6-11 運命
スイレンは彼の胸の中で顔をあげれば、リカルドの黒い髪が高所で遮るもののない強風に靡いた。
リカルドはスイレンを安心させるようにして、黙ったままで微笑んでいる。
燃えるような赤髪は、竜騎士リカルド・デュマースの象徴とも言えるものだ。鍛えられた大きな体躯に整った顔、それに目立つ赤髪……そんな彼を見れば、誰であるかという正体に考え至る者は多いだろう。
(……ああ。私はまた、運命を変えたのかもしれない。あの時……ワーウィックに乗ったリカルド様が、私をガヴェアから連れ去った時に、聞いた音がする……)
スイレンは不意に思いつき、そう考えた。
あの時に、高い上空からガヴェアの王都を見下ろしながら、自らの決められた運命が変わったのだと感じていた。
……それに、今だって、そうだ。
スイレンはまた、そのままであれば水が上から下へと滴りおちるように、当然のように流れていくはずの運命を……エグゼナガルを救うと決意した時に、変えることが出来たのかもしれない。
(わからない。どうしてだろう……そう感じるだけで、それをなんと例えれば良いのかわからない……けど、そうだもの)
スイレンはこの感覚を、上手く言葉には出来ない。
一番に大事なのは、前にリカルドと別れた時に、どうしてか強い焦燥感を感じた。
もしかしたら、長い間会えなくなるかもしれないと……そう感じていた。
けれど、今はそれがなかった。
スイレンがあの時と同じようにしたといえば、勇気を持って一歩踏み出したことだった。
「……会いたい時は、どうしたら良いですか? 私はリカルド様のこと、居るけど居ない振りしないといけないんですよね?」
スイレンはそのことが、気になっていた。
リカルドがすぐ傍に居ると知っているのにまったく会えないなんて、とても我慢が出来そうになかった。
「……クライヴに言えば良い。あいつがワーウィックに伝えれば、俺はスイレンが何処に居てもなんとかして会いに行くよ」
「わかりました……けど、私と一緒に居ることは、難しいんですよね?」
それは、無理なことだと理解していた。
ブレンダンとクライヴと家族を演じているというのに、そこにリカルドが入れば、どう思われるだろうか。
スイレンは意識せずとも、彼に特別な視線を送ってしまうだろう。
そうすれば、ブレンダンたちの潜入任務に綻びが出てしまう。
夫婦二人が熱烈に愛し合う様子ではなくても、それは子どもが出来て穏やかな家族になったのだろうと思われて不思議ではない。
しかし、夫以外の男性に視線を送る妻などは、不思議がられて然るべきだ。
「スイレン。これは、必要があり一時的なもので、俺たちが任務を全うしたら、すぐに元の生活に帰る。心配しなくて良い。何があっても、俺が守るから」
「リカルド様……」
スイレンは彼の言葉に頷き、ひと目のつかない路地へと下ろしてもらい、宿屋へと帰ることにした。
何があってもリカルドが来てくれると思えば、暗い路地を歩いても怖くはない……そうだ。ほんの少し前まで、スイレンは彼が近くに居ることなど全く知らなかったのだから。
◇◆◇
「スイレン! 大丈夫だった?」
「あ……大丈夫よ。クライヴ。リカルド様が助けてくれたから、何も」
部屋に入ると同時にクライヴが抱きつき、スイレンは彼の頭を撫でた。柔らかな髪だ。いつも撫でてあげるワーウィックの髪は、少し固い。
(そういえば、ワーウィックは王都の近くで人型のまま、潜伏しているんだっけ……早く会いたいな……)
とは言え、ワーウィックはこの王都へ入ることは出来ない。それには強力な魔法障壁をどうにかするしかないのだが、またそういう事態になることは考えがたかった。
「おかえり。スイレンちゃん。リカルドに……会えたようだね」
