6-9 黒髪
「あのっ……ブレンダン様。私、何をしたら良いですか? すぐに動ける訳ではないとわかっているんですけど、私……出来るだけのことをしたくて」
あの黒竜が今も自分の意志に反して利用されているなど、スイレンには許し難いことだった。
(早く……早く、助けてあげたい。私はあの方に助けてもらったもの)
スイレンの言葉を聞いてブレンダンとクライヴは、無言のままで目を合わせていた。
「……うん。もちろん、僕らもそうするつもりだよ。上位竜が捕らえられているなど、あまりないことで、隣合う僕らとしてガヴェアがこれ以上強化されることは避けたい。それに、スイレンちゃんにはスイレンちゃんにしか出来ないことがあるからね」
ブレンダンは微笑みながら頷き、自分たちが座るすぐ前にあるソファへ腰掛けるように促した。
それもそうだった。でなければ、花魔法を使うことの出来る程度のスイレンは、ここに来ることは出来ない。
(私がここに来られたのは、ライデン様から貰った腕輪の不思議な効果があり、エグゼナガル様を救いたいという、強い思いを理解してもらえたから……そうよ。焦らないで、自分の役目を果たさなければ)
「スイレンちゃん。君が言いたいことは、僕らにもわかるよ……ただ、今は敵国に潜入し、僕らは買い付けに来ている商人の家族を上手く装わなければならない。何か不審な点があれば、捕らえられ調べられる可能性が高いからね。身分証に関しては疑われるはずもないものを用意しているけれど、何の拍子で見破られないとは限らない……それは、わかってくれるね?」
「……はい」
スイレンは頷いた。ブレンダンが危惧している事態は、当然のことだ。
けれど、早く何かしたいという思いは冷めやらず、膝に置いた手をぎゅっと握りしめた。
◇◆◇
何日かをガヴェアで過ごしたスイレンは、気分転換に一人で宿屋の近くを散歩することにした。
ブレンダンとクライヴもここが彼女の故郷であることは知っているので、ゆっくりと街を歩いてくれば良いと言った。
(懐かしい……前にリカルド様やワーウィックと私の出生を証明する書類を取りに来たことはあったけれど、あれは郊外の村だったものね)
ガヴェア王都の町並みは、それ自体が芸術品だと例えられるほどに美しい。スイレンは、王都の大通りを歩き回って生花を売る花娘であった。
花娘は花魔法が得意な女の子が咲かせた花籠を持って売り歩くのだが、華やかな容姿を持つ娘たちが美しい町並みに合う名物の光景として知られていた。
以前にスイレンがガヴェアに来た時は、リカルドとの婚約に際して書類が必要だったからだ。あの時の旅が楽しかったことを思い出して、スイレンは両手で胸を押さえた。
(私はもう、あの頃の私ではないわ……もう戻りたくもないし、帰りたくもない)
ここは以前にスイレンが住んでいた場所から遠い。顔見知りに気が付かれることはないだろうが、スイレンはなんとなく気になり周囲を見回した。
何の神の悪戯か、そこにスイレンの伯母が居たことに気が付いてしまった。
彼女はまるで、幽鬼のような生気を失った顔をしていた。服もあの時は洒落た服を身につけていたのだが、今は古びてくたびれた服を着ている。
おそらくは、花娘として懸命に働いていたスイレンから取り上げていたお金もなくなり、贅沢が出来なくなってしまったのだろう。
(マーサ伯母さん……もう二度と会うこともありません。さようなら)
スイレンは心の中で別れを告げて、くるりと踵を返した。その直前、伯母と目が合った気がした。
「スイレン!? スイレン!! どうしたんだ! 帰って来たのかい!?」
大声が聞こえて来て、驚いたスイレンは慌てて大通りを走った。それに、伯母が自分のことに気が付いたとしても、あんなに強い反応を見せるとは思わなかったのだ。
(……! いけない。目立って兵士に事情を聞かれたら、ブレンダン様たちまで怪しまれてしまうかもしれないし!)
ガヴェアに侵入する際に使用した身分証に書かれているのは、スイレンの名前ではない。偽りの身分で敵国に潜入するために偽装されている身分証なので、それは当然のことだった。
あれだけ大声で騒がれて、スイレンが捕らえられたら、一緒に居るブレンダンたちまで怪しまれる。
大声で名前を叫びながら追ってくる伯母に、スイレンは一度立ち止まって彼女と話をするべきかという考えが頭を掠めた。
(ううん。何も話すことはない……マーサ伯母さんにとって、私はただお金を持ってくる奴隷のようなもの。きっと私と何を話しても平行線で、自分の所に戻って来て前と同じように従えということだもの。逃げなきゃ!)
「……捕まえておくれ! あれは、私と生き別れた姪なんだよ!! 捕まえてくれたら金を払うよ!!」
大通りから曲がって、スイレンは後ろから大きな影が、自分に迫っていることに気が付いた。
もしかしたら、伯母が騒いでいるから誰かが追い掛けて来たのかもしれない。
(どうしよう……こんなことになるなんて、思わなかった……)
スイレンははあはあと荒い息を吐きながら走った。そして、後ろから追い掛けて来る影がみるみる自分との差を詰めてきたように思った。
(もう駄目……追いつかれる!)
スイレンは一か八かで、細い路地に入ろうとした瞬間、大きな影に抱きかかえられた。そして、悲鳴をあげようとした口を押さえられて、彼は軽い動作で地面を蹴った。
片手で柵を掴み数えるほど家の壁を蹴り、ただそれだけの動作で気が付けば二人は、高い建物の屋根の上に居て、後ろから追ってきた伯母や野次馬を見下ろした。
(えっ……あの高さを、私を抱えて飛んだの?)
「スイレン! スイレン!! ああ! 嘘だ。私の大事な金づるが! また、また居なくなってしまった!! スイレン!! どこにいったんだ!!! 帰っておいで!」
伯母マーサは悔しそうに地面を踏みならし、彼女が『金を払う』と叫んだので、スイレンを追っていたらしい男たちは、困ったように頭をかいていた。
「なんだ。姪に逃げられたって、そういうことか……ふん。騙されたな。本人でなくても、このような剣幕では逃げてもおかしくはない」
「うわ。この伯母さん、もしかして、花娘やってた姪に逃げられて、嫁入り先にと用意していた商会から報復されおかしくなったという、あの有名な……はあああ。なんだ。そういうことかよ」
「姪を金づるって、呼ぶなんてなんだよ。ひどいな。盗人でも見つけたのかと思ったら。絶望したあまり、幻覚でも見たんだろう。この伯母さんから逃げられたのに、その姪が戻ってくるとは思えない」
男たちは呆れたように口々に言い、マーサもしきりに悔しそうにしながらも、やがてはその場所から去って行った。
(良かった……私ではなく人違いだったようだという結論に辿り付いたみたいだし……ここからまた、追い掛けられることはなさそう)
そして、スイレンは窮地に遭った自分を救ってくれた男性の顔を、その時に初めて見ようと思った。
強い逆光で、顔は見えない。髪の毛は光を吸い込む漆黒。けれど、スイレンはその人が誰かということを、すぐに理解出来てしまった。
わからない。ずっと無言のままの彼が纏う空気なのか、今自分の腰に巻き付いている腕の感覚なのか。
けれど、スイレンは彼が誰であるかを確信していた。
(髪の色がたとえ違っていたって、私がこの人のことを、間違えるはずがない。けど……どうして、ここに居るの?)
ここには居ないはずで、しばらくは会えないはずの人なのに。




