6-12 痛み(SIde Brendan)
カランと扉の開く鈴の音がして、ブレンダンは目線を上げた。
小さな酒場は静かに飲むことを好む客が集い、年齢層も高い。数人居る他の客は、新しく誰が入って来たのかを、特に気にしていないようだった。
ゆっくりと近付いて来た軽装の背の高い男は、ブレンダンに近付き、店主に酒を頼むために合図をした。
「麦酒を……おい。待ち合わせ場所は、わかりやすい場所にしてくれよ」
隠れ家めいた扉が隠された店の入り口を見付けるのに苦労したらしいリカルドは、低い声でこの店を指定した張本人であるブレンダンに抗議をした。
「……君はこの街に長いこと居ただろう。リカルド」
「広場に置かれて、檻の中に入れられてな……おい。そんな俺が街の地理に詳しい訳ないだろ」
片目を瞑り揶揄うように言ったブレンダンに、リカルドは呆れた声を出した。
一年ほど前、リカルドはガヴェアの王都広場に置かれた、魔物用の檻の中に居た。ブレンダンもどうにか彼を救いだそうと潜入をしていたので、それは重々わかっている。
長い付き合いだからこその、気安い会話だった。
「……なんだか、慣れないな。黒髪の君は、まるで別人のようだよ。リカルド」
諜報活動はあまりしないため、リカルドは変装することなどはない。彼は戦闘能力が飛び抜けて高いので前線に居る方が多く、隠し事が苦手な本人とてそれが楽なようだった。
「慣れる必要なんてないだろ。どうせ、すぐに元に戻すことになる」
リカルドは店主から酒を受け取り、こくりと喉を鳴らした。
夜間の見張りや警護は既に交替済みのため、酒を飲んでも支障はない。リカルドは傭兵として生計を立てているが趣味で旅をしているという設定で、宿も頻繁に変えている。
今のところ、誰かから怪しまれてはいないようだ。
「スイレンちゃんに、結局は見つかったって?」
特別な訓練を受けている訳ではないスイレンには、警護をしている人間の存在を明かさない方が良いだろうとは、彼らの上司である団長の判断だ。
演技も慣れていない彼女に、周囲を気にするなという方が難しい。
「……ああ。王都に住む伯母に、偶然見つかってしまったんだ。スイレンは何も悪くない。ただ、普通に散歩しているだけだった。走って逃げたら、伯母がその辺に居る男を使って捕らえようとしたので、出て行くしかなかった」
リカルドはその時に嫌な表情を浮かべていたので、スイレンの伯母がどんな様子だったのかを、ブレンダンはすぐに察して息をついた。
「それは、仕方ない。僕らも人数に限りがあり彼女の居場所を、いちいち確認しているわけにはいかないからね。それにしても、リカルド……僕は今からでも役回りを変更した方が良いように思うんだよ。宿を変えれば、君たちで即席の夫婦の出来上がりだ。クライヴも嫌だとは言うまい」
ブレンダンはリカルドへ今からでも、自分との役割を交替しようと言い出した。最高責任者の団長とて、現場での判断は現場に任せることも多い。
スイレンにリカルドのことが知られ、これが適切だったと判断したと言えば、命令違反には当たるまい。
(……僕も良くわからないことになったとは思う。好きな子と夫婦を演じて、彼女の恋人がそれをずっと見つめている……それで嫉妬させて喜べるかというと、そうでもない)
「俺はスイレンの安全を、最優先する。お前が共に居た方が安全ならそれで良い。それに、大事なのはこれからだ。そのために、俺らは危険を冒して潜入している」
自分では敵国の中にあって適切な対応が出来るかわからないし、ブレンダンが傍に居た方が安全だというのなら、それが一番良いとリカルドは言いたいらしい。
それに、役割交替している暇があるなら、任務に取りかかる方が先という意見はその通りだった。
「……ならば、ヴェリエフェンディへ帰れと、スイレンちゃんを説得するべきだ」
ブレンダンは珍しく憮然とした表情になり、手に持っていたグラスの酒を飲んだ。
スイレンがここに居ることの方が非常事態なのであり、上位竜の加護を特別に受けた彼女が協力してくれるというのであれば、エグゼナガル救出が少し楽になるかもしれないという程度だ。
か弱い女性を戦場に置いて何かあったらどうするんだと案じる思いは消せないし、本人を説得出来るのは、決して自分ではないという事実が悔しかった。
「……スイレンの意志を尊重したい。俺はこれまでに、いくつも我慢させて来た。エグゼナガルを自分が救いたいと思うなら、俺はそれを止める術を持たない。わかるだろう……? 捕らえられた俺を助けるために、単独で魔の山まで行ったんだ。意志が強い子だ。反対されたならば、単独行動だって有り得ると思っている」
「そんな……いや、そうか。スイレンちゃんは、そういう子だよな……」
苦笑いしたリカルドの言いようを聞いて、まさかそんなと言い掛けて、ブレンダンは息をついた。
(あの時には、クライヴに絶対に助けに行くと言い張って、魔の山まで連れていかせたのだ。スレインちゃんは守られるだけの子ではない。今回の件も、あの時のことを恩に感じているなら、ごく当然のことだろうし……)
「俺はスイレンのそういうところも好きなんだ。スイレンは弱くない。もし、困難を抜けてでもやりたいことがあるなら、俺は助けてやりたい」
リカルドはそう言いブレンダンを見た。彼は意識してかしていまいか、挑むような光が見えてブレンダンは両手を挙げて負けを認めた。
「……お熱いね。僕も別にスイレンちゃんのやりたいと思うことの邪魔したい訳ではない。けど、ここは敵国で何かと危険なことには変わりない。あの子には不思議な腕輪があったとしても、それでもだ。僕はあまり良い顔は出来ない。それに、正直に言えば夫婦を演じるのが気まずいのも事実だ。君も知っての通り……何度も振られている」
「ああ。けど、お前はそうしたかったんだろう?」
リカルドに静かに問われ、ブレンダンは喉の奥に何か詰まっている感覚がした。
ここで何でもない振りをするべきだとわかっていた。もう彼女に気持ちなどはないのだと。
「……まあね」
何度も思い知らされたではないか。スイレンとリカルドの間に自分が付けいるような隙もない。
大事な存在である二人を、不幸にしたいわけでもない。
ただ、忘れられないのだ。どれだけ拒まれて、どれだけ無理だと思い知らされても、それでもなお、胸の痛みは消えていかないのだ。
(恋心を忘れられる薬があれば、どれだけ楽だろうか……いや、飲んだとしても、また同じく恋に落ちれば同じことだ)
ブレンダンにとって、リカルドは大事な存在で、まるで兄弟のように騎士学校で切磋琢磨して来た。彼を裏切ることなど、決して考えてはいない。
ただ、時たまにあり得ない夢見るだけだ。
何か奇跡が起きて、あの子がいつか、自分の方を振り向いてくれれば良いのに……と。