ブレンダンは奥の部屋から出て来て、そう言った。彼だってまさか、こういう事態になるとは思っていなかっただろう。
スイレンとクライヴを連れての潜入捜査であれば、三人の家族を装うことが一番自然なのだ。そんな演技を親友であり、スイレンの恋人のリカルドが警護のために見守っているのだ。
一番に気まずい思いをしていたというなら、彼の方かもしれない。
「はい……その、私の伯母が偶然、通りに居て……ごめんなさい。騒ぎを起こすつもりはなかったんですけど」
ガヴェアの王都はひとつの街と言っても、かなり大きく、そうそうのことで知り合いと出くわしたりしない。スイレンの住んでいた辺りはかなり遠いので、知り合いが居るはずがないと油断していた。
「……うん。実は僕も……スイレンちゃんのことを、調べさせて貰ったことがある。これは、僕が独断で勝手にしたことで、リカルドにも頼まれたわけでもない。もし、逃げてきた君に危険が及びそうなことがあれば、事前に防げたら……そう思ったんだ」
「あ……そうだったんですか?」
ブレンダンは用意周到な性格で、戦闘などでも慎重らしい。だからこそ、こういった潜入調査に向いているとされているのだろう。
「スイレンちゃんの伯母は、君を売るように嫁入りさせようとしていた商家から、スイレンちゃんがヴェリエフェンディへ行き、金を返せずに酷い報復を受けたそうだ。僕はそれは、あの人がしたことが返って来たことだと思う……スイレンちゃん、君は振り返らずに進むべきだ」
「……わかっています。けど、今日久しぶりに見た伯母を哀れだと思いました。私が居なかったら、あの人は、あんな風にはならなかったのではないかと」
スイレンは胸に手を当てて、そう思った。
父と母に先立たれ、伯母の元で世話になることは、他に選択肢がなかったからだ。ガヴェアで生きて行くために、幼いスイレンはそうするしかなかった。
けれど、伯母にしてみれば粗末な小屋に住まわせ、与える食事も最低限で良い。それなのに、スイレンは花娘として稼いで来るお金のほとんどを彼女に渡していた。
彼女をあそこまで堕落させた原因というならば、自分の存在かもしれないスイレンは思っていたのだ。
(マーサ伯母さんは、最初からあんな風ではなかった。私にお母さん譲りの花魔法の適性があると気が付いた時から、目の色が変わった……私を働かせれば自分が遊べるだけのお金が取れると、そう思ったのね)
花娘としてスイレンが働き始めて、稼いだお金を渡すようになりマーサはどんどん金遣いが荒くなり、伯父も従兄弟も困っていたようだった。
それでも、スイレンを助けてくれようとはしなかったが。
「それは、違う。スイレンちゃんを実の娘のように大事に育てることも出来たのに、まるで奴隷のように酷い扱いをしたのは、あの人が選んだことだ。その所業の跳ね返りを受けるのは当然であって、被害者であるスイレンちゃんは何も悪くないよ。君はもうこの国での過去を忘れるべきだと思う」
「……はい」
ブレンダンはおそらくは、スイレンの詳しい事情なども既に知っているのだろう。だから、両親が亡くなり行き場のなくなったスイレンが苦しい立場に追いやられたことも。
「スイレンちゃん、僕は君が……リカルドに出会えて良かったと思う。そう思うよ。こんな国で君が不幸なままで居るくらいなら……なんだ」
「え?」
最後の言葉が聞き取れず、スイレンが首を傾げると、ブレンダンはにっこり微笑んで浴室を指さした。
「うん。疲れたと思うし、先にお風呂に入ってくると良いよ。僕はこの後も色々と仕事が残っているからね」
「あ。はい……」
器用に片目を瞑ったブレンダンは物見遊山の旅行に来ているのではない。
ここは敵国ガヴェアで、どうしても救い出さねばならぬ存在が居る。
スイレンやブレンダン、そしてリカルドは、そのためにこの場所に居るのだから。




