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黄金の鏡像  作者: かる
7/11

⑦ 蝕害

 振り子時計が音もなく日の境目を告げたとき、ビジオールは一人廊下に立っていた。半分に欠けた月の光の差す窓辺は青白い破片の溜まり場となって、冷え冷えとした長い廊下を点々と照らし出している。明かりも持たずに、ビジオールは物音を立てないよう抜き足で歩いていった。上質な絨毯は靴音を染み込ませて消してくれた。

(やはりここだ)

 突き当たりの少し手前で立ち止まると、ビジオールはそばの壁に手を当てた。

(おかしいと思ったんだ。公爵家にあった資料では一番東にある部屋が最も広かったのに、私やジークが通されたのは西側だったからな。男爵の性格からして、公爵家の人間には媚でも何でもすっからかんになるまで売りたがるはずだというのに)

 青い闇に沈んだ壁は一見するとただの平面だったが、顔を近づけてみれば窓からの光がわずかな繋ぎ目を浮かび上がらせていた。

 そっと手で押してみる。動かなかったが、かすかな手応えを感じた。今度は身体を押し当てて全身で押してみる。すると、ギギ、と軋んだ音を立てながら壁が向こう側に動いた。

(壁の一部が扉となっていたのか。単純な隠し部屋だな)

 中に入って壁を押し戻すと、あたりは光一つない暗闇となった。手探りで壁を伝いながら、慎重に進んでいく。耳が痛くなるような静寂の中で、賊の頭目の男と交わした会話が蘇った。



 『ゼフェ。お前たちの行動に一つ不可解なところがある』

『不可解だと?』

『なぜ子供を攫う? 奴隷商と接触すればそこから足がつく可能性が高い。そんな危険を冒さんでも、資金調達の手段など他にいくらでもあるだろう』

 賊の頭目、ゼフェは怪訝な顔をした。

『子供? 何のことだ』

『ここの領主から、お前たちが襲撃の度に町の子供を攫っていくと聞いていたが……違うのか?』

『なんだと?』

 ゼフェの目尻が吊り上がった。

『俺たちは兵士だ。金で雇われたコスな奴らと言われようが、戦がなくなって用済みになろうが、俺たちゃ俺たちなりのプライドってもんを持ってんだ。そのプライドに懸けて誓う。俺たちは女子供には手を出さねぇ。ここにいる連中全員がだ』

 


 (奴のあの言葉は嘘ではない……今まで他の領地を散々荒らしておきながら一切足を掴ませなかったのは、その信念と奴の統率力があってこそだろう。他の兵たちは知らんが、少なくとも奴の目を盗んで子供を売り捌くのは至難の業だ)

 しかし、子供が消えているのは確かである。道中で子を探す女にも会ったし、警備隊からの報告もある。

(引っかかってはいた。ゼフェたちは他の領地にも現れていたが、子供がいなくなるなどという話はこのサンドールのみだ)

 カツン、と靴先が小さな音を立てた。突き当たりに来たのだ。

(行き止まり……? いや、そんなはずはない)

 手探りで壁を探ってみると、何やら凹凸がある。その触り心地からして取手のようなものらしい。軽く引いてみると、カタンと何かが外れたような音がした。先程の廊下の時と同じように体当たりするようにして押してみる。すると、ゆっくりと壁が動いた。

(……やはり、ここが見取り図上の最大の部屋だ)

 人一人分の幅しかなかった通路からうってかわって、そこには広い空間が広がっていた。壁にはいくつかランプが取り付けられていて、蜜蝋の甘い香りと煙とが鼻をくすぐった。

(? この扉……こちら側からは開かない)

 奇妙なことに、今しがた開けて入ったこの部屋の扉は、中から開けることができなくなっていた。

(まるで何かを閉じ込めるために作られたような仕掛けだ。まあ、予想はつくがな)

 ビジオールは、ランプの灯りが点々と照らす方へ近づいていった。

「……だれ」

 不意に声がして、ビジオールはそちらを振り返った。息を呑む。そこにいたのは十歳程度と思われる子どもだった。だが、彼が驚いたのはそのことではなかった。

(随分と痩せ細っている……それに、手足には鎖……)

「町のひとじゃ、ない」

「だれ」

「ぼくたちより、おっきいね」

 ざわざわと声が広がる。燻んだオレンジ色の光が照らし出した光景に、ビジオールは一瞬言葉を失った。

(子供……! 一人や二人ではない、ざっと二十人はいる……! やはり子供の失踪は男爵によるものだったのだ。しかし……)

 ビジオールは子どもたちの虚ろな目と骨の浮き立った腕や脚を見た。それからそこに生々しく残る痣のような黒い跡も。

(しかし金目的ではない。「商品」にしては傷みすぎている)

 気付かぬうちに、呼吸が早くなっていた。

(男爵は子供を売っているのではない! あの男はここでこいつらを……飼っている!)

