6-3 花の雨
「……大丈夫そう?」
スイレンが竜化したワーウィックに聞けば、彼は一見恐ろしい顔を大きく縦に振って肯定の意を示した。そして、大きな二枚の翼を広げて、青い空へと舞い上がった。
(良かった。ワーウィックの飛行も安定しているし、これならいけそうね)
スイレンは、ほっと安心して息をついた。この家で咲かせたあれだけの量の花を馬車で運ぶのなら、何往復かしなければならないだろうと思って居たからだ。
飛行することの出来るワーウィックに任せることが出来れば、すぐに運べてしまうだろうし、彼ならば一度運んで帰ってくればそれで済んでしまう。
竜は王都を低空飛行することは禁じられているので、両手で布を持つワーウィックはかなり上空まで上がって行った。
そして、飛行するワーウィックを見送ったスイレンも、王都郊外にあるというジュリアンの作業場まで向かうことにした。
スイレンはデュマース家の馬車へ乗り、区画整備された王都の道を進む。
(……リカルド様。あれから、またあまり結婚の話をしなくなった。聞かない方が良いかと思って、黙っているけれど……私から聞いた方が、良いのかもしれない)
窓に映る自分の顔を見ながら、スイレンは思った。自分たち二人の婚約の件について、邪魔をしていたのは王族であるカトリーヌ姫であったと聞いた。
だから、今では誰にも阻まれることはないはずだ。
スイレンはリカルドの我慢強い性格や、たとえ仲の良い友人であっても、あまり弱音を吐かないことを今ではもう知っていた。
彼はスイレンに心配を掛けたくないがゆえに、また自分の気持ちを押し殺して隠しているのだろう。
「だから、私から聞かなきゃ……」
これまでは、ずっと聞けなかった。自分たちの間には明確な身分差があったし、色んなことをはっきりとさせてしまうことが、とても怖かったからだ。
スイレンはもう、怖くはなかった。これまでにリカルドは何があっても自分を選んでくれたし、そのためには生まれ持った身分をも捨てて良いと言ってくれたからだ。
けれど、何かを知りたいと思うのに、黙ったままではいけないと思ったし、リカルドの性格も理解していた。彼にスイレンを不安にさせようという意図はない。むしろ逆で不安にさせたくないからこそ、何も言わないのだ。
自分一人だけで何もかも、解決しようとしている。
スイレンは王都の門を出て、のんびりとした田園風景が広がるのが見えた。
「……え?」
スイレンは目を疑う光景に、慌てて御者に声を掛け馬車を停めて空を見上げた。
なんと、色とりどりの花が青い空から雨のように降り注いで来たからだ。
(もうっ、ワーウィック!)
これはどう考えても、飛行出来る竜ワーウィックに運ぶよう持たせた花々だった。もしかしたら、布が破けたか何かで、花が落ちて来てしまっているのかもしれない。
スイレンが上を見るとワーウィックの赤い大きな身体が見えて、そして、そこには黒くて素早い何かも共にあった。
ワーウィックは口から赤いブレスを吐くと、目の前の黒い物へと向き直った。
その時に、何が起こっているか理解した。ワーウィックは敵対する何かと対峙して、花を覆っていた布を破いてしまったのだと。
ヴェリエフェンディ王都には、守護竜イクエイアスが棲まう。世界に数匹も居ない上位竜の守護で、魔物は近づけないはずだ。
それに、悪しき魔法も王都近くでは使えないはずだ。彼の存在は、それほどまでに強い。
(そのはずよ……だと言うのに、ワーウィックは一体、何と戦っているの……?)
