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黄金の鏡像  作者: かる
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⑨-2 王弟宮

 「久しいな、ビジオール。しばらく見ないうちに随分立派な手柄を立てたじゃないか」

 ビジオールが部屋に足を踏み入れると、王弟はそう言って立ち上がった。

「もったいないお言葉です」

 背後で扉が閉められる音を聞きながら、ビジオールはそう言って頭を下げた。

「さてと、委任状だったな。まあ、ここに腰掛けるといい」

 王弟はそう言って、低いテーブルを挟むようにして置かれているソファの片方を指し示した。

「長くはかからないことです。私は立ったままで結構です」

「こちらから呼びつけたのだ。用だけ済ませてすぐにお前を追い払うような真似はせん」

「しかし、お忙しい王弟殿下のお時間をあまり割いていただくわけにも参りません」

 王弟は少々気を悪くしたようだった。

「ビジオール。お前は当時の幼さゆえに覚えていないのかもしれんが、国王陛下は王子殿下がお生まれになるまでお前を息子のように可愛がっておられた。そして子を持たぬ私にとっては、それは今でも同じことだ。久しくまともに会う機会もなかったお前をろくに話もせず帰らせるほど、私は情のない人間ではない。それともお前は、まさか本当に委任状を受け取るためだけに、わざわざここまで足を運んだのか?」

「……それでは、お言葉に甘えて」

 ビジオールが腰を下ろしたのを見て、王弟は満足そうに向かいのソファにどっしりと腰掛けた。

「サンドールには私も訪れたことがあってな。あれはワインが良いな。ただ風が悪い。そうは思わなかったか? え?」

「ええ…… そうですね。風は随分と強かったです」

 王弟は深く頷いた。

「だが、あれがサンドールの葡萄畑には欠かせないのだ。つまり、上質なワインには上質な葡萄が必要なわけだが、それを育てるのは強く荒い北風の吹きつける厳しい環境なのだ。サンドールのワインは私の酒蔵に常に絶やさず置かせているが、それを開ける度に私はそのことを思う。サンドールのワインを造るのはサンドールの土地そのものなのだ」

「今後サンドールを管理する者として、心に留めておきます」

「ははは、そう硬くなるな。脅しているのではない。むしろお前ならできると思っているから話したのだ。何故だかわかるか?」

「いえ……」

 王弟は僅かに身を乗り出すと、意味深な笑みを浮かべてビジオールを見つめた。

「お前は誰よりもそのことを理解している。そうではないか?」

「……もったいないお言葉です」

「謙遜するな。それとも、謙遜ではないのか?」

「……? 仰っている意味が……」

 王弟は顔の前で両手を組んで肘をつくと、そこに顎を乗せた。

「エクラート公爵の長男というのは、なんとも厄介な立ち位置だな。そう思ったことはないか?」

「……」

「答えなくとも良い。知っているであろう? お前の死んだ母親は私の叔父の娘だった。お前の身体に流れる王族の血が、かつて子宝に恵まれなかった国王の次の後継者へとお前を押し出したこともあった。聡明なお前は早くに己の役割を理解し、厳しい教育の中で己の能力を磨いていったな。次期国王として。しかしどうだ、なんという気まぐれか、意地悪か、神はそれからすぐに王子をお与えになった。彼は国王の実子だからと、お前のように苦しい教育に縛られることもなくのびのびと育っている。対してお前は、次期国王と持て囃されたことなど過去の栄光となり、瞬く間に忘れ去られたのだ」

「……遠い昔の話ですよ」

 王弟は弧状に吊った唇から息を漏らした。

「そうだな。遠い昔の話……幼いお前の話だ」

 そう言って組んでいた両手をほどき、テーブルの上に置いた王弟に、ビジオールはなんともいえない嫌な感じがした。

「幼少期の記憶というのは昔ゆえに我々の根幹に……核なるものに食い込んでいると……そうは思わんかね?」

「深い洞察ですね」

 ビジオールは一息にそう言った。胸に綿を押し込まれたような妙な気詰まりがあった。

 王弟は片眉を上げると、何も言わずに立ち上がった。そのまま一歩踏み出して、ビジオールの座る向かいのソファに左手を掛ける。

「ビジオール。お前が幼い頃、私と会ったことを覚えているか?」

 耳元で囁かれて、びくりと肩が震えた。身体を強張らせたまま、ビジオールは膝の上で両手をきつく握りしめた。

「……失礼ながら、幼かったためかはっきりとは」

「そうかそうか。なに、気にすることはない。ただ、お前があまりに素っ気ないものだから、再会を喜んでいるのは私だけかと思ってな」

 王弟は表情を緩めて、ビジオールの隣にどっさりと腰を下ろした。ビジオールは肩を固くいからせたまま端に寄ろうとしたが、王弟の腕が伸びてきてその行く手を阻んだ。大ぶりな宝石の嵌め込まれた指輪で飾り立てられた手に肩を掴まれ、そのごつごつとした感触が上着越しに伝わってくる。身動きとれずにいるビジオールに、王弟はさらに口元を寄せた。

「お前は可哀想な子どもだ。冷たく荒い逆風に晒されながら、私の貯蔵庫のワインたちのようにその価値を認められ魅力を存分に出すことすらできない。ほんの一口含んだだけで味覚を……五感全てを痺れさせるような甘い刺激を秘めた極上の葡萄酒を……こんなにも素晴らしいのに、国王は息子だからとあの出来損ないどもを贔屓する。一方でお前の父たる公爵はお前の才覚を十分に把握せず放置している」

