6-8 潜入
(ベッドが、みっつ……そうよね。それはそうよね)
スイレンは宿屋に入りすぐに奥の寝室の扉を開いて、ベッドが三つあることを確認した。
ほっと小さく息をつく。それはそうなのだろうと思うのだが、やはりこうして目にしなければ、もしかしたらという想いが消せなかったせいだ。
スイレンはブレンダンのことを、信じていない訳ではない。彼が人一倍、女性には紳士的であることも。
ただ、ブレンダンとはこれまでに、あまりにもいろいろことがあり過ぎた。
彼はリカルドと親友であり、ブレンダンは出来るだけ適切な距離で接してくれていたのだ。
いくつかの誤解があり衝突したことだって、スイレンの意志を尊重した彼の優しさによるもので、敢えて二人の仲を裂こうとしたことは一度もない。
宿屋の店主にも『奥さん』と呼ばれてしまい、演技し慣れてなくギョッと驚いてしまったものの、ブレンダンが上手く誤魔化してくれた。
そして、これはガヴェアに囚われてしまったエグゼナガルを救うための大事な任務なのだと思い返す。
(……ただの、必要あっての演技だもの。それに、私はエグゼナガル様を助けなければ……あの時、力をお貸しいただいたことを、忘れていない。お返し出来るなら、そうしないと……)
エグゼナガルはスイレンにとって、愛する人を助ける手助けしてくれた竜だ。そんな彼の窮地を助けられるなら、自分に出来ることはなんでもしたいとそう思えるのだ。
「……スイレン。どうしたの? 何かあったの?」
クライヴに顔を覗き込まれて、スイレンははっと口に手を当てた。
「ううん。なんでもない。早く調査……始めないとね。私も協力出来ることなら、なんでもするから」
花魔法以外満足に使えないスイレンではあったが、今では姿を消し飛行することも出来る腕輪を持っている。調査偵察をするには一番に適している能力と言えるだろう。
「……うん。わかってるよ。けど、スイレンは危ないことをする必要は何もないんだからね。僕らはあくまで情報収集担当の調査部隊で、実行部隊は別に居る。たとえば……王都近くに潜んでいるリカルドたちみたいにね」
「え。リカルド様が……?」
このガヴェア王都のほど近くに、リカルドは居るらしい。そして、彼が居るということは、彼の竜ワーウィックも。
「うん。ワーウィックが僕だけ王都に入れてズルいって、ギャーギャーうるさいんだけど、それはまあ……仕方ない。スイレンと一緒に居て特別な魔法具を貰ったのは、僕だからね」
ワーウィックらしい素直な反応を聞いて、スイレンは思わず頬を綻ばせた。
(ワーウィック。私も一緒に居たいな……けど、あの子の場合はクライヴがライデン様からもらった腕輪がないと、魔法障壁の中は人型では入れないものね……)
一度、竜騎士団がガヴェアにまで攻め入り、イクエイアスが魔法障壁を破り無数の竜たちが侵入したことがあったが、あんなことはこの王都で生まれ育ったスイレンが聞いた限りではあり得ないことだった。
ガヴェアは魔法大国として知られ、国民のほとんどが魔法を使うことが出来る。
国中を覆う魔法障壁があり、これがほとんどの魔物の侵入を防ぎ、そして、王都を囲う特別な魔法障壁はより強固でより強力な効果のあるものだ。
だからこそ、スイレンはこの王都を出て行くまで、魔物のような生き物を見たことがなかった。
もちろん、クライヴたちのような竜の姿だって、一度も目にしたことがなかった。
魔物を防ぐ……と言っても、竜もその一種として分類されるらしく、魔法障壁があれば入って来られない。
人型になれば効果の薄い国境の魔法障壁ならば越えることが出来るが、王都には人型だとしても弾かれてしまうらしい。
だから、万一の時に竜化することが出来るクライヴがここに居られるということは、エグゼナガルを助けたいと思うスイレンにとって、かなり有利な条件となりえるのだ。
(うん……大丈夫。だからこそ、イクエイアス様だって、こういう事をお許しになったんだと思うし……)
