5-17 髪型(Side Ricardo)
「おい! ワーウィック、起きろ! 俺たちは先に帰っても良いらしい」
夜間緊急の事態に備えるという建前で、またリカルドと城の外に出ていたワーウィックは、やれやれようやく眠れると瞼を閉じたところでやけに嬉しそうなリカルドの明るい声を聞いた。
(……えっ! なんで、さっきまではまだ色々あって、調整終えるまでは帰れないっていう話だったじゃない)
いつもならば国に帰れるという嬉しい知らせのはずが、徹夜明けでようやく眠れると思ったのにとワーウィックは大きな目を瞬かせて落胆してしまった。
清々しい笑顔のリカルドは仕事終わりの入浴後すぐその話を聞いたのか、今は燃えるような赤髪がびしょ濡れだった。
濡れている髪を乾かしても、そうは時間は変わらないだろう。たが、リカルドはその時間さえ我慢出来ずに、先ほど別れたばかりのワーウィックの元まで駈けて来たのだ。
リカルドの心の中はワーウィックと出会った頃のまま、竜騎士になりたいと真っ直ぐな目をした年若い少年の心をそのままで残している。
ワーウィックはそんなリカルドを見るたびに、彼のことが大好きなスイレンはリカルドにとても良い幻想を抱いてるなと再確認してしまうのだ。
こちらへとやって来た荷物も慌てて纏めて来たのか、上から白いシャツがはみ出てしまっていた。
(……国に帰れるようになって、すごく嬉しいのはわかるけど……リカルド。慌て過ぎでしょ)
これはどんな言葉でもこいつを制止出来ないと悟り、渋々のっそりと起き上がりながらワーウィックは呆れて言った。
そんな火竜の言葉も気にせずに、リカルドは興奮した様子で言った。
「それが、ガヴェアがまた小競り合いを仕掛けて来たらしい。団長は現地の状況を確認してから帰国する。俺たちは先んじて帰り出陣の準備をしておくようにという団長からのお達しだ」
国防の要である竜騎士団は国を守ることが、最優先だ。
他国から攻め込まれようとしている有事に王族の我が儘を聞いている余裕はないと、キースはカトリーヌへとはっきりと伝えたようだ。
近衛騎士ならば警護に十分な数が随行しているのだから、そう言われれば彼女も黙るしかなかっただろう。
(えー……それって喜ぶには、あまり良くないんじゃない? 結構大変な事態だと思うけど……まあ、とりあえず、国に帰れるから良いか。どうするの? 団長やお姫様に挨拶しなくて良いの?)
リカルドの属する竜騎士団の指示系統を知るワーウィックは、団長に挨拶なしに帰るのは流石にまずいんじゃないかとそう思った。
「団長は先に単独で現地に向かった。俺たちは先に帰国するようにと」
(ああ……そうなんだ。なるほど。団長とセドリックが単独で偵察に向かったんだね……では、そこまでの事態ではないのかな)
その時にワーウィックの頭の中に他の竜騎士の竜からも詳しい情報が入り、そこまで危険度の高くない一触触発の状態ではなさそうだった。
(ああ……ちょうど良いから、理由に使ったんだね)
何度も戦闘し煮湯も飲まされたことのある憎らしい敵国ではあるが、今回は少しだけ助かったとワーウィックは思った。
「早く帰ろう。ワーウィック。お前だって帰りたがっていただろう?」
さっきまでの仏頂面は何処に飛んで行ってしまったのか、不機嫌の片鱗も感じさせない溌剌としたリカルドの顔に呆れて、ワーウィックは大きく鼻息を漏らした。
◇◆◇
「……おかえりなさいませ。リカルド様」
リカルドが扉を開けると通いのメイドのテレザがそこに居て、微笑んだ。
「ああ。テレザ。ただいま。何か変わったことはなかったか?」
テレザと話すためにリカルドは立ち止まり、その脇を人化したワーウィックが走っていった。
「……ワーウィック?」
自分の他にここに住んでいるスイレンは、今は仕事でガーディナー商会に居るはずだ。
この家の中には誰も居ないはずなのにと不思議に思ったリカルドに、テレザは心配そうな表情で言った。
「スイレンさんは今体調を崩されて、大変だったんですよ。最近本当に寒いので風邪をひいてしまったのかもしれません」
それで、リカルドの疑問は解決した。仕事を休んでいるスイレンが家に居るので、ワーウィックは彼女の元まで走っていったのだ。
