第七話 梅津寺公園
「うぐぐ……」
湊は立ちこぎのまま唸った。
祭り会場を離れて十分ほど。 二人乗りの自転車は、思った以上に前へ進まない。
山内さんが重いわけではない。
夜になる前の熱気が、身体の水分を全部奪っていく。 アスファルトの熱はまだ残り、少しの坂道でも足が重かった。
「だ、大丈夫?」
後ろから心配そうな声がする。
「大丈夫、大丈夫」
そう返したものの、全然大丈夫ではない。
帽子の中は汗で蒸れ、息を吸うたび喉が熱かった。
それでも湊はペダルを踏み続ける。
「どこまで行くん?」
「梅津寺公園や」
「えっ、そんな遠いん?」
「特等席やけんな」
強がって笑う。
本当はもう足が限界だった。
すると後ろから、ひんやりしたものが頬に当たった。
「はい」
ラムネ瓶を差し出していた。
ビー玉の入った青い瓶。 表面には細かい水滴が浮かんでいる。
「飲みかけやけど」
「……ええよ」
少しだけ躊躇する。
けれど喉は限界だった。
湊は瓶を受け取り、そのまま一気に流し込む。
次の瞬間。
「ごほっ! げほっ!」
炭酸が喉に刺さり、激しくむせた。
「ちょ、佐倉君!」
後ろで山内さんが笑い始める。
「そんな勢いで飲むけんや」
笑いながらも、背中を軽く叩いてくれる。
浴衣の袖が腕に触れた。
「はぁ……死ぬかと思った……」
「大げさやなぁ」
ようやく呼吸が落ち着く。
炭酸で喉は痛かったが、不思議と身体は少し軽くなった気がした。
「ありがとう」
湊はラムネ瓶を返す。
自転車が揺れるたび、小さなビー玉が二人の間で転がる。
夏の夕方の音だった。
それからしばらく走り続け、ようやく梅津寺駅へ辿り着いた。
「着いたー……」
湊は自転車を止め、大きく息を吐く。
海から吹く風が、ようやく熱を冷ましてくれた。
駅の構内へは入らず、そのまま入口近くの鉄柵まで歩く。
目の前には海が広がっていた。
夕日が沈みかけ、空は橙色に染まっている。
防波堤には釣り人たちが並び、夕まずめの海へ糸を垂らしていた。
ちゃぽ、ちゃぽ、と小さな波が岸へ当たる。
「ここが特等席なん?」
不思議そうに聞く。
「うん。まぁ見てて」
湊は少し得意そうに笑った。
二人は鉄柵にもたれながら、屋台で買ったものを食べ始める。
湊はたこ焼きを頬張り、 山内さんはりんご飴を小さくかじる。
風が吹くたび、ラムネ瓶の中でビー玉が鳴った。
やがて夕日が海へ沈み、 空の色がゆっくり藍色へ変わっていく。
その瞬間だった。
…ドンッ。
腹に響く音が夜空へ広がる。
続いて、大輪の花火が海の上で開いた。
「わあっ!」
山内さんが思わず声を上げる。
海面にも花火が映り込み、光が水面で揺れている。
祭り会場のような人混みもない。
波の音と花火だけが、二人を包んでいた。
「すっごい……!」
目を輝かせながら海を見つめている。
その横顔を見て、湊は少し胸が熱くなった。
連れて来て良かった。
そう思った。
「すっごいよ、湊くん!」
「へ?」
思わず変な声が出る。
名前で呼ばれた。
嫌じゃない、むしろ嬉しい。
けれど急に照れ臭くなり、視線を海へ逃がした。
すると次の瞬間。
「あ、ナイアガラ!」
「見て見て、佐倉君!」
今度は名字だった。
「……なんやそれ」
「え?」
「いや、別に」
湊は小さく口を尖らせる。
意味が分からないまま笑っている。
その笑顔を見ながら、湊は少しだけ悔しくなった。
けれど同時に、どうしようもなく嬉しかった。




