6-6 最善
(……遠くから、風切り音がする)
クライヴに山奥にある高原に連れて来てもらったスイレンは、灰色の空を見上げてそう思った。
これは、ただの湿気ではない。上位竜が近い時、空気が重くなるような気がするのは気のせいだろうか。
スイレンとて魔法大国ガヴェアに生まれ、花魔法を使うことが出来る。魔力も感じることは出来るが、感知能力に優れている訳ではないので精密にそれを何かを言い当てることは難しい。
上位竜たちは密度の濃い何かを、全身から放っているような気がしていた。
さっきまで雲ひとつない青い空が広がっていたが、山の天気は変わりやすい。やがて雲の色は濃さを増して、もうすぐ、ここは雨が降り出すだろう。
「スイレン……来るよ」
隣に立つクライヴはそう言い、スイレンは両手をぐっと握りしめて身構えた。
もうすぐ、美しい青竜がここに降り立つ。
(緊張するわ……ライデン様は私に、危害を加えないだろうと理解はしているけど……それでも)
偶然に食すことになった花魔法の魔法の花を知り上位竜ライデンヴァーガルは、それを生み出したスイレンのことをいたく気に入っていた。
野生の竜がこんなにまで人の子を気に入ることは珍しいと、何度も何度も耳にしたことがあるので、スイレンもそれが珍しいことは頭では理解していた。
だから、時折怖くもなってしまうのだ。恐ろしくも賢い竜……それも、上位竜。そんな彼がただ気まぐれに気に入ってくれただけなのだから、逆もまた、簡単に起こりえるのではないかと。
風がひとなぎして、空の青に似た色を持つ巨体が、灰色の雲を割って現れた。
(スイレン。どうしたんだ。急ぎの用とは珍しい)
頭に直接響く言葉は、何度も経験しても慣れない。
イクエイアスは年季が入った穏やかな語り口であるのに対して、まだまだ若そうな青竜は力を抑えることが難しいのかもしれない。
「ライデン様。お久しぶりです。実はお願いがあって……ここの隣国ガヴェアに上位竜が居るのではないかと、そういう話は知りませんか」
スイレンは緊張しつつ胸の前で両手を組み、巨体の青い目を見上げて言った。
(ああ。そうだろうな。あの国はどうやら、上位竜を捕らえたようだ)
ライデンヴァーガルは、いとも簡単にスイレンの質問を肯定した。
守護をする国を持つイクエイアスとは違い、彼は大空を飛び回っている。能力的には劣っていなくても移動範囲は少なければ、知り得ることは多いのだろう。
「あ……やっぱり、そうなのですね。私たちは、その正体を知り対策を考えたいと思っています。その上位竜のことを、ライデン様は知っていますか?」
もし、戦闘における上位竜の属性などがわかっていれば、事前に対策も打てる。だから、イクエイアスは先んじて、ガヴェア側についたその上位竜の情報を知りたがったのだ。
有利な属性の竜は機会を窺い効果的な攻撃を加えることが出来るだろうし、不利な属性の竜は後衛にして守ることが出来る。
そこで、スイレンはライデンヴァーガルが首を傾げるような仕草をしたのを見て、なんだか不思議に思った。
(どうして……?)
(……妙なことを聞く。イクエイアスに聞けば良い。対となる存在なのだから、あいつが一番知って居るだろう)
「……え?」
そこで、スイレンの頭に浮かんだのは魔の山に棲みイクエイアスと対の存在である、あの黒竜エグゼナガルのことだ。
幸運な気まぐれで以前に助けてもらったことがあるが、エグゼナガルを前にした時に感じた底知れぬ恐怖をスイレンは今でも生々しく覚えていた。
(え……ガヴェアが、魔の山に棲むエグゼナガル様を捕らえて、利用している……? そっか。あの時に、私がリカルド様とワーウィックを助けて欲しいと願ったから、ガヴェア側だって何故かという理由を探り、彼の存在を知り……利用されているってこと? 嘘でしょう!)
