第六話 ざわめき
三津浜焼きを食べ、祭り会場へ向かう頃には十五時を過ぎていた。
夏の陽射しはまだ強く、港のアスファルトが熱を持っている。
昇は会場へ着くなり、真っ先にたこ焼きを買い、そのまま型抜きの屋台へ張り付いた。
「あーっ! また割れたーっ!」
一回五十円。
昇は細かく削るより、力任せに割ろうとする。
当然、すぐ失敗する。
「お前、絶対向いてないやろ」
「うるさい!」
昇は悔しそうに次の型を選び始める。
手先は昔から不器用だった。
「僕、屋台見てくる」
「おう」
返事をした直後、また型が割れる音がした。
まだ日は高い。
けれど港には、少しずつ人が集まり始めていた。
浴衣姿の子ども。
うちわを配る商店街の人たち。
屋台から流れる演歌。
祭り特有のざわめきが、町を包み始めている。
喉が渇き、湊はラムネを買いに向かった。
屋台にはすでに列ができている。
最後尾へ並ぼうとした時だった。
「佐倉君っ!」
後ろから声がした。
振り返る。
山内沙織だった。
「あ……」
思わず声が詰まる。
山内さんは浴衣姿だった。
薄い水色の浴衣に、小さな白い花柄。
いつもと違う。
その姿を見た瞬間、胸が妙にざわついた。
理由は自分でも分からない。
湊は慌てて帽子を深く被り直した。
「よぉ……暑いな」
目を合わせられないまま言う。
すると隣にいた女性が笑った。
「あなたが、あの佐倉君?」
「え?」
見ると、山内さんの母親だった。
「あの?」
「お母さん、やめてよ!」
山内さんが慌てて母親の腕を引っ張る。
「ごめんなさいねぇ」
「沙織から、佐倉君の話よく聞いとるけん」
山内さんは顔を真っ赤にしていた。
湊は、水泳の話をしたんだろうと思った。
負け続けている話でもしていたのかもしれない。
なんだか情けない…。
三人で並んでいたが、しばらく沈黙が続く。
すると山内さんの母親が周囲を見ながら言った。
「私、町内の人と話してくるけん」
「沙織、一人でも大丈夫?」
「えーっ!」
山内さんが不満そうな声を出す。
「今日、一緒に花火見るって言よったのに」
「すぐ戻るよ」
そう言いながら母親は笑い、湊へ視線を向けた。
「佐倉君、よかったら沙織と一緒に花火見てくれん?」
「別に……ええですよ」
昇はどうせ、型抜きを延々やっているだろう。
「ありがとうね」
そう言って母親は人混みの中へ消えていった。
残された二人は、ラムネの列へ並んだまま黙っていた。
祭り囃子の太鼓が鳴り始める。
「……お母さんのバカ」
小さく呟く。
湊は少し迷ってから言った。
「浴衣……いつもと違うな」
似合っとる。
そう言いたかった。
けれど口には出せなかった。
「変……かな」
不安そうに聞く。
「いや、ええよ」
下を向いたまま答える。
顔が熱くなっているのが自分でも分かった。
「本当に?」
見上げた山内さんは、無邪気に笑っていた。
「……うん」
湊はそれだけ言う。
そのあとも視線が定まらず、屋台や提灯ばかり見ていた。
ラムネを買い、二人で屋台を見て回る。
カランカラン。
山内さんの下駄の音が、石畳に軽く響く。
りんご飴。たこ焼き。焼きとうもろこし。
気づけば両手はいっぱいになっていた。
「荷物、少し持つよ」
湊が手を差し出す。
「巾着袋は、おばあちゃんから借りたんよ」
「汚したくないけん」
「わかった」
湊は巾着袋を受け取った。
そこには、古いゴム製のキーホルダーが付いていた。
色は剥げ、何の形だったのかも分からなくなっている。
古いんやな。
それくらいにしか思わなかった。
そのあと湊は、一度昇のところへ戻った。
「僕、ちょっと早めに帰るけん」
気づけば、そんな嘘をついていた。
理由は自分でも分からない。
たぶん、女子と二人で花火を見るなんて言ったら、昇が絶対にからかうからだ。
「おう、またなー」
昇は型抜きに夢中で、こちらをほとんど見ていなかった。
湊は少しだけ安心する。
山内さんのところへ戻ると、彼女はしゃがみ込み、足を押さえていた。
「どしたん?」
「下駄で擦れた……」
見ると、親指の横が赤くなっている。
小さな水ぶくれもできていた。
「痛いけど、大丈夫」
花火まで、まだ時間はある。
湊は少し考え込んだあと、顔を上げた。
「山内さん」
「ん?」
「花火、特等席で見せたげらい」
「え?」
「ちょっと待っとって」
湊はその場から走り出した。
商店街を抜け、自転車を取りに行く。
しばらくして戻ってくると、自転車を止めて言った。
「乗りや」
荷台を指差す。
「えっ、乗るん?」
「二人乗りいかんやん」
「すぐやけん。かまんかまん」
少し迷いながら、浴衣が崩れないよう膝を揃えて荷台へ座った。
湊は少し緊張したまま、自転車のハンドルを握る。
「行くでー!」
夕暮れの町を、自転車が走り出す。
祭り会場のざわめきが、少しずつ遠ざかっていった。
花火が始まるまで、あと一時間。
夏の空は、まだ青かった。