「お望みのものは、ご覧になれましたかな?」

 突然背後から声をかけられて、ビジオールは素早く振り返った。

「……男爵。随分と贅沢な趣味をお持ちだな」

 ヒューベ男爵は、手に持っていたランプを掲げて口元を歪めた。どうやら笑ったつもりらしかったが、下からそれを照らし出す光のためか、その笑みはゾッとするほど醜悪だった。

「どういたしますかな? すぐにでも王都のお父上のところに一筆したためるので?」

「フン、その虚勢がいつまで続くか見ものだな」

 男爵は仰反るようにしてビジオールを見下ろした。

「私のこの態度が、ただの上っ面の虚勢だとお思いですか?」

「……どういう意味だ」

「私は確かにこの為に賊どもを利用しました。ですが、なぜ奴らを利用できたと思います? 奴らの襲撃はこの町の中とは言えど神出鬼没。警備隊ですら奴らが逃げおおせた頃にやっと現場に到着する始末だというのに」

「……内通者か」

 男爵はにたりと口角を吊り上げて頷いた。

「私の部下を潜り込ませてあるのです。ですから、夕方、私が警備隊を呼びに行っております間に貴方が賊に提案した素晴らしいご計画も存じ上げているのですよ」

「……」

 男爵は部屋全体を照らそうとするかのように、ランプを頭上に掲げてぐるりと大袈裟に回してみせた。

「この罪が公になったところで私は投獄で済む話ですが、貴方はどうですかな? 薄汚い平民の子供と王族の命など、こうして並べてみることさえ不敬というもの。王家叛逆は最も大きな罪……貴方のその細い首一つでは足りんでしょうな」

 男爵はそう言って一歩進み出ると、威圧するかのようにビジオールを見下ろした。

「浅はかな男だな。私を脅して取引するつもりか?」

「取引……? 勘違いは困ります。取引は対等な立場の者同士が行うもの。けれど私は、今この状況では貴方より私の方が優位だと申し上げているのですよ、叛逆罪の次期公爵様?」

 男爵がさらに一歩詰め寄る。距離を取ろうとビジオールが一歩下がると、踵が壁にぶつかった。

(ちっ)

 心の中で舌打ちして顔を上げれば、男爵の顔がすぐそばにあった。

「正直なところ、私は貴方を尊敬しているんですよ。住み慣れた王都から最も離れたこの領地に護衛一人だけを携えて降り立ち、すぐさま賊どもの足取りを掴むに留まらず仲間に引き入れ、ついにはこの私の秘密まで暴いてしまったんですからな。その小さな胸に途方もない夢を抱えて……」

 男爵はゆっくりと這うように手を伸ばして、ビジオールの襟を摘んだ。

「貴族階級の若者はどんな美貌の者であってもその頭はダンスパーティのために回っているし、庶民の者どもには気品がありません。しかしビジオール公子、貴方は瑞々しく美しい見目を持ちながら、中までもたっぷり果肉の詰まった果実のようだ……そしてその種は、甘く熟した蜜に包まれている……!」

 男爵の息が荒くなった。ビジオールは何も言えず、無意識のうちに息を抑えて動かなかった。どくどくとした脈動が胸を這い回る。熱い息が耳元にかかって、ぞくりと悪寒が背筋を伝った。

「貴方はただ力を抜いて私の言う通りにしてくださればいいんです。なに、簡単なことですよ。貴方のような聡明な方なら尚更……。そうしてくだされば私、何も言いません……。何も、ねェ……フフ……いい『取引』でしょう?」

 ビジオールは俯いたまま押し黙っていた。しかし、その唇が微かに動いた。

「……いい」

 吐息混じりのその言葉に、男爵の口角が醜く上がった。

「ええ? 何とおっしゃいました? もう一度、もっとはっきりとお答えください」

 ビジオールは今度は顔を上げて、きッと男爵を睨みつけた。

「もう出てきていいぞ、ジークトリグ!」

「__な」

 男爵が何を言おうとしたのかはわからなかった。わかる必要もなかった。振り返るよりも先に背中に突き刺された剣が、男爵の胴を貫いて胸ボタンを切り落とした。一拍遅れて、だらりとその腕が降りる。

