第315話:希望の輝き
「ラムダさん、、コレットちゃん、ジブリール、ご無事ですか!? オリビアさん、回復魔法をお願いします!」
「ノア……無事だったのか……」
「アウラちゃんが張った結界に護られて、なんとか此処まで辿り着きました……」
アズラエルや三天使たちが去って、代わりに駆け付けたのはノアたちだった。欠けた者は誰ひとり居ない、アウラが張った結界が上空に居る機械天使の攻撃を防いでくれていたようだ。
当のアウラは息を切らしながら、キャレットの愛馬に乗せられている。相当の魔力を消費したのだろう。それで【ベルヴェルク】が全員生存できたのだから、彼女には感謝しかない。
だけど、生き残ったにも関わらず、全員の表情は浮かない。当然だろう、全員が空に浮かぶ朱い月に“死”を感じ取っていたのだから。
「ラムダさん……ごめんなさい……。私の造った【月の瞳】のせいで……みんな死んでしまう……ごめんなさい……!」
「ノア……まだ教会の『転移陣』がある! 諦めちゃ駄目だ! まだ……間に合う……」
「いいえ、間に合いません。間もなく“落涙”は落ちる……地表に着弾するまでは数分と掛かりません……私たちの負けです……」
「そんな……ここまでやって……無駄だって言うのか!?」
いま居る場所から教会に向かうには脚に覚えのある者が走っても5分以上は掛かる。つまり、間に合わない。俺たちは全員、“落涙”の前に露と消える運命なのだと、ノアは俯きながら悲観していた。
そして、【月の瞳】の設計者であるノアが諦めムードである以上、【ベルヴェルク】の全員が意気消沈するのも仕方が無かった。誰ひとり口を開かず、ただ無慈悲な天使たちの爆撃の音と逃げ惑う人々の悲鳴だけが響き渡る。
「何を呆けているんだい? 此処でジッとしていても何も変わりはしないよ。まだ君たちは終わってはいない、走りなさい……!」
「アインス……兄さん……!」
その絶望の淵に立たされた俺たちを諭したのは、傷だらけになった一人の“聖騎士”の言葉だった。俺との決闘で腹部に傷を負い、倒れた筈のアインス兄さんがすぐ近くに立っていた。
傍らには同じく傷だらけになった『黙示録の竜』の姿も在る。赫き竜が兄さんを此処まで運んだのだろう。
「私が時間を稼ぐ……君たちは教会に避難しなさい……」
「時間を稼ぐって、何を無茶な事を言っているの、兄様!? ノアちゃんが言っているわ、あの月は兵器で、王都は一瞬で消し飛ぶって! 大怪我を負って今にも死にそうな兄様に何が……何が…………」
ふらふらになりながら、途切れそうな意識を唇を噛んで繋ぎ止めながら、アインス兄さんは『時間を稼ぐ』と伝えて、俺たちに教会へと退避するように促してきた。
その兄の申し出に対してツヴァイ姉さんは強く反論したが、すぐに言葉を詰まらせて、姉さんは顔を青ざめさせてしまった。兄妹故に、兄の思想を汲み取ってしまったのだろう。
無論、彼の弟である俺も、兄の『覚悟』を悟ってしまった。
「アケディアス……妹を……ツヴァイを頼む。彼女は寂しがり屋だ、しっかりと手を繋いであげて欲しい……」
「言われなくてもそのつもりだ」
「…………礼を言う。それと……決着を付けれずに申し訳ない。こんな事なら、不毛地帯で全力を出しておくべきだったな……」
「そうだな……残念だよ……」
そして、アケディアスに妹の進退を託した瞬間、その場に居た全員もアインス兄さんの意志を汲み取って、沈痛な面持ちで彼の姿を目に焼き付けながら教会へと走り始めだした。
「兄様……待って、駄目、行かないで! 行かないで、私を置いて行かないで!! 兄様、兄様っ!!」
「ツヴァイ……お別れだ。私は……ダモクレス騎士団の騎士として……エンシェントの騎士として……この国を救ってみせるよ……」
「行くぞ……ツヴァイ。お前の兄が作った最後の機会を無駄にするな……!」
「離して、アケディアス! 離してったら! 兄様……兄様……嫌よ……嫌ぁ……」
その場に立ち尽くす兄に駆け寄ろうとしたツヴァイ姉さんは、アケディアスに抱えられて行く。
必死に伸ばした手はどんどんと兄から遠ざかって、それが『永遠の別れ』だと確信した姉さんは涙を流しながら必死に兄を呼び続けた。それでも、姉さんを抱えたアケディアスが脚を止める事は無い。ただ、去りゆく騎士から託された家族を守り抜くために走り続ける。
「ラムダ……さぁ、行きなさい、君の未来は私が護る。だから、君は、みんなの未来を護りなさい……!」
「兄さん……駄目だ、一緒に行こう!」
「私には責務がある、グランティアーゼ王国を護ると言う責務が……! だから私は……この国からは出れない……此処で君を見送るよ……」