「…………」

 胸を押さえつけていた湿った綿が、喉元までせり上がってきたようだった。うまく息が吸えず、ビジオールは時折えづくように体が震えそうになるのを必死で押し殺した。

「お前の孤独を理解してやれるのは私だけだ。今も昔も……」

 肩に置かれていた手が、さらにその下へと這い寄ってきた。同時に、もう片方の手が伸びてきて膝に触れる。膝の上で固まっていたビジオールの手を覆って溶かし込もうかとするかのように、じっとりと湿った生暖かさが手の甲を濡らした。

「____っ」

「少しは思い出したか? あの時もこうして……私はお前を包んだな」

 熱をもった手がシャツの下に潜り込んで、肌の灼けるような刺激がほとばしった。ぞわぞわとした悪寒が背筋を這い上り、いよいよ喉が締め付けられる。耳にかかるやけに熱い吐息がうなじにまで纏わりついた。

 ビジオールの脳裏に、一つの光景が浮かんだ。締め切られたカーテン、火の気をなくした鉛色の燭台、薄がりに沈んで線が煤けたように曖昧になったどこかの風景画……。

 王弟が呻くように呟いた。

「ああ……ビジオール、お前は変わっていない……いいや、それどころが、あの時の柔らかく無垢な輪郭と華奢な筋はそのままに……このしなやかな弾力となめらかな隆線がお前の身体を隅々まで成熟させている……」

 王弟はビジオールの右手を自身のそれと重ね合わせ、一本ずつ指先までなぞった。一方で襟元に突っ込まれた左手は、恍惚としたその声に滲んだ欲望がそのまま形を得たかのように暴れ始めた。

「ッ、王弟殿下、」

「ビジオール……お前もあのワインたちのように私の貯蔵庫に飾ってやろう。案ずるな。私は毎夜晩酌を楽しむことにしている……孤独にはさせない」

 その言葉は直接唇にかかるかと思うほどの距離で発せられた。

「サンドールはお前に相応しい土地だ。お前の実らせる葡萄酒を楽しみにしているよ」

「……や」

「ン?」

 王弟はどこか愉しそうに今度は自分の耳を寄せた。

「……やめろ。私に……私に触れるな」

 小刻みに震えるその言葉は、王弟の耳にはこの上なく心地の良い振動となって伝わったようだった。

「触れるな……か。ビジオール、お前さては……覚えているな?」

 笑いを含んだ声に、ビジオールはぞっとした。王弟はビジオールの膝から手を離してその唇に触れた。そのまま何か言おうと口を開く。その時だった。

「王弟殿下! ご歓談中失礼いたします!」

 突然張りのある声が響いた。王弟はぎょっとして扉の方を振り返った。

「今は取り込み中だ。後にせよ」

 扉の向こうの声は、しかしどこか焦っているようだった。

「失礼ながら、緊急を要する事態のためこのまま申し上げる無礼をお許しください! 先程、庭園に忍び込んでいた怪しげな者を捕らえたとの報告が入りました!」

「怪しい者だと?」

 王弟はビジオールから手を離すと、立ち上がって扉の方へ近づいた。

「さっさと吐かせて素性を割れ」

「はっ。しかし単独とも限らぬため、十分な情報を吐かせるまでは王弟殿下の御身を護衛したく、我々に入室のご許可をいただけませんでしょうか?」

「いや、私については問題ない」

「しかし……」

「恐れながら、護衛を呼ばれた方が良いでしょう」

 ビジオールはソファに手をついて立ち上がると、乱れた襟元を整えながら言った。

「国王陛下がご留守の今、王弟殿下がこの王都を司るお方なのです。万一のことがあっては王都全体が混乱に陥るでしょうし、だからこそこうして不審な侵入者が認められたのかもしれません」

「……お前、」

「王弟殿下、どうかご許可を!」

 王弟は舌打ちせんばかりの勢いでとうとう許可を下した。

「……わかっている! さっさと警護せよ!」

「はっ」

 扉が開いて、先程ビジオールをこの部屋に通した近衛兵が入って来た。

「待て、どこに行くつもりだ。ビジオール」

 入れ違いに出ていこうとするビジオールを王弟が呼び止めた。

「これ以上の長居は警護上のご迷惑になるかと思いますので、私はこれで失礼いたします」

「何を言う。今帰らんでも、お前もここで私の兵たちに守らせてやる」

「ありがたいお言葉ですが、護衛対象は一人であるべきです。そして優先されるべきは王弟殿下のお命です」

 ビジオールは扉を閉めながら、呟くように言い足した。

「それに私にも、専属の護衛騎士がおりますので」

  


 廊下に出て曲がり角を曲がると、そこに見慣れた姿が見えた。

「ビジー様」

 ビジオールは一瞬そちらに視線を向けたが、すぐに前に目を向けてそばを通り過ぎた。

 表に待たせてあった馬車に乗り込む。御者が鞭をしならせて馬車が走り出すと、がたがたという音が車内を満たした。ビジオールは何も言わず窓の外を睨むようにして眺めていた。向かいに座るジークトリグもまた、何も言わなかった。

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