⑤ サンドールの賊
「ここがサンドールか。思った以上に寂れているな」
「……空気が悪いですね」
馬車から降りたビジオールの呟きに、ジークトリグもまた同調した。
「ビジオール公子、ジークトリグ公子、ようこそおいでくださいました。私、サンドールの領主を務めておりますヒューべでございます」
「直接会うのは初めてだな、ヒューべ男爵。早速サンドールを見て周りたいのだが」
「今日はもう日が暮れますから、明日お出かけになるのがよろしいかと。ご夕食の準備は整っております」
「ではそうしよう」
ヒューべ男爵の邸宅はここ一帯で飛び抜けて大きく、広い中庭を過ぎて中へ入ると天井の高いホールが一行を迎え入れた。もちろん王宮やビジオールが普段暮らす公爵家の邸宅には及ぶべくもないが、やや過剰な装飾からもその豊かな暮らしぶりが窺い知れた。
サンドールの特産品だと言うワインを愉しみつつ夕食を終えると、ビジオールは一番大きな客室へと通された。そこから二部屋ほど離れたところに二番目に大きいという客室があり、そこにはジークトリグが割り当てられていた。
「ジーク。お前に一つ命じておく」
いつものようにビジオールの世話をするために彼の部屋に訪れたジークトリグが扉を閉めたのを確認すると、ビジオールはそう言ってそばに来るよう目で合図した。
「なんでしょう?」
ジークトリグがそばまでくると、ビジオールは声をひそめつつもはっきりと言った。
「賊に遭遇したら生け捕りにしろ。決して殺すな」
「……それは」
「お前ほどの腕があればできるだろう?」
有無を言わさない口調でそう言われて、ジークトリグは反論を諦めた。
「承知しました」
ビジオールは満足そうに頷くと、いつものルーティンに戻ったようで腕を突き出してきた。赤く煌めくカフスボタンを外してやりながら、ジークトリグは内心ため息をついた。
(いきなり領地を見に行くと仰るから何かあるとは思っていたが……生け捕りとはどういうことだ? 王都を離れる前にレングラット殿と何やら話していたようだし、今回もご計画の一端なのだろうが)
アルトニヤは獣の如く獰猛な気性を持つ一方で極めて従順で消極的とさえいえる気性、一般的に理性と呼ばれるものよりは本能に近い性質をもってそれを抑え、国の中枢にまで上り詰めた一族であった。その直系の血を色濃く反映するジークトリグもまた自ら変化を望まない、いわば保守的な男であり、協力はするもののビジオールやレングラットほど前向きな気持ちでこの恐るべき叛逆の計画に加担することはできなかった。それがどことなく伝わっているのか、それとも理由などなくともジークトリグが自身に従うという確固たる確信があるためなのか、ビジオールはあまり仔細な説明を彼に与えることはなくただこうして時おり最小限の命令を下すだけだった。
◯◯◯
翌日、ビジオールはジークトリグを引き連れて、サンドールの巡察に出かけた。領主であるヒューべ男爵の案内のもとで賊が襲撃した場所、やって来た方角などを調べていったものの、当時の状況が曖昧でどうにも要領を得なかった。
最近襲われたばかりの町の一角を訪れた時、突然、横道から一人の女が飛び出してきた。
「領主様! 賊は見つかりましたでしょうか⁉︎」
女はもう何日も食事を摂っていないかのようにやつれていて、衣服や手は黒っぽい汚れに塗れていた。男爵は女の風体にぎょっとした様子で顔を顰めた。
「なんだお前は?」
「お願いします、どうか、どうかあの子を……息子を取り返してください! 今ならまだきっと、きっと間に合います……!」
「ええいわかっている! だからこうして調査を進めているのだ! 邪魔するつもりか⁉︎」
男爵の恫喝に女は一瞬びくりと身体を震わせたが、それでもなお地面に膝をつき懇願の体をとっていた。男爵は女を追い払うようにして手を無造作に振ると、さっさと歩き出した。
「あの女はなんなんだ?」
ビジオールの問いに男爵は先程の高圧的な態度からうって変わって両手を揉みしだいた。
「賊に子供を攫われた母親にございます。賊どもめ、街を荒らし金目の物を奪うだけでは飽き足らず、子供まで攫っていってしまうのです。大方奴隷商にでも売り払うつもりなのでしょう」
「なるほどな。はした金にしかならんだろうが」
ビジオールは馬車の方へ目をやった。
「次はデリアの森に向かえ」
「デ、デリアの森ですか……? しかしあそこは別に襲撃されてはおりませんが……そもそも、住居もありません」
「だからこそだ。襲撃の規模から見て賊の数は百を超えるだろう。だが奴らは分散するでもなく、ひとまとまりの隊として行動している。襲撃の頻度、襲撃された町との距離と方角から見るに、ある程度町に近く尚且つそんな人数を収容をできる場所は、サンドールで最大の森デリアしかない」