すでにノアたちも断腸の思いでアインス兄さんを見送って、教会へと走って行った。その場に留まったのは俺だけだ。
納得できなかった。俺の選択で、俺のせいで、兄が犠牲になるなんて我慢ができなかった。
せめて恨み節の一つでも吐いてくれた方がマシだった。なのに、兄さんは穏やかな表情で笑いかけるだけだった。俺たちの未来を護ると、そう言って。
「君に渡したい物がある。私から贈る、君の新しい門出の品だ……」
そして、アインス兄さんは右手を胸に当てて拳に碧く輝く何かを握りしめると、それを俺に手渡してきた。
「これは……碧い宝石……?」
「私の心臓にできた結晶……“聖剣”の原石だ……!」
「…………っ!」
「それを加工すれば新しい聖剣が生まれるだろう。どうか有効に使ってくれ……」
それはアインス=エンシェントと言う人物の心臓に宿った結晶、聖剣の力を彼に与えた女神からの贈り物。選ばれた者にしか手にできない聖剣の原石となる宝石だ。
「兄さん……行かないで……」
「ラムダ、これだけは覚えておきなさい。辛くて泣いてもいい、悲しくて躓いてもいい。けど、最後には必ず立ち上がりなさい……! どんなに傷付いても、どんなに打ちのめされても、立ち上がり続ける限り、人は成長していける……!」
「俺は……兄さんを置いて行くなんて……嫌だ……!」
「私は……僕はとっくに立ち上がるのを止めてしまった。ただの臆病者だ……自分の限界を勝手に作って、グランティアーゼ王国最強の騎士の称号で満足していた……。だから、僕も最期に立ち上がりたいのさ……君たちの為にね……!」
「兄さん……駄目だ!!」
宝石を手渡して、にこやかに笑って、“救国の聖剣”を手にして、アインス兄さんは光の翼を広げて空へと舞い上がっていく。遥か頭上では【月の瞳】から白く輝く雫が落下し始めているのが見える。
その雫はまるでこぼれ落ちる涙のように、輝きを増しながら王都に向かって来る。そして、“聖騎士”と呼ばれた青年はその涙に向かって真っ直ぐに羽ばたいていく。
行かせてはならない、そう思って反射的に翼を広げて兄を追いかけようとした。
「なっ、何をするんだ、『黙示録の竜』!? 離せ、離すんだ! 兄さんが……兄さんが行ってしまう……! 離しくれ……お願いだ……!!」
「…………」
「お別れだ、ラムダ、愛する弟よ! 君が征く茨の道の先に――――希望あれ!」
そんな俺を阻止するように、『黙示録の竜』は発達した顎で俺の身体を咥えて無理やり連れ去り始めた。
俺を逃さないように、兄の後を追わないように、鋭い牙が身体に僅かに食い込んでくる。無理やり動けば身体が引き裂かれそうだ。アインス兄さんの後を追えば、俺がどうなるか理解しているのだろう。
でも、後追いすればどうなるかなんて自分でも分かっている。でも、どうしても兄さんを行かせたくなかった。心の底からの笑みを見せて、空へと飛んで行った兄を失いたくなかった。
「兄さん……アインス兄さんッ! 戻って来てくれ……お願いだ……」
けれど、俺を咥えた赫き竜はどんどんと加速して、兄の姿がどんどんと遠ざかっていく。俺にできる事はもう手を伸ばして、届かない兄に懸命に呼びかけるぐらい。それもきっと無駄だろう。
どうしようもない無常感だけが俺を襲う。悲しさと悔しさに満ちた涙が溢れていく。それが、今の俺に許されたことで、今の俺に与えられた罰なのだろう。
「兄さん……うぅ……うわぁぁあああああああ!!」
そして、俺たちが見守る中、生き残った王都の人々が見守る中、アインス=エンシェントの聖剣は降り注ぐ“落涙”へと突き立てられ、眩い閃光と共に輝く雫の上部から激しい光の柱が立ち昇った。
超圧縮されたエネルギーを無理やり上空に逃したのだろう。立ち昇った光は美しい柱となって朱き夜空を彩って、女神アーカーシャたちの目論見が失敗に終わったことを高らかに告げるのであった。
『シータさん、その抱いている赤ちゃんが僕の新しい弟なの?』
『えぇ、そうですよ、アインス様。この子の名前はラムダ……あなたの弟です……』
『そうなんだ! よろしくね、ラムダ! 僕はアインス、君のお兄ちゃんだ!』
そして、逃し切れずに膨張した“落涙”の光に呑み込まれてアインス=エンシェントは消えて、グランティアーゼ王国最強の“聖騎士”は23年の短い生涯に幕を閉じた。
それが、俺の生涯最大の屈辱にして、生涯最大の敗北――――『グランティアーゼの落涙』と共に刻まれた、ラムダ=エンシェントの“傷”の記憶になるのだった。




