロイドによって敵国に売られても、それが今運が良かったのだと思えるのも、全て大きな花籠を手にして檻の中の自分に勇気を出して話しかけてくれたあの子のおかげだ。
(ここでただ情けなく落ち込んでいて、どうする。どんな状況でも出来る事をやると決めたんだろう)