「距離と方角って……まさか、サンドールの地形図を覚えておいでなのですか?」
男爵が思わず声を上げると、ビジオールはきょとんとした。
「当然だろう。調査地の地形も知らぬままで何をどうすると言うのだ。そもそも、これだけの情報が揃っていながらなぜお前たちはデリアに目を向けない?」
「……才覚は評判通り、いや評判以上でございますね」
男爵は信じられないといった顔つきでそう言った。実際、サンドールは小さな森が点在しその間を縫うようにして町が形成されているためその地図はかなり複雑だった。おまけに賊は拠点を探られないためかいくつもの迂回ルートを辿っているようで、その痕跡を追うだけで手一杯になっても仕方がない。
(ビジー様は『当然』の基準が高い……自分にも他人にも)
驚かれるのが不可解といった様子のビジオールに、ジークトリグは珍しく感心した。詳しいことは知らないが、聡明と評判のレングラットさえも一目置くこの主はやはり優れた才の持ち主であるらしい。相変わらずの癇癪を日々見守っているジークトリグからしてみれば改めてそんな事実を突きつけられると、普段とのギャップに軽く混乱するのだが。
「もうじき到着します。しかし日が傾いてきましたな……それに、風も出てきたようです」
「フン。なんだ男爵、怖気付いているのか?」
「い、いえ、そんなことは……しかし、この調子ではいつ賊が襲ってくるやも知れませんよ」
「ならば好都合じゃないか。奴らを捕まえる良い機会だ」
「しかし……」
と、ジークトリグが素早く窓の方に目をやった。
「ビジオール様、賊が現れたようです」
「なっ、し、しかし何も見えませんぞ」
男爵は飛び上がったかと思うと窓に張り付くようにして外を眺めた。夕闇の迫る背の高い木々のあたりには人影一つ見えない。
「気配があります。もうじき姿が見えるでしょう」
「よし。男爵の馬車が趣味の悪い貴族らしいデザインであるおかげだな」
「ひっ、そ、そんな……」
男爵の冷や汗が顎を伝ったところで、馬車に衝撃が走った。一気に騒がしくなったかと思うと、窓のすぐそばに屈強な男が何人も立っているのが見えた。すっかり取り囲まれていたのだ。
「仕方ない、降りるか」
「えっ、お、降りるんですか!?」
「このまま待っていたって窓を割られて入られるだけだ。狭い場所はこちらに分が悪い、だろう? ジーク」
「はい」
ジークトリグがビジオールと男爵を庇うようにして馬車から降りると、大振りの剣を構えた男たちがジリ、と警戒するように身構えた。礼装の上からでもわかる鍛え上げられた長身の体格と腰に携えた剣とで、彼が騎士であることを理解したらしい。しかしその中で、大柄な男が一歩前に進み出てきた。短い黒髪と髭を生やした日焼けした顔には大きな傷跡がある。
(こいつが賊の頭目か)
周りの賊たちの反応も鑑みてビジオールはそう判断した。
「どこぞのお貴族様かと思ったら領主様御一行じゃねぇか。悪いこたぁ言わねぇ、綺麗なお洋服を汚されたくなきゃあるもん全部置いてきな」
リーダーらしきその男が高圧的にそう言ってのける。男爵はすっかり肝を抜かれたようで、ごくりと息を呑んだ音が聞こえた。
「ジーク」
ビジオールが確認するようにそう呼びかけると、ジークトリグは黙って頷いた。
「お二人はそこでじっとしていてください」
次の瞬間、目の前の男が倒れ込んだ。と、気づく頃にはその隣の男が、さらにその隣が次々と視界から消えていき、一拍遅れて湿った土のにおいを纏う風が頰を掠めた時には馬車の周りにはぽっかりと空白ができていた。
「な、なんという……」
初めて目の当たりにするアルトニヤの騎士の実力に男爵は口をパクパクさせて瞬きを繰り返していた。母数が多い分賊はまだかなり残っているとはいえ、馬車のあたりが掃けてきたのを見てビジオールは口を開いた。
「男爵、今のうちに警備隊を呼んでこい」
「えっ、あっ、はい、け、警備隊を……!」
男爵は慌てて馬車に乗り込んだ。
「ビジオール公子! 早くお乗りになってください、安全な場所にご案内いたします!」
「必要ない。私はここに残る」
「は⁉︎」
「早く行け男爵、またも警備隊を遅刻させるつもりか?」
「しかし、万が一御身に何かありましたら___」
「お前が責任に問われるというわけか? くだらん、お前の体裁より私の指示の方が余程重要だ。我が身可愛さにこの私に逆らう気か?」
「そっそんなつもりは……。承知しました、すぐに警備隊を連れて参ります」
男爵は青ざめた顔で馬車を走らせていった。