 自身を覆っていた両腕が外れて、ビジオールは壁際からひらけた空間へと抜け出した。

「……っ、ぁ、な、ぜ」

 ぎょろりと眼だけを動かして必死にビジオールの動きに食らいつく男爵の視線から逃れるように、ビジオールはさらに一歩横に逸れた。

「私はお前を見誤っていたようだな。お前は私を殺しに来ると思っていたのだが……まさか脅しにかかるとは」

 ビジオールは、道端で虫の死骸を見つけた時のような不愉快と蔑みとが綯交ぜになった顔に皮肉げな笑みを浮かべて言い捨てた。

「お前如きの証言など、我が公爵家において容易く捻り潰せるものだということすら忘れたのか? 本当に浅はかで下劣な男だ」

「……っ」

 男爵を剣で突き刺したまま、ジークトリグが静かに口を開いた。

「ビジオール様。この男を如何いたしますか」

「殺せ。二度とその汚い顔を私に向けさせるな」

「御意」

 そう聞こえるや否や、グチョリと気味の悪い音がした。その合間に、喉が引き攣ったような掠れた声が鳴る。思わずそちらに目をやったビジオールは、目の前の光景に絶句した。 

 ジークトリグは男爵の背中から引き抜いた剣の先を、床に転がした男爵の顔面に突き立てていた。血で濡れた刀身に、掻き回された皮膚からこぼれ落ちた眼球が差し込まれている。ジークトリグはそのまま、剣を僅かに動かして鼻の頭に当てた。

「__ッ」

 男爵だった肉塊から声にならない悲鳴が絞り出された。ずるずると、骨太いその鼻が削り落とされていく。

「……何を、やっているんだ。ジーク……」

 そう尋ねるビジオールの声は、鉄くさい空気の中で揺らいだ。ジークトリグはゆっくりと主の方を振り返った。視線がかち合う。しかしその瞳は食い入るようにビジオールを見つめたまま、離れなかった。

「顔を消しているのです。二度と、この顔が貴方の方へ向かわないように……」

 ジークトリグは剣を離すと、その血溜まりの中心を踏みつけた。何かが弾け、潰れる音がする。ビジオールが身動きを取れず固まっていると、ジークトリグは再び口を開いた。

「ご心配なく……この男は、二度と貴方を振り返ることなどできません」

 ジークトリグはそう言って、ボールを蹴るように足先を突き出した。鈍い音が響いて、硬い靴の下で人間の首の骨が折れたのがわかった。

 沈黙が下りる。しかしすぐに、ジークトリグは剣を納めてビジオールの方へ歩み寄った。

「……これで大丈夫です。ビジー様、貴方に触れる者は誰もおりません」

 ビジオールは目を見開いて、自身の護衛騎士とその背後のものとを凝視していた。しかしやがて、いつもの睨んだような表情を取り戻した。

「まさかお前、私が怯えていたとでも言うのか?」

「滅相もございません。ただ、御身の安全確保のために」

「ならば趣味の悪い殺し方をするな」

 そう言うなり踵を返した主に、ジークトリグは黙って付き従った。入ってきた時に彼が鍵を壊しておいた扉は、さほどの抵抗もなく開いてぽっかりと口を開ける通路を指し示した。

 男爵の持っていた明かりはそのまま置いてきてしまったので、進めば進むほど暗闇に呑まれていく。それでも、常人より遥かに優れた視力を持つ彼の目は、小刻みに震える主の指先を確かに捉えていた。

「ビジー様。気付いておられたのですか」

 返事はない。だがしばらくして、暗闇は答えを返してくれた。

「……何がだ」

「男爵の目的が……。私が側にいては男爵が自ら出てこないからと私を引き離して、男爵が貴方を殺そうとした瞬間に彼を攻撃せよと……貴方はそう命じましたよね。けれど実際は、男爵の目的は貴方の命ではなく……」

「今日はやけに喋るじゃないか。人肉を切り刻むのがそんなに楽しかったのか」

 苛々した声だった。その声の主がこちらを振り返ることはない。しかし、肩の震えが大きくなった。

「男爵は貴方を狙っていました。貴方はそれにお気付きになっていたのでしょう? にも関わらず何故、このようなことを……始めから命じてくだされば……」

「やけに喋ると言ったのはうるさいという意味だぞ、ジーク!」

 ビジオールは荒々しく叫んで振り返った。

「気付いていたかって? 当然だろう! 忘れるはずがない! あの男がこの私を見るとき……私を見るあの顔……あの目……! 全て、全て同じだ! あいつと同じ……」

 そこまで言ってふと、その声が途絶えた。ビジオールは普段の姿からは考えられないほど髪を掻き乱して、自身の首を、肩を、強く抱きしめた。黒闇にぼんやりと白く浮かび上がるシャツが破けてしまうかと思うほどに、その指が強く食い込む。

「……ようやく、振り返ってくださいましたね」

 ジークトリグはやっと、主の不可解な命令のわけを理解した。

(認めたくなかったのだ)

 敏感に気付いてしまっていると、覚えてしまっていると、認めたくなかったのだ。「殺しにくるという予想以外は思い付かない」、想定すらしない普通の人間の一人であると思いたかったのだ。この気高くプライドの高い、傷つきやすい主君は。

「ご心配は要りません。男爵はもう二度と、貴方を見ることはできないのですから」

「……だから、怯えてなどいないと言っただろうが」

 返ってきた言葉は暗がりに吸い殻を投げ捨てるように雑に吐き出されたものだったが、どうやら火は消えているようだった。

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