スイレンはエグゼナガルの存在がガヴェアに知られた経緯を推理し、背筋がゾクッと震えた。
エグゼナガルのことはヴェリエフェンディに住む国民だって、あまり知らないことなのだ。だというのに、あの時、魔の山では無力化するはずの竜騎士たちが突如として力を取り戻した。
ガヴェアの魔法使いたちは、詳しい調査の末、慎重にこの謎を暴いたのかもしれない。
情報を持たないスイレンには詳しい経緯を想像するしか出来ないが、ガヴェアにエグゼナガルの存在を知られたのは、あの時がきっかけで間違いないだろう。
だからこそ、いまエグゼナガルは捕らえられ、利用されている。時期を考えれば、その可能性が一番に高かった。
守護竜イクエイアスと同様に、エグゼナガルは魔の山から動かない。彼がそこから動かないならば時間を掛けて、いくらでもやりようがあるではないか。
魔法を身近に育ったスイレンは、動かない竜を捕縛するために、効率の良いやり方を想像することが出来た。
時間を掛けて弱体化する結界を何重にも施し、竜特攻の攻撃魔法があるくらいなので竜に捕縛するためだけの強力な捕縛魔法を研究したら……あの時から、ずっと時間をかけてエグゼナガルを利用しようと綿密に計画していたのかもしれない。
(嘘ではない。あの国に居るのは、黒竜エグゼナガル。上位竜を捕らえるなど俺も信じがたいが、それは本当だ)
「けれど、イクエイアス様はライデン様の対になる存在だろうと言っていました。どうして、そんな勘違いをしたのでしょう……?」
スイレンには、それが不思議だった。イクエイアスは自分の対になる存在であるならば、何故ライデンヴァーガルと対の存在だと言ったのだろうか。
(それはおそらく、今のエグゼナガルが弱体化しているからだろう。それに、あの二匹は不可侵の条約を結んでいる。だから、お互いを気取ることが出来ないんだ。俺の対の存在にも、そういう存在を隠す能力がある。だから、そこは勘違いしてもおかしくはない)
ライデンヴァーガルの話を聞いて、スイレンはイクエイアスが勘違いしている理由を納得することが出来た。
イクエイアスとエグゼナガルが不可侵の条約を結んでいることは、大分前から知っていることだ。
(イクエイアス様はエグゼナガル様を気取ることが出来ない。だから、魔の山からガヴェアにその身が移されても、それがわからなかったんだ)
スイレンは考えた。自分が今ここですべきこと。そして、前線で危険なリカルドたちを助けるためにどう動けば良いのか。
「……あのっ……ライデン様。私はエグゼナガル様を、救い出さねばなりません。力をどうか貸してください……エグゼナガル様の存在がかの国に知られたのは、私のせいでもあるのです」
スイレンは胸に右手を当てて、そう言った。
リカルドとワーウィックを救い出したい一心だったが、あの時に力を貸してくれた恩を返すとしたら、今しかないと思った。
エグゼナガルが狙われるきっかけを作ってしまった自分こそが、それをやり遂げなければならない。それがどれだけ、難しいことであったとしても。
(……しかし、俺が関われば、国が吹き飛ぶ。それは、本位ではないだろう?)
スイレンも以前に、イクエイアスが言っていた事を思い出した。エグゼナガルを怒らせれば、国がひとつ焦土になることだろう……と。
「……もし、私がガヴェアに居るエグゼナガル様を、逃がすことが出来れば……?」
(……それが出来れば、一番良い。ガヴェアとてわかっているはずだ。イクエイアスとエグゼナガルがぶつかれば、国同士の争いだの言っている場合ではないとな。力は貸す。約束しているからな)
ライデンは竜の姿のままで、どこか面白そうに言った。彼は年齢を重ねて保守的なイクエイアスよりも、若々しく面白いことならば楽しんで協力してくれそうだ。
(もし……上位竜がぶつかり合えば、最悪な結末が待って居る。最善の解決方法は、他の上位竜の力を借りて……エグゼナガル様を、ガヴェアから逃がすこと)
スイレンは胸の前でぎゅうっと両手を組んで、こくりと喉を鳴らした。
リカルドに連れ去られるように出て来た祖国ガヴェアに、まさかこんな風に帰ることになるとは想像もしていなかったからだ。