事情を聞いてすぐにイクエイアスへ報告しに行けば、スイレンの願い通り竜騎士団に取り次いでくれて、既にガヴェアに侵入済みだったブレンダンとも合流することが出来たのだ。
「ねえ。クライヴ。その……調査ってどういう風にしていくの?」
スイレンが口にした疑問に、クライヴは歩きながら答えた。
「もちろん、敵国での調査を闇雲になんて、するわけがないよ。スイレンも知っての通り、ここで僕たちは見つかれば大変なことになる。まあ……敵国の人間だからとすぐに殺されはしないだろうが、竜騎士だとバレればすぐに殺されるだろうね」
ブレンダンと共にガヴェアに潜入している竜騎士は、何人か居るらしい。
それは彼らが竜が居なくても、戦闘能力が高く……王都の外さえ出てしまえば、竜に騎乗しすぐに帰還出来るという機動力を持っているからだろう。
「……そうよね。リカルド様が囚われていた時は、特別なこと……それは、私にもわかっているわ」
「あれは、まあ……敗戦直後だったし、最も活躍した竜騎士だったから。まあまあ、スイレン。そんな不安そうな顔をしない。可愛い顔が台無しだよ」
「クライヴ……」
クライヴは肩を竦めて、どっかりとソファに腰掛けて、余裕の態度で足を組んだ。
「大丈夫。スイレンは戸惑うこともあるかもしれないけど、ブレンダンは良く敵国に潜入しているからね。あいつの言うことを守って動けば、それほど危険はないはずだよ。それに、スイレンの腕輪は……特別製だ。わかるだろう?」
「え? あ……ええ」
スイレンは自分の右腕に嵌められた腕輪を見た。これは、姿も消すことも出来るし、空を飛べる羽根も使うことが出来る。
「何かあればそれを使って、王都の外にまでさえ行けば、潜んでいる竜騎士団にすぐに救助してもらえるはずだ。僕らにとって厄介なのは、王都を包む魔法障壁……それさえ越えてしまえば、無敵だからね」
可愛らしい姿を持つ幼い少年であるのに、ゾッとした恐ろしさも感じさせる不敵な微笑みを浮かべた。
「ええ。わかっているわ……ブレンダン様の指示に従って、危険には近寄らないようにするわ。けど、出来るだけ助けたいの……エグゼナガル様は私の助けを叶えてくださった方だもの」
「うん。わかっているよ。スイレン。僕たちはそういう君たちが、好きなんだ。だからこそ力を貸したいと思えるし、こうして話して心を通わせたいと思う。君は竜に好かれる要素を、いくつも持っているからね」
そうだ。ワーウィックやクライヴが好んで食べたがる魔法の花も、何か特別な意味があるような言い方をしていた気がする。
(そういえば、私が竜ワーウィックと契約したリカルド様のことを好きだから……? そういう気持ちが花魔法にも表れるということなのかしら……?)
「……花魔法のこと? あれは……」
スイレンがクライヴへ質問しかけた時、部屋の扉が開いてブレンダンが入ってきた。
「……あ。ごめん。そうだった。ここには二人が先に居たんだった。ノックを忘れた……僕としたことが」
いつも洗練された物腰の彼らしくなく、焦っている様子を見て、クライヴは不思議そうに言った。
「どうしたの。ブレンダン。君らしくないね」
「いや……敵地での潜入捜査は、精神を削るから。別になんでもない。違う考え事をしていたら、二人がここに居ることを忘れてしまっていただけだよ」
「まあ……ブレンダン、疲れているなら休んだ方が良い。疲労でヘマをして命を落とすなんて、僕は許さないからね」
「わかっているよ。クライヴ……ただ、妙に王都の兵士たちが神経を尖らせているように思えるんだ。前は戦いの最中でもこんな事はなかった。もちろん、以前イクエイアスさえ居れば魔法障壁を突破出来るということを知られたせいかもしれないが……」
先んじて潜入捜査をしていたというブレンダンは、いつになく疲労しているようだ。クライヴの隣に腰掛けて、ぐったりしたように背にもたれ掛かった。
これまでに彼がスイレンの前でこんな姿を見せることはなく、よほど疲れているのかもしれない。




