第三十七話 同じ気持ち
日曜日の昼から会う約束をしていた。
午前中の部活を終えた湊は急いで道場を飛び出していた。
海沿いは風が強い。
冷たい潮風が火照った身体を一気に冷やしていく。
それでもペダルを踏む足は止まらない。
三津浜図書館へ。
今日はそこで沙織と待ち合わせだった。
最近は毎日電話をしている。
声を聞くだけでも嬉しい。
けれど、やっぱり会える日は違った。
顔を見たい、同じ時間を過ごしたい。
そんな事ばかり考えながら湊は港山駅前へ自転車を走らせていた。
一方その頃、沙織は図書館で参考書を開いていた。
受験生らしく勉強をしている……はずだったが、視線は何度も時計へ向かう。
問題集の内容は頭に入ってこない。
窓の外を眺めながら、もし学校が同じだったら。
放課後、少しでも会えたら。
そんな事ばかり考えていた。
結局集中出来ず、早めに図書館を出た沙織は渡し船に乗り港山駅近くで三津浜焼きを買って待つことにした。
「お腹空かせて来るやろうし。」
そう呟きながら袋を抱える。
帰りの渡し船の上では冷たい海風が吹いていたが、胸の奥だけ妙に暖かい気持ちになっていた。
待ち合わせ時間を少し過ぎた頃だった。
「お待たせ!」
聞き慣れた声に振り返る。
冬空の下、汗だくで自転車を止める湊がいた。
額には汗が浮かび、肩で息をしている。
どれだけ急いで来たのか、すぐに分かった。
本当なら、「練習お疲れ様。」そう言うつもりだった。
…けれど口から出た言葉は違った。
「湊、遅いよっ!」
湊が目を丸くする。
「ご、ごめん。」
困ったように頭を掻いていた。
その仕草に、沙織は少しだけ胸が締め付けられる。
小さい頃から変わらない癖だった。
困った時、誤魔化す時。
いつも湊は頭を掻く。
私だけが知っている癖。
そう思うと、少し嬉しくなる。
「はい、一緒に食べよ。」
二人は近くの公園へ移動した。
冬の公園は人も少なく、ベンチには冷たい風だけが吹いている。
三津浜焼きの湯気だけがやけに暖かかった。
「美味そう。」
「でしょ?」
試合中の鋭い顔ではなく、今の湊は柔らかく笑っている。
その顔を見るだけで、会えて良かったと思えた。
しばらく他愛もない話をしていたが、沙織はふいに小さく呟いた。
「さっき、遅いって言ってごめん。」
「ん?」
「本当は違う事言いたかったのに。」
湊が不思議そうに首を傾げる。
「なんか……会いたかった気持ちが変な方向に出た。」
自分でも上手く説明出来ない。
会えた瞬間は嬉しかった。
なのに素直に言葉に出来なかった。
湊は少し考えた後、笑った。
「そういえば子供の頃は僕が謝ったな。」
その言葉に昔の記憶が結び付く二人。
二人は同時に吹き出した。
「なんか変やね。」
「うん。」
沙織は視線を落としたまま続ける。
「自分でもよく分からんのよ。意識してるんかな。」
「気持ちが上手く伝えれん。」
そう言った声は、文化祭で女子弓道部を圧倒していた時とは全然違っていた。
強気でもなく、余裕も無い。
ただ、戸惑っている女の子だった。
湊はそんな沙織を見ながら思う。
こんな表情、初めて見た。
新しい沙織を知れた気がして嬉しかった。
それに、自分だけじゃないのだと思えた。
嬉しいのに上手く言えない。
会いたいのに素直になれない。
…同じだった。
今日会えて良かったと思う。
「あ。」
湊が何かを思い出したように声を上げる。
「ん?」
「そういえば子供の時、同じ箸で食べたよな。」
一瞬で沙織の顔が赤くなる。
「……今、言う?」
眼鏡のレンズが陽射しを反射して光った。
「いや…なんか謝った話ししてたら思い出して…。」
「思い出さんでいいっ!」
真っ赤な顔の沙織。
完全に墓穴だった。
その後しばらく説教される事になったが、不思議と嫌じゃない。
電話越しでは分からない空気があった。
隣に居る安心感。
笑う声。
照れた顔。
三津浜の小さな公園のベンチには二人の間だけ少し暖かかった。