「ああ……風邪をひいたのか? 熱はあるのか?」
「一時は出先で熱が上がったようなのですが、今はもうすっかり良くなったようです。店ではブレンダン様が偶然居合わせたとのことで、当分は休むようにと」
最近めっきり気温が冷えてしまった。
何年も経った今でも何故あんなことをさせられたのだろうと思うような厳しい鍛錬を耐え抜き鍛えた身体を持つ自分はともかく、か細い身体のスイレンならば体調を崩してしまうのも無理はないとリカルドは頷いた。
「そうなのか……いつも助かるテレザ。夕飯は?」
「今日は、リカルド様の好物にすることにしましょう」
貴族の身分を持つ有名な竜騎士でありながらも夕飯を気にする気取らない性格の主人に、テレザは苦笑して微笑んだ。
リカルドは遠征用の荷物を手にしたままで居間へと進み、早々にワーウィックに抱きつかれているスイレンの姿を目にした。
(良かった。思ったより具合は良さそうだ)
スイレンの水蜜桃を思わせる頬は色づき、顔色も良く熱もなさそうだ。とにかく手に持つ荷物を置くかとリカルドは思った。
「ただいま……スイレン。体調を悪くしたと聞いたが、大丈夫だったか?」
「リカルド様! おかえりなさい。大丈夫です……あの、そうなんです。寒かったから風邪をひいてしまったみたいで……」
居間へと入ってきたリカルドにようやく気がついた様子のスイレンは、慌ててそう言って立ちあがろうとしたが腰の辺りに抱きついている幼い少年のワーウィックのせいで立ち上がれないようだ。
(おい。なんで離さないんだ?)
(久しぶりなんだから、感動の抱擁だよ)
リカルドの抗議の言葉を聞いて、ワーウィックは心の声で悪気なく言った。
リカルドは抱擁という言葉の意味を、ワーウィックは間違えて覚えているんじゃないかと思った。
スイレンはいきなり帰って来たリカルドとワーウィックに戸惑っているのか、ぱっと目を逸らして目を瞑っていた。
(もしかしたら、まだ熱でもあるのか?)
リカルドは近づいて、スイレンの額を触った。顔はひどく赤いようだが、熱くはなかった。
「熱があるのか……そうなのか? 少しの間、家で休んだ方が良いんじゃないか? 仕事は休んだ方が良い。俺からブレンダンに言っておこうか?」
リカルドが急に近づいたためか、スイレンは顔をますます赤くして首を振った。
(熱があるのならば、ベッドで寝ていた方が良いのではないか……?)
彼女に我が物顔で抱きついていたワーウィックは、いかにも邪魔くさそうに眉を寄せてリカルドを見た。
「ねえ。リカルド。風呂にでも入っておいでよ。言っとくけど、今日の寝癖本当に凄いよ。普通なら今の君は可愛い女の子の前に出られるような格好じゃないからね」
「……そこまで酷いか?」
そういえば、喜びのあまり髪を乾かさずに竜の背に乗って帰ってきたので、もしかしたら飛行中の向かい風を受けてとんでもない乾き方になっているのかもしれない。
とは言え、髪をかき混ぜても様子がわかる訳でもない。癖のあるリカルドの髪は、寝癖がついてしまうとなかなか取れないのだ。
その仕草が子どもっぽく見えてしまったのか、スイレンはふふっと微笑んでいた。
「ほらーっ……見てこれ。思わず笑っちゃうくらいの寝癖なんだって。ようやく帰れるってわかってから、急いで帰って来たから仕方ないし……さっさと風呂に行きなよ。リカルド」
(髪、まじでおかしいって……あと、家に帰って来たんだから、さっさとお風呂に入って来なよ。どうせこの後、いちゃつくつもりなんだろう)
彼女とは想いを確かめ合い結婚も約束しているというのに、何故そこを我慢せねばならないのかとリカルドはムッとした。
(俺の気持ちがそこまでわかっているなら、お前はなんでスイレンから離れないんだ)
(良いから……さっさと風呂に入って来なよ。その髪をしたリカルドがスイレンに愛を語っても、笑い事にしかならないよ)
(そんなにも、ひどいのか……)
確かに妙な髪型をした男が愛を語っても、彼女は笑いを堪えられないかもしれない。
(ひどい。とても、ひどい)
狼狽えたリカルドは真面目な顔をして頷いたワーウィックと心の中で語り合い、黙ったままで自室の浴室へと向かった。