無数の花が舞い落ちる中で、赤い竜はもう一度大きなブレスを吐いた。黒い何かは、慌てて結界を張りそれを防いでいるようだ。
そして、そこへ城の方から何匹かの竜が飛行して来た。
竜騎士団の竜たちは心の中で会話することが出来るから、ここで戦うワーウィックが彼らに助けを呼んだのだろう。
いくつものブレスの光が見えて、黒い何かが慌てて逃げ出した。スイレンはそれを、抜け目なく追い掛ける青い竜が見えた。
(クライヴ。追って行ったのね)
あの黒い存在が何者かはわからないものの、竜たちの行動を見れば、親しい存在ではなさそうだ。
ワーウィックはまだ手に大きな布を持っているので、すぐに追い掛けるわけにはいかない。それに、何匹かの竜はその場に留まって、これから何をすべきか役割分担を確認しているようだった。
赤い竜がゆっくりとスイレンの方向に向かって来るのが見えて、スイレンは慌てて道から外れた開けた場所へと移動した。
まだ中に花がある布を慎重に地面に置くと、ワーウィックは小さな少年へと人化した。
「……スイレン。ごめん。花がたくさん駄目になってしまった」
「良いのよ。ワーウィック。大丈夫だった?」
スイレンが彼に駆け寄ると、しょんぼりとした様子でワーウィックは項垂れていた。
「うん。僕は大丈夫。いや、まさかだったんだ。僕はちゃんと言われた場所まで、順調に花を運んでいたんだよ。うん。あんまりしないことだから、少し楽しくなって何度か左右に振ったかもしれない。そうしたら、姿を消す魔法を掛けていたらしいあいつに、偶然布が当たってしまったらしくて」
そう言って頭を掻いたワーウィックは、姿を消して潜んでいた魔法使いに花が詰まった袋を悪気なく当ててしまったらしい。
いきなり袋を当てられた魔法使いも驚いただろうが、何もない空間に人が現れたワーウィックもとても驚いただろう。
可愛らしい光景のようだが、一方で不穏な話でもあった。
「……姿を消す魔法ですって? それは、禁じられているはずよ」
スイレンは捨ててしまった故郷である、魔法大国ガヴェアで定められた法律を思い出した。姿を変えたり姿を消す魔法は禁呪とされているし、それを使用出来るほどの魔力の高い魔法使いは少ないはずだ。
「そうなの? けど……あれは、ガヴェアの魔法使いだよ。僕があいつらを間違うはずがない」
ワーウィックは彼らに一度、捕らえられたことがある。昏倒させられた上に、翼膜は地面に縫い止められるように槍で貫かれていた。
険しい表情になったワーウィックに、スイレンはあの時のことを、余程悔しかったのだろうと悟った。
「けれど……本来なら、ヴェリエフェンディ王都近くでは悪しき魔法は使えないはずよ。イクエイアス様がいらっしゃるもの」
「うん。それは、僕だってわかっているよ……だからさ。つまり、イクエイアスと同等の力を持つ上位竜の協力でも取り付けたんじゃないかと思うんだよ。あくまで、今の状況での推理だけどね……」
スイレンは思わず、青い空を見上げた。そこにはもう、何も居なかった。
彼女とてその目で黒い素早く動くものを見ていたので、あれは確かに存在していた。それに、ワーウィックの怒った様子、竜たちが複数やって来て、慌てて逃げ出していた何か。
「ねえ……もしかして。ワーウィック」
スイレンはなんとなく、ガヴェアがまたヴェリエフェンディに戦いを挑んで来たのではないかと思った。
「うん。そうだね。僕もそう思うよ。また、戦いが始まるんじゃないかな……あれは、様子見の斥候だと思うけど、僕らは完全に存在に気が付いて居なかった。由々しきことだと思う。これを知れば、ヴェリエフェンディ上層部もイクエイアスも……王国全体厳戒態勢に入るように、指示があるだろう」
「ワーウィック……」
「……ああ。リカルドにも、緊急招集が掛かった。スイレン。ごめん。僕も行かなきゃ。ここまでになってしまうけど、ごめんね」
ワーウィックは頭の中で響く声に顔を顰めて、空をもう一度仰ぎ見た。
「わかったわ。ごめんなさい。まさか、こんなことになるなんて、思って居なくて」
ただ、ワーウィックに花を持っていってもらおうと思って居ただけなのに、とんでもない事態になってしまった。
「良いんだよ。スイレン。あれは、わからなかっただけで、確実にそこに居たんだ……それに気がつけることが出来た。もしかしたら、君はこの国を救ってくれたのかもしれないよ」
ワーウィックはそう言って小さな身体が膨れ上がるように竜化をすると、大きな翼を広げて城に向かって飛んで行った。